らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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祢津下ノ城2 (リテイク 東御市祢津)  

◆圧巻の長大な土塁付き二重竪堀で武装された東信濃を代表する堅固な山城◆

このところリテイク記事が続き、過去の自分の呪縛から逃れようとする日々が続く・・・(笑)

そんな事をやり始めたら、過去記事を全てリニューアルする羽目になり無限ループの連鎖が始まる・・・(汗)

それでも、「山城は幾度となく再訪することで新たな発見もあり、往時の本当の姿に近づく事が出来るかもしれない・・・」

今回ご案内するのは、幾度となくアテンドした山城マニア垂涎の隠れた名城「祢津下ノ城」(ねつしものじょう)である。

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西側より見た祢津下ノ城の遠景(東御市海善寺より撮影)

今回も縄張図を新たに描く気力などないので、宮坂武男氏の図面を引用させていただき現地で撮影した写真をもとに解説したいと思う。

祢津下ノ城縄張図①
著作権は作図者の宮坂武男氏に帰属します。無断転載はご遠慮ください。

【大手門】

登城口から整備された遊歩道をしばらく登ると、左右に土塁を伴う横堀が現れる。
東側の横堀の端は登り土塁も確認出来、その防御の厳重さからこの場所が恐らく往時の大手門であったと思われる。

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大手口から東側の横堀。(真横から撮影)

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全体を把握するために斜め上から見下ろして撮影。

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大手口と左右の横堀防御を斜め上から撮影。東側の横堀の土塁は一部を残すのみ。

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東側の横堀の先は横移動を制御する登り土塁が確認できる。(同色で見づらいため補助線使用)

【桝形門】

大手門からさらに登り数段の段郭を経ると、急坂を屈折させた左右に土手を伴う狭い場所となる。この場所が恐らく桝形門で、主郭に至る攻城兵を阻止する最終防御ラインであろう。

ここは元々あった帯郭を改修し桝形虎口を開けて土塁を築いて門が置かれたと考えられる。現在遊歩道はこの桝形門の接続する帯郭から直接本郭に通じているが、これは公園化に伴う後世の改修で本来は別の通路があったと考えられる。

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下から見た桝形門。石積みが散見される。

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桝形門の左右の土塁は石積みで補強されていたと推定されるが、後世の改修による破損が酷く往時の状態は不明だ。

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全体像を分かり易くするため桝形を少し登った場所から見下ろして撮影。公園化整備と桜の植樹のため遺構が改変された可能性がある。

【主郭】

南に石積みで補強された虎口を開ける場所以外は土塁が全周していて、主郭背後はかなりの高さがある。一般的には背後の堀切の高低差を稼ぐためと思われがちであるが、それだけではなく、中枢部である主郭を敵に見通せないようにした工夫だともいわれている。

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正面虎口から見た主郭。オレンジシートは烽火リレーイベント用のドラム缶の保護用。正面奥の土塁が一段高くなっている。

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主郭背後の高土塁から撮影した主郭全景。

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主郭虎口の石積み。南側に虎口を開けているが、守備側の実際の出入りは背後の堀切を経由させたものであろうか。

【主郭背後の処理】

信濃の山城の主郭背後はそのままストレートに大堀切で断ち切るケースが多くみられるが、祢津下ノ城は主郭背後に武者溜りのような平場を設置した後に大堀切で断ち切っている。これは、背後の尾根に連続する郭と堀切の高低差を意識したもので、ここに伏兵を置き攻城兵を狙撃させるような意図を感じる。或いは桝形門から北へ回り込み、ここから主郭へ出入りをさせたのかもしれない。

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郭2から見た主郭背後の防御処理。

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堀切㋐。

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堀切㋐を東斜面から撮影。竪堀としてそれほどの長さは無いが、他の堀切との兼ね合いならばこの程度で充分であろう。

堀切㋐の先には長方形の郭2と扇形の郭3を落差のある切岸で接続させている。郭3の西側の斜面は堀切㋔が竪堀となって接続し攻城兵の移動を制限している。

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郭2。

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郭2から見下ろした郭3。

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郭2と郭3の接続部分の切岸。かなりの落差があり階段が無ければ登れない・・。

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郭3の西側に接続する竪堀㋔。

【長大な二重竪堀を基調とした搦め手の堀切群】

この城の最大の見どころは、搦め手から東斜面を麓まで這う石積み堀底土塁付きの長大な二重竪堀と搦め手を守る竪堀群とのコラボであろう。

滋野一族とはいえ、祢津氏がこの山城にこれだけの土木工事の人的・物量的投下が可能だったのかは疑問が残る。

仮説を立てるとすれば、天正壬午の乱で北条方への従属を決めた祢津氏に対して、信濃へ侵攻した北条軍が北信濃への前線基地として祢津上ノ城を駐屯地として整備し、その守りとして祢津下ノ城を改修したという事はかんがえられないだろうか?
そんな想像も楽しいものである。

祢津下ノ城縄張図①
またスクロールして戻るのも大変だと思うので縄張図に再登場願った・・・(笑)

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郭3から見下した郭4との間の堀切㋑。上から見るとW型の折れを伴う変則的な堀で東斜面で二重竪堀と連結し収斂する。

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郭4に接続する「池」。ここは後世の改変による造作で「水の手郭」ではないらしい。この日は池の水も無く歩いて横断できた。

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搦手の最終で西斜面を豪快に下るW堀切の㋕と㋖。ため息ものですw

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東斜面に対して竪堀となる堀切㋓。本来は㋖と繋がっていたものであろう。

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堀切㋑と㋒。尾根を分断する竪堀は全て東斜面の巨大な二重竪堀に収斂(しゅうれん)する。芸術的な美しさだ。

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二重竪堀との合流地点から見た堀切㋑と㋒。

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堀切㋒。残雪に埋もれた石積みが見えるでしょうか?竪堀の両サイドの土塁は石塁で補強された堅固なものです。


【東信濃では珍しい集合竪掘と石塁で補強された二重竪堀】

中信濃では小笠原系の山城に多く見られる集合竪堀だが、東信濃では上田市の室賀にある竹把城ぐらいで非常に珍しい。更に二重堀切の堀底土塁だけでなく外側の土塁にも石塁を伴うのはかなり特殊である。
周辺の他の山城には見られない特異な防御システムとその設計はこの城の重要性を物語っている。

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東斜面を長大な竪堀となり麓まで下る二重堀切。そのシルエットの美しさには言葉が浮かばない・・・。

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石塁で補強されている堀の外側の土塁。

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途中林道により二重竪堀は2ヶ所寸断されているが、この写真は上側の寸断ヵ所からの撮影。

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林道の上側の寸断された二重竪堀の下方向写真。これだけ残っているのはある意味素晴らしい。

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林道の下側の寸断された場所から見上げた二重竪堀。この土木工事量は凄い。

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上記場所から見た斜面下の写真。

今回のリテイク解説はここまでとしたいが、紛れもなく東信濃を代表する中世の山城である。この地域では珍しい輪郭方式の縄張りと、斜面を這うように作られた長大かつ巨大な二重竪堀は戦国末期の改修のテイストを充分に堪能出来る秀逸さである。

一度と言わず二度、三度と訪れて欲しい山城である事は間違いない・・・・。

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抜群のロケーション。

≪祢津下ノ城≫ (ねつしものじょう )

標高:826m 比高:130m
築城年代:不明
築城・居住者:祢津氏
場所:東御市祢津
再踏査日:2018年2月4日・11日
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの所要時間:10分
駐車場:登山口脇に数台のスペースがあるが、途中の道路が狭く急坂ですれ違いも難しいので城前集会所を借りよう。
見どころ:東斜面を下る長大な二重竪堀、主郭背後の堀切群、大手門、枡形門、主郭周囲の土塁・石積など
注意事項:林道経由で搦め手まで登るなら軽のオフロード4WD以外は無理なので注意。
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」(縄張図)


登り口はここ。

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Posted on 2018/02/20 Tue. 22:27 [edit]

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真田氏の山城ネットワークの近況 (上田市真田町)  

◆中世の山城入門者にお勧め「真田氏の山城・居館巡り」◆

父親の一年忌が1月5日なので、新年のご挨拶は遠慮させていただきますが、本年も宜しくお願い申し上げますw

さて、年末年始になると「城納め」だとか「城初め」がtwitterで賑わうので、小生も大晦日・元旦と真田氏の山城を巡ってみました。

「懐かしいなあー」と思う方や「これから行ってみたいなあー」と思う方も、しばしのほどお付き合いくだされ・・・(笑)

また、各お城の詳細や場所を知りたい方は、小生のブログ内の「検索欄」に城名を入れて検索していただくとヒットするかもしれません・・(汗)

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天白城の名物「岩盤大堀切」

【尾引城】

登り口から5分もあれば主郭に辿り着きます。城正面を数段の段郭で防御し、城の背後は三重の堀切で遮断。尻尾のような尾根先にも小さな段付き郭を置いて搦め手に備えています。(この先を登ると詰めの城の横尾城へ)

この城は、対岸北側の根小屋城と共に松代街道を監視し、同時に東側の打越城(おっこしじょう)との間にある内小屋(現在の信綱寺のあるかつての居館区)を防御する役割を担っていたと考えられます。

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真田丸のおかげで山城の入口には説明板が最近設置されました。
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主郭には秋葉神社が祀られている

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主郭背後の三重の堀切

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堀切から主郭を見上げるとこんな感じ

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東に真田氏本城がよく見えます


【根小屋城】

こちらも登り口から15分もあれば主郭に着きます。尾引城と同様に正面に数段の腰郭を置いて備え、背後は深い二重堀切で遮断しています。残念ながら堀切を含めた搦め手方面は深い笹薮で覆われ詳細の確認は難しくなっています。
村上氏砦でしたが、村上氏退去後は武田氏の山県隊寄騎の大熊備前守朝秀(嘗ては謙信の家臣)がこの城を守ったと伝わります。

主郭(高い城)のある場所から南の沢を挟んだ対岸に副郭(低い城)を置くこの地域の山城では珍しい縄張が特徴です。
低い城の探訪者は少ないので、この城へ来た際には是非寄ってみてください。

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登り口にある説明板。背後の川は「神川」(かんがわ)

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虎口の石積み

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主郭。おっと、城代家老がいらっしゃるようですよ・・・。

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「こんにちわ!またお邪魔しますんで、宜しくお願いしますネ」

城址は大熊氏の筆頭家老のカモシカさんの生活空間なので、冬場は大抵お目にかかる事が出来ます。
しばらくすると退去してくれますが、機嫌の悪い時はどいてくれないので、そんな時は無理せず退却しましょう。

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対岸の尾引城、横尾城。遠く真田氏本城も見える。

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対岸の低い城。石碑と東屋が見える。ここには明確な遺構がある訳ではなく、その後信仰の場所として使われたらしい。

【洗馬城】

根小屋城から松代街道を西へ進んだ大庭地区にある山城。小学校のある場所は「萩の館跡」と伝わり真田氏の出自に関係した居館らしい。洗馬城(せばじょう)は海野氏方の千葉氏(せばし)が守った城とされ、村上軍との戦いにその名が出てくるという。

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登り口の説明板。

城の正面に複数の腰郭を造作して防御とし、主郭の背後に堀切を穿つ手法は近隣の他の山城と同じ手法である。

但し注意して欲しいのは、この主郭の西尾根を遮断するのは古道の「乗越」(のりこし)であり、大堀切ではない。登り口の上田市教育員会の説明板も大堀切としているが、間違いであろう。もう一つ北側に続く尾根には小さな堀切が二ヶ所ほど確認出来る。

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主郭。かつては土塁が周回していたと推定される。

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この城の記事でほとんどの方が「巨大な堀切」と紹介している西尾根との乗越。麓の神社と実相院を結ぶ山道のピークで自然地形であろう。

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もう一方の主郭の背後の北尾根には二条の堀切が確認出来る

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西に奥まった位置なので、尾引城を介さないと真田氏本城との直接の連絡は難しい。


【真田氏本城】

大晦日だというのに数台の県外車と見物人が訪れていたのには驚いた。この場所に立つと、ここが有事の際における真田氏の山城ネットワークの戦闘指揮所なのだという事がハッキリ分かる。
果樹園として大きく改変されてしまった城の半分は最終形だったはずなので、今日見ることが出来ず残念である。
それにしてもここからのロケーションは素晴らしい。

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遠い昔のように思える「真田丸」(笑)

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主郭背後の高土塁は防御と共に敵から本郭を隠す役目を担っている。

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東には天白城の雄姿。斜面が伐木されたので、主郭背後の大堀切が竪堀となって斜面を下る様子が観察できる。

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松代街道もキッチリと動向が確認出来る。(洗馬城は見えない)

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もちろん、戸石城やその支城の伊勢崎城(虚空蔵山)も。

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上州方面の有事の対応も怠りなく。

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主郭と背後の高土塁。

【打越城】(おっこしじょう)

信綱寺の前身は打越寺(おっこしじ)といい、元々横尾氏の菩提寺であり、その周辺は内小屋と呼ばれ居館元々があったと推定される。信綱寺の黒門がある尾根は打越城と呼ばれ、内小屋の東側を防衛する砦として南の尾引城と共に重要な役割を担っていたという。

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黒門の東側の駐車場に説明板があります。

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信綱寺の表参道となっているこの尾根は嘗ての砦跡と知る人は少ない・・・(汗)

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黒門の先を尾根伝いに進むと墓地を抜けて尾根の最高地点の主郭へ。この先は堀切が一条あるのみだ。

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打越城の西側の駐車場より見た真田氏本城。


【真田氏居館】

地元では御屋敷と呼ばれ、真田幸隆・信綱が居住したと伝わる。信綱が長篠の戦で戦死した後は正室の北の方が住まわれ、勝頼の命により真田家当主の座を継いだ昌幸は戸石城のある伊勢崎で政務を執ったという。
台形の巨大な居館は土塁が全周し東には堀、北側は大沢川が天然の堀を形成している。
上田城築城後、この居館の荒廃を恐れた昌幸は神明宮を勧進し現在に至っている。

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西側の巨大な土塁。堀は耕作地化により埋められたか?

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搦手となる北側は大沢川を天然の水堀として防御している。

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居館の東側に鎮座する皇大神宮。

【天白城】

真田氏本城のすぐ南の山の尾根先に築かれた砦で、里伝では信綱が居館造成に際して新たに築城したという。
城の正面に段郭を重ね、主郭の背後は岩盤を叩き割った上巾8m程の大堀切が北の斜面に向けて巨大な竪堀となっている。
主郭の周囲を石積みで囲み小さいながらも加工度の高い砦である。

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麓の北赤井神社。ここから城跡へ登る。

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主郭を囲む石積み

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石積みその2

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主郭(16×13)

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北側から見た岩盤大堀切。見事だ。

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巨大な竪堀となって北側の斜面を下っていく

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真田氏本城も指呼の間である。

天白城が何故ここに築かれたのかは、ここから一望できる景色が答えを出している。
本城からは見えなかった洗馬城も含めた真田山城ネットワークがここからは全て把握できるのだ。

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松尾城と遠見番所。

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寒さも忘れてしばしその圧巻の風景に感動だ!(笑)

さて、如何でしたでしょうか?

年末年始を山城とともにお送りしてみました・・・えっ?松尾城と遠見番所も行けって?・・(汗)

この時期にどうしても訪問したい方はそれなりの装備とスパイクピン付き長靴は必需品です。
比高は天白城の140mがマックスですが、雪と氷、それに落ち葉の積もった道は低い場所でも危険が伴いますので、春先が良いといます。

では、リクエストにお応えして松尾城の写真を2枚。(2016年1月2日の撮影・・・・笑)

松尾城201612 (26)

松尾城201612 (32)


















Posted on 2018/01/03 Wed. 14:22 [edit]

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鷲尾城 (東御市新張奈良原)  

◆「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編」のトップに掲載されていた城◆

今さら何を・・・と思うかもしれないが、小生の山城への情熱のスイッチを押したのは宮坂武男氏の「図解山城探訪」シリーズである。(当時は非売品、県内の図書館でも館内閲覧のみで貸出禁止のところが多かった)

現在は「信濃の山城と館①~⑧」(戎光祥出版)として2012年度より随時内容も改訂され限定数量ながら販売されているが、今も長野県の山城の第一級資料としてゆるぎない地位を確立し山城ファン垂涎のバイブルでもある。

yamasirotanbou[1]

今回ご案内する山城は、小生が初めて東御市の図書館で拝見した「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編」の一番目に掲載されていた山城である。取り立てて比高が高いとか奥深い山だとかでもなく、何回かチャレンジする機会はあったものの何故か後回しとなり、東御市における未訪の城として唯一残っていた。「いつでも行ける」と思うか「今しか行けない」と思うか・・・心掛け次第であろう・・・(笑)

図解 山城探訪 第三集 上田小県資料編 (102)
「図解山城探訪」では1番目の山城だったが、改訂出版された「信濃の山城と館」では4番目に変更されている。

【立地】

東御市から地蔵峠を越えて群馬県嬬恋村鹿沢に通じる県道94号線の途中の奈良原集落の西側「鷲尾山」の山頂に築かれている。比高は麓を流れる所沢川より約150m程度である。

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奈良原集落からの鷲尾城遠景。右のピークが主郭。

【城主・城歴】

立地から祢津氏の本拠地である祢津下の城・上の城の詰めの城と考えられてきたが、簡素な縄張で改修された跡もないので祢津氏に属する在地土豪の城であったようだ。

大正十一年発刊の「小県郡史」には鷲尾城址として「祢津村新張區(ねつむらみはりく)小字楢原の西山なる鷲尾の山上にある山城なり。麓より登ること約五町にして本郭に至る。本郭は東西十間、南北一町。二郭は東西狭き處にて五間廣き處にて十間、南北に二町に亘り段あり。城跡中堀切二條あり。石垣の残るあり。先なるを鷲尾城といひ、後なるを萩城(はぎのしろ)といふ。新張の聚楽より一里十町の山奥にして僻阪の地たり。所傳を聞かず」とある。

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最近東斜面全体が伐木されたようだ。比高100mぐらいなら直登でも何とかなりそうと腹を決めて登る。

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藪の直登も厄介だが、禿山の急斜面の直登も掴む枝や木が無いので「転落注意」。

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「ういやつ」のジムニー君がゴミのように見える高さである・・(汗)

何だかんだ20分間急斜面を直登して二郭へ到達。尾根部分も伐木されていて遺構が鮮明に見易くなっていたのは有難いのだが、来年の夏は藪化必死であろう。そうでなくとも斜面に蔓延る棘科の植物に刺されまくって直登したので「こりゃ痛そう・・」

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二郭南端の岩を利用したと思われる木戸。ここが城域の南限らしい。

【城跡】

段差のある郭を二つ繋げ、主郭の前後を堀切で断ち切った簡素な縄張の山城である。小県郡史(ちいさがたぐんし)では、主郭を「萩城」南側の二の郭を「鷲尾城」と記載しているが連続しているので一つの城であろう。南限には岩を利用した木戸が設けられ、北側の鞍部方面にも天然の岩石を削り出して防御構造としている。

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木戸の南側の削平地。

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木戸側より見た二の郭。削平は曖昧だが結構な広さだ。

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伐木されたおかげで眼下に奈良原集落が良く見渡せる。

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二の郭と主郭の間には高低差を利用した堀切があるが短い。

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主郭側より見下ろした堀切。かなり浅くなってしまったようだがこの城では最も大きな堀切である。

主郭は堀切側に土塁の遮蔽を付けて二段の長方形を成している。北側には岩で虎口を作り更にその先に堀切を穿っている。

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主郭と南の堀切側の遮蔽土塁

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北側より遮蔽土塁を撮影

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本郭北側の虎口。左右を土塁と岩石で守っているのが分かる。

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虎口を北側より撮影。小さな山城だけど上出来だネ(笑)

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虎口を抜けると落差を利用した岩盤堀切。結構鋭い。

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堀切の先は岩が剥き出しの痩せ尾根が続く。

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痩せ尾根の北の先にある岩盤堀切。ここまでが城域であろう。

さて、如何でしたでしょうか?

在地土豪の簡単な物見または逃げ込み城的な簡素な作りですが、こんな高地集落にも城が必要だったとは驚きです。

それにしても6年も7年も放置した甲斐があってか、伐木されてスッキリした遺構が見れて良かった。

結論として、「いつ行くの?」   「今でしょ!」  (古いなあー 笑)

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何とご褒美には城跡から「富士山」が拝めましたよ!


≪鷲尾城≫ (わしおじょう 萩城)

標高:1236mm 比高:150m (所沢川より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:東御市新張奈良原
攻城日:2017年12月3日
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:20分 駐車場:墓地の駐車場借用(墓地までは軽自動車じゃないと無理かも)
見どころ:堀切、土塁、眺望
注意事項:伐木用の作業道が途中まであるが、最後は斜面を直登する。
参考文献:「信濃の山城と館③上田小県編 宮坂武男著」 「小県郡史」(大正十五年)
付近の城址:祢津支城、祢津下の城、祢津上の城、矢立城など

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まあ、こんな感じかしら。

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場所はここです。





Posted on 2017/12/10 Sun. 11:17 [edit]

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殿城山城2 (リテイク 上田市殿城)  

◆真田山城ネットワークのメインの烽火台として使われたか?◆

年齢を重ね、寒くなると億劫になってしまい(ものぐさとも・・汗)、ブログの更新も停滞しております・・・。

今回ご案内するのは、殿城山城の焼き直し。前回は真夏で遺構も景色も良く確認出来なかったので、そのリベンジとして公開。

※前回記事⇒殿城山城

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山頂には相変わらずドデカイ国交省のマイクロウェーブ無線の反射板が鎮座する。

前回は上田市民の森から登り口までの林道を徒歩で30分も歩いたのだが、今回は愛馬ジムニーで旧菅平有料道路の途中から続く石清水の林道を踏破して到着。この日はイノシシ駆除の鉄砲隊の方に遭遇し「気を付けて山登りするように」と警告を頂いた。

登り口から約20分で山頂へ。登山道は整備されているものの独立峰なので後半の傾斜はかなりキツク息が上がる・・(汗)
さすがに標高1194.3mはだてじゃない・・・(笑)

殿城山城縄張図
土手付きの単郭に二重堀切を穿った「狼煙台」だ。

殿城山2
上田小県はもとより遠く北アルプスまで見渡せる立地は烽火台として申し分ない事がわかる。

前回は夏場の探訪で城跡は一面の大藪に覆われ、しかも雨上がりでガスが巻いて何も見えずじまいだった。

なので、殿城山から見える景色を是非一度拝みたかったのですw

殿城山3
1194.3mの三角点。松尾古城遠見番所の1350mには及ばないものの、虚空蔵山城よりも100m高い場所になる。

殿城山4
虎口の周囲は土塁。天水溜めも認められる主郭。

twitterでもコメントしたが、この辺りの烽火台の標高はだいたい1,200mあたりが限界で、それ以上になると天候に左右されてしまいその責務を果たすのが難しくなる。

ただ、全国的にも晴天率の高いこの地区は、戦国時代もあまり変わらなかったと思われる。その証拠ではないが、松尾古城の遠見番所は1,350mという異様な高さに造られそれでも機能している。それでもここから遠見番所に伝達するには天白城を経由しないと難しい。

殿城山5
主郭背後の二重堀切。

殿城山6
北の尾根側から見るとこんな感じの二重堀切。堀中の土橋は後世の造作であろう。

地元の伝承によれば、世に名高い「戸石崩れ」の際に信玄がこの山に本陣を置き、全軍の采配を指揮したことから「殿城山」(とのしろやま)の名が付けられたという。
確かにこの場所からは戸石城も眼下に収めるが、現実の城攻めの陣所とすれば無理がある。

殿城山⑦
ここから戸石城は目と鼻の先かもしれないが、本陣としては高すぎ遠すぎで伝令を飛ばしても時間がかかり過ぎ・・・(汗)

殿城山7
真田氏が領地を治める為の通信所としては最高の見晴らしである。

殿城山8
米山城の登り口から見た殿城山城。山頂の反射板が目立つので上田市内のどこからでも認識できる山である。

殿城山9
twitterで投稿したら結構見て頂いた写真。上信越自動車道のローマン橋のたもとから撮影。

天気が良ければ景色は最高だが、オフロード車でもお持ちでない限りコスパはあまり良くないしマイナーな城なのでお勧めしない。
それでも信濃の山城を極めたい方には避けて通れない山城かも知れない・・・。遠見番所ほどではないのだが・・・(笑)

≪殿城山城≫ (でんじょうさんじょう とのしろやまじょう)

標高:1193.4mm 比高:293m (市民の森公園より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市殿城(トノシロ)
攻城日:2017年12月3日 (再訪)
お勧め度:★★☆☆☆ (眺望がよければ★3つ)
城跡までの所要時間:片道1時間 駐車場:市民の森公園駐車場
見どころ:堀切、土塁、眺望
注意事項:クーさん注意の看板あり。
参考文献:「信濃の山城と館③上田小県編 宮坂武男著」「小県郡史」
付近の城址:矢沢城、矢沢古城など



Posted on 2017/12/08 Fri. 21:41 [edit]

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東城 (小県郡青木村村松)  

◆青木村の山城は結構おもしろい◆

一昨日の信州は雨模様。例年なら、キンキンに冷えた冷凍庫のような年末のはずが、拍子抜け・・・(汗)

夜半からは雨が雪に変わったようだが、今年の冬は暖冬になりそうな予感。さて、いつ山城納めをするか思案中・・・(笑)

CIMG1191.jpg
南側の夫神地区(おかみ)から見た子檀嶺岳(こまゆみだけ 標高:1223m)とその尾根に展開する山城。

今回ご案内するのは、その威容と連続する大堀切の美しさでは小県郡を代表する山城の西城の沢を挟んだ対岸に位置する東城。西城の支城ではないかと思われる。


【立地】

子檀嶺岳(こまゆみだけ)から南へ派生する一支尾根上にある。大沖沢川の谷を隔てた西側には西城が至近距離にあり、後背の子檀嶺岳の頂上には、子檀嶺城が聳えている。

城への行き方は、村松集落から尾根伝いに登る方法もあるらしいが、岩尾根でかなりキツく厳しい工程になるという。最も楽なのは、西の沢の林道(途中ゲートあり)を通って大きく右に曲がるヘアピンカーブから東の尾根の鞍部に取り付き、尾根沿いに南に下る方法である。オフロード車なら林道は問題ないが、ゲートから歩いても15分もあればヘアピンまで行ける。

東城(青木村) (73)
林道から見た登り口の鞍部。傾斜も緩いので楽勝だ。この尾根を南(右へ)に下っていく。

東城(青木村) (70)
鞍部から林道のヘアピンカーブを見下ろす。

鞍部から尾根を歩いて10分ほどで城域に達する。尾根の高低差はさほどでもないし、一本なので迷う事はない。

【城主・城歴】

大正十一年の「小県郡史」の青木村の城址の項に「東城址」(青木)として、以下の記載がある。

「青木村村松區字本山にある山城にして、俗に東城といふ。本郭は東西七間、南北十五間あり。北に當り堀切二條あり。西南に東西二間、南北五間の腰郭あり。南方山脊に沿いひ小郭三個あり。其廣?今明瞭ならず。四方凡五十間許の間は峻険登るに難し。嘗て尖り箭の鏃(とがりやのやじり)を拾ひしとあり。所傳なし。」

縄張りはかなりシンプルで、ここを単独の城と見るよりは、沢を隔てた西の対岸の西城との関連を考えるべきであろう。主郭の崩落した石積みは西城の主郭の石積みと同時期のものとみて差支えないような気がする。

東城見取図①

【城跡】

鞍部から南へ向けて尾根を登り、その後は搦め手側に向かう緩い下り坂となる。尾根筋の天然の岩場も防御の役目を担っていたのであろう。まもなく前後を岩場で囲まれた削平地があり、これが郭4となるようだ。

東城(青木村) (66)
郭4の入口。前後を天然の岩に囲まれた小さな郭だ。ここから城域に入る。

郭4からは比高差がほとんどなく尾根伝いに南に進む。

東城(青木村) (63)
松林なので藪も少なく快適だ。

しばらく尾根沿いに進むと堀切㋑に突き当たる。上巾は5m程度あるが、堀底はかなり埋まっている。堀切㋐との間に郭3を置いて二重堀切として主郭の背後を防御しているオーソドックスな縄張である。

東城(青木村) (7)
補助線を入れて北側から見た現場。

東城(青木村) (9)
堀切㋑の断面(東側より撮影)

●堀切㋐

主郭背後の堀切㋐は上巾も10mあり、堀切㋑に比較してもかなり長大で尾根の岩盤を叩き割った豪快な竪堀で美しい。

東城(青木村) (75)
上田・小県の山城には多く見られる「岩盤割って作った大堀切の友の会」(笑)

東城(青木村) (17)
西斜面を下る堀切㋐。

東城(青木村) (19)
主郭背後は夥しい数の石が散乱している。主郭背後の石積みが崩れた痕跡だと考えても良さそうだ。

東城(青木村) (14)
郭3から見た主郭方面。石積みの散乱がハンパ無い量であることが分かる。

●主郭とその周辺

主郭は27×11の長方形で、東側の斜面を除いた周囲に石が散乱している。往時は西側の沢に対して郭の縁を石積みが囲んでいたと想定され、単なる土留めの石積みが崩れたものでは無いような気もする。対岸の尾根にある西城の主要部も石積みが見られるので同時期の改修と考えられる。

東城(青木村) (23)
北側から見た本郭。

東城(青木村) (26)
主郭の広さと確かな削平には驚いた。

東城(青木村) (29)
一段下の郭2。17×9の長方形だ。

東城(青木村) (38)
郭2から見上げた郭1との接続部分。石が虎口のようになっている。

郭2から更に南側に30mほど下るとテラス形状の段郭を置いて見張り台のような郭5に至るらしいが、今回調査はパスした。

東城(青木村) (34)
郭2から下は自然地形の岩場が続く。この落差があれば南側からの侵入も困難であろう。

●西側の帯郭と石積み跡

尾根の東西の斜面は傾斜がきつく、沢から登るのは困難だと思われるが主郭の西側には二段の帯郭が確認出来る。これは、沢筋からの攻撃に対して築かれたもので、周囲には石積みが散乱している。この石積みが主郭と帯郭の間の斜面に対して打ち込まれたものなのか、主郭を囲んでいたものが崩れたものか、帯郭の土留めなのかは判断が難しい。

東城(青木村) (42)
結構広い主郭下の西側の帯郭。

東城(青木村) (77)
主郭と帯郭の間の斜面に散乱する石。往時の形状はどうだったのか?

東城(青木村) (51)
更に一段下にも帯郭が確認出来る。傾斜は結構急なのだが・・。

飯縄山の裾に築かれた黒丸城は戦国末期まで改修が続けられた山城で、同じ青木村の城でありながら西城とこの東城は全く違う縄張で対比が面白い。石積みを用いるスタイルはこの辺の山城でもかなり多くみられるので、この辺りの土豪も築城技術のトレンドとして取り入れたのだろう。

構造もよく似ているので、西城の支城として築かれ、東方面の監視の役割も持っていたのだと推定されるがどうであろうか。

東城(青木村) (79)
岩盤堀切の㋐。素晴らしい・・(笑)

≪東城≫ (ひがしじょう)

標高:774m 比高115m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小県郡青木村村松
攻城日:2016年12月4日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:15分(林道のカーブより)
駐車場:無し、路駐
見どころ:岩盤堀切、石積みなど
参考文献:「信濃の山城と館③上田小県編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版) 「小県郡史」
注意事項:秋は止め山なので避けましょう。冬は鉄砲隊に注意。

東城(青木村) (1)












Posted on 2016/12/29 Thu. 08:00 [edit]

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