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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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南真志野城 (諏訪市湖南南真志野)  

◆諏訪惣領家の家臣矢島氏による普請か?◆

まるまるこの二週間、山城サミットに関わり過ぎてこのところ「腑抜け」のような日々を過ごしている・・・。

もともと「腑」すら無いのだからどんな日々なんだろう・・(笑) で、今週末のアテンドツアーに備えてタイヤを冬仕様にチェンジ!

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おいおい、タイヤじゃなくて虚空蔵山城が写ってる・・・(感動)。ちなみに我が愛馬のジムニーの初年度登録は西暦2000年。

今回ご案内するのは、諏訪湖の南岸に突き出す南真志野城(みなみまじのじょう)。

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県道16号線から南へ向かい、中央自動車道を跨いで林道諏訪箕輪線のダートに入る。尾根先の鉄塔が目印。

【立地】

西山山系の断層によってできた急な山尾根を越えて、諏訪から伊那へ幾つかの峠が通じている。その中の一つに古くからある真志野南峠は野明沢をつめて諏訪市湖南から後山まを経て、箕輪町に通じている。
真志野城はこの道に沿って、標高1025mの急な山尾根の末端部にあり、麓の南真志野集落から一気に200mの比高で聳えていて、諏訪地方では、高い城の一つである。(「信濃の山城と城館⑤諏訪・下伊那編」 P104より宮坂武男氏の記述を引用転載)

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鋭い切岸が続く尾根で取り付く場所は限られている。獣道ぐらいの狭さでも経験では登れると判断してスパイダーのように登る。

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郭5の一段下の段郭から愛車の位置を確認。結構な高さに自分でも驚くのだ・・(笑)

【城主・城歴】 ※以下、諏訪市史を引用

史料として直接出て来るのは、「諏訪頼重公一族重臣」として「真志野城主矢嶋織部極」がある。これと関連するものに、「守矢頼真書留」の天文十一年(1542)七月の条に、「神長はよいに衆なみに候間、桑□(?)の城の城へ矢嶋殿同心にて下宮をまわりうつり候間、頼重桑原の城御座候」とあって、□(?)の部分については、桑原より真志野の城へ、と理解され、この時点では真志野城の城主は矢嶋氏であることが明白である。そこでここ真志野城が北真志野城ではなく、何故南真志野城と考えられるのか、城主が何故矢嶋氏なのかが問題となる。

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郭5の切岸を見上げる。

真志野氏の勢力は減退したが、真志野集落の軍事的役割は文明の内訌によって増大した。即ち真志野峠・南峠を越えて後山集落から高遠の谷や箕輪へ通じており、高遠側による荒城の築城もある。惣領家側としては有力武将を配置し、堅固な城が必要であった。

そこで一族衆であり鎌倉時代から武力的に発展していた矢嶋氏を配置すると共に、南真志野城を築城したものと思われる。築城後の動きについては今のところ知る史料がないが、廃城については、天文十七年七月の西方衆の反乱について、「神使御頭之日記」に「此年七月十日ニ西之一族衆 矢嶋・花岡甲州江逆心故、諏訪二乱入候。神長・千野殿計従河西上原江移候、同十九日二西方破悉放火候」とあって、神長と大熊の千野氏は武田氏に与したが、矢嶋氏を始め諏訪の西方衆は小笠原氏と通じながら、協力して武田氏を追い出しに立ち上がったが敗れ、ことごとく放火されたのである。
さらにその日武田氏は勝弦峠で小笠原氏と戦い1,000人余人を討ち取って勝利した。

真志野城見取図①
正面を段郭で防御し背後を幅広い一条の大堀切で防御するというこの地域の山城共通の防御システム。

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郭5の内部。

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風雪に耐えて残る切岸。

【縄張と現況】

南真志野城は標高1032m、麓との比高も220mあり、諏訪の山城では標高1,300mの御天城に次ぐ高所険害である。此の場所が選定された理由について築城の項で述べた。構造としては、主郭・二の郭・それを取り巻く三の帯郭・主郭の背後(西側)の尾根を断ち切り防御を固めた広く深い空堀・主郭の南縁から西縁にかけての土塁などがしっかり残り、特に西縁の土塁は一段と高く幅も広く、物見櫓などが設けられたのであろう。

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郭4と郭3への切岸。

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郭3と郭2。

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変則的な段差を持つ際頂部の郭1は土塁で周辺を覆われている。郭2との区割りも曖昧なままである。

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主郭は二段。頂部は櫓台か?

大手道は東北に降る尾根道であったと思われ、帯郭の二段目の舌状広場に枡形(入口)が設置されたのであろう。西側山地に続く尾根は荷物や馬の置き場として利用したであろうが、山地との境の堀切はなかったと思われる。

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南側の尾根にも数段の帯郭を置き防御を強化している。

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南に突き出す帯郭群。

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主要部で最も面積の広い郭3。

全体の構造は複雑ではないが、自然の急崖に護られて中々堅固であり、それより西200m程に竜雲寺が在る。根小屋はこれより下部に広がる南真志野集落で、北真志野と共に古くから発達していた。
※以上「諏訪市史」よりの引用終わり。

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主郭背後の巨大な堀切。

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側面を土塁でかさ上げして堀底の高さを確保しているのがわかる。

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一条だけなんだけど、幅広な箱掘り状の大堀切は美しい。小生の好きなアングルです。

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西側の尾根から大堀切と主要部を振り返る。

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搦手方面の西尾根。水の手もあるので通常は堀切を数条穿つと思うのだが、全く警戒していない。

【らんまるの所感】

中央道の開通により北尾根の先端が改変されてしまい、お屋敷からの登城路や防御の構造が考察できないのは残念である。
とはいえ、北尾根の段郭は険しく、段郭も防御には充分な施工である。

城の中枢部を郭1・2・3と分けるのはかなり曖昧なので躊躇する所ではある。巨大な一条の堀切だけですませているのは、オーソドックスな戦国初期の仕様だというのが感じ取れる山城で、それはそれで諏訪の山城共通のルーツとしてみれば面白い。

水の手の辺りの段郭ももう少し調査が進めば面白い。ここは間違いなく守るべき最重点であると思うのだがどうであろう。

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西尾根に全く防御の遺構が無いのは不思議である。

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今も沢に湧き出る水の手。

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水の手を守るように築かれた段郭。往時の遺構であろうか?

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籠城時の生命線。築城の際に水の手の確保は最優先であろう。


≪南真志野城≫ (みなみまじのじょう 真志野城)

標高:1025.0m 比高200m 
築城時期:不明
築城・居住者:真篠氏、矢嶋氏
場所:諏訪市湖南南真志野
攻城日:2017年4月29日
お勧め度:★★★☆☆
難易度:中級クラス。直登の経験要。
城跡までの所要時間:林道より10分  駐車場:無し。道路脇に路駐。
見どころ:堀切、土塁、段郭群など
付近の城跡:武居城、大熊城、大熊荒城、権現沢城(北真志野城)など
注意事項:特になし
参考書籍:「信濃の山城と館⑥ 諏訪・下伊那編」(宮坂武男著 2012年 戎光祥出版) 「諏訪市史 上巻」


Ⓢは路駐場所。Ⓖは水の手。小型乗用車までなら何とか麓の林道まで入れる。

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真冬の2月にトライしたが、北向きの為諦めた・・・アホか!(笑)










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Posted on 2019/11/18 Mon. 22:16 [edit]

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コメント

必殺技は案外基本技でもあるということ

らんまるさん、こんばんわ。
城めぐりにおけるジムニーの有利さが改めて納得できますね。本領発揮というところです。
城めぐステッカーもお似合いです。

南真志野城、一条の大堀切で主郭部を守るという諏訪周辺らしい山城なんですね。しかも、間伐手入れがされていて遺構の見易さはとてもいいですね。登城ルートはなくても直登という基本かつ究極の技があれば怖いものはありません(笑)。
必要なのは熱意と勇気と手袋と長靴!そしてこれ案外基本だったりします。
最近はこれに「全てを捨てる」という意気込みを肥前の旅人に教わった気がします。
私たちの今年の流行語大賞間違いなしですね。

久太郎 #- | URL | 2019/11/24 20:09 * edit *

Re: 久太郎様江

こんばんは。

二連休に山城の限りを尽くしてしまい、「全てを捨てる」というよりはカミさんに「愛想をつかされた」という状況のらんまるでございます(笑)
まあ、この状況だけは横矢掛けでも、二重堀切でも、畝状竪堀でも解決できません・・・(汗)
人事を尽くして天命を待つ・・いやいや全く人事を尽くしていないし・・・(笑)

諏訪の山城を扱うHPやブログは少ないのが現状です。
早くから信玄の被征服地となったせいか、取り上げられるのは上原城か桑原城。

んーん、何とかせにゃいかんと思いつつ地道な活動を続けるしか無いという現実の閉塞感はどうしたものか・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2019/11/24 20:59 * edit *
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