らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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2015年のご愛顧ありがとうございました  

◆振り返れば「迷走と出逢い」の1年間でした◆

12月31日が山城納めのらんまるでございますw

午前中、村上連珠砦の最大の要塞である「ケムリの城」と境目の天空の山城「和合城」で遊んでおりました。

お城の近くまで林道が通じているので、「いざ四駆で参ろう!」 苦労して登った昔が懐かしい・・(笑)

2015山城納め (14)
いつ見ても凄まじいケムリの城の「岩盤叩き割ったぞ!大堀切」

2015山城納め (19)
まさしく天空の山城にふさわしい和合城の勇姿。この季節に拝める貴重なショットです。

【お仲間が増えるのは楽しいものです】

4月、いつかご一緒したいと思うておりました城郭探訪のスペシャリスト「埋もれた古城」の管理人ウモ殿ご夫妻、そしてヤブレンジャーの五郎さんと一泊二日の楽しい山城巡りをさせていただきました。

葛尾城2015(ウモ殿アテンド) (29)
葛尾城の大堀切を踏査するウモ殿ご夫妻。(肖像権の許可をとっておりませんのでこの程度で限界)

また、同じく4月下旬には「儀一の城館旅」の管理人である儀一さん主催の小諸オフ会に参加しいろいろな方と知り合いになれました。
また、団体行動の難しさも勉強になりました・・。

2015小諸オフ会 (65)
小諸オフ会で訪問した祢津下の城。

【焦点が定まらず迷走した山城探訪】

山梨へ進軍したものの日帰りの困難さに直面。

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未だに記事に出来ない要害山城と熊城。

課題だった木曽方面も点在する城と城との移動時間に難儀して中途半端のまま。

妻籠城 (104)
境目の妻籠城は遠かった・・・。

ならば戸隠・白馬・小谷へ進軍するが険しい山城と立ち憚る藪に閉口し予定数も訪問出来ない有様・・(汗)

追通の栗田屋敷 (26)
戸隠の栗田屋敷(追通)

上野国へも進軍し返す刀で飯山、そして一泊二日で南信濃へ・・・もはや支離滅裂。もはや誰も止められない・・(笑)

丸岩城 (44)
丸岩城から見た長野原町(群馬県)。

沼ノ入城(中野市) (15)
沼ノ入城(中野市)では「えいきの修学旅行」の管理人のえいきさんと同行。

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南信濃遠征では、ていぴす殿、u-naomochi様と根羽村まで進軍(写真は松尾城)

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平沢城(木島平村)には圧倒され、北信濃の城の魔力にやられた・・・(汗)

【木曽義仲への執着】

山城オフシーズンの夏は熱病の如く木曽義仲にまつわる地元を巡りました・・・病気ですね・・(笑)

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らんまる発症の地(爆)


さて、1年間ご愛読ありがとうございました。

2016年が皆様にとっても幸せな年となるように草葉の陰から祈っております・・・(笑)

来年も相変わらずドタバタとした1年になりそうですが、引き続きご愛顧の程お願い申し上げますw

御坂城① (11)
山梨県の御坂峠からの富士山。皆様のご健康をご多幸をお祈りします。






Posted on 2015/12/31 Thu. 16:09 [edit]

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2015北信濃の山城納め  

◆冬将軍がお出ましの前に抜け駆けしてみましたぁー◆

明日から週末にかけて天気予報もやっと雪マーク・・(笑)

北信濃の山城も3月末まで店じまいです。ならば閉店前の迷惑な駆け込み客になってみようと挑んだ城をチョッとだけご紹介。


【平沢城】 (下高井郡木島平村)

「よくぞ残ってくれました!!」と現地で思わず叫んだ管理人絶賛の山城。(ってかどこも絶賛してたような・・汗)

まあ、そのうち書きますんで、西側の馬曲温泉の野天風呂から見える景色をご堪能ください(笑)

平沢城(木島平村) (178)
馬曲温泉「望郷の湯」から見た平沢城。日帰り入浴は大人510円と良心的だし、景色最高!!

えっ、どこが城跡かわかんない方は次の説明版を参考にしてね。

平沢城(木島平村) (174)
何故か野天風呂の脇にある解説版。(※温泉施設内にあるので撮影のみは必ず受付で許可をとってください)

拡大してみましょうか。

平沢城(木島平村) (172)

堀切を拡大してカタカナ表記でこんな感じ。

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攻城後に温泉入りながらこの雄大な景色を見れたら最高でしたが、休んでいる暇はありませんでした・・・(汗)

志久見郷から撤収を余儀なくされ、武田信玄からの支援を受けながら千曲川右岸の毛見郷を中心に上杉と直接対峙した市河氏の改修となる山城と思われ、武田の築城術が見られます。

北信濃の城まだまだ未攻略が沢山あるのですが、春までお休みです・・・残念・・・・でも常に藪漕ぎ状態で通常の攻城の2倍の労力が必要な城ばかりで、体力的にキツいのでチョッとホッとして充電することにします・・・(笑)




Posted on 2015/12/16 Wed. 21:33 [edit]

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南信濃の山城紀行②  

◆家康に忠誠を誓いながらも使い捨てにされ滅びた下伊那の国人衆の怨嗟が聞こえる城跡◆

伊那谷地方は天文二十二年頃より本格化した武田晴信(信玄)の侵略に対して部分的な抵抗はあったものの、領民を巻き込む大規模な合戦も無く済んだのは、古くからの国人衆の賢明な判断によるところが大きいと思われる。

しかし本領安堵と引き換えに「信濃先方衆」として武田軍団の最前線部隊としての過酷な軍役を命じられ、各地を転戦させられている事を知る人は少ない。これは南信濃だけの話ではなく、甲斐本国以外の被征服地では当たり前の事実であった・・・。

そんな前置きはさて置き、南信濃攻城戦は早朝6:00に出発するという過酷さであった・・・(汗)

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平谷村の滝之沢城に着いたのは6:40。飯田市からの距離は約30kmである。


【滝之沢城】 (下伊那郡平谷村)

まあね、平谷村の位置が長野県のどのあたりなのかを知る長野県人は少ない・・・(汗)
信濃の国の南西端にあって、西の山を越えれば美濃国岩村城だし、隣接する根羽村の先は奥三河の設楽町である。ここは通称「伊那街道」(最近では飯田街道)と呼ばれ、信玄の三河攻略の軍用道となり「とつばせ関所」と周辺を守る要害(滝之沢城)が武田軍により置かれたという。

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看板の拡大。滝之沢城が歴史上に出てくるのは天正十年の織田信長による甲州征伐の時らしい。

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平谷村指定史跡であるが、あくまで推定地らしい。

ここは信玄の娘を娶った吉岡城の下条信氏の領地であり、美濃・三河よりの信濃への出入り口として重要視され関所と共に要害が築かれていた。
天正十年(1582)二月、織田信忠軍が美濃口より攻め入ると、下条信氏父子は弟の氏長や家臣らと滝之沢の要害に布陣しこれを迎え撃ち、寡兵ながらよく防でいた。ところが、宗家乗っ取りを画策していた弟の氏長が織田に内応し、あっけなく要害は陥落。
下条信氏・信正父子は奥三河の黒瀬へ落ち延びた。(その後、父子は失意のうちに亡くなるが、家康の庇護により天正壬午の乱で信氏の次男頼安・信正の嫡男牛千代が宗家として復帰する)

ま、その辺の話はおいおいに。

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標柱の立つ本陣比定地。土塁も巡っている。城というよりは関所を守る陣城であろうか。


【根羽城ヶ峯】(下伊那郡根羽村)

美濃国・三河国と国境を接するかつての根羽宿(根羽村の中心部)の北東にある独立峰に築かれた城で、別名:根羽男城(ねばおじょう)とも云われ、武田統治時代は狼煙台として使われたという。

朝早くから比高300mはいかがなもの?と思いつつ道なきいつもの直登を敢行・・・結構大変だった・・・(汗)

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ヘロヘロになって辿り着いた本郭は笹薮だらけで意気消沈・・・

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主郭背後の三連の堀切を眺めてエネルギー回復!(笑)

まあ、何でもかんでも狼煙台で片づけてしまわれる信濃の山城が多いが、この城は街道を監視する役割も担っていたのだろうと推測されるが、いかがであろう・・。

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堀切も結構真面目に作ってます・・・ってか不真面目な堀切ってあるの?


【根羽女城】(下伊那郡根羽村)

根羽村役場の裏山にあり、根羽男城からは小川川を挟んで1kmの至近距離で対をなしているのでそのネーミングであろうか。
男城によく似た縄張りで街道の物見砦としてはこれで充分だったと思われる。

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円形の主郭。神社が勧進されている。

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主郭と副郭の間の堀切と「あれ」

役場からの比高は150mと緩い部類だが、その前の男城で体力を消耗していたので、思いのほかきつかった・・・(汗)

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堀切よりみた郭2(副郭)


【信玄塚】(下伊那郡根羽村横旗)

今回の南信濃遠征の目的の二つ目は信玄塚であった。
以前に記事で書いた「武田信玄終焉地考」(一之瀬義法著 1987年教育書籍)の訪問である。
信玄終焉の地の候補として五箇所あるうちの一つだが、一之瀬先生が推定される根羽説が案外的を得ているような気がした次第です。

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根羽村の観光名所として「ネバーランド」と共に推進しているようですが、知名度はいまいちのようだ。

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国道の改修工事によって元々の墓地は道路の下に埋没したらしい。信玄公の祟りは無かったのか?

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大名クラスの宝篋印塔とされるが、比較対象する史料が無い・・・(汗)

まあ、念願かなって見れただけでも良しとしますか。


【松尾城・鈴岡城】(飯田市)

今さら小生が申し述べるまでもないが、南信濃の巨大城郭シリーズ「因縁の隣家バトル仁義なき戦い小笠原編」の舞台となった城である。
毛賀沢川の深い渓谷を挟んで隣接する松尾城と鈴岡城の立地にも改めて驚くが、引っ越し出来ない隣近所が骨肉の争いを演じると、どうしようもない結果しか残らない事が証明されてしまった。

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松尾城跡の碑。紆余曲折を経て戦国時代の下伊那で生き残ったのは高遠の保科家と松尾小笠原家だけだった。

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鈴岡城の郭3の解説版には血塗られた鈴岡城の城歴が書かれているので必見だ。

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鈴岡城から見た松尾城。中央の削平された場所が本郭である。

この城の血に塗られたおぞましい史実は、またそのうちに書きますので、あまり期待しないでお待ちいただきたい・・・(笑)

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近世城郭でも通用する巨大な空堀(鈴岡城)

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松尾城の追手口付近の空堀。



【上野南本城】(飯田市座光寺)

最近長野県史跡に指定された山城である。近隣の多くが天竜川の河岸段丘を利用した巨大な崖渕城であるが、この城は土塁と堀切を多用した正統派の山城で、隣の上野北本城の詰めの城ともいわれるが、そんな軟な城ではなく、その縄張は紛れもなく戦国末期の第一級品である。

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麻績神社からの登り口に立つ説明版

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土塁を伴う長大な堀切を多用する独特の縄張りは、この周辺には見られない高度な設計だ。

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本郭。西側のみ巨大な土塁が覆っている。

縄張りを見ると西側に対する防御指向を持っているので、飯田方面からの侵入に備えているようだ。松岡氏の一族の座光寺氏の領地であったが、松岡氏や座光寺氏が単独で出来る土木工事量ではないので、大勢力が関わったとみるべきだが、その勢力を特定するには至っていない。

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北の出曲輪と呼ばれる部分と本郭との接続箇所。

さあ、南信濃二日間の遠征紀行、いかがでしたでしょうか? 最後は疲れ果ててしまい、どうでもいいや・・(爆)

いつ記事にするかはお約束できません・・・(汗)

書かなきゃ男が廃る・・・そうかもしれません・・・・(笑) またそのうちということで。



































Posted on 2015/11/29 Sun. 10:08 [edit]

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南信濃の山城紀行①  

◆信濃国の広さを今更ながらに実感した次第であった◆

今回の本格的な南信濃ツアーは葯1年半ぶりで一泊二日、いつもの「ていぴす様」そして八王子より「ナワバリスト」の「naomochi-u様」をお迎えしての攻城戦だったが、移動距離の過酷さは同じ長野県とは思えず遠征後に体調を崩す・・・(汗)

常々申し上げるのだが、疲労は移動時間で蓄積されるのではなく、移動距離に比例するのだ。これは実体験上断言できる。

まあ、そんな話はどうでも、記事になるのが何時になるのか不明なので行った先を記しておこうか・・・(笑)


【吉岡城】 (下伊那郡下条村)

naomochi-u様のリクエストで訪問。甲斐武田氏の同族で下伊那の有力国人として勢力を拡大してきた下条氏の居城。
詳細は以前の記事の「吉岡城」を参照願います。

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悲しい事に国道151号線が貫通しているが、伊那谷の城では珍しくない・・・(汗)

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主郭西側の大堀切。

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主郭の西側の郭は「後郭」と呼ばれ神社がある。その西側は上巾13mの落差を伴う鋭い堀切が残る。


【大沢城】 (下伊那郡阿南町)

ここもnaomochi-u様のリクエストで訪問。吉岡城に本拠を移す前の下条氏の本城と屋敷跡だ。
詳細は以前の記事の「大沢城」を参照願います。

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現在は古城八幡神社として国指定の重要文化財である。

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主郭跡に建つ八幡社。

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北側の堀切。小山の単郭ながら、斜面全体に切岸の加工跡があり中々険しく攻め手を寄せ付けない仕様だ。


【権現城】 (下伊那郡阿南町)

三河国との国境に近い新野千石平より身を興し、下伊那に覇を唱え下条氏と仁義なき戦いを繰り広げた関一族の最後の城である。井上靖の短編時代小説「犬坊狂乱」は、関一族の下条氏との抗争とこの城の落城にまつわる言い伝えをもとに書かれたという。領民の離反、家臣の裏切りで春の宴の最中に下条軍の奇襲によって惨殺された関一族の墓碑が今も城跡に残る。

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城跡に祀られた関三社八幡宮。その名の通り領民がその祟りを恐れ、殺された城主一族三名を祀った社である。

そう、1年半前にここを訪れるはずだったのだが、土砂崩れによる通行止めで断念。
今回は念願が叶って無事に訪城。途中、道を間違えるというハプニングがあったが・・・(汗)
これで「南信濃に覇を唱え、夢破れた関一族の山城シリーズ」が完成するのである。

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右から関盛永(権現城の城主・春仲の息子)、関安芸守春仲(元上田城主で盛永の父)、春仲の正室の墓碑

関一族シリーズについて興味のある方は、以前の記事の八幡城矢草城上田城をご参照ください。

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城域背後の尾根先を断つ深さ12mの大堀切。堀切の向こうの郭には奥社が祀られている。


【十原城】(飯田市南信濃村十原)

ここは当初の訪城リストには無くて、てっきり対岸の長山城(名古山城)と思い込んで辿り着いたら遠山景広の弟の景忠の居館跡だったという笑い話である。
いい年した大人が三人も揃いながら地図も読めないとは恥ずかしい・・・(笑)

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地元の方に聞いたら、「ここは十原館(とっぱらやかた)だよ」と真実を知り顔面蒼白・・(汗)

気を取り直して探索するも縄張図が無いので想像してみるしかない。
それにしても両側を遠山川の深い渓谷に囲まれた要害の地で、秋葉街道を監視するには絶好の立地である。
当主遠山景広の長山城と共に重要な役割を果たしたのであろう。

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神社の立つ場所は櫓台が置かれていたのであろう。

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土橋付近から見た遠山川の渓谷。

この後、対岸の長山城は日没が近く泣く泣く諦めた。南信濃和田の日没は結構早く、登っても写真が撮影出来ない悲劇となる。


【和田城】(飯田市南信濃和田)

まあね、何も無いのはわかっているんですが、日没とは言えせっかくここまで来たので和田城にチョッと寄ってみた。
当時の雰囲気が味わえる風景はそのままなんでしょうか・・・。

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城跡に立つ郷土資料館。既に閉館しておりました・・・・

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有名な「徳川家康と遠山土佐守 対面の場」

家康との夕食晩餐会で、遠山土佐守は自分のお膳の中身が見えぬよう袖で隠して食べたという。それを不思議に思った家康が土佐守に問いただすと「稗や粟しか実らぬやせた土地の穀物を食べております。そのような貧しい食事を家康公にお見せするのも見苦しいのでかくして食しました」と答えたという。
不憫に思った家康は遠山土佐守に伊那の地で1000石を更に加増したという。遠山さん、一枚上手、したたかでございますw

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長野県というよりも静岡県が似合いそうな和田集落。

日も暮れてしまい、我々はひたすら今夜の宿泊先である飯田市に急ぎ戻ったのであった・・・・

続きは②で。





Posted on 2015/11/26 Thu. 09:02 [edit]

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再び鳥居峠を越えて上野国へ進軍  

◆せっかく越境したのに三ヶ所で終わった上野国の長野原攻め・・・◆

出掛ける前は六ヶ所~八ヶ所程度をピックアップしてその気になっているのだが、現地に着くと「隅から隅まで、ずずずいっと見てしんぜよう」となってしまい、気が付いたら予定の半分も行かないうちに「ジ・エンド」(笑)

今回も真田丸で盛り上がっている通称「真田街道」(信州街道)を経由して長野原に進軍。

【大笹関所】

前回ご紹介しているので割愛しようと思ったが、嬬恋村も街道筋の市町村と協力して真田丸を「町おこし」に活用しているみないなのでチョッと寄って観察して見た。

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真田町~沼田市まで林立する幟旗。

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毎度お馴染み大笹関所跡。

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まあね、チビッ子たちが興味を持ってくれるなら二次元キャラもありだよね・・。

【丸岩城】

長野原町に入ると見事な奇岩が突如現れる。「丸岩」(まるいわ)と呼ばれ、あの岩のてっぺんにも砦跡があるなんて誰も思わなだろうし、あったとしても険しすぎて登ろうなどとは思わないだろう。
が、しかし意外にあっさりと登れちゃう(笑)

横壁城(長野原町) (34)
外観は迫力満点!!敵もビビるゾ!

甲斐国の岩殿城を連想させる奇岩の砦だが、頂上は狭く縄張りも簡素なものだった。
だが、物見としての眺めは絶景である。

丸岩城 (25)
土塁が周回する主郭。

丸岩城 (42)
街道の見張りには絶好の場所だ。

丸岩城 (75)
狭いといっても山頂付近を可能な限り削平して部隊が駐屯出来るように加工した跡が見られる


【横壁城】

ここを記事にしているのは「武蔵の五遁さん」・・・と後で気が付いた(笑)
長野原から高崎へ抜ける須賀尾峠の入口を監視する物見砦と城館がセットになった城だ。残念ながら国道406号線の工事により麓の居館部分が一部破壊されている。
丸岩城とセットで機能していたと思われる。

横壁城(長野原町) (75)
尾根を利用した居館部分。削平された雑木林の中に三本の堀切の址が残る。

横壁城(長野原町) (21)
堀跡。

横壁城(長野原町) (49)
急勾配を登ると砦跡。辿り着くまでが結構大変(汗)

せっかくここまで来たんだから登らにゃ損損、とばかりにイッキに駆け登る。景色が見える場所を探すのに一苦労・・(汗)

横壁城(長野原町) (63)
丸岩砦に籠る必要が無い時はここで充分物見の役割は果たせそうだ。


【長野原城】

長野原役場の裏山全体が城域で、役場の西側の細い林道から登るのだが、道路はかなり荒れていて落石も多くて小生の四駆も入れない。その昔は吹窪や下沢に通じる生活道路だったようだ。

長野原城 (25)
城域入口の二重堀切の北側には長大なL字の横堀があり城の主要部のある斜面への侵入を拒んでいる。

長野原城 (55)
本郭の標柱。こんなところに幟旗をたてるぐらいなら役場から城跡への案内看板でも立てたほうが良いと思うが・・・。

長野原城 (67)
秋葉山出丸。

築城に至る経緯は定かでないが、地元の豪族である羽尾氏が関連したものと思われる。
戦国時代、真田幸綱(幸隆)の親族である鎌原氏は領土の境界線を巡って度々羽尾氏と争いを起こした。羽尾氏は上杉謙信と通じていた岩櫃城の斎藤氏の配下となった。その後この城は武田方の真田氏と上杉方の斉藤氏の壮絶な戦いの舞台となったようで、最終的には真田氏が岩櫃城の斉藤氏を破り、長野原城には真田氏配下の湯本氏が入城したという。

長野原城 (79)
周辺を険しい崖に囲まれている箱岩城。

長野原城 (105)
城域の東端にある天狗岩物見からは吾妻川の渓谷を挟んで横壁城、丸岩城が良く見える。

上州の吾妻~沼田を巡る戦国時代の攻防戦は、在地土豪の領土争いからやがて武田VS上杉の代理戦争となり、武田滅亡後は真田VS北条、時々景勝がチョッカイを出すという様相を呈して最終的には北条の滅亡のトリガーとなった。

そんな事を考えながら上野国を巡ると、妄想は果てしなく続くのであります・・・・(笑)

長野原城 (104)
天狗岩物見は本当に危険なので、見学の際は自己責任でお願いします。

さて、この城砦群のレポートもいつになるやら・・・・「安心して下さい、生きていたらいつか書きますよ!!(爆)」





Posted on 2015/10/06 Tue. 21:29 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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