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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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巻ヶ城 (下伊那郡豊丘村河野)  

◆南朝方の本拠地である大河原城への街道を眼下に監視した城砦◆

伊那谷の城館を語る際に避けて通れないのが「南北朝の動乱」とよばれる56年間で、伊那谷の有力豪族であった香坂高宗は居城である大河原城に後醍醐天皇の第八皇子である宗良親王をお迎えして、ここに征東府を置き南朝方の東国平定の拠点とし山城ネットワークを構築し北朝と対峙した。
※詳しくは→大河原城 を起点とした小生の大鹿村の城巡り記事をご参照ください。

今回ご案内するのは、伊那谷から南朝方の拠点である大鹿村への山道を抑えるために構築された巻ヶ城と巻ヶ城支城である。

巻ヶ城見取図①
街道を挟むように築城された二つの砦。

【立地】

豊丘村と大鹿村の境に位置する鬼面山(1889.8m)と大西山(1741.6m)を源流とする芦部川と虻川に挟まれた天竜川に臨む支脈の先端に位置する。芦部川側の北の深い渓谷を挟んで指呼の先に茶臼山城があり、南側の緩い斜面の対岸には巻ヶ支城がある。

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大手筋から斜面を登ると最初に現れる堀切㋑。ほぼ箱掘である。

DSCF3898.jpg
堀切㋑の西側の郭(20×7)。削平も曖昧なまま。

【城主・城歴】

ハッキリした事は不明だが、南朝方となった大河原城の香坂氏の勢力下であるので、香坂氏やその配下の河野氏に関わる城と推測されている。南北朝の動乱が終わり役目を終えたかに思われたが、戦国時代に入り再び改修され、本城と共に秋葉街道に通じる山道を監視したものと思われる。

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郭3(47×17)

巻2
郭3から見下ろした堀切㋑。倒木も多く荒れ放題・・・

DSCF3906.jpg
何故か郭3にある三角点。

【城跡】

尾根の最頂部に長方形の主郭を置き、西側に郭2、郭3を置き、主郭の南北に段郭を配置した縄張、西端と北東の尾根を堀切で区切っている。
面白い事に郭2は方形の窪地で、南に土塁を伴う平虎口で防御されている。見方を変えると、郭2は桝形虎口そのものであり、郭1と郭3からの狭間空間となり、侵入する攻城兵の殲滅が可能である。南北朝時代のものではなく、戦国時代の改修とみるが、どうであろうか。

DSCF3907.jpg
郭2(15×12)の南側の土塁と虎口。

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虎口の正面。(郭2側から撮影)

DSCF3913.jpg
尾根の南側には細長い帯郭の郭4と郭5。

DSCF3909.jpg
郭2から見上げた郭1(主郭)と接続部分の切岸。

DSCF3915.jpg
郭4から郭1に接続する虎口。神社勧進の際に開けられ城の遺構では無いと思う。本来は郭4の東端から迂回したと思う。

史料や口伝なども残らない砦なので、築城年代や改修歴を推定するにもかなり困難である。
ただ、街道を挟んだ対岸に位置する巻ヶ城支城や北側の渓谷を挟んだ茶臼山城と比較すると、最終的に改修された年代はそれよりも新しいと推定できることは間違いないと思う。

DSCF3916.jpg
矢竹の生い茂る主郭の西側。

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巻ヶ城の主郭に鎮座する社殿。コの字型の土塁で囲まれている。当初は櫓台跡か?と思ったが・・

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社殿の土塁背後の東側の削平地。

DSCF3924.jpg
北東の尾根を遮断する堀切㋐。

DSCF3929.jpg
主郭北側の郭6.削平が不完全で犬走のようだ。

DSCF3930.jpg
郭6の西端。しいたけ栽培の原木があるが、今は作る人も途絶えたようです。

DSCF3932.jpg
郭6の北側には竪堀の跡も確認出来る。

神社の勧進や耕作化に伴い部分的に改変を受けていると思われるが、全体的に遺構は良く残ったほうだと思われる。

DSCF3938.jpg
主郭の社殿のある巨大な土檀と「ていぴす」殿。やはり櫓台が置かれていたと妄想するが・・・(笑)


≪巻ヶ城≫ (まきがじょう 牧ヶ城 槙ヶ城)

標高:663m 比高95m(池の平より) 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:下伊那郡豊丘村神稲山田
攻城日:2017年3月19日
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:車から降りて15分ぐらい
駐車場:無し (麓の山田集落に路駐)
参考文献:「信濃の山城と館⑥ 諏訪・下伊那編」(宮坂武男著 戎光祥出版)
見どころ:堀切・虎口・切岸など
注意事項:特になし
Special hanks ていぴす殿



IMG_0523.png
当日のスクリーンショットと三つの山城の位置関係。
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Posted on 2019/07/11 Thu. 08:44 [edit]

CM: 4
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« 巻ヶ支城 (下伊那郡豊丘村神稲)  |  本城 (下伊那郡豊丘村河野) »

コメント

大鹿村シリーズ、以前ありがたく読ませて頂きました。
虻川は後年になって材木を流そうにも山に遮られて繋がっていないように
見えたので、鹿塩や大河原とはあまり関係無いのかと勘違いしておりました。
大ありなんですね。

いつの日にか直接らんまる様の教えを乞うことができるレベルになるには、
山ほどの実戦を積まなくては・・・
あまりのハードルの高さに、ファッション山城愛好家、インドア山城鑑賞家に落ち着いて
しまいそう・・・

本物の愛好家のあの機動力は一体どのようにして得られたものなのでしょうか?!!

じろう #- | URL | 2019/07/12 21:35 * edit *

Re: じろう様へ

いつもコメントありがとうございます。その真摯な姿勢が大切だと思っていますw

小生は人に自分の想いは伝えても、人に自分の考え方を伝授しようなどとは思いません。
その方の感じたままの城址で良いと思っています。一つか二つ、想いが共有できればそれで良いのです。

私が今まで出会った城好きの皆様に共通しているのは、絶対的な現場主義だと思うんです。

書物や人様のブログやHPで得た知識よりも、現地に赴き実際にその目で耳で感じて欲しい。その事に尽きます。
数を重ねると見えなかったものも見えてくると思います。

まずは平地の城館探訪から。
次は何度の低い山城。経験を積み上げて徐々にレベルを上げていきましょう。城巡りに慌てるという言葉はありませんもの・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2019/07/12 22:22 * edit *

ムラムラ

倒木が横たわる堀などを見るとムラムラしますわ。
・・対象が違えば犯罪ですね。
最近、更衣室の女子高生の下着を盗んだセンセもいましたが・・もとい!
しかし、藪を見てムラムラって、変態かい?

ともかく俺が大好きな風景、光景です。機会があれば行ってみたい。
でも伊那谷は遠い。

あの付近は南朝方の拠点といいますが、この城は戦国期の姿ですね。
武田氏に一網打尽にされる頃か、その前の中小土豪が抗争していた頃の所産でしょうか。

あおれんじゃあ #- | URL | 2019/07/19 16:37 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

そうそう、念入りに整備された城跡って、何故か萎えますよね・・・(笑)「野生」を呼び起こしてくれませんし・・(汗)

師匠、倒木のパラダイスといえば佐久の「内山城~内山古城~五本松城」のルートは歩行困難なぐらいの倒木の連続で遭難の危険があります。二度ほどチャレンジ(2回も行くんかい!!)しましたが、もういいや・・・って感じ・・・(笑)

「荒れ放題」の城址を嘆くキャッスルツアラーの御仁が最近多くなりましたが、ベテランは「それが嬉しい」という矛盾。

伊那谷は戦禍にまみえる事が少なかったとはいえ、南北朝時代と織田による武田征伐の時はそれなりに緊張が高まり山城も改修されたのでしょうかネ・・・。

らんまる #- | URL | 2019/07/19 22:01 * edit *
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