らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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燕城2 (リテイク 上田市上塩尻)  

◆在地土豪の物見砦か◆

上田城跡公園の桜も咲き始め、山城シーズンの終了は目と鼻の先まで迫っている。

そんな中、4日(土)は天気が良いと聞いて北信濃へ向かった信濃先方衆は、再び深い霧と残雪に行く手を阻まれた。

柏鉢城 (4)
標柱も割れる衝撃と登山禁止の文字。それでも我々は前に進むしか無かった・・・・

一日中ヘロヘロになって「僅かに山城二つと居館跡一つ・・・」これだけの戦果だった・・・(汗)

その聞くも涙、語るも涙の奮戦記はまた今度・・・(笑)

今回ご案内するのは村上連珠砦の中では比較的低い比高(それでも200m)の「燕城」(つばくらじょう)。

燕城遠景①
行き方は上塩尻神社から険しい沢を登るか、上塩尻の屋敷裏から桑畑跡を辿り脇の西平に取り付く。またはケムリの城から尾根伝いに下る。※尾根の分岐(城から約100m)を間違えないように。

【城主・城歴】

「小県郡誌」(大正十一年)には「燕城は塩尻村上塩尻區字原にある山城なり。本郭は東西十三間、南北三十間。里傳に塩尻五郎左衛門の守る所なりという」とある。

燕城(村上連珠砦群) (6)
ケムリの城から100m下り尾根の分岐を更に東へ下りると先端に城が現れる。

【城跡】

楕円形の主郭(22×9)は土塁が回っていて東に一ヶ所切れ口があるので、虎口であろう。前後を堀切で穿つ単純な縄張りで、堀切㋐は岩盤を刳り抜いた堀切なので、物見城、ケムリの城と同時期の補強・改修と思われる。
尾根を遮断する二重堀切は落差があるものの、物見城やケムリの城より簡単だ。

燕城縄張図②

燕城(村上連珠砦群) (9)
西尾根から見た二重堀切と主郭

燕城(村上連珠砦群) (10)
やる気の感じられない二重堀切の拡大(笑)。だいぶ埋まったようだ。

燕城(村上連珠砦群) (16)
土塁が囲む主郭と東端の虎口。

燕城(村上連珠砦群) (29)
岩盤を刳り抜いた堀切㋐。気合が足りなかったようだ。(東側より撮影)

燕城(村上連珠砦群) (23)
東側に突き出た郭は痩せた岩剥き出しの尾根。

燕城(村上連珠砦群) (26)
主郭の北側には武者走り(ってか走れない)のような通路の段差が付けられている。

燕城(村上連珠砦群) (36)
城域の東側と南側は急崖で人を寄せ付けない。(南斜面から城を見上げてみた)

【村上連珠砦ワンポイントガイド】

上田市塩尻地区は江戸時代から養蚕が盛んな地区で、特に大正時代から昭和初期にかけては長野県全体の蚕種生産量の1/4を誇った。そのために虚空蔵山の斜面はかなり標高の高いところまで桑畑となり、千曲川の河原石を積み上げた「ヤックラ」という石積みが山中に広く作られた。
燕城の西側の平削も桑畑として開墾され、山麓まで石積みの段々畑の跡が広大に残る。
隣の東の尾根の持越城(もちこしじょう)周辺も桑畑で開墾されかなり奥まで石積みが見受けられる。

なので、どこまでが戦国時代の石積みでどこからが桑畑の石積みなのか判断に迷うところだが、村上連珠砦は和合城、物見城、ケムリの城などを見ても分かる通り、石積みが使われた事は間違いない。

燕城(村上連珠砦群) (34)
燕城に隣接する西平地籍の桑畑跡と石積み跡。この遺構は城と関係が無いので注意が必要だ。

≪燕城≫ (つばくらじょう)

標高:632m 比高:200m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市下塩尻
攻城日:2015年3月14日
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:ケムリの城から下り10分
駐車場:無し
見どころ:堀切、土塁
参考文献:「信濃の山城と館③ 上田・小県編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
通常ルート:本文記事参照
付近の城跡:村上連珠砦を楽しもう!
その他:

燕城(村上連珠砦群) (32)
雑木林が邪魔でロケーションは良くない。




Posted on 2015/04/05 Sun. 11:56 [edit]

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ケムリの城2 (リテイク 上田市上塩尻)  

◆村上連珠砦の探索に際には必ず訪問して欲しい至極の岩盤要塞◆

桜前線の北上と同時に山城シーズンの終了が近づいている。ヤバイ・・・(汗)

このところの晴天続きと気温の上昇で信濃の木々の芽吹きと雑草の成長がハンパない。

北信濃の諸城巡りもGW前でアウトになる・・・会社休んでもラストスパートしたい・・・(笑)

今回ご紹介するのは、何度来ても飽きない鉄塔No25が突き刺さる「ケムリの城」のリテイク記事である。

虚空蔵山①
正攻法は虚空蔵山縦走ルート。座摩神社~持越城~虚空蔵山城~高津屋城~鉄塔No26⇒鉄塔No25(ケムリの城)

【ケムリの城へのルート】

この城を単独で訪問するのは非常に困難である。が、幸いな事に城跡には鉄塔(No25)が突き刺さっているので、村上連珠砦を縦走するルートの尾根に立つ鉄塔(No26)からの保安道を利用すると快適に到達出来る。

塩尻神社経由で燕城から搦め手の尾根を伝うルートでも行けるが、かなり傾斜がキツイのでお勧め出来ない。

虚空蔵山城②
こんな険しい屏風のような山でゲリラ戦を強いられたら大変。

城郭探訪の全国区のパイオニアである「埋もれた古城」の管理人ウモ殿も昨年に村上連珠砦を制覇されたとか。いやはや恐れ入りまする・・(笑)

【城主・城歴】

前回ご紹介した物見城と同様で全く不明で小県郡誌にも出てこない。名前からすると狼煙台らしいが何とも言えない。

ケムリの城見取図①
鉄塔(No25)の刺さっている場所も郭だったと思われる。破壊が最低限に抑えられた事は幸運だった。

【城跡】

主郭背後の北側に豪快な岩盤製の四条の堀切を穿ち、南に突き出す尾根先に石積みで武装した郭を四つ繋げ、その先を大堀切で絶つ単純さで、隣接する物見城を発展拡大させた縄張りである。

●四連の堀切

ケムリの城(村上連珠砦群) (3)
保安道を進むと最初に見える堀切㋔(上巾5m)

ケムリの城(村上連珠砦群) (5)
岩盤の間を縫うように保安道を進んで城域最大の堀切㋓に進む(転落注意)

ケムリの城(村上連珠砦群) (10)
堀切㋓(上巾15m)。岩盤剥き出しの南側を利用して北尾根を削ったものであろうか。

ケムリの城(村上連珠砦群) (9)
村上連珠砦の特徴ともいえる岩盤堀切のオンパレード。国宝級の荒っぽさがステキ!!(笑)

ケムリの城(村上連珠砦群) (17)
堀切㋓は東斜面を竪掘にして遮断線としている。

ケムリの城(村上連珠砦群) (18)
堀切㋓と北側の尾根の通路。

削岩機も重機もショベルも無い時代に、凄い土木工事の痕跡である。
城域には井戸も水の手も無いので、土木作業員は竹筒に僅かの水を入れて働いたのであろうか。

ケムリの城(村上連珠砦群) (25)
堀切㋒(上巾5m) 岩盤を削る執念。

ケムリの城(村上連珠砦群) (34)
ワニの口じゃありません・・(汗) 堀切㋑を主郭背後の土塁から見下ろした写真です・・・・。

ケムリの城(村上連珠砦群) (38)
西側側面より撮影した堀切㋑。

●郭群
※夏場の郭1と2は棘の植物と藪が支配してしまい、見学も撮影も難しい。(体験談)

ケムリの城(村上連珠砦群) (39)
背後から城内が見えないように土塁が意図的に置かれている。

ケムリの城(村上連珠砦群) (33)
郭1(9×6)。土留めの石積みの土塁が全周していたものと推定される。

ケムリの城(村上連珠砦群) (36)
郭の周辺に確認出来る石積み。

ケムリの城(村上連珠砦群) (43)
100年保存住宅よりも価値のある500年耐久石積み(笑)

ケムリの城(村上連珠砦群) (35)
郭1(主郭)と郭2の接続部分は登り石積みで防御線を構築している。

ケムリの城(村上連珠砦群) (37)
郭2(6×15)。

ケムリの城(村上連珠砦群) (52)
郭2の南側の石積み。北信濃の山城と共通の系譜で美しい。

ケムリの城(村上連珠砦群) (57)
鉄塔脇からみた城域中心部。

ケムリの城(村上連珠砦群) (44)
鉄塔の刺さる部分も郭だった可能性は高い。

ケムリの城(村上連珠砦群) (59)
自然地形を加工したと思われる堀切㋐。

ケムリの城(村上連珠砦群) (67)
西斜面に落ちる堀切㋐

ケムリの城(村上連珠砦群) (62)
鉄塔下の壁の石積みには崩落防止のネットが。電力会社の真摯な姿勢には拍手喝采である。

●ネットワークの中継拠点としての役割

ここからは稜線上に物見城、和合城が視野に入り、対岸には須々貴城、小泉上の城、遠く塩田城、子壇嶺城までも視界に入る。山頂の虚空蔵山城は標高が高すぎて狼煙台としては使い勝手が悪かったとも考えられる。

また、戦闘用の砦としてもかなり重視されたことは、五本の堀切や石積みからも見て取れる。

ケムリの城(村上連珠砦群) (56)
和合城との連携は絶対であろう。

個人的には既に5回訪問している。何度来ても新しい発見がある。

村上連珠砦では和合城の人気が高いが、玄人好みはケムリの城だと思っている・・(笑)

今年の秋にオフ会を主催して、票集めを行い不動のトップを密かに狙っている・・・・・(爆)


≪ケムリの城≫ (けむりのしろ)

標高:795m 比高:375m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市下塩尻
攻城日:2015年3月14日
お勧め度:★★★★★ (個人的には満点)
城跡までの所要時間:物見城経由で90分
駐車場:無し(迷惑がかからないように適当に路駐)
見どころ:堀切、石積み、展望
参考文献:「信濃の山城と館③ 上田・小県編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
通常ルート:虚空蔵山城(または和合城)からの尾根を縦走し鉄塔No26から鉄塔No25への保安道を進む。
付近の城跡:村上連珠砦を楽しもう!
その他:

和合城①
まあね、和合城もとても美しいのです・・・(菖蒲平からの撮影)


Posted on 2015/03/31 Tue. 21:36 [edit]

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物見城2 (リテイク 上田市下塩尻)  

◆背後を五連続の豪快な堀切で守られた村上連珠砦の重要な監視砦◆

上田盆地の北側の千曲川右岸に屏風のように聳え立つ山塊には、「村上連珠砦」(むらかみれんじゅさい)と呼ばれる大小16を数える山城がネットワークとして点在し、村上義清の居館の詰め城である葛尾城~難攻不落の砥石城までを中継している。

村上連珠砦③
「上田 道と川の駅」から見た東側。ここから砥石城は柏山城の裏側になるので見えない。

村上連珠砦①
村上連珠砦のピークとなる虚空蔵山城は1077m。比高は647m。

村上連珠砦②
坂城との境にある和合城は戦国末期まで境目の城として重視され現役であり続けた。山麓には「ねずみ」の地名。

虚空蔵山城~和合城までは登山道も整備されてますので、時間と体力さえあればいつでもアテンドします。お気軽にお申し付け下さい。

で、今回ご案内させていただくのは、「ケムリの城」と共に戦国末期まで使用されたであろうと推定される「物見城」。
豪快な五連の堀切に目眩(めまい)を起こす程の感動をお伝えしたい・・・(笑)

物見城(村上連珠砦群) (1)
中部陸運という運送会社の東に「菖蒲平・和合城」への登り口があるが、左には行かず右の沢をひたすら詰める。

前回は無理して尾根を直登したが、ガレの岩盤が剥き出しの岩山でとても危険。西の沢は多少の藪漕ぎが必要で歩きづらいのを我慢すれば、ゆっくり1時間程度で城跡に辿り着く。景色が見えず心細いのが難点だ・・・(汗)

【立地】

虚空蔵山の南斜面の中段で、ケムリの城の西側の支尾根上の岩山に立地する。ここからは和合城、ケムリの城、千曲川の対岸が良く見える。

物見城(村上連珠砦群2015)
五連の堀の芸術作品である。

【城主・城歴】

小県郡誌にも掲載されず史料や伝承が無い。唯一、地元の塩尻小学校の郷土史料に載っているので、どこかの古地図にあったとされるが詳細は不明である。

物見城(村上連珠砦群) (5)
南尾根から主郭方面。これだけの急斜面なら防御構造は不要であろう。夏は藪で入れないだろう。

物見城(村上連珠砦群) (6)
主郭の南縁は土留めの石積みが散見される。

物見城(村上連珠砦群) (21)
段差のある主郭の南側。部隊が駐留出来る場所では無い。

物見城(村上連珠砦群) (15)
主郭背後の堀切㋐。上巾は4m程度だが、岩盤を刳り抜いた落差のある堀切だ。

【城跡】

縄張り図を見てお分かりの通り、「決して敵に渡してはならない重要な砦」なのである。

でなければ、こんなゴミのような狭い二つの郭に身分不相応な五連の大堀切など造作する訳が無い。

「死守せよ!!」 このことであったと思われる。

和合城その1
和合城との連携もバッチリだ。

ケムリの城遠景①
物見城から見たケムリの城のシルエット。感動ものだ。

物見城(村上連珠砦群) (25)
上巾4の堀切㋐。岩盤を刳り抜いた芸術作品。

物見城(村上連珠砦群) (27)
堀切㋐から見た主郭の切岸。小さいながらも落差5mは「ハンパねえ!!」 (笑)

物見城(村上連珠砦群) (59)
郭2。(15×5)三人も立てば満員ですw

●東側5連・西側4連の大堀切

郭2の背後の尾根は圧巻の土木工事である。東尾根は堀切㋑を2重の堀切にして堀切㋒と沢の斜面で合流させている。

物見城(村上連珠砦群) (29)
郭2から見た東斜面の堀切の処理。

物見城(村上連珠砦群) (32)
堀切㋒

物見城(村上連珠砦群) (40)
深い竪掘となって東斜面に落ちていく

●北側の尾根の二重堀の処理

かなり大掛かりな土木工事で排出した土砂はどうしたのだろう?と余計なお世話(笑)

物見城(村上連珠砦群) (43)
堀切㋒との接続部分から見下ろしてみる。

物見城(村上連珠砦群) (46)
西の沢に落ちる堀切㋓

物見城(村上連珠砦群) (51)
北尾根からみた尾根上の堀切の処理。

物見城(村上連珠砦群) (55)
高低差を付けてゴッツイ岩山を削る難作業だった訳で・・・

物見城(村上連珠砦群) (57)
この時期の山城は美しい。

考えてみたら、この砦と堀切、500年の風雪に耐えてきたわけである。

500年保証の土木工事・・・・凄いなあと改めて思う次第・・・(汗)

物見城(村上連珠砦群) (65)
上田城方面を見る。上杉軍も使用したんでしょうか。


≪物見城≫ (ものみじょう 小矢場城)

標高:695m 比高:275m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市下塩尻
攻城日:2015年3月14日
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:50分
駐車場:無し(迷惑がかからないように適当に路駐)
見どころ:堀切、石積み、展望
参考文献:「信濃の山城と館③ 上田・小県編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
注意事項:登山道はありません。適当に直登。靴はしっかりしたものを着用のこと。
付近の城跡:村上連珠砦を楽しもう!
その他:

物見城遠景
高津屋城から見た物見城。





Posted on 2015/03/21 Sat. 10:11 [edit]

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黒丸城2 (リテイク 小県郡青木村当郷)  

◆東信濃を代表する山城の隠れた名城。あまり教えたくないのが本心?◆

上田市とその周囲の東御市・小県郡にある山城で、入門者向けのお勧めの山城ベスト10を挙げるとしたら、「塩田城」「岡城」「松尾城」「祢津下ノ城」「砥石米山城」「丸子城」「真田本城」「長窪城」「曲尾城」「中山城(武石)」あたりが無難な線であろうか。

百戦錬磨のマニア向けなら迷わず「村上連珠城砦群(大小16)」「松尾城遠見番所」「伊勢崎城(室賀)」「尾野山城」「女神岳城」「鳥屋城」「和田城」「笹洞城」「矢ヶ崎城」「黒丸城」が妥当な線だろう。(鬼とか猿は拙者の趣味の世界・・)

今回ご案内するのは、ツイッターで思わず名城だと呟いた「黒丸城」。推薦理由をリテイク記事にしてみた・・(笑)

【城跡までの道順】

国道143号線を上田市から青木村に向かい、大法寺入口を右折しそのまま当郷集落へ入る。約1.2km登ると道路沿いに阿鳥川神社と当郷公民館があるので公民館の駐車場を借用する。

黒丸城② (167)
阿鳥川神社の右脇を登る。

5年前にトライした時の初回、地元の方に教えてもらったのは、飯縄山城への道だったのだ。真夏に山中を彷徨った挙句に断念した。

黒丸城② (164)
神社脇を100m登り、三体の道祖神があるカーブを左に入る。ここが一番目の分かり易い登城口。

断念した翌週にリベンジマッチに及ぶ。近所の方に「貯水場の脇を左に進み尾根を登れ」と言われたのに、何故か直進して沢を登り再び迷子(笑)。林道にブチ当たって傷心して下った途中で奇跡的に黒丸城1を発見する・・・・。

黒丸城② (161)
道祖神の脇を進み塹壕のような道が尾根伝いに続くので、ひたすら進もう。

黒丸城② (2)
竹藪で進みづらいが、ガンガン登ろう。

黒丸城② (4)
ここを通りぬけてしばらく進むと城域に入る。ゆっくり登っても20分程度なので初心者でも問題無いレベルだ。

【立地】

古来から東山道の要衝として浦野駅が置かれ、交易が盛んであった。ここから保福寺峠を越えると中信濃の筑摩(松本深志方面)に通じ、修那羅峠や青木峠に通じる街道を抑えるには最適の場所である。北信濃に通じる室賀峠の抑えとして浦野城(のち武田によってに岡城が築城された)があるので、戦国期においは戦略上も重要な拠点だった事が伺える。

黒丸城② (9)
鬱蒼とした杉林を抜けると段郭となる。(郭5から撮影)

黒丸城見取図①
城域西側の畝状の竪堀群は、東信濃の山城の縄張りでは見る事の出来ない独自のドクトリンである。

【城主・城歴】

小県郡史(大正十五年)には、「黒丸城は浦里村當郷區(当郷)字西に日向の城といへる山頂にあり。本郭方八間、石垣今尚現存す。南方漸次に低下すること四丁許、腰曲輪總て十階あり。東、西、南の三面は峻嶮敷丈、北は低下して飯縄山に連る、堀切二ヶ所あり。寛永郡繪図に朝倉但馬守の城と載す。」と記載がある。

黒丸城② (12)
郭5から郭4へ向けて大手道が貫通しているが、後世の造作であろう。

黒丸城② (154)
郭5には平時の登城口である平小口と、東側には戦時用の枡形虎口が認められる。

【城跡】

連郭式の山城で、大手に段郭を重ねて主郭背後に深い堀切を穿つ東信濃地方特有の縄張りなのだが、この山城の特筆すべきは西斜面の畝状竪掘群であろう。
東斜面は「城の沢」と呼ばれる深い沢が天然の防御となるが、西側は傾斜が緩いのでここに対して厳重な防御システムを構築している。

畝状竪掘群=上杉系の築城技術と言われる事が多いが、東信濃ではこの城だけに見られる。天正壬午の乱後に上杉方に鞍替えした真田が、景勝と激しく対立する小笠原貞慶との軍事的緊張に備えて上杉の力を借りて改修したのではないのか?という妄想も成り立ちそうだ・・(笑)

●城域の南の処置

郭5~郭4の間には約8段の段郭を置いて侵入を困難にさせ、西斜面に㋐と㋑の竪掘を落として横移動を阻止している。

黒丸城② (150)

黒丸城② (146)

黒丸城② (18)

黒丸城② (144)
結構な傾斜角度に段郭を刻む手法は、下手な堀切を穿つより防御効率は遥かに高い。

黒丸城② (138)
南斜面への竪掘となる㋒。反対側の東斜面は短い処理で終わっている。

●郭3~郭2~郭1の主要部

郭3と郭2の間の落差10mの切岸を伴う堀切㋓の処理は圧巻である。まさに「壁(へき)」と呼ぶべき防御だ。そして郭2と主郭の西側はL字の堀切㋔が入り畝状竪掘が確かに確認出来る。
郭1または郭2から直接㋔へのアプローチは藪が酷くて、棘棘の植物で身動きが取れなくなる。堀切㋓から斜面を横移動することで何とか見れる。

黒丸城② (23)
郭3から見た堀切tp切岸。

黒丸城② (28)
土手付きの美しい堀切㋓(西側)

黒丸城② (31)
堀切㋓の東側。

黒丸城② (39)
郭2から見下ろした郭3.

黒丸城② (45)

黒丸城② (44)
郭2(32×1)との落差10mはまさしく「壁」である(汗)

黒丸城② (55)
主郭(32×13)

黒丸城② (54)
主郭背後は一段上に方形の郭を置き、更に後方を土塁で盛る事により背後の堀切の深さを増す効果を持たせている。

黒丸城② (56)
櫓台が置かれたであろう主郭の北側。

ここからのパノラマビューは凄い!!。街道の監視は無論、塩田城方面との連絡も問題無く出来るレベルだ。
子壇嶺城(こまゆみじょう)、東城・西城、女神岳城、遠く塩田城まで見渡せるロケーションは屈指であろう。

黒丸城② (62)

黒丸城風景①
子壇嶺城。ヘンテコリンな山の形は旅人の目印になったであろう。

黒丸城② (66)
郭2から主郭へは帯郭を介しての通路だったと思われる。

●主郭背後の三連の堀切

上巾15m、堀底から主郭背後の土塁上まで高さ15mの堀切㋕に圧倒される。切り立った壁の処理も凄い。三連の堀切は西斜面に対して長大に掘られているので、畝状堀群とともに西の守りを固めたと見て取れる。

黒丸城② (63)
主郭の土塁上から堀切㋕の東側を覗く。

黒丸城② (69)
東側の壁より堀切㋕

黒丸城② (71)
約50mの長さを伴い西斜面に下る。堀切フェチの至福のひととき(笑)

黒丸城② (74)
郭6から堀切㋕を介して見た主郭背後の土塁と壁。

黒丸城② (95)
西斜面を這う堀切㋖

黒丸城② (91)
堀切㋗

黒丸城② (85)
堀切㋗から見た堀切㋖と郭6にかけての処理。

●西斜面の畝状竪掘群

この城の特徴はまさにこの斜面の竪掘群であろう。小生が訪問した時は西斜面の間伐が行われている途中だったが、かなり明確に確認出来た。有り難い事である。

黒丸城見取図①
再び縄張り図にご登場願う。

黒丸城② (111)
写真では厳しいので落書き。堀切に木を捨てるのは止めましょう(笑)

黒丸城② (117)
まあね、藪で見栄えしないのはしょうがない(汗)

黒丸城② (121)
「登り土塁」というよりは「下り土塁」というべき堡塁施設

黒丸城② (123)
堀切㋔の北側の竪掘。こんな急斜面でも必死の防御である。

黒丸城② (124)
「下り土塁」の北側の竪掘。目視ではハッキリ見えるのに写真撮影すると、何がなんだか・・・・(汗)

さて、如何でしたでしょうか?

ツラツラと写真を並べるいつもの逃げの一手・・・(笑)

村上系とも真田系ともチョッと違う東信濃の隠れた名城。これを見ないと東信濃の城は語れまいて・・・(笑)

子壇嶺城から見た黒丸城とその周辺をサービスショットとして添付しときます。

CIMG1172.jpg

≪黒丸城≫ (くろまるじょう 朝倉但馬守城・城山)

標高:735m 比高170m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小県郡青木村当郷
攻城日:2015年2月11日
お勧め度:★★★★★ (満点) 宮坂武男先生も大絶賛!
城跡までの所要時間:20分
駐車場:当郷公民館の駐車場借用。
見どころ:道が不明瞭になりつつあるが、東信濃では珍しい畝状竪堀群のある戦国末期の縄張りを見れる。
参考文献:「信濃の山城と館③上田小県編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版) 「小県郡史」
注意事項:冬は鉄砲隊に注意。ヤバイ。夏場は藪で覆われるので晩秋か春先が良いでしょう。道祖神の上の貯水場から登るなら脇から左の尾根に進むと道がある。真っ直ぐ突っ切ると城の沢に入りかなり迷うので入らないのが無難。

飯縄山城(青木村) (67)
城の南に位置する殿戸から見た黒丸城とその周辺。















Posted on 2015/02/14 Sat. 21:02 [edit]

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尾野山城2 (リテイク 上田市生田)  

◆五カ年計画で地元の整備が進む真田ブランドの山城◆

大河ドラマの誘致が決まると、一時的に関連する城跡が自治体や地元の方に見直され整備される。

挙句の果てに「旗差し物」が林立する有り様となる。

ブームが去ると朽ち果てた旗がゴミとなり、城跡は大抵の場合は元の藪に覆われる。

信州が関わった最近の大河ドラマでは「武田信玄」(1988)、「風林火山」(2007)、「天地人」(2009)

尾野山城② (1)
信州国際音楽村(上田市生田)からみた尾野山城全景。

そして2016年に放映決定となった「真田丸」。

上田市行政と上田市民の悲願達成のように扱う記事が多いが、実はかなりブレまくった。

時にヤケクソとなり北陸四県との「木曽義仲」に乗っかったり、架空の人物である「真田十勇士」で観光誘致してみたり、方向が定まらなかったのだ。

で、ようやく決まった「真田幸村物語」(笑)。

早速「赤地に六連銭の旗差し物」が上田市内に溢れんばかりに林立している・・全く進歩してない方々・・・(苦笑)

今回ご案内するのは、真田ブランドとして認知されている尾野山城。整備が進められているので再踏査してみた。

尾野山城② (5)
炭焼き小屋の駐車場から尾根を上がると配水池。ここも郭の跡だろう。

【立地】

大門峠の街道が走る依田窪を流れる依田川が千曲川と合流する手前の西側の山塊の尾根先。ここからは、遠く浅間山の山麓から海野平、依田川流域を始め上田盆地、真田の庄が一望出来る。

尾野山城② (8)
配水池を過ぎ鳥居のある辺りから勾配がキツくなり城域に入る。

【城主・城歴】

海野氏の幕下の尾山氏の居城と伝わり、北側の麓の春日神社付近が居館跡だという。
天文十年五月、武田信虎・諏訪頼重・村上義清の連合軍が海野氏の領土に侵攻。海野平を一望出来る尾野山城を確保すべくこれを攻め落城させた。その後、神川付近で合戦となり、海野氏は連合軍に敗れ海野棟綱の嫡子の幸義が討死。棟綱と真田幸綱(幸隆)は上野国へ逃し海野宗家は滅亡。
のちの武田による信濃侵略に伴い尾山氏は武田信玄に降り、武田滅亡後の天正十三年(1585)八月に徳川対真田の上田合戦が勃発すると、上田城攻めに敗退した徳川軍をけん制するために尾野山城へ真田昌幸が三千の兵を率いて入城。徳川と対峙した。

尾野山城見取図①
主郭手前の堀切㋑と堀切㋒えお横堀で連結させ南斜面に対して厳しい防御を施している。

【城跡】

五年前に訪城した時は、雑木林や藪が酷く遺構もキチンと確認出来ずに「何が何だかワケワカゾー」状態だったが、今回はスッキリしていて「別の城か?」と思うほどに整備が進んでいた。

では、ここからは写真のオンパレード。

尾野山城② (14)
堀切㋐と背後から見た愛宕神社。

尾野山城② (17)
100mほどの長さがある尾根。南斜面にも二段武者走りのように設営している。

尾野山城② (18)
尾根を大きく遮断する堀切㋑は緩い南斜面に向けて土手で遮蔽。主郭方面への移動を阻止している。

尾野山城② (19)
堀切㋑(南側)箱掘に近い仕様で、砥石城本城背後の堀切と良く似た造りである。

尾野山城② (21)
北側は傾斜が急なので竪掘としては短く終わっているようだ。

尾野山城② (25)
堀底の土橋は後世のものであろう。こんなもの付けたら土塁効果が無くなる。

●帯郭(段郭)2段と横堀の三段構えで南斜面からの侵入に備える

この辺の構造は武田時代か真田時代の改修であろう。㋑と㋒の大堀切二条の間に段郭を置きその下に横堀を入れる年の入れようで、㋑も㋒も長さ100mの長大な竪掘となっている。しかも南斜面は鉄壁の防御である。

尾野山城② (72)
堀切㋐と㋑を連結している横堀と帯郭

尾野山城② (82)
西側から見た横堀。かなり埋まっている。

尾野山城② (66)
尾根側の帯郭。

尾野山城② (63)
こんなに伐木しちゃって大丈夫かしら・・・(汗)

尾野山城② (73)
横堀との連結部分から見上げた堀切㋒。

尾野山城② (79)
堀切㋒の南斜面の処理。複雑かつ技巧的。

尾野山城② (78)
100m近く竪掘りとして捻じ曲げている。飽きないゾ!(笑)

●主郭と背後の二重堀切

この辺の処理は実にオーソドックスな手法で、村上時代のものであろう。
こんなに立派な二重堀切があったんだと感動するほどの景観に生まれ変わっている。

尾野山城② (29)
主郭の東側の切岸。

尾野山城② (35)
主郭。さっぱりし過ぎのような・・・。

尾野山城② (30)
往時のロケーションが堪能出来る景色が凄い!

尾野山城② (33)
徳川軍が陣を置いた陣場砦(カナツボの城)が見える。

尾野山城② (34)
ここを押えれば滋野一族軍(海野・祢津・矢沢)の動きが目に見える。

尾野山城② (7)
真田方面との連携も可能だ。

尾野山城② (37)
主郭背後の二重堀切。こんなに切り払って大丈夫かしら??

尾野山城② (54)
堀切㋓。これぞ信州の山城って感じ(笑)

尾野山城② (50)
堀切㋔。堀底を二重にする手法は信濃の山城い多い。

さて、如何でしたでしょうか?

感動して端から端まで見て写真撮りまくってたら、尾野山城整備保存会の責任者の上野様が登城されたおで、お話を伺う事が出来ました。

●山城の研究者の方に指導を受けながら、昨年より五年計画で尾野山城を整備している
●昨年は雑木林を伐採した。本年度も継続し遊歩道の設置を行う。
●あまり樹木を伐採すると夏場の雑草が心配なのでこの辺で止めようと思っている(ってか、刈り過ぎでしょう・・汗)
●昨年の秋に書籍を出版されたいる著者の方がお見えになったが、名前が想い出せない・・・(実は平山優先生でした・・)
●赤畑の居館跡から登れるようにしたかったが、道が不明で断念。畑を荒らす訳にもいかない。

小生も宣伝ぐらいしか出来ないが、情報発信する事をお約束させていただきました。

「Produced by Sanada」

この威力は凄い!! 尾野山城は間違いなく真田一族が手を入れた山城である。
が、果たして「真田丸」に登場するかは不明だ・・・・・。

尾野山城② (61)
夏場の手入れが大変になりそうな現状である・・(汗)


≪尾野山城≫ (おのやまじょう)

標高:733.7m 比高85m (居館跡より)
築城年代:不明
築城・居住者:尾山氏、真田氏
場所:上田市生田
攻城日:2015年2月1日
お勧め度:★★★★★ (満点) 平山優先生も推薦してました!
城跡までの所要時間:10分
駐車場:軽自動車なら配水池手前の炭焼き小屋の駐車場まで入れる。駐車スペース有り。集落内の道路は狭い。
見どころ:手軽に登れて戦国末期の実戦仕様の城が体感出来る。
参考文献:「信濃の山城と館③上田小県編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
注意事項:切株には注意。

尾野山城② (92)
くれぐれも禿山にはしないで下さい(笑) 森や林になったお陰で土塁や堀が保護されてきたという事実もあるんです。











Posted on 2015/02/07 Sat. 16:11 [edit]

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