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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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本城 (下伊那郡豊丘村河野)  

◆天竜川の左岸の崖淵城には珍しい「横堀と虎口」を装備した砦城◆

「艦船プラモの製作は止めたの?」とご質問がありそうですが、そんな事は無くて「1/700ウォーターラインシリーズ」の最新完成作品は「秋津州」(あきつしま)。

その後、「蒼き鋼のアルペジオ」なるコミックにハマってしまい、そこに登場する潜水艦「I-401」とか重巡「TAKAO」のフルハルモデルを丹精込めて作っていました・・・(笑)

そう言えば昨日、重巡「摩耶」が発見されたというニュースを拝見しました。摩耶は、愛宕、鳥海と共に高雄型の姉妹艦でしたよね。祖国と家族、そして大切な人を守るために散った英霊に改めて祈りを捧げたいと思います。

IMG_0477 (1)
なんせ初代「宇宙戦艦ヤマト」の世代だし、「艦これ」の軍艦+擬人化モデルを融合したこのコミックは「どストライク」なのです(笑)

まあ、そんな個人のどうでもいい趣味はさておき、今回ご案内するのは、豊丘村シリーズの「本城」(ほんじょう)

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堀切㋒(上巾14m)は脇の道路から観察できる。

【立地】

豊丘村の河野地区の後背の山地が尽きる末端部の山で、南側には寺沢川を隔てて500mの位置に上の城がある。また城跡の北東の丘陵地は「勝負平」で、その名から付近一帯で合戦があったと伝わる。

本城(豊丘村)見取図①
「今まで紹介した他の河岸段丘の館城と何が違うのさ?」と指摘されれば、主郭北側の横堀と明確な虎口の存在であろうか。

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堀切㋒から突入してもよいが、道なりに西に進むと標柱があるので、そこから主郭へ入りましょう。

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北側から見上げた堀切㋑。上巾は14mほどだがかなり埋没している。

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チョッとピンボケしちゃいましたが、主郭下の横堀(帯郭?)の入口に明確な虎口の跡が確認出来る。

【城主・城歴】

城跡に立つ豊丘村教育委員会の説明板(昭和57年)によると、築城年、築城者とも不明であるが、室町時代末のものと推定されるという。

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とても昭和57年製とは思えない立派な看板。当時の村の熱意を感じる。(無論、今も継続中と信じたいが・・)

【城跡】

勝負平の西南の黒谷に突き出した丘陵の先端を三条の深い空堀で穿った堅固な縄張を持つ城である。山頂部の郭1が最も広く61×40の台形。東端の堀切㋑と接続する部分に土を土塁で囲んでいる。西端は11mほどの鋭利な切岸を伴い上巾15mの堀切㋐にに接続する。
堀切㋐と堀切㋑は本郭の北側の段下で約50mの横堀で接続され、この城の弱点である北斜面からの攻撃に備えたものであろう。
堀切㋐の北側に郭3が置かれ、宮坂氏はこれを馬出と見ている。
郭2は郭1と堀切㋑を隔てた長さ約40mの削平地。そこから東へ30mほどの細長い鞍部の先を堀切㋒で穿ち城域は終わる。

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堀切㋐と堀切㋑を連結するように構築された横堀㋑。堅固な土塁が築かれている。

honnjyou1.jpg
横堀と堀切㋐の接続部分。

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堀切㋐は南側斜面に竪堀として収斂するが、ご覧の荒れ模様・・・(汗)

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堀切㋐から主郭に入る位置に桝形虎口らしき構造もあるが、崩落もあり観察は厳しい。堀底を迂回させて主郭に入るというのは戦国時代の山城の特徴とも。

付近の河岸段丘の館城と比較すると、横堀の存在、虎口の存在が大きな違いとなっている。
明らかに実践を想定した縄張で、南北朝時代の古い山城の遺構とは違う気もする。宮坂氏が考察されるように、北方1.5kmに武田氏の大島城がある事から、対岸の支城として改修され末期まで現役として機能していたようにも思える。

DSCF3859.jpg
村指定史跡でありながら、郭1はご覧の状態・・・。

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例の如く、杉林が遺構を守り続けてくださいました…感謝感謝・・・。

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主郭の南側の段郭。こちら側には土塁は無くて、削平のみ。

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南側の堀底から撮影した堀切㋑。倒木と藪で酷い状態だがまあ、それなりの撮影場所を見つければ何とか見れるレベル。

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堀切②越しに撮影した郭2。藪が酷くて突入は諦めましたとさ・・・(笑)


≪本城≫ (ほんじょう)

標高:559m 比高80m(中部地区より) 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:下伊那郡豊丘村河野
攻城日:2017年3月19日
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:入口標柱より5分
駐車場:無し、路駐
参考文献:「信濃の山城と館⑥ 諏訪・下伊那編」(宮坂武男著 戎光祥出版)
見どころ:堀切・横堀・切岸など
注意事項:特になし
Special hanks ていぴす殿

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主郭背後の土塁にある三角点も荒れ放題・・・・いいのか?国土地理院・・・笑



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Posted on 2019/07/04 Thu. 20:21 [edit]

CM: 11
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コメント

討ち漏らし

ここと上野南城と虚空蔵山を今年前半に討ち漏らし、執念深く機会を計っています。
3を宮坂先生は馬出にあたるとしていますが、どう見えましたか。主郭西端の枡形から堀に降りて、東端付近から北に城外と接続したとすると、機能的には違うようにも思えるのですが。

えいき #- | URL | 2019/07/03 22:48 * edit *

Re: えいき様へ

下書きを作成中、睡魔に襲われて(毎度の事です・・汗)下書き保存したつもりが、朝になってブログに掲載されていたので、冷や汗ものでした。無論、掲載を引っ込めて先ほど公開しましたが・・・(笑)

上野南城は信濃の国人とは次元の違う縄張なので、美濃方面とか、徳川とかのような気もします。虚空蔵山は小生も未訪なのでそのうち。

横堀に二ヶ所で入口が存在するのは、北側に居館があったと推定する根拠になりそうです。
大島城の対岸の支城として既存の居館城を改修したのではないか?との推論も。

南北朝の争乱まで遡るのはさすがに無理ですね。織田方の甲州征伐で織田方の大島城攻めの付け城発想も・・んーんあり得ないか。

会長という神が馬出という定義なら会員や教育委員会は全員右ならえという、某古城研究会の組織の弊害。誰が意見するのかという変な老婆心。

ではまたお逢いしましょう(笑)

らんまる #- | URL | 2019/07/04 21:52 * edit *

初心者へのアドバイス、いつもありがとうございます。
記事も毎回わくわくと拝見しております。

そして、らんまる様や愛読者の皆様の境地には時間をかけても到底到達できるものではないなぁ、と痛切に感じるのであります!
一応、昔何があったかはザックリ予習して出掛けはしたのですが、肝心の構造を見る力が欠落しているようで・・・立体図形や地図に弱いのが致命的かと。無念です。

でも、初めてキジを見たんです!オスでした。綺麗なもんですねぇ。
帰りがけにサルも見かけました。
朝出発時に近所のシバイヌも見ていたので、『モモタロウ』はなんとか達成できました。

じろう #6G1pQkbg | URL | 2019/07/05 02:44 * edit *

Re: じろう様へ

桃太郎侍への昇進おめでとうございます。

桃太郎の使命は、鬼退治ですので、是非とも信濃の「鬼」と名の付く山城の制覇をお願いしますw

まあ冗談はさて置き、山城ヲタクも系列は色々あるので、今から決めつけないでも良いと思います。
縄張図も読める事に越したことはありませんが、必須では無いし、最初は感じるままに城址を散策するのが大切で、時間や状況が赦せば、二度、三度と訪問することをお勧めします。その都度前回には見えなかった発見がありますよ。

千里の道も一歩から・・・慌てる事も恥じる事もありません。

お手軽な城から数を徐々に増やして経験値をあげましょうネ。

お呼びいただければ、喜んで小生もお手伝いします。誰だって最初は右も左も分からないど素人からのスタートですもの(笑)

らんまる #- | URL | 2019/07/05 19:48 * edit *

本城?

高雄級重巡、あの巨大な艦橋がまるでイージス艦ですねえ。
いいデザインです。優れた重巡のデザインと言ったらこの高雄級とアドミラルヒッパー級でしょう。英米のはちょっと劣るねえ。

しかし、本城という名前が・・・城山城、要害城、館山城という名の城が多いですが、結局は城に名前はなかったという証でしょう。
しかし、藪が酷いですねえ。それでも堀はよく分かります。
コンパクトでいい城そうですね。

あおれんじゃあ #- | URL | 2019/07/05 21:26 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

師匠にお引越し祝いの言葉を贈ろうと思いましたが、コメントするのに会員登録しなくちゃいけないのでつい先延ばし・・何卒ご容赦ください(笑)

高雄型重巡、その重厚な美しさはやはりあの艦橋とブーツ型の煙突の賜物でしょうか。
全体的なバランスでは最上型の軽巡熊野も好きな船で、北欧の出身のような錯覚を覚えます。

あの狭い豊丘村にも結構な数の山城があるので驚きます。南朝方の盟主である香坂高宗の本拠地だった大鹿村の入口という事も要因でしょうか。
南信濃の山城は季節選ばす藪だらけで閉口します。しかも遠いので中々遠征するにも大変で二の足を踏みますねえ・・(汗)

らんまる #- | URL | 2019/07/05 21:59 * edit *

横堀

最近、武田さんが改修した城の
腰郭は横堀が埋まったものが多いような
気がしています。

この横堀は緩斜面側を効果的に
防御していますね

丸馬出 #- | URL | 2019/07/06 12:02 * edit *

Re: 丸馬出様へ

切岸の下の横堀は土砂崩落も手伝って埋まりやすいのかもしれませんね。

藪に埋もれていますが、他の館城に比較すれば切岸の角度、薬研堀の鋭さ、虎口を持つことから末期まで改修されて使われたように見受けられます。

らんまる #- | URL | 2019/07/06 17:47 * edit *

行ってきました

堀ウから。
苦難を求める私には、求道習性があるようです。
横堀、幅広ですね。武田じゃないのではないでしょうか。
虚空蔵山は、林道の終点まで行きましたが、そこから比高400超のため、怖気付き、退却しました。上野南、草がきつい所もありましたが、良かったです。

えいき #- | URL | 2019/07/08 21:27 * edit *

Re: えいき様へ

有言即行動の精神には感服いたします。

グンマーの沼田市や昭和村辺りをヒーヒー言いながら徘徊している我が身に比べれば、さすが越山をものともしない謙信のお国柄ですね。上越から伊那谷の南端への遠征なんて考えただけでも疲れます・・・(笑)

豊丘村の物件は南朝絡みの室町初期の緩い山城が多いのですが、ここは後期の造成のような気がします。

南信濃のこの時期の単独比高400オーバーは登山道が整備されていないと厳しいですね。時間的にもゆとりがないと・・・。

らんまる #- | URL | 2019/07/09 19:43 * edit *

私の感覚では

昨年は駿遠三が主戦場でしたので、伊那谷は近くという感覚です。

えいき #- | URL | 2019/07/09 22:15 * edit *
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