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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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駆逐艦 島風  

◆唯一無二そして孤高の最速駆逐艦◆

主に空母か潜水艦のプラモしか作らない小生が、「駆逐艦が面白いことになってきた」などという某プラモ雑誌の特集記事に触発されて購入したのが、この「島風」である。

島風 (10)
ブラウザゲーム「艦これ」の人気艦ということもあり、45年ぶりにリニューアルされたTAMIYA製の島風。

1/700の艦船プラモの製作に関しては、根が真面目なので(←嘘つけ!)、チマチマと塗装と組立を繰り返しながらやるのがいつもなのだが、今回のような駆逐艦に関しては、ある程度先にパーツの組立と取付を完了して下地塗装を行いその上から重ね塗りして部分的に塗装していくというプロの技術を真似てみた。これが意外とすんなり身についたのにはビックリ・・・(笑)

島風 (1)
最初に砲塔や魚雷発射管を除いた大きなパーツを素組みしておく。

【艦歴】 ※TAMIYA製島風の組立説明書に書いてある艦歴について引用しています

太平洋戦争の真っただ中と言える1943年5月10日に舞鶴海軍工廠で竣工した日本海軍の駆逐艦が島風です。2000トンを越える艦船としては画期的と言える40.9ノットという強力な記録を達成しただけでなく、五連装酸素魚雷発射管を三基装備した強力な武装をもった、最新鋭の艦隊型駆逐艦として誕生したのです。

日本の駆逐艦の速力は大正初期に設計された峯風型で39ノットに達し、その4番艦として完成した初代の島風は40.7ノットという高速を記録していました。
さらに、駆逐艦の革命と言われた特型駆逐艦吹雪も、攻撃力や凌波性を飛躍的に向上させるとともに、38ノットという高速を発揮したのです。
ところが、軍縮条約の制約や、友鶴事件と第四艦隊事件の影響などにより、その後の初春型や白露型は性能向上にブレーキがかけられます。二つの事件の経験を取り入れて設計された朝潮型は船体の強度と復原性は向上したものの、速力と航続力は十分とは言えなかったのです。

島風 (2)
ブラックサーフェイサーで全体を下地塗装。

続く陽炎型と夕雲型では航続力を伸ばし、両型は速力が35ノットという点を除けば理想的な駆逐艦となりました。しかし、第一次世界大戦後のアメリカ戦艦の速力向上は目覚ましく、アイオワ級では30ノットを越えることが予想されたのです。駆逐艦は大型艦に肉薄し、搭載した魚雷でこれを沈めることが主任務だったため、魚雷を当てやすい位置に辿り着くために目標となる艦船より速いスピードが求められました。日本海軍ではおよそ10ノット以上のスピード差が必要と考えられていたため、35ノットではこれらの高速戦艦を襲うには速力が不足しているのは明らかでした。

1939年、軍令部は40ノットの高速駆逐艦の建造を要求し、第四次軍備補充計画(通称④計画)に基本計画番号F52と呼ばれる高速駆逐艦の試作艦の建造が盛り込まれました。この試作艦が、1920年に40.7ノットという高速を記録した初代の島風の名を引き継ぐことになったのです。なお、当時、初代の島風は健在で活躍を続けていましたが、二代目の建造に先立って、1940年4月に哨戒艇となり、第一号哨戒艇と改称されています。

島風 (3)
最近発売になった「舞鶴海軍工廠グレー」(TAMIYAカラー製)で塗装。リノリウムは専用ステッカーなので有難い。

高速駆逐艦として誕生した二代目島風。その速力を生み出す最大の鍵は軽くて強力な機関です。このためには、高温高圧缶(ボイラー)を使用することが理想的ですが、このような機関を実用化するためには構造、材料、信頼性などの難問をクリアーし、さらに政策には極めて高い精度が必要です。日本海軍は陽炎型で30kg/㎠、350度の高温高圧缶を採用し、9番艦の天津風には試験的に40kg/㎠、400度という缶を搭載。成功を収めていたので、島風にもこの40kg/㎠、400度の缶が採用される事になったのです。

島風 (4)
駆逐艦や軽巡のリノリウム甲板と抑えの金具の塗装はかなり厄介なので、ステッカー仕様は助かるが、慎重に作業したい。

さらに、出力は天津風の52,000馬力に対して島風は75,000馬力を発揮。戦艦大和の1/25の排水量の船体に、大和の半分にも及ぶ大出力の機関を搭載していたと言えばその高速性も頷けるでしょう。
また、魚雷発射管3基と大型機関を搭載したため夕雲型に比べて全長が約10m伸び、艦首の形状は甲型駆逐艦までのダブル・カーブ型から艦首先端を前に突き出した凌波性に優れるクリッパー型に変更されています。

島風 (5)
未塗装の兵装を仮組みしてみるました。

主砲は陽炎型と同様の高角砲兼用の12.7cm連装砲3基(計6門)うを搭載。そして、魚雷兵装は軍令部の要求では、次発分をなくす代わりに7連装という空前の大型発射装置を2基搭載し、14門14発とすることになっていましたが、連7連装発射管は動力が故障した時、人力で旋回させることが不可能なため、5連装発射管3基(計15門、15発)を搭載。陽炎型などの4連装2基(次発装填装置付き、計16発)に比べると1発少ないものの実質的には攻撃力は同等、しかも発射される61cm酸素魚雷は外国艦に搭載された魚雷に比べて圧倒的に強力でした。

島風 (6)
島風のみ採用された5連装酸素魚雷×3門。従来型の艦隊決戦ならば高速艇から繰り出される酸素魚雷は間違いなく必殺技である。

島風はまず、全力テストで軸馬力75,850馬力、排水量2921トンで40.37ノットを記録した後、105パーセントの過負荷全力テストで79,240馬力、2894トンで40.9ノット(時速換算で約75km/h)を記録しました。
初陣は1943年7月のキスカ島撤退作戦で、その後、南方へ転戦。そして、1944年10月のレイテ沖海戦ではその高速性を生かして奮戦し、最後の戦闘行動は「多」号作戦と呼ばれたレイテ島のオルモックへの兵員物資輸送作戦でした。
同年11月8日、第二水雷」戦隊旗艦として、浜波、長波、若月および5隻の輸送船と共にマニラ湾を出撃。11日午前10時、オルモック湾に到着したとき、350機というアメリカ軍艦載機の猛攻を受け、3時間にわたって激闘を繰り広げたものの船団は全滅、長波、若月も沈没し、満身に痛手を負った島風も、この日の午後5時10分、大爆発を起こし波間に消えていったのです。

島風 (7)
毎度の事ながら、空中線(アンテナ線)は納得できない仕上がり・・・(汗)。ミシン糸が使えそうなので今後は試してみたい。

海戦の主力が空母と航空機に取って変わった時代の流れと、戦況の悪化により高温高圧缶を量産することができず同型艦が建造されることは無かった島風型駆逐艦。
それでも、島風は短い生涯の間にその性能を遺憾なく発揮し、最速・最強を誇った艦隊型駆逐艦の傑作といえるでしょう。

島風 (8)
完成した島風。地上を駆ける最速のF-1マシンは美しいのと同様に海を最速で駆ける駆逐艦もそのフォルムは美しいのである。といっても最近のF-1マシンはどう見ても酷いフォルムなのだが・・(汗)


【駆逐艦島風の主要データ】

基準排水量:2,567トン
全長:129.5m 全幅:11.2m
馬力:75,000馬力
速力:計画39.0ノット 公式:40.9ノット
魚雷発射管:61cm五連装魚雷発射管3基
主砲:12.7cm連装砲3基
爆雷投下軌道2組
レーダー:22号電探1基、13号電探1基
竣工年月日:昭和18年5月10日 舞鶴海軍工廠。

島風 (9)
12.7cm連装砲と5連装魚雷発射管が下地塗装なしで本体に組み込んだのでチョッと違和感のある仕上がり・・・(汗)

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Posted on 2018/11/06 Tue. 21:35 [edit]

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航空母艦 隼鷹 (TAMIYA製)  

◆武運に恵まれ終戦まで活躍した数少ない改装空母◆

相変わらず艦船プラモ作りに没頭する日々が続いている・・・。

「そろそろ山城へ行こうよ!!」という心の声も聞こえたような聞こえないような・・・聞こえないふりしてるだけか・・・(笑)

今回紹介するのは、商船からの改装空母ながら蒼龍クラスの高い能力を持ち終戦まで活躍した航空母艦「隼鷹」(じゅんよう)。

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特徴的な艦橋一体型の煙突を持つ空母は、隼鷹、大鳳、信濃の三隻だけで、隼鷹はその試作であった。

【艦歴】 ※TAMIYAウォーターラインシリーズNO.212航空母艦隼鷹の説明文引用。

始めから軍艦として作られた正規空母に比べれば、防御力はほとんどないと言っても良い商船を改造した航空母艦にもかかわらず、昭和17年5月に完成して以来、北はアリューシャン列島から南はソロモンまで、太平洋の各地を転戦し、いくたびもの損傷にもめげず、終戦まで活躍した航空母艦隼鷹は、武運にも恵まれた数少ない軍艦の一隻だった。

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タミヤ製は甲板の白線や紅白の標識はステッカーなどないのでマスキングテープを駆使する羽目になる。結構面倒だ・・(汗)

隼鷹は元の名を橿原丸(かしわらまる)といい、日本郵船が北米航路用に計画した大型高速客船から改造されました。今日のように旅客機が発達していない戦前は、海外旅行と言えば船と決まっており、太平洋でも、大西洋でも、各国が競って豪華客船を就航させていたのです。
当時、海国日本の象徴の一つと言われていた日本最大の海運会社日本郵船は、昭和15年の東京オリンピック開催に合わせ、昭和12年、いわゆるオリンピックボートとして新田丸、八幡丸、春日丸などの豪華客船の建造を計画したのです。
この中でも、特にサンフランシスコ航路に予定されていた橿原丸と出雲丸の2隻は、総トン数27,700トン、速力24ノットで、大西洋航路で活躍していたイギリス、フランスなどの海の女王たちにもひけをとらない豪華客船であり、完成のあかつきには太平洋の女王として君臨するものと期待を集めていたのでした。

橿丸①
※TAMIYAウォーターラインシリーズNO.212航空母艦隼鷹の説明文掲載の図を転載しています。

ところで、かねてから日本海軍は大型高速商船を戦時には特設航空母艦に改造して使用するする事を考え、浅間丸、龍田丸、秩父丸(後の鎌倉丸)などの建造にあたって政府を通じて多額の補助金を出していました。しかし、これらの客船では空母に改造した場合、大きさでも速力でも十分とは言えない為、昭和8年頃より、正規空母に近い能力を持つ特設空母ができるような超大型艦の建造を希望していたのです。
このため、橿原丸、出雲丸(のちの空母飛鷹)の建造について費用の6割を政府が援助し、そのかわりに戦時には空母に改装することで昭和13年の議会で予算が成立、早速、設計が開始されました。

この設計にあたって海軍が出した主な要求は次のようなものでした。
全長210m以上、幅25m以上、速力は公試運転、半載状態で24ノット、馬力は全力60,000馬力、正常48,000馬力、必要に応じて3ヶ月以内で空母に改装出来る事。などで、全ての面で空母に改装される事を前提として設計が進められたのです。

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船窓をドリルで加工しウェザリングで錆を表現する。

日本郵船は自社の大型客船に神社の名を付けるのを例としていました。出雲丸は出雲大社から、橿原丸は神武天皇とその皇后をまつり、神話にある建国創業の地と伝えられている橿原宮(現在の奈良県橿原市)の旧跡に設けられた樫原神宮から名前をとったものです。

こうして樫原丸の建造は昭和14年3月から三菱長崎造船所で始められました。しかし、その直後から国際情勢は悪化しはじめ、昭和15年に入ると緊張の度は一段と高まってきたため、昭和15年10月、建造中の橿原丸などを特設空母に改装することが決定されたのです。
そして翌16年1月21日、正式に海軍で買収し、6月26日、第102号艦の名で進水しました。昭和17年7月5日、太平洋の女王となるはずであった橿原丸は、その名も改め、いかめしい日本海軍の航空母艦隼鷹として完成したのです。

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後部の格納庫は結構作り込んでいるのだが、甲板を被せてしまうと見えない・・(汗)

航空母艦としての隼鷹は、公式排水量27,500トン、日本のそれまでに建造された空母の中では翔鶴級につぐ巨艦で、中型の蒼龍を上回る大型艦となったのでした。速力は正規空母と比べれば25.5ノットと低いものでしたが、他の改装空母よりははるかに高く、格納庫は上下二段式で搭載機数も常用48機、補用5機の計53機で蒼龍級に次ぎ、改装空母の中では最も多数の搭載機数を誇っていました。
飛行甲板の大きさも長さが蒼龍級よりも少し短い程度で幅は逆に飛鷹の方が広いものでした。武装も田の改造空母より強力で、蒼龍級と同様に12.7cm高角砲12門、25mm3連装機銃8機を搭載していました。この対空兵装は後に更に強化され、25mm3連装機銃が15基、2連装2基、単装27機に増やされ、12cm28連装ロケット砲6基も増設されたのです。
総合的に見た場合、速力がやや低い点、そして商船からの改造空母としての宿命的な防御力の弱さを除けば、ほぼ中型の蒼龍級に匹敵する能力を隼鷹は持ち、実際、改装空母でありながら正規空母に近い近い戦闘力を発揮し、日本海軍機動部隊の中堅として活躍したのです。

隼鷹①
日本の航空母艦における煙突と一体型の艦橋は隼鷹が最初であった。 ※TAMIYAウォーターラインシリーズNO.212航空母艦隼鷹の説明文掲載の写真を転載しています。

なお、隼鷹の艦橋は煙突と一体になっており、煙突が外側へ28度の傾斜を持っているのが特色となっている。この煙突は大鳳に利用する予定で実験中だった案をそのまま利用した物で、これを採用したのは日本の空母では隼鷹が最初でした。

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隼鷹は初陣は昭和17年6月のM1作戦でミッドウェー攻撃に呼応して3日と5日にダッチハーバーを攻撃、その後、第2航空戦隊に編入されて10月上旬にソロモン方面へ進出、ガタルカナル島攻撃、南太平洋海戦(10月24日)、第三次ソロモン海戦、(11月9日)、ガタルカナル撤収作戦などに参加。ラバウルへ派遣されて「い号作戦」に参加。そして6月、再度トラック島へ進出、飛行隊は11月上旬ブインへ派遣され、搭載機の無くなった隼鷹は8月から10月の間、シンガポールやトラック島への輸送にあたっていましたが、11月5日、沖の島付近で敵潜水艦の魚雷により損傷、利根に曳航され呉に帰還しました。

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翌19年2月に修理を終えた隼鷹は、6月19日、20日のマリアナ沖海戦に参加。第二航空戦隊旗艦として活躍した隼鷹は煙突付近に2発の命中弾を受けて修理のために日本へ帰還、修復後、ブルネイ方面への輸送任務にあたっていましたが、12月9日、潜水艦の魚雷を受け船体を損傷し、佐世保へ帰ったのです。
そして翌20年3月に修理を終えたのですが、搭載する飛行機も無く再び出撃することもないまま終戦を迎えたのです。

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【航空母艦隼鷹の主要目】

排水量:27,500トン
水線長:215.30m
最大幅:26.70m
最大速力:25.5ノット
搭載機数:常用48機、補用5機
飛行甲板:長さ210.3m 幅27.3m
完成年月日:昭和17年5月3日
工廠:三菱長崎造船所

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どんだけ空母が好きなの?とよく聞かれますが、その生い立ちと波乱万丈の生涯故の判官びいきかと・・・(笑)


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せっかくなので、最近完成した蒼龍と比較してみた。その威容は正規空母を凌駕する逞しさである。

Posted on 2018/10/16 Tue. 23:14 [edit]

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特設航空母艦 大鷹 (迷彩色仕様 AOSHIMA製)  

◆日本郵船の客船「春日丸」を改造して出来た特設空母◆

旧日本海軍の航空母艦は、何故か途中から艦種が変更されたり、民間の商船や客船が改造されたりした変わり種が多い。

それが造船技術の最先端を走る日本人の手にかかると、独特の美しいシルエットとなり他国には真似の出来ない仕上がりとなる。

船体にだだっ広い艦載機用の甲板を載せただけの空母が、軍艦プラモの中でも人気が高いのはその生い立ちと個性的な容姿、そしてその数奇な生涯が我々を魅了し続けるせいなのであろうか。

今回ご案内するのは、日本郵船の客船三姉妹として最後に竣工しその後改造空母第一号となった「大鷹」(たいよう)

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大鷹の迷彩模様は色々諸説あるが、難易度の高い迷彩にチャレンジしてみた。


≪大鷹≫ ※アオシマ文化教材社の解説文引用し一部変更

特設空母大鷹は、初め、日本郵船のN、Y、Kを頭文字に使用した貨客船の三番艦春日丸として、竣工後は南米西海岸に配船される予定で、昭和15年9月15日三菱長崎造船所で進水した。しかし、進水直後に予定が変更され、特設空母として改造することになって、11月より仮称艦名1003番艦として工事に着工した。
船体工事の大部分と艤装工事の約三割を長崎で行った上、翌16年5月1日佐世保軍事工廠に回航され、9月5日に完成した。佐世保に回航された日をもって海軍に徴用され特設航空母艦の第1艦となった。
※日本郵船の一番艦は新田丸、二番館は八幡丸(やわたまる)

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甲板の迷彩模様は曲線用のマスキングを使用してエアブラシで色分けするがかなり苦戦。細かい部分は筆で修正。

春日丸の改造は徹底的に行われ、外見からも商船としての痕跡が認められない程であったから、たとえ戦後まで残ったとしても、元の商船には戻れなかったであろうと思われる。
大鷹は航空母艦として戦争直前に就役したので、その改造工事はその後続いて実施された二番艦の八幡丸、一番艦の新田丸などの改造における貴重な経験となった事はいうまでもない。

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艤装してマストを立て、甲板に白線デカールを貼り付ける。

開戦時は正式空母竜驤と共に第四航空戦隊を編成し、第一航空戦隊に入ったが、その後昭和17年8月に正規の航空母艦として軍艦籍に編入され、この時から名を正式に大鷹と改めた。
予想される日米艦隊決戦に際して、特設航空母艦は艦隊用補助空母としての役割を期待されていた。

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側面にウェザリング(錆・汚れ)を施す。経年劣化の表現として最近の流行りだが、これを嫌うモデラーもいらっしゃいます。

しかしながら、大いなる犠牲と努力を払って改造した航空母艦も、結果的に見れば各艦のいずれもが船団護衛と飛行機の輸送実績を示した程度で、米国の商船改造空母の活躍と比べると著しく見劣りがする。
また、大戦の中盤以降に登場した比較的大型の天山や彗星、彩雲などを小型で速度の遅いカタパルトの無い特設空母が実践で運用するのはほぼ不可能であった。
※後半に天山用のブースターロケットの開発運用に成功し、同時運用12機が可能だったという。

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艦載機も手を抜かずに・・・(笑) 上から零線52型、彗星12型、天山12型

改造空母の一番艦として進水した大鷹は最後まで海戦と称するような華々しい舞台には一度も登場することなく、航空機、人員の輸送、船団の護衛などの地味な任務に就いていたが、昭和19年8月18日深夜、阿波丸、帝亜丸、能登丸、能代丸など14隻を護衛してルソン島の北西岸を南下中、米潜水艦ローセル号の雷撃を受けて沈没した。

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航空母艦用のカタパルトが開発に成功していれば、特設空母だって活躍出来たはずなのに・・・・残念。

ちなみに日本郵船の一番艦新田丸は特設空母「冲鷹」(ちゅうよう)、二番艦八幡丸は特設空母「雲鷹」(うんよう)。

この三姉妹が戦後まで生き残ることは無く、貨客船として再び脚光を浴びる事もなかったのである。

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仮のディスプレイケースで軽巡洋艦北上と並べてみる。全長は北上が162m、大鷹は180mなのでそれほど変わらない。

Posted on 2018/09/29 Sat. 16:36 [edit]

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駆逐艦 涼月 (AOSHIMA製)  

◆終戦後は防波堤として日本の港を守り続けた秋月型3番艦◆

軍艦プラモというと、どうしても初心者は花形の航空母艦や戦艦に偏りがちである。

小生も間違いなくセオリー踏襲の一人であるのだが、最近巷では、駆逐艦が進化して面白い事になっているらしい・・・。

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恥ずかしながら、艦船プラモ制作人生においては、「駆逐艦 雪風」に次ぐ2番目の駆逐艦制作である。

先日、終戦直後に長崎に係留されていた駆逐艦涼月(すずつき)の米軍による査察の未発表のビデオが公開された様子を、偶然にニュースで見た。

翌日、プラモ販売店で「駆逐艦 涼月」を偶然にも見つけてしまい衝動買い・・・・(笑)

涼月&北上
同時にプラモ塗装着工した重雷装艦北上の船体との比較。実際には約30mほどの全長の差がある。

【艦歴】

昭和17年12月28日、長10サンチ砲を搭載する防空駆逐艦秋月型の3番艦として三菱造船所で竣工した。竣工後、秋月、涼月、初月、若月の4隻で題1駆逐隊を編成した。涼月の初陣は、昭和18年3月22日に航空基地用物件の輸送任務であった。
5月22日、この任務終了とともに本土へ帰還する際に、戦艦武蔵を護衛して横須賀に帰投した。その後、船団護衛と輸送作戦に従事していた。
昭和19年に入ると、二度に渡って米潜水艦の雷撃により艦首切断の大損害を被ったが、そのたびに復旧し戦線に戻るという武運の強さをみせた。

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老眼進行中なので、この手の小さな艦のパーツ組み立てはホントしんどい・・(笑)

昭和20年4月6日、涼月は大和水上特攻作戦である天一号作戦に参加し冬月とともに戦艦大和の護衛にあたった。涼月は、大和防衛のために対空射撃を行ったが、米軍機の猛攻を受け、艦橋全損、機関部並びに船体前部切断損傷という大被害を受けて行動不能となった。
海戦後、涼月は撃沈されたものと思われていたが。後進で何とか佐世保港に帰投することに成功し急遽ドッグに収容された。

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ある程度組付けしてからブラックサーフェイサーで吹き付けてその上から塗装する方法が最近は主流らしいが、ここは従来塗装で。

佐世保工廠で修理された涼月は、艦橋を角型の簡易構造に変更され機関部の動力は回復されることなく佐世保港の防空砲台として鎮座した。
そのまま終戦を迎えた涼月だったが、戦後は船体より上の構造物を撤去され、姉妹艦冬月と共に福岡県若松港の防波堤となり、コンクリートで補強され覆われた今はその姿を見る事は出来ないが、祖国を守り続けている。

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雪風とともに戦艦大和の最後を見届け、辛うじて帰還が出来た数少ない武功艦である。

【駆逐艦 涼月 諸元表】

基準排水量:2,701t
水線長:132m
最大幅:11.6m
馬力:52,340馬力
速力:33.58ノット
主砲:10cm 65口径×8
魚雷発射管:61cm×4 1門
竣工年月:昭和17年12月29日

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駆逐艦の製作は雪風に次ぐ2作目でしたが、ようやく慣れてきました・・・(笑)

【軍艦防波堤】(正式名称:響灘沈艦護岸)

軍艦防波堤(ぐんかんぼうはてい)は北九州市若松区響町の北九州港にある防波堤の通称。
運輸省第4港湾局により構築された長さ770mの防波堤のうち約400mを、駆逐艦「涼月」「冬月」「柳(初代)」の3隻の船体を沈設して作られた。

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こんな感じで駆逐艦3隻が防波堤として埋まっており、先頭の「柳」のみ形が辛うじて確認できるという。

軍艦プラモオタクの聖地として、いつか巡礼の旅に出て祈りを捧げたいものである・・・・。


Posted on 2018/06/27 Wed. 21:34 [edit]

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航空母艦 瑞鳳 (エンガノ沖海戦仕様 Hasegawa製)  

◆軽空母ながら、数々の海戦で活躍した歴戦の雄姿◆

「ええい! プラモ記事など掲載せずに山城の記事を更新せんかい!!」とお叱りを受けそうだが、これはこれで記事にするのが楽しいのである・・・(笑)

艦船模型もブラウザゲーム「艦これ」の貢献度は偉大で、従来艦も金型が新しくなったり、製品化されていなかった艦船がラインナップに加わったりブームはまだまだ続きそうですネ。ありがたい事ですw

軽空母瑞鳳 (1)
本体はハセガワ製で「艦これ」部分は青島が担当したコラボ作品。(この模型は従来金型)

しかし、真面目な艦船モデラーが、艦これ版のイラストの箱絵を家に持って帰れるか?というと、かなり勇気がいるのである。(ってか家庭内で立場が危うくなるので絶対に無理だと思われる・・・汗)
新しい金型の艦船が「艦これ」先行で発売になると、通常パッケージは約半年遅れになるのでヤキモキしながら待たされる。

小生のような不良中年でさえ、この箱を持ってレジで会計するのはかなり赤面で、「ルーラ」とか「リレミト」を唱えたが無駄だった(笑) 家庭内への持込みは、山城趣味よりも市民権を得ているらしいので見て見ぬふりで入国審査はパスしたが・・(爆)

軽空母瑞鳳 (3)
甲板の下地塗装の上から迷彩塗装(推定)の準備。曲線用のマスキングテープは慣れないと使いづらい。

軽空母瑞鳳 (7)
側面の迷彩は貨物船の形のカモフラージュで対潜水艦用だとか。

軽空母瑞鳳 (8)
このキットは迷彩模様のデカールキットが入っているので、えいやーと塗分けてみた。

【艦歴】

日本海軍では、いざ戦時になった時にやん旗艦で空母に改修して戦力を補強できるようにするための、高速給油艦「剣埼」(1番艦)と「高崎」(同型艦)の建造を計画しました。「高崎」は建造途中で潜水母艦として完成させることになりましたが、さらに設計変更されて昭和15年12月、横須賀工廠で航空母艦「瑞鳳」(ずいほう)と改名されて完成しました。

軽空母瑞鳳 (22)
デカールを貼ってみた。迷彩塗装は敵の攻撃機から「右旋回中の戦艦」に見えるようにデザインが考えられたというが。

ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦と転戦し、この間に前部飛行甲板の延長と対空火器の増強が行われました。連合艦隊最後の決戦となったレイテ沖海戦では囮部隊として小沢艦隊に所属し、作戦行動中の昭和19年10月25日、エンガノ沖海戦でアメリカ機動部隊による三波にわたる空襲により、ついにその艦命を終えました。

軽空母瑞鳳 (21)
側面に赤錆を入れてウェザリングしてみた。(チョッとわかりづらいか・・・)

軽空母瑞鳳 (20)
飛行甲板もタイヤ痕スリップ痕やすすで汚して戦闘状態を再現してみた。(いやいや、汚しすぎだと思いますが・・・)

【とりあえず完成させてみた】

瑞鳳は甲板に艦橋を設置しないフラットトップ型の航空母艦で、搭載機は零戦五ニ型、零戦二一型、天山などであった。
先日購入した艦船プラモ本では、瑞鳳の二一号電探(対空レーダー)の位置については、前部エレベーターの前で遮風柵の後ろではないかと推定した記事がありました。(このプラモは通説の甲板中央より後方の左側)
色々と研究しこだわりを持て再現するというのは、さすがプロのモデラーですネ、頭が下がる思いです。

軽空母瑞鳳 (24)
ゴミじゃありません、零戦五二型、天山一二型の大軍の塗装乾燥中の一コマですw

軽空母瑞鳳 (25)
空母瑞鳳、完成です!

【空母瑞鳳 主要項目】 (建造時)

基準排水量:11,200t  全長:185m 幅(水線最大幅):18m 飛行甲板(長さ×幅):180×23m 吃水:6.64m
旗艦出力:52,000hp 武装:40口径12.7cm高角砲(連装×4) 
搭載機:(常陽1機)、艦上攻撃機(常用6機/補用3機)
速力:28.0ノット
完成:1940年

軽空母瑞鳳 (27)

【おまけ】

せっかく恥ずかしい思いをして購入した「艦これ」とのコラボ作品なので、最終仕上げは以下の通り!!

軽空母瑞鳳 (31)
ブラウザゲーム「艦これ」ではその容姿とキャラボイスで圧倒的な人気を誇る瑞鳳。

軽空母瑞鳳 (32)
「艦これ」とのコラボシリーズは基本的に価格が高め設定なので、個人的には前回の大鯨と今回の瑞鳳で終了予定です・・(汗)

しかし、この溢れる情熱が何故か今は山城ブログに向く事は無い・・・・(笑)



Posted on 2018/06/13 Wed. 16:31 [edit]

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