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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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城山 (北佐久郡軽井沢町峠町)  

◆碓氷峠を見守る眺望に優れた烽火台◆

今年の酷暑は例年になく異常で、寒暖差で日中は気温が高くても夜になれば涼しいはずの信濃国でも寝苦しい夜が続いている。

避暑地の軽井沢も連日の最高気温は30度を超える日も多く、都会並みの人の群れが気温上昇に拍車をかけているようだ。

今回ご案内するのは、そんな軽井沢の旧碓氷峠の城山と呼ばれる見晴らし台(烽火台跡)である。

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碓氷峠の頂上に祀られる熊野神社。城山の対面に位置し神社の西半分は長野県、東半分は群馬県に地籍を置いている。

碓氷峠見晴台(軽井沢町) (28)
お手軽に国境を楽しみたい方はこのプレートの上を反復横跳びすると良いだろう・・・(良い子はマネしないでネ・・・汗)

※この「城山」については、「定本佐久の城」(1997年 郷土出版社)のP172の解説を引用しますのでご了承ください。

【城山】

伝えられている城山は、旧碓氷峠の南西に位置している。現在は峠の名所の一つの見晴らし台となって多くの観光客が訪れ、一望千里の眺めをほしいままにする。
近くを通る碓氷峠は古い時代から交通の要所で、頂上には熊野権現が祀られている。この神社には正応五年(1292)奉納の梵鐘があることから鎌倉時代には鎮座していたと思われる。

碓氷峠見晴台(軽井沢町) (25)
最近はパワースポットとして宣伝されているようで、この日も残雪残る中を女性グループがお参りしていた。

碓氷峠見晴台(軽井沢町) (26)
熊野神社の狛犬。室町時代の作と伝わり長野県では最古の石造の狛犬だという。なかなか愛嬌があってほっこりする。

城山については、大正元年(1912))刊「かるゐざは」と昭和二十八年(1953)刊「町誌 軽井沢」のなかで、戦国時代に烽火陣営の設備があり非常時に備えた事、正平年間(1346-1370)峠での合戦に神宮滋野八郎一族三十余名が新田軍に属し戦った(太平記二十一巻)ことなどを紹介している。

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まあね、お賽銭箱が二つあるので両方入れないと霊験の効果が薄い(碓氷)かと・・・・(笑)

天文・永禄・天正にかけて城山を挟んで合戦があり、ここからほど近い陣場ヶ原では武田軍と上杉軍が大軍でぶつかりあったほか、近傍の烽火台の大塚山にも武田軍が陣地を構えた。
天正十一年(1598)には近辺の堀切で豊臣軍と小田原北条軍の合戦もあった。 ※刎石堀切参照

碓氷峠見晴台(軽井沢町) (20)
熊野権現の登り口にある地図。陣場ヶ原(じんばがはら)という合戦場跡はこの私設し地図で初めて知った。

碓氷峠見晴台(軽井沢町) (21)
堂峰番所とか坂本城とか懐かしい。

こうした戦の中で城山は砦の役割を持ったようである。
永禄六年(1563)武田軍から軽井沢の佐藤氏に上信国境の警備を命じた文書が残っており、砦と烽火台の役割を持ちつつ街道輸送の重要な拠点でもあった。城山はこのときも何らかの役割を果たしたものと思われる。

※以上、引用終わり。

碓氷峠見晴台(軽井沢町) (17)
見晴らし台は大正七年に名古屋市の近藤友右衛門氏が独力で開発整備を行い、その後軽井沢町に寄付したという。

碓氷峠見晴台(軽井沢町) (4)
城山の頂部。公園化により改変されたが、往時もかなり広い単郭である程度の兵数は収容出来たと思われる。

碓氷峠見晴台(軽井沢町) (5)
味わいのある説明板。

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見晴らし台にも熊野神社同様のボーダーがありまして・・・。

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一望千里とはこのことかしら・・。

碓氷峠見晴台(軽井沢町) (7)
それとも大江千里はニューヨークかしら・・・(笑)

碓氷峠見晴台(軽井沢町) (8)
厳寒期の冬は使われなかったと勝手に解釈しているが、どうであろうか。

古くは関東から京へ通じる東山道の要衝、江戸時代には江戸に繋がる北国街道の要衝として関所が置かれていた。

最近、城山の近くの碓氷峠にて織豊時代の陣城発見のニュースが世間を騒がせた。
小生もいの一番で陣城の調査に訪問した・・・野次馬根性丸出し・・・(汗)

詳しくは⇒碓氷峠の陣城参照。

ここのロケーションは、碓氷の陣城も利用したと想定される。

景勝・利家そして昌幸も、ここに立ち、北条軍との戦評定をj開いたのかもしれない・・・

碓氷峠見晴台(軽井沢町) (14)
遺構らしきものは何もないのだが。

≪城山≫ (じょうやま)

標高:1204.9m 比高226m (矢ヶ崎川 二手橋より)
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:北佐久郡軽井沢町峠町
攻城日:2016年3月6日 
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:5分  駐車場:有り(有料なので手前の林道脇に路駐もあり)
見どころ:景色のみ
付近の城跡:熊野権現、碓氷の陣城、城尾根砦
注意事項:特になし
参考書籍:「信濃の山城と館① 佐久編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)、「定本佐久の城」(郷土出版 1996年)など



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軽井沢駅付近の大賀ホールから見た城山。
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Posted on 2018/07/25 Wed. 22:30 [edit]

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火打山狼煙台 (佐久市春日)  

◆春日城と芦田城を繋ぐの狼煙台か?◆

戸隠シリーズを一旦終了して舞台を久々の佐久方面へ移そう。といっても、二年前の話ではあるが・・・(汗)

この地域の未訪の山城は小倉城と笠原城を残すのみである。

小倉城は春日城の詰め城で、天正壬午の乱で家康の佐久平定戦で功績のあった依田信蕃(よだのぶしげ)が、大道寺政繁率いる北条の大軍を相手にゲリラ戦を敢行した三沢小屋ではないかと推定されている。今年の晩秋には探訪したいものである。

今回ご案内するのは、依田信蕃の父の信守が防衛上の理由で芦田城から春日城に移転した際に、繋ぎの狼煙台として機能したという火打山狼煙台。

火打山狼煙台(佐久市春日) (24)
春日城の麓から望月カントリークラブに通じる手前道路の最終ヘアピンカーブの北側が遺構である。(鉄塔が目印)

【立地】

春日地区の本郷の西の山頂で、望月カントリーゴルフ場の東の山になる。ここからは春日城、望月城、天神林城が眼下に見えて遠く浅間山連峰も見通すことが出来、狼煙台の立地としては申し分ない。

火打山狼煙台(佐久市春日) (10)
カーブミラーの脇からテキトーに登ると切岸が目の前に現れる。

火打山烽火台見取図①
東京ディズニーランドが35周年とは何の関係もありませんが、そのシルエットが・・・・(笑)


【城主・城歴】

宮坂武男氏の聞き取り調査の過程では栃久保城との関連では伝承が無く、ここが火打山と呼ばれていたことが判明したという。
春日城は山城であるものの、周囲を山に囲まれた谷中の城であったために春日城より70mほど高く芦田城との連携が可能なこの場所に狼煙台を造ったと推定される。

火打山狼煙台(佐久市春日) (8)
方墳と錯覚するような形と切岸。

火打山狼煙台(佐久市春日) (9)
主郭を囲む帯郭。輪郭式の縄張りである。

【城跡】

道路の開通による多少の破壊はあるものの、これが方墳のような主郭を取り巻くしっかりした帯郭とその一段先の平場。南西には小屋掛けできそうな平場も人工的に加工してある。

火打山狼煙台(佐久市春日) (11)
狼煙台の北側は削平され北側に続いている。

耕作地跡か?とも想定するものの、麓からの比高200mで標高960mの高地にわざわざ何をつくるのか・・という事で、往時の遺構であろうという結論付けとなる。

火打山狼煙台(佐久市春日) (13)
ミッキーシルエットの主郭内部。土塁は最初から無かったのであろう。

火打山狼煙台(佐久市春日) (17)
東南にある小屋掛けが想定される削平地。

山城や古城を利用した山城は伝承が数多く残るものの、古代よりの狼煙台となるとその素性は謎な場所が多い。

この火打山狼煙台の設立については不詳であるものの、このスタイルが往時の狼煙台のスタンダードであるとすれば極めて貴重な遺構であろう。公認するかの有無ではなく後世に伝えるべきものであると考える。

火打山狼煙台(佐久市春日) (15)
狼煙台は整然とした方形である。

この日は春日城にも登って写真を撮り直してリテイク記事の準備をしたのだが、それもいつになるやら・・・(汗)


≪火打山狼煙台≫ (ひうちやまのろしだい)

標高:960m 比高180m 
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市春日栃久保
攻城日:2016年5月01日 
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:5分  駐車場:無し
見どころ:切岸・郭
付近の城跡:春日城、式部城、小倉城、天神林城など
注意事項:特になし
参考書籍:「信濃の山城と館① 佐久編」(宮坂武男著 2012年 戎光祥出版)



火打山狼煙台(佐久市春日) (26)
春日城の麓から見た火打山狼煙台。

Posted on 2018/06/10 Sun. 21:10 [edit]

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備前屋敷館 (北佐久郡軽井沢町追分)  

◆とうとう別荘が建ってしまった軽井沢町の館城◆

純粋に中世の城郭が好きな方は某国営放送局の大河ドラマ「真田丸」には、あまり興味がないらしい。

小生のように大河ドラマ「国盗り物語」を見て熱にうなされ、近世城郭を得て何十年か後に土の城のグルーピー(古いなあ)と化した者は、どうも雑念が多いようで、毎回日曜日ともならば、BSプレミアムで18:00、NHK総合で20:00、そして翌日録画版を見て感動するのだ・・・(笑)

笹洞城2015 (84)
室賀正武の詰めの城「笹洞城」(ささぼらじょう)の主郭は石積みが周回している。

さて、家康の密命を受けた室賀正武の運命はいかに・・・・

さあ、真田丸のうんちくは次のお楽しみとして、今回ご案内するのは避暑地として有名な軽井沢町にある備前屋敷館。

備前屋敷⑤
広大なレタス畑を通り過ぎて沢沿い台地の薄暗い林の中を進むと別荘地が現れる。「ここでいいのか?」

初日に訪問した時は生憎の雨降りで、入り組んだ地形で場所も適当に目星をつけた為に行き方も分からずに途中で車を捨てて歩いた。平日休みは無敵のジムニー号が使えず乗用車なので無理は出来ないのが辛い・・・(汗)

「なんだ、別荘地で舗装道路なら乗用車でもこれたじゃん・・・・(怒)」 いつもの事である・・・(笑)

次の瞬間、「って事は、居館跡地は別荘が建ってるとか・・・・まさか・・・・」 残念ながら嫌な予感は当たったのだ。

備前屋敷館⑥
舗装路を通り過ぎて振り返ると、堀形が確認出来るではないか・・・。

【立地】

国道18号線の追分宿の信号から南へ約1km入り「滝沢」という渓谷の段丘に面した台地に位置する。軽井沢町と御代田町の境界に位置し、ここから北は軽井沢なので、土地が空いていれば別荘地となってしまうようだ。居館跡が御代田町の地籍だったら救済されていたのかも?と思うが史跡にも指定されていないので、別荘が建っても文句は言えないのが辛い。

備前屋敷館2 (8)
改変された虎口と土橋。石積み仕様になったのはここが中世居館の跡だと知っていたのでしょうか。

【城主・城歴】 ※以下の文章は「信濃の山城と館①佐久編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)P311より引用

伝承で、土屋備前守が考えられている。記録が無くはっきりしないが、追分の土屋氏は」戦国期より存在していたようである。天文五年には土屋左近助秀吉の名があり、慶弔十五年には小諸城主戦国秀久より、追分の土屋市左衛門に対して発地村百三十貫文が宛行われている。また同人は大坂の役の時の佐久郡士の誓約書に署名があり、近世始めまで追分にいたことは確かなようである。

備前屋敷見取図 001
別荘が建てられ改変されてしまったが、居館を囲む堀と一部の土塁は残されている。

【城跡】

台地の縁を利用した方形居館で、周囲を幅7m~9mの堀が囲んでいる。西側は滝沢の天然の沢が自然の堀を形成している。
別荘の建築に伴い、虎口は破壊され車両通行用に土橋が拡幅されてしまい、往時の様子は分からない。ただ、西側と北側の堀に沿って土塁が残っているのが確認出来る。
宮坂武男氏が現地調査した平成十一年には、方形居館の南側の堀から道を挟んだ東側に土塁を伴う横堀の記載があり、今回確認するも別荘の庭の造成時で破壊されたらしく何も発見できなかった。居館とその周辺の堀形はいい形で残っているので、これ以上の改変が進まないことを願うばかりである。

備前屋敷館2 (6)
居館北側の堀。土塁の残存が確認出来る。

備前屋敷館2 (11)
居館東側の堀と縁の土塁跡。

備前屋敷館①
補助線をつけるとこんな感じ。堀は良好に残存している。

備前屋敷館②
南から虎口方面。

備前屋敷館③

しかし、別荘地で写真を撮るのはかなり危険な行為で、無人であればなおさらである。
「ここは中世の居館跡です」という看板でも立っていない限り、かなりヤバい。通報されるのは必至である・・・(汗)
平地の居館跡は体力は使わないが、余計な神経を使うのでドキドキものである。

備前屋敷館④
居館南側の堀は自然の断崖をうまく利用している。

備前屋敷館2 (2)
西の沢に深く落ちる南の堀。


≪備前屋敷館≫ (びぜんやしきやかた 備前林城)

標高:933m 比高:30m(滝沢より)
築城年代:不明
築城者・城主:土屋氏
場所:北佐久郡軽井沢町追分
訪問日:2016年3月9日、2016年3月18日
お勧め度:★★☆☆☆ 
所要時間:-
見どころ:方形居館と周囲を囲む堀
周辺の城跡:油井中屋敷、たて茂沢城、十二平茂沢城など
注意事項:民家なのでプライバシー注意、別荘地でもあり不審者として通報される恐れあり。
参考文献:「信濃をめぐる境目の山城と館①佐久編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
※今回は史跡の場所は掲載しませんので悪しからず。

備前屋敷館2 (14)
軽井沢町と名が付くだけで別荘の価値が何十倍にもなるとは、この地区だけはまだまだバブルが続いているようだ。






Posted on 2016/03/19 Sat. 08:00 [edit]

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袴腰狼煙台 (小諸市山浦)  

◆未だに研究の進まない狼煙台の謎◆

戦国時代における有力大名の領国統治において、「情報伝達」というのは重要なファクターであったはずだ。

領土拡大を推し進める戦国大名において、自国内における情報の収集と分析、敵対する境目の領土付近から送られる情報の集積と瞬時の判断は何よりも優先していたものと思われる。

「飛脚」「早馬」「狼煙」etc・・当時の限られた情報伝達ツールの中でも、狼煙(のろし)はそのスピードの速さと正確さゆえに長年使われてきたが、その詳細は依然として謎のままである。

「いつか狼煙台の謎に迫りたい・・」 そんな想いに悶々としながらご紹介する「袴腰狼煙台」(はかまごしのろしだい)

袴腰狼煙台 (1)
有り難い事に小型乗用車でも登れる舗装林道の途中にある。2台ぐらいは駐車スペースもある。

【立地】

小諸城の搦め手にある「水の手不明御門跡」(みずのてあかずごもんあと)から千曲川を挟んだ南西方向に位置する独立峯で、袴の腰板のような形からその名がつけられている。ここは御牧ヶ原台地の東端に位置し周囲の眺望は素晴らしい。穴城である小諸城の見張り台として機能していたとされ、武田統治時代には狼煙台が置かれたというのも頷ける立地である。

小諸城 (137)
小諸城の水の手不明御門跡から見た袴腰狼煙台とその周辺。

【城主・城歴】

所傳なく全く不明である。小諸城の防衛砦のひとつであったと考えられ、麓には西浦古城という根小屋があったと想定されるが詳細は分からない。

袴腰狼煙台①
南尾根の途中に堀切があったとされるが、確認出来なかった。

袴腰狼煙台 (5)
尾根伝いに道があるだけ。

袴腰狼煙台 (7)
途中で分岐するが、往時は左を巻いて郭に入ったものであろう。

【城跡】

「小諸市の眺望百選」として展望台の公園整備がされたようだが、現在では訪れる人も無くなったようだ。周囲を切岸で丁寧に削り、頂部は単郭としているが、南端が一段削り残しがあるので狼煙はここで挙げたものと思われる。

袴腰狼煙台 (18)
南側からみた郭全体。

袴腰狼煙台 (17)
南東方面の与良城。

袴腰狼煙台 (20)
浅間山も良く見えるが周辺の城は雑木林が邪魔で小諸城も良く見えない・・。

袴腰狼煙台 (13)
北側から見た狼煙台部分。

「定本佐久の城」(1997年 郷土出版社)によれば、「山浦 袴腰」は信玄の飛脚かがりの「川中島線千曲ルート」の小諸地区における狼煙台として「諏訪山 堀之内城」「東山 虚空蔵山」との中間地点になっている。堀之内城(布引城)は目と鼻の先なので問題無いが、前山城の隣になる虚空蔵山砦までは狼煙一発で伝えるにはかなり厳しい。

間に糠塚山狼煙台(ぬかづかやまのろしだい)を挟むと無理が無いように思える。

袴腰狼煙台 (27)
堀之内城のその先は外山城へ繋いでいる。

残念ながら袴腰狼煙台から小諸周辺の諸城は与良城と堀之内城しか見えなかったが、周辺道路から何とか無理に撮影して見た・・・(笑)

袴腰狼煙台 (29)
七五三掛城(しめかけじょう)。

袴腰狼煙台 (34)
小諸城は対岸。躑躅ヶ崎からの指令が城将の信豊にも届けられた事だろう。

恐らく「狼煙守」(のろしもり)なる人々がいて、通信を担っていたのであろう。

雨の日は?雪が降ったら?積雪期はどうしてた?・・・・等々の疑問は尽きない。

若神子城(北杜市) (19)
写真は若神子城(山梨県北杜市)に復元されている狼煙台。鐘も有効な伝達手段であった。

信濃では、山城や砦そのものが狼煙台として活用されたものもあるし、新たに山頂を削平して狼煙台とされた場所もあるという。

「信玄の飛脚かがり」 何本ものルートがあったというその場所全てをいつか巡ってみたいものだ。

大室城201409 (48)
対岸の富士見城(大室城)から見た遠景。穴城だった小諸城の監視砦として支城の役割も担っていたと思われる。


≪袴腰狼煙台≫ (はかまごしのろしだい)

標高:758m 比高:170m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市山浦
攻城日:2015年4月10日
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:千曲小学校脇の林道を登り、展望台入口看板より徒歩5分
駐車場:有り
見どころ:景色
参考文献:「信濃の山城と館① 佐久編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版) 「定本佐久の城」(1997年 郷土出版社)
付近の城跡:小諸城、七五三掛城、布引城、楽厳寺城など色々




Posted on 2015/04/11 Sat. 08:09 [edit]

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宇賀山砦 (小諸市滋野甲芝生田)  

◆芝生館の物見か?◆

この週末は近くの山城に登れるか?と淡い期待をしていたが、終日みぞれ交じりの雪が降り続けて「THE・END」となる。

もう笑うしかあるまい・・・(笑)

今回ご紹介するのは、前回ご紹介した芝生館(しぼうだやかた)の北北東350mに位置する宇賀山砦。(うがさんとりで)

宇賀山砦(小諸市)


こんなゴミのような砦を掲載するのは小生のブログぐらいなものであろう。

宇賀山砦 (38)
東漸寺にある宇賀観世音の東隣にある。(案内図の右端の石段の続く小山)

【立地】

東漸寺の山号でもある「宇賀山」地籍にある。ちょっとした小山であるが、要害性は芝生田館よりはマトモである。

宇賀山砦 (3)
石段を登ると途中に削平地が二段あるが、段郭の名残りか?

宇賀山砦 (5)
郭の中央には関東大震災の慰霊碑が立つ。

【城主・城歴】

詳細は全く不明である。

宇賀山砦 (7)
郭の周囲は土塁で囲まれていたらしく北側と西の一部に遺構が確認出来る。

宇賀山砦 (8)
主郭北西付近。

【城跡】

周囲を急峻な傾斜地で囲まれ、南側を除く主郭の背後を横堀が巡る。方形居館を小山の上に作ったような造りだが、縄張だけでは築城年代は分からない。さらに北側に土塁で仕切った防塁のような遺構があるが、耕作地の改変なのかは判断できない。

宇賀山砦 (10)
西側の横堀。

宇賀山砦 (17)
北側を巡る横堀。搦め手側なので土塁を置いた可能性はあるか?

宇賀山砦 (26)
北側の直線上の土塁。防塁のようにも見えるが、どうであろう。

この付近は、北佐久及び小諸を領有する大井氏との境目にあたるので、滋野(海野平)を中心とした海野氏が見張り砦を築いた可能性も考えられる。村上・諏訪・武田連合軍と戦った海野平の合戦でも重要な任務を負っていたのだろうか。

宇賀山砦 (20)
東の沢に連結する横堀。往時のものかは疑問が残るが、増設したとすれば納得がいく場所にある。

≪宇賀山砦≫ (うがさんとりで)

標高:680m 比高22m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市滋野甲
攻城日:2013年7月23日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:3分(東漸寺より徒歩)
駐車場:東漸寺の駐車場借用。
見どころ:横堀、土塁、防塁
参考文献:「信濃の山城と館①佐久編」(2013年 宮坂武男著) 
注意事項:特に無し

宇賀山砦 (34)
お越しの際には、宇賀観世音にも参拝願います。



Posted on 2015/01/15 Thu. 22:52 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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