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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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裾花ダム見学会 その2  

◆結果論では語る事の出来ない緊急放流の判断の難しさ◆

冬場の山城シーズンに備えて二ヶ月前から毎朝4~5kmのジョギングが日課となった。出勤前にシャワーを浴びるのだが、汗が止まらず閉口・・・。平面の横移動のトレーニングが四乗の負荷のかかる縦移動の山城攻めに効果など期待できないのだが、ただデブ化しているよりはマシかと・・・(笑)

さすがにこの二日間は熱帯夜が続いているので、仕事への影響もあるのでジョギングは自粛した。

今回ご案内するのは、裾花ダム見学会の第二章で、裾花ダムと下流の発電所。

裾花ダム① (6)
長野県で一番古いダムながら、アーチ式を採用した美しさは今も健在である。

【裾花ダムのデータ】

所在地:長野県長野市小鍋
河川名:信濃川推計裾花川
型式:アーチ式コンクリートダム
ゲート:コンジットゲート×2門(常用洪水吐)
     クレストゲート×2門(非常用洪水吐)
堤高・堤頂長:83m・211m
総貯水量:1,500万㎡
管理者:長野県
本体着工/完成年:1964/1970

裾花ダム① (10)
裾花ダムのダム湖。

裾花ダム① (11)
ダム下流には副ダム、その先に裾花発電所。

長野県営のダムでは唯一のアーチ式コンクリートダムで、裾花川総合開発計画により設計された多目的ダムである。

平成7年7月11日から12日にかけて発生した長野県北部豪雨は甚大な被害をもたらし、長野市街地においては裾花川の洪水により長野県庁も浸水被害の一歩手前まで追い詰められ緊張が続いたが、奥裾花ダムと裾花ダムの連携により流入量を軽減して放流して、市街地を氾濫による災害から守った。

裾花ダム① (13)
赤色の橋は裾花大橋。

裾花ダムも見学会の参加者が多く駐車場もほぼ満車なのでびっくりした。

ド素人の小生にマンツーマンで裾花ダムの概要を説明して頂いた職員の方には重ね重ね感謝でございますw

「非常時には県知事判断でのゲート放流」というルールがありますが、一刻を争う場面ではいちいち県知事がダムに来るわけではないので、現場の判断に委ねられる。なので常に最悪を想定したシミュレーションに対処する方法を考えています」・・・この人たちなら命を預けても安心である。

裾花ダム① (15)

裾花ダムは奥裾花ダムよりも古いので、ダムの内部にトンネル通路は無く、「キャットウォーク」と呼ばれる壁面の通路でゲートや設備の管理が行われる。

裾花ダム① (7)
ダム操作室(2F)のある管理事務所。展示説明はこの事務所の2Fでした。

今宵はここまで。次回は裾花発電所ということで・・・。





Posted on 2018/08/02 Thu. 22:24 [edit]

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裾花ダム見学会 その1  

◆自然の猛威に対して絶対の防御システムでは無いダムを理解する◆

西日本の豪雨災害に際してましては、被害を受けられた被災者の方々には心よりお見舞い申し上げます。

今回の災害では愛媛県の野村ダム、京都府の日吉ダムの緊急放流が洪水被害を拡大させたとして、かなり厳しい意見が述べられている。

そんな最中の7月28日・29日に裾花ダム見学会を敢えて開いた長野県企業局の勇気ある決断には敬意を表したい。

そしてダムの役割は「防災」ではなく「減災」という新たな認識を持つべくその見学会に参戦してきた。(ヒマ人の言い訳か・・)

奥裾花ダム (39)
裾花川の源流に建設された奥裾花ダム。(長野市鬼無里 1980年完成)

小生も知らなかったが、毎年夏休みのこの時期に開催しているというダム見学会。土・日の開催は今回が初めての試みだという。


【奥裾花ダムのデータ】

所在地:長野県長野市鬼無里(きなさ)
河川名:信濃川水系裾花川(すそばながわ)
型式:重力式コンクリートダム
ゲート:コンジットゲート×1門
     クレストゲート×2門
堤高・堤頂長:59m・170m
総貯水量:540万㎥
管理者:長野県
本体工事/完成年:1972年/1980年

奥裾花ダム (1)
先日の豪雨で流木留めのフェンスを越えて滞留している流木。大きい樹木はクレーン車で吊り揚げて撤去するのだという。

奥裾花ダム (8)
ダム湖。

奥裾花ダム (6)
ダムの下方には発電所が2基あり、奥が最近増設された新しい発電所。

奥裾花ダム (7)
ダムの頂部。(長さ170m)

【ダム操作室とダム内部の見学】

ダム見学会ではふだん見る事の出来ない場所を見学させてもらえる。そこが嬉しいし、ダムに親しみを感じる瞬間である。

ブラタモリで紹介された黒部ダムには遠く及ばないが、「オラー、わくわくすっどー!!」(野沢直子の物まねで・・・・笑)

奥裾花ダム (15)
管理事務所二階にある操作室。反対側には巨大な「ダムコン」と呼ばれる放流制御コンピュータが2基設置されている。

奥裾花ダム (14)
奥裾花ダムから裾花ダムまでの下流には21カ所のサイレン警報施設があり、緊急放流の際にはここから操作発令を行うという。

ダムの内部には地震計が「頂部」「中間」「底部」の三ヶ所設置され手万全を期している。

奥裾花ダム (17)
頂部の地震計

奥裾花ダム (19)
ダム内の通路。小生の背丈が182なので200ぐらいの高さであろうか?

ダムの中央の洪水吐(コンジットゲート)は油圧式のラジアルゲート。ふだんは貯水池地から発電所経由で下流に放流しているのでゲートが開く事なないが、大雨や雪解けで通常の水量よりも多くなった時に水量調整のために開く。
※「洪水」(こうずい)というと河川が溢れる溢れるイメージだが、河川用語では通常の水量を超える状態を「洪水」と呼ぶ。

なので、この中央の洪水吐(こうずいばき)は「常用洪水吐」とよばれダム設計時の想定内の水量を調整するために開閉するが、想定外の水量でダムの上を乗り越えて溢れるのを防ぐのが「非常用洪水吐」。

奥裾花ダム (40)


今回西日本の豪雨災害で問題とされているのは、二ヶ所のダムがこの非常用洪水吐を開けて緊急放流した際に下流域に対して事前の通知が遅れ、結果として非難に充分な時間が確保されなかった為に住民が逃げ遅れ災害を拡大させたのではないか、という点である。

行政側を言語するつもりはないが、非常用洪水吐を開けなければダム自体が決壊してしまい想像できない被害が生じる事を考えた場合には、やむを得ない措置だったと思うが、当時の事実をしっかりとj検証して公表いただき教訓として次に生かして欲しいと考える。

奥裾花ダム (22)
常用洪水吐の中央ゲートを上部より撮影。放水量を開口操作において「cm」単位で調整するのだという。

奥裾花ダム (27)
中央洪水吐ゲート操作の装置。何故か「エイリアン コヴェナント」の場面を思い出す・・・(笑)


奥裾花ダム (29)
中央洪水吐の点検をするためには誤って放流しない為に予備ゲートを閉める。その為の制御装置。

奥裾花ダム (32)
中央洪水吐ゲートから発電所を撮影。見学会ならではの撮影スポット。

奥裾花ダム (33)
正面に見える岸壁工事は最近の崩落事故の修復。この辺りは毎年のように自然災害が発生し奥裾花自然園は通行止めのままだ。

奥裾花ダム (34)
雪解けの春先には矢印のラインまで水面が上がるそうです。

【過去に一度だけ開いた非常用洪水吐】

企業局の方の説明では、過去に一度だけ非常用洪水吐を開いた・・それが平成7年7月11日の長野県北部豪雨災害であった。

係員の方は「平成のセブンイレブン豪雨災害」として語り継いでいるそうで、ダム決壊の危機に瀕した緊迫の状況の中で、当時の長野県知事の指令により非常用洪水吐から放水した。

この時は、下流の裾花ダムとの連携により、裾花ダムは非常用洪水吐の放水をギリギリまで耐えた為に長野市内の浸水による被害は辛うじて逃れる事が出来たという。素晴らしい英断だと思います。

奥裾花ダム (41)
鬼女紅葉伝説の里を流れる裾花川の源流。

今宵はここまで。次回は裾花ダムということでご容赦くだされ・・・(笑)


Posted on 2018/08/01 Wed. 21:49 [edit]

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馬曲温泉 「望郷の湯」  

◆戦士の休息◆

先日、某ローカルラジオ局のパーソナリティが木島平村にある馬曲温泉のソフトクリームが絶品と言っていた。

春先に収録された某ローカル地方局の地元グルメナビで、飯山の富倉蕎麦を美味そうに食レポしていた。

日帰り温泉とグルメレポートを兼ね、家人を唆して 「いざ北信濃!!」(笑)

【馬曲温泉】 (まぐせおんせん)

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飯山市の国道117号線から右折し、県道38号線に入り千曲川に架かる「綱切橋」を越えて「馬曲温泉」の道標の案内通りに県道354号線をひたすら北東に進むと鄙びた日帰り温泉施設辿り着きます。

利用料金は510円で、内湯と露天風呂に入れて、公民館の大広間のような休憩場も無料で利用出来ます。内湯と露天風呂は全く別の場所なので、内湯で体を洗い露天風呂に移動して景色を楽しむのが良いでしょう。

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手打ちそばや定食類も揃う食堂。お土産の種類も豊富だ。

この馬曲温泉、実は2015年12月に信濃先方衆の平沢城攻略後に訪れているだが、その時は平沢城の全景の写真撮影のみで利用していない・・・(汗)

まあね、その時に快く敷地内に入って写真撮影を許可してくれた方々への感謝の意も込めて今回の訪問となった。
往時のレポートは⇒2015北信濃の山城納めをご参照ください。

●平沢城の説明板はこの場所にある

ここからは露天風呂に入りながら平沢城の全景が見える。こんな贅沢な山城マニア向けの温泉は、他に狐落城の堀切が観察できる「びんぐしの里 湯さん館」(埴科郡坂城町ぐらいであろうか。

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馬曲温泉の温泉施設の中に立つ平沢城の説明板。

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2015年12月の馬曲温泉よりの写真。

平沢城①
上の写真を拡大すると堀切や郭が遠目でも良くわかる。

残念ながらまだ記事にはしていないのだが、平沢城は結構技巧的な山城で、近くの犬飼山城と共に木島平村を代表する山城である。険しい山尾根にあり、麓からのアプローチ方法が結構大変なのだが、林道走破が可能な車両をお持ちであればトライして欲しい。

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2018年6月の撮影。

●露天風呂

上下二段の湯船にゆったり浸かりながら、平沢城や高社山、その先の飯山市街地などがご覧いただけます。

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男湯の脱衣所。この先の撮影は軽犯罪法に抵触するので悪しからず・・・(笑)

●ソフトクリームは隠れた逸品と評判

ここのソフトクリームは300円。が、しかしその味はミシュラン三ツ星に相当すると評判である。

では、実食!!

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何の変哲もないソフトクリームなのだが、カウでモウなかすかな甘さ(チョッと何言ってんだかわかんない・・・・笑)

木島平村の牧場で育った牛の搾りたての生乳100%で構成されているという。なので、ここでしか味わえない幻のソフトだとか。

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温泉に入らなくても入場口の売店で販売していますw

皆さんも、北信濃にお越しの際は「馬曲温泉 望郷の里」に是非お越しくだされ・・・!!




【富倉そば】

今回食べたお店が正統派なのかは別として、小麦粉の代りにヤマゴボウをつなぎとした幻の蕎麦といわれる「富倉そば」を食べたことが無い。

それでも「信州人か!!」とお叱りを受けそうなのだが、信州人=そば通(「または毎日の主食がソバ」という都市伝説は止めて欲しい・・・汗)というのは、ご勘弁願いたい。

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感想は? 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

せっかくなので、名物「笹すし」も注文してみた。

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「感想は?」 「御馳走様でした!!」(注 元気よく・・・・笑)

富倉そばを食べながら、2015年5月に探訪した其の名のルーツの富倉城を思い出した。

あの時は酷い藪の中をむさ苦しい中年男が2名、訳の分からぬ雄たけびをあげながら、カプサイシンスプレーを撒きながら山城を探訪していました。

「機長、逆噴射です!! 安全装置が外れてます!!」

機長の自爆だけで、実のところ巻き込まれずに良かった・・・(笑 師匠、ゴメンナサイ・・・笑)




Posted on 2018/06/03 Sun. 21:48 [edit]

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信濃先方衆はこれからも険しき山城に挑み続ける  

◆「上田・小県編」のラスボス「馬伏城」の攻略に挑む(速報)◆

今ではその「比類なき働き」で、信濃の険しい山城攻略の相方となった「ていぴす」殿との出会いは2012年7月の事であった・・・。

お互い基本的には単独行動を基本としているが、難儀な山城へのアタックは同盟軍として相互補完し幾多の困難を切り抜けた。

その戦歴の中で最たる山城は、日本最高地の山城 楡沢山城 であり、次はまだ記事にしていない「仁熊城」(にゅうまじょう 筑北村)。この山城へは道が消滅しているので、辿り着けただけでも奇跡に近いという有り様だった・・。

仁熊城(筑北村) (8)
村役場の教育委員会の立てた標柱は全く違う場所だったというオマケ付きの仁熊城。(2016年11月)

さて、今回我ら信濃先方衆の2018年再始動は「馬伏城」(まぶせじょう 上田市塩田)と決まった。

もはや仙人の領域に達している宮坂武男氏も、この城からの期間途中に命の危険を感じたという曰く付きの山城である。
そのような険しく人を寄せ付けない山城に辿り着けるのか・・・・このことであった。

馬伏城 (52)
あそこが馬伏城の物見と知ったのは下山してからのこと。本隊は物見の裏側になるので見えない。

下見もせずにぶっつけ本番はいつもの事(笑)

あるはずの林道は廃道となり倒木で迂回させられるし、登る沢を間違えてUターンするわ、川底に古道が消えて万事休す。

「ならば直登しますか・・・(汗)」

馬伏城 (50)
この尾根を転がりそうになりながら直登。雪解け後なので、スパイクピン付きゴム長でなければ不可能な直登でした・・・。

尾根の先は岩盤で塞がれている・・・次の沢をトラバースしても突き当りは強靭な岩壁が行く手を遮る・・・。

「万事休すか・・・・・・・・次の沢を越えた尾根先がダメなら諦めるか・・・・」

我々は、佐久の高棚城と笠原城の攻略を思い出し戦慄した。

「入口は限られた場所だけ。」

そう、まさに逃げ込み城とはそういう条件を満たした閉鎖的空間なのだ。

三つ目の沢の獣道を斜面の草木につかまりながら這うように登る。

我々は息絶え絶えに岩盤の隙間の鞍部に辿り着いた。そう。ここが馬伏城の入口だったのだ!

馬伏城 (3)
恐らくこの鞍部だけが城域に入れる狭き関門のようだ。

馬伏城 (10)
巨大な土塁を伴う鞍部の削平された郭。

もし、「逃げ込み城」の定義があるとすれば、以下の要件が必須であろうか。

●麓からは見えない
●最低でも一か月は籠れる居住性と水源の確保
●敵が容易に攻め込めない険阻な立地と防御性
●味方の砦との連絡手段が確保できる立地

馬伏城 (9)
馬伏城の本城からは女神岳城のみが見える。

いわゆる「足弱」と記される女性や子供、老人は逃げ込み城の充足要件の定義に入るのだろうか?

峻険な場所に設営された逃げ込み城にどのように入ったのか全く想像が出来ない。

現代人の生活と単純比較してはいけないにしても、この場所に「足弱」が籠れるのであろうか???

馬伏城 (13)
北向きの沢は数段の削平地があり、籠城時の空間が確保されている。

筑北村の仁熊城は、立地条件も縄張も馬伏城によく似ている。

そう、これらの逃げ込み城をみて分かった事は、「当主は、絶対に生き延びなくてはならない。死んではいけない」・・・この事であった。

侵略軍に老人が殺されようと、女子供が略奪されようと当、当主(家名)の存続は絶対なのである。

馬伏城 (14)
人工的に削平された段郭。

天正年間、真田昌幸の統治に不満を持ち反旗を翻した土豪の斎藤氏は、女神岳城を新たに築城して立て籠もり、馬伏城を万が一の際の逃げ込み城として整備したと伝わる。
その後、昌幸の命を受けた長男信幸が女神岳城に籠る斎藤氏を攻めて降し、反逆の罪を赦し自分の家来として登用したという。

そんな訳で、馬伏城が歴史の大舞台に登場する機会は無かったものの、斎藤氏にゆかりのある山城という事は伝承として残ったらしい。

twitterで馬伏城については攻略当日に現場実況中継としてお披露目しました。
すると、次回はブログ記事として掲載し、攻略方法等についての記載をお願いしたいという要望がありました。

が、ここは難易度がかなり高いのでお勧めしません。

当日は城跡で猪(イノシシ)にも遭遇して事なきを得ましたが、あの巨体で突進されたらマジでやヤバかったと思っています。
※親の後を必死で駆けて行った「うり坊」は可愛かったのだが・・・(笑)

常々注意喚起しておりますが、中世城郭探訪の趣味が「命懸け」の趣味になってはいけません・・・・。

千ヵ所を越える山城探訪の経験はあっても、常に初心は忘れないように心がけてしますw

まあ、皆さんが忘れたころに記事にしようかと思っています・・・(笑) ってか最近全く更新してません・・・・(汗)

馬伏城 (44)
宮坂氏の図面には無いが、馬伏城の北側には物見砦と断定できる素晴らしい郭が存在しますw

馬伏城 (2)
ここもGPSアプリが無いと厳しかったでしょうネ。

Posted on 2018/03/17 Sat. 22:17 [edit]

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西牧氏終焉の地という幻の「殿様小屋」の遺構を求めて  

◆前人未到の伝説の地に果たして遺構は存在するのか?◆

朝廷に良質な信濃の馬を献上する牧場経営の手腕に優れた東信濃の海野を拠点とする滋野一族(嫡流は海野氏・祢津氏・望月氏)は、上野国や筑摩・安曇野にも一族が「牧」を作って進出し隆盛を極めたという。

深志・安曇野方面に進出した滋野氏の傍流としては、光城の光氏、塔ノ原城の塔ノ原氏 会田虚空蔵山城の会田氏・岩下氏、北条城の西牧氏あたりが土着した豪族として名を残している。

今回、我ら信濃先方衆が目指したのは、梓川流域を支配しながら、時の権力者であった小笠原氏によって排除された滋野氏系の西牧氏最期の拠点となった「殿様小屋」である。

【さて、行きましょうか】

稲核集落に車を止めて、我らは梓川の対岸を目指します。ここで、思いがけない事実に茫然自失となります。

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殿様小屋に向かうには、稲核集落から梓川に架かる吊り橋を渡る必要があるのだが、床板の木が腐っていて通行禁止。

ダム湖を横断する吊橋は、かなり頑強にみえるのだが、肝心の床板は所々欠けてボルトも腐食し「自己責任」。

欄干につかまりながら何とか半分まで渡りかけたものの、「死して屍拾うものなし」という格言に恐れ慄き撤退する。

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一見何の変哲もなさそうな吊り橋だが、昭和四十年代の開通以降、何のメンテナンスもしていないので、ヤバ過ぎ。

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この高さから落下して生きて帰れるとも思えないし・・・(汗)・・・撮影してる自分も可笑しいでしょ・・・(汗)

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「この橋渡るべからず」なので、橋の端を慎重に戻る「ていぴす」殿。鉄骨の無い橋の中央は腐った枕木を踏み外せば「サヨナラ」。

「安全は全てに優先する!!」 我ら信濃先方衆のスローガンでもある。

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この場所で撤収を決意したのはいいが、対岸に渡る方法はあるのだろうか?

【水殿ダム経由でトライしてみた】

吊り橋の下流にもう一本対岸に渡る橋があるようだが、対岸の道路が破線表示されているので、まともな道では無いのであろう。
なので、上流側に設置された水殿ダム(みどのだむ)の管理道路が通れることを信じてトライしてみた。

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水殿ダムはアーチ式コンクリートダムで、安曇3ダム(奈川度・水殿・稲核)の中間を担うダムである。

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ダムの下流には、先ほど顔面真っ青になりながら半分まで渡った吊り橋がよく見えますw

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水殿ダムのダム湖。

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中世城郭ファンの中には隠れダムファンも多く、小生もその一人だと思われる・・(笑)

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高さ95.5m。ダムの直下に発電所4基を設置したため、洪水吐き(放水口)は右岸にスキージャンプ式を設置した珍しい形式だ。

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スキージャンプ式の洪水吐き。放水される場面を見てみたいものですw

おっと、いかんいかん、ダムを熱く語る記事になっておるではないか・・・(汗)

梓川の安曇3ダムについては、また取材もかねて別の機会にご披露を・・・えっ、いらないの?・・(笑)


【栃沢入口を見張る砦に遭遇】

水殿ダムの上部は遊歩道として開放されていて対岸にも渡れたのである。かつては、我々が断念した吊り橋も含めて周遊出来る遊歩道だったらしいが、訪れる人は釣り人ぐらいで廃れてしまい。東京電力は周辺の歩道整備を放置したようである。

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左岸の遊歩道は時々ダムの堆積土や流木の廃棄場所への作業道として使われる程度で、廃道に近いものだ。

我々は水殿ダムから左岸の廃道を15分ほど歩き、栃沢への入口の尾根に着いた。かつてはこの辺りの集落の生業は「杣」(そま)であり、林業を中心とした生活で山と共に暮らしが成り立っていたので、かなり深い沢や険しい山の斜面にも道が入っていたと推定される。

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栃沢に存在すると言われる「隠れ小屋」「殿様小屋」への登り口。看板が怪しい光を放つ異様な光景である・・・(汗)

かすかに残る杣人(そまびと)の残した栃沢への道を少し登ると、明らかに人工的に手を加えた削平地と土塁が出現した。

「なるほど、これが西牧氏が急造した栃沢の見張小屋(仮称)かもしれない・・」 宮坂武男氏もここの遺構には触れていない。

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中央を石積みの登り土塁で区分けされた平場。小屋掛けが十分可能なスペースが二つ存在している。

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往時のものかは判断が難しい石積み。

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石積みは土塁状となって削平地を遮断しているのが分かる。

周囲の雑木林を伐り払えば、南向きなので小屋掛けに適しているし、栃沢への侵入を見張るにも最適の場所である。
断定することは避けたいが、ここに西牧氏が砦を作って小笠原氏の残党狩りに備えたとしても不思議はない。

しかし、この先は藪が酷くGPSの受信もままならない状態で2時間近い藪漕ぎ登山は遭難の危険大と判断し、11月に再挑戦ということで撤収を決定した。

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稲核集落から見た殿様小屋方面。

果たして次回我々は、西牧氏が捲土重来を期し、最後に籠ったという「殿様小屋」の場所を特定することが出来るのだろうか?

それよりも、果たして我々は生還することが可能なのであろうか・・・・(汗)

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我々が探し求める殿様小屋はこのあたりと推定されるが、誰も行った事が無いので不明のままである。


【おまけショット】

最初に渡れずに途中で引き返した吊り橋の左岸の風景を撮影してみました。

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渡れそうなんですが・・・やめてください。

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一休さんのとんち問答ではありませんので、「真ん中」はもっと危険です

水殿ダムの左岸には釣り人用の「水殿隧道」(トンネル)があり、その先に中山橋という吊り橋があります。この吊り橋は辛うじて補修されているので渡れますが、それでも十分に注意していただくと、絶景とスリルが味わえます。

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ここからトンネルに入ります。(水殿隧道)

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トンネルを抜けると中山橋(吊り橋)が見えます。

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この吊り橋は補修されてある「はし」(端)を歩かないと危険です・・(笑)

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所々に穴が開いているので気を付けましょう!

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橋の上から水殿ダム方面を撮影。

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橋の上から水殿川を撮影。この川の上流に徳本峠があり、そこを越えると上高地に通じます。

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10月下旬から11月上旬あたりが紅葉に染まるのでお勧めですw

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水殿ダムから見た中山橋。

●訪問日:2017年10月9日








Posted on 2017/10/22 Sun. 11:56 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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