らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

1204

十石城 (小諸市平原)  

◆城館+農耕地という発想◆

少子高齢化という言語に慣れてしまったが、日本の人口が1億人を突破したのは昭和四十二年(1967)なので、つい最近の事である。

明治五年(1982)の日本の総人口は3480万人で、江戸時代の最初は約2000万人だったらしい(汗)

僅か100年間で人口三倍というのは世界的にも珍しい事例で、平成十五年(2005)にはピークの12,760万人。
それがいいか悪いかは人口の増減では語れないにしても、均衡のとれたバランスを考えると「あるべき姿」に回帰しつつあるというのが事実の認識であろう。

さりとて「死にたくとも死ねない医療の進歩」は弊害であり「長生きのリスク」という弊害を生み出している。
皮肉なものである(汗)

十石城 (7)国道18号線の十石坂付近にある城跡への入口。

冒頭で日本の人口の話をしたのは、戦国時代における「戦い」(合戦)における動員兵力の推察の為である。

川中島の戦いも長篠設楽ヶ原の合戦も、関ヶ原の戦いも大阪の陣も、語り継がれた人数の凡そ1/10と思えば合点がいくのは小生だけであろうか・(笑)

余計な話はそれぐらいにして、今回ご紹介するのは中世城郭のメジャーブログやHPでは絶対掲載しないであろう「十石城」(じっこくじょう)

十石城見取図①

「え~っ、また小諸なる古城のほとりの続編になるの?」

苦情はイチイチご尤もなのだが、信玄公も信濃のゴミのような山城を各個撃破しているので、それをお手本に頑張ります・・(汗)

十石城 (12)郭1から撮影した堀切㋐。

【立地】

往時はともかく現代における小諸市と御代田町の国道18号線の境目の城である(笑)。
北側を平原用水、南を繰矢川に挟まれたこの地域特有の田切地形でかなり広い城域だ。今でこそ国道18号線が城に隣接するように走っているが、戦国時代の北国街道~碓氷峠へは城域より北側の浅間山の山麓を通っていたので、平原城の支城として上州からの侵入者の見張りも担っていたのであろうか。

十石城 (11)郭1。農耕地といえどもかなり広い。

十石城 (15)主郭北側の堀切㋑。平原用水に接続しているので堀切㋐と共に水堀だった可能性もある。

【城歴】

詳細は全く不明で平原城の平原氏(依田系)関連の支城とされるがそれも確証は無い。

十石城 (40)城域の西を流れる平原用水を外堀として1・23の郭が中枢部だったようだ。

【城跡】

佐久や小諸地域に多く見られる崖淵地形を利用したデカイ砦。そんなに兵士がいる訳ないならコンパクトに作れば良さそうだが、城内に農耕地を取り込んでいたのだろうか?
険しい山城は辿り着くまでに疲れるが、遺構を見ると疲れが吹き飛ぶ。しかし田切地形の城は歩きまわるだけでくたびれてしまい、達成感が感じられないのが難点かもしれない・・(笑)

十石城 (18)郭3。整地され過ぎているようにも見える。

十石城 (23)埋没した堀切㋓。

十石城 (31)東隣りの郭5から見下ろした郭4.小学校の校庭ぐらいの広さがある。

カンカン照りの炎天下の中を歩きながら思ったのは「こんなデカイ城、戦争を想定して作った訳が無いだろう」

用水を引きこんだ肥沃の地として領主の特権を生かして農作物を栽培していたとしか思えない・・(汗)夜盗や隣接する豪族からの襲撃に備えて申し訳程度に掘りを穿ったのであろう。

十石城 (33)郭4から一段上がった鉄塔の刺さった場所に郭5がある。藪茫々で詳細は不明。サイロ跡が櫓跡のような高土塁になっている。

針木沢城 (17)郭5と郭6の間の堀切㋔。

針木沢城 (18)堀切㋕を最終として針木沢城に続く。

実は十石城は針木沢(はりきさわじょう)と連結する複合城で境目もハッキリしていない。

一粒で二度美味しいグリコなら大歓迎だが、デカイだけが取り柄の城域は歩きまわるのが大変でロクな遺構もないので「くたびれ損の骨折り儲け」のみであろう(汗)

針木沢城 (14)郭6.鉄塔付近は郭5.

十石城 (36)右側は十石城の城域で、正面は浅間山。

国土地理院の地図を片手にカメラを片手に持ち田畑のあぜ道を徘徊している姿は、まさに不審者そのものだ(笑)

≪十石城≫ (じっこくじょう)

標高:793m 比高:30m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市平原十石(御代田町)
攻城日:2013年8月18日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡の周回所要時間:40分 駐車場:国道18号線道路脇空き地に路駐
見どころ:郭、堀など
注意事項:耕作地には入らない事
参考文献:「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:針木沢城、上三田原城、宮崎城

十石城 (2)南を通る国道18号線道路脇から見た遠景。





Posted on 2013/12/04 Wed. 21:41 [edit]

CM: 4
TB: 0

0823

加増城 (小諸市加増)  

◆伝承も城跡も消えゆく田切地形の城館◆

信州の小学生たちの短い夏休みは終わったようだ。

小学生の頃の自由研究、皆さんは何を課題に発表したか覚えてますか?

小生は5年生の時に「後三条天皇の延久の善政と摂関政治の終焉」をテーマに発表した。

今思えばとても異常である・・・(笑) 担任の先生も小生の扱いに困っていたのを覚えている・・(爆)

で、今回ご紹介するのは、加増城。後三条天皇とは何の関係も無い・・・・・・・・・(汗)

加増城 (2)北から見るとチョー城っぽい(笑)

「こんなゴミみたいな城の掲載を何故するの?」と思われる方も多いかもしれない。

歴史に登場するような有名な城だったら、必ず誰かが書いてるでしょ。クドイぐらいにネ(笑)

でも、そんなのありきたりでつまらない。

マイナーどころか3Aにも登録されていない城砦って、誰かが書いてあげないと日が当たらないし、そのうち忘れられちゃうでしょ。

加増城古図長野県町村誌に掲載されている加増城の絵図。

地元のヤツラが紹介しなくちゃ誰が語るの?

それって「今でしょ」(爆)

加増城見取図

かなり古い田切地形の崖淵城で、長野県町村誌の加増村に城歴が書いてあるが、イマイチ的を得ない。

以仁王の令旨を受けた朝皇が打倒平家を画策してこの城に籠ったらしいが、そもそも朝皇とは何者なのか分からない。

挙句の果てには病に罹り、平家との戦の前に没したという。

加増城 (3)城域へは通路があるが後世の加工であろう。

朝皇の没した後は朝皇社として本郭跡に祠があったようだが、現在は加増稲荷神社に移されていると云う。

南北朝時代や室町時代に、比高10m程度の丘の上の居館がどのような使われ方をしたのかは甚だ疑問ではあるが、その後移転してきた小諸大井氏の砦の一つとして兵が置かれたのかもしれない。

加増城 (5)郭に登り東方面を撮影。

長野県中世城郭跡の昭和54年に行われた調査時には東側の郭が残っていたようで略図に記載されていたが、現在は土石採集の為に破壊され消滅してしまった。

この地域の遺跡に対する悲劇は連鎖のように続いているのであろうか。

加増城 (14)無残に破壊された東端の郭跡。

加増城 (10)耕作地だったようだが、居館跡の削平地をそのまま利用したのであろう。

戦時の城館というよりは、普段の生活も営まれていたと思われる。

加増城 (6)郭の北側は円形の土塁の跡がある。写真を撮っても無駄だった。

この城の物見が北500m先にある乙女城(大遠見城)だったという説もある。

まあ確かにこの場所からでは周囲の動きは見えないので、あながち誤りでもなかろう。

小諸周辺の城跡は早めに見ておかなければ、マジでこの世から抹殺されそうだ・・・(汗)


≪加増城≫ (かますじょう 古城)

標高:700.0m 比高:10m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市加増
攻城日:2013年7月15日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:路駐
見どころ:郭跡
注意事項:特に無し
参考文献:「定本佐久の城 1997年」「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:乙女城など


加増城 (16)国道18号線のコンビニから見た加増城全景。



Posted on 2013/08/23 Fri. 12:41 [edit]

CM: 2
TB: 0

0821

菱形城 (小諸市菱野)  

◆在地土豪の古い中世城館◆

連続更新記録が途絶えた。

一昨日は強烈な目まいに見舞われてしまい、午後八時には就寝。まさか展開のであった・・(汗)

昨日は送別会で酔ってしまい記事を更新する気力も無く・・・

ぬるま湯生活に刺激的な荒行を求めるのは所詮無謀だったようである・・(笑)

菱形城(小諸市) (10)城域後部を貫通する県道80号線。(通称:浅間サンライン東部広域農道)

今回ご紹介するのは、発掘調査により南北朝時代の遺構であろうと推定された菱形城(ひしがたじょう)。

千曲川ビューラインの道路工事により硲城はろくな調査もせずに破壊されてしまったが、菱形城は道路工事部分のみ緊急発掘調査されたという。

菱形城(小諸市) (16)削り取られた場所には橋が架かっている。

この城跡が菱形城として認識されているのは、この橋の名前から見てとれる。

菱形城(小諸市) (34)
↑「ええいっ、この表札が目に入らぬか!」(笑)

城域は東を大木沢、西を大久保沢に守られた菱形の舌状台地上にある。

城歴は不明だが、その立地からは在地土豪が集落の住民の為に築いた逃げ込み城の要素も多分に伺える。

菱形城見取図①

菱形城跡は先に述べたとおり、広域農道新設工事の為に昭和五十四年(1979)小諸市教育委員会による発掘調査が行われた。

報告書によると出土遺物としては壊れた石臼八点、古銭一点、鉄製品三点(うち轡が一点)、青銅製金具などである。青銅製の金具は鞐(こはぜ 鎧を装着する際の止め金具)で、鑑定結果は南北朝時代のものであり、この事から、菱形城の時代を特定する要素になっている。

菱形城(小諸市) (5)橋の北側の遺構。耕作地とゲートボール場に改変されている。

菱形城(小諸市) (20)橋を渡った南側。戦闘用というよりは居館を兼ねた広域避難広場と云う感じ。

菱野平付近は「菱野の牧」として吾妻鏡の文献にも登場する。

佐久平とともに良質な馬の産地として牧場が営まれていた事は想像に難くない。

菱形城(小諸市) (24)城域北西も巨大な郭跡がある。

畑の持ち主の方にお話を伺ってみたが、「城跡はここじゃなくて、菱野温泉だよ」と教えていただいた。

おそらく露天風呂のある雲之助城を指していたのでしょう。

ここが城跡だなんて、橋の名前を説明したところで信じてはもらえないでしょうね・・(汗)

菱形城(小諸市) (27)南に続く広大な台地。

菱形城(小諸市) (31)城跡破壊の代償として南端に公園が作られたらしい。既に訪れる人も無き廃墟となっていた。

木曾義仲の時代まで遡るのかは不明だが、城歴は古いようである。

雲之助城との関連も考えられるが、戦国時代を迎える前には使われなくなっていたと考えるのが普通かもしれない。

城域全体の発掘調査を行う事で、さらに年代の絞り込みが出来ると思うのだが、小諸市にその気はあるかしら?

菱形城(小諸市) (4)城跡の入り口に建つ新海三社神社。

≪菱形城≫ (ひしがたじょう 城)

標高:844.0m 比高:20m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市菱平
攻城日:2013年7月15日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:5分 駐車場:菱野公民館借用
見どころ:郭跡
注意事項:特に無し
参考文献:「定本佐久の城 1997年」「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:富士見城、高津屋城など

菱形城(小諸市) (39)城域西側から見た菱形城遠景。







Posted on 2013/08/21 Wed. 21:16 [edit]

CM: 2
TB: 0

0818

東沢城/丸山(小諸市甲)  

◆二枚抜きは禁じ手なのだが・・◆

一城(または館)一記事と決めて掲載してきた。

その前提はまともに調査する事なのだが、中には諸般の事情や、藪茫々で取材すら出来ない場所もある。

今回は二枚抜きの禁じ手を使うがご容赦願いたい・・・(汗)

宇当坂館周辺地図

【丸山】

松井愛宕山城と同じく、宇当坂の館(御所平)の背後の物見の一つだろう。

城主城歴は不明だが、描いて字のごとくの小山で往時は展望がかなり良かったと思われる。

酷い藪に覆われていて、何が出るか分からないので突入を断念した。蛇は嫌いである・・(笑)

丸山(小諸市) (1)北側から見た丸山。突入前にヤメた(汗)

丸山(小諸市) (2)高津屋城との関連も不明だ。

丸山(小諸市) (3)富士見城も視野に入るが、丸山よりもかなり後の時代の築城なので繋がりは薄いかもしれない。


【東沢城】

以前に「ご神水」に関わる件で全国紙に掲載された大和神社の上の丘陵の山でに位置する。

現在、個人の住宅の裏山ということで立ち入り禁止。

全山耕作で改変されてしまったらしいが、展望は良好らしい。

東沢城(小諸市) (2)尾根の分岐点。ここから先に見張り台の先端があるのだが、侵入禁止だ。

東沢城(小諸市) (8)山麓の私有地。嘗ては庭園があったという。


大井宗家滅亡から派生した弱小の小諸大井氏が、物見城三箇所(長張城を入れれば四箇所)と詰めの城である高津屋城を維持できたのか?という疑問が沸く。

逃げ込み城にしては目立ちすぎるしキャパも狭いので、やはり物見のたぐいであろう。

武田領有時代に活用されたのは松井愛宕山城ぐらいで、あとは放置されたのかもしれない。

東沢城(小諸市) (13)

≪丸山/東沢城≫ (まるやま/ひがしさわじょう)

標高:846.0m(丸山) 794.0m(東沢城) 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市甲
攻城日:2013年7月15日 
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:0分 駐車場:路駐
見どころ:-
注意事項:-
参考文献:「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:松井愛宕山城、高津城、宇当坂の館など

東沢城・丸山見取図①

丸山城↓



東沢城↓




Posted on 2013/08/18 Sun. 20:41 [edit]

CM: 6
TB: 0

0817

長張城 (小諸市柏木)  

◆へんてこりんな縄張図で報告された実態不明の城◆

昨日紹介したの西約1km、石峠集落にあったとされるのが長張城である。

ここからの眺望は素晴らしく、北佐久地方・南佐久地方が見渡せる。

長張城 (2)現在の駒形神社にも郭があったらしい。

長野県の埋蔵文化調査報告書である「中世城館跡」にも掲載されているが、大まかな場所と略図のみ記載されているだけである。

城主・城歴についても全く不明で、長野県町村誌にも記載が無い。

長張城 (6)駒形神社の境内。

馬の神様を祀った駒形神社は城内や郭に勧進されるケースが多い事や、この神社のある場所が一段高く盛土され整形されているのを見れば、ここが長張城の郭だと見ても差し支えは無いと思う。

以下は長野県の中世城館に掲載された略測図である。

長張城略図

申し訳無いが、勝手に郭とオボシキ場所に数字を入れ、堀跡にも文字を入れてみた。

これを現在の場所の地図写真に置き換えてみると、こうなる。

長張城航空地図

専門家の先生たちが調査した略測図に文句など言える立場ではないが、こんな縄張りの城は初めて見た(汗)

駒形神社のある1を出城として切り離しても不自然な縄張りで、そうは変形していない地形からもかなり無理があるように思う。

宮坂武男氏も「城としての縄張りが見えてこない」と記述している。

長張城 (10)駒形神社の東側は石峠遊園地になっている。奥に見えるのは浅間山。

遊園地のある場所も造成による改変が考えられるが、郭と見れるような気がした。

まあ、それにしても北側の飛び地に郭と堀切を想定するのは無理がありそうだ。

長張城 (13)社殿の背後は土塁が囲んでいるが往時のものだとは言えない。

長張城 (14)神社より北側方面。

いずれにしても、小諸大井氏時代には境目の城として物見が置かれたように思えるが、どうであろうか。

長張城 (24)御代田町・南佐久まで一望出来る。

≪長張城≫ (ながはりじょう)

標高:846.0m 比高:-m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市柏木石峠
攻城日:2013年7月15日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:0分 駐車場:路駐
見どころ:郭跡、景色
注意事項:特に無し
参考文献:「長野県中世城館調査報告書」「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:松井愛宕山城、平原城など

長張城 (23)北佐久まで望めるロケーション。


Posted on 2013/08/17 Sat. 22:05 [edit]

CM: 2
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top