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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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西通山城 (北安曇郡白馬村西通)  

◆水運と街道の謎を知っていたはずの砦◆

山城の位置を地図上にプロットしていくと、往時の古道が見えてくる。時として、集落から離れた険しい山奥にひっそりと眠る砦もあるが、よくよく辿ると廃れた間道の脇だったりする。

山国ゆえに陸路ばかりが注目されるが、千曲川、天竜川、木曽川などの河川を利用した水路(水運)について、江戸時代以前はどうだったのであろうか?
信濃の戦国時代の謎.を解くヒントがそこにまだ眠っているような気がしないでもない・・・(笑)

青鬼の城峯・西通山城201409 (94)
西通山城の脇を流れる姫川。城域は河川によって浸食された可能性がある。

今回ご紹介するのは、青鬼の城峯から北北西700mの姫川沿いにある「西通山城」(にしかようやまじょう)

【立地】

姫川の左岸にあり西通集落(にしかよいしゅうらく)の北400m。国道148号線と姫川の間に位置する。西側から張り出した山塊を姫川が削り取り、中州のような形で取り残された岩盤に作られた物見である。国道の改修工事と除雪基地の設置で城域の西側は見る影も無いが、ここだけ破壊されずに残ったのは奇跡に近い。

西通山城見取図①
こんな山奥で河川沿いの砦とは珍しい。スケールは小さいが連郭式になっている。

青鬼の城峯・西通山城201409 (74)
城域の西側には横堀址が確認出来る。往時は水堀だったのだろうか?

【城主・城歴】

「長野県町村誌」にも記載が無く、史実・伝承等は全く不明の城なのだが、白馬村誌には「北方1kmの河岸にあった、小谷村川内下(壊滅)と連携するものであろう」とあるようだ。現地に立てば塩島城との連携は考えられるので、蒼鬼の城峯とともに街道と海運を見張る砦と考えるのが良さそうである。

青鬼の城峯・西通山城201409 (81)
郭2から見下ろした郭4。

青鬼の城峯・西通山城201409 (83)
郭2。

青鬼の城峯・西通山城201409 (84)
郭1に立つ石碑(水神碑)

青鬼の城峯・西通山城201409 (86)
郭1(21×13)。しっかり平削された郭には驚く。

【城跡】

ミニチュアながら四つの郭を持つ砦で、人工的な手が加えられているのがハッキリと分かる。
近世城郭であれば縄張りに川を取り入れて防御を強化するのだが、この砦にはそういう意図など無く、東側は自然の摂理で壊されてしまったと見るべきであろう。

青鬼の城峯・西通山城201409 (88)
切岸に施された土留めの石積み。

青鬼の城峯・西通山城201409 (92)
北側から見た郭3.藪の中にいるのは毎度お馴染みの「ていぴす」さん。

国道として改修される前の千国街道(ちくにかいどう)がどの辺りを通過していたのか興味深いところである。四ヵ庄平(しかじょうだいら 白馬の中心盆地)から小谷への出入りを監視したのであろう。
経歴は不明だが、大事に残して欲しい砦跡である。

≪西通山城≫ (にしかようやまじょう)

標高:626m 比高:20m  
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:北安曇郡白馬村西通
攻城日:2014年9月27日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:歩いて5分 駐車場:国道148号線除雪ステーション
見どころ:堀切、郭
注意事項:特に無し
参考文献:「信濃の山城と館⑦安曇・木曽編 宮坂武男著」
付近の城址:塩島城、青鬼の城峯など

青鬼の城峯・西通山城201409 (89)
主郭から見た姫川。高さ約20mはあろうか。

Posted on 2014/11/16 Sun. 07:12 [edit]

CM: 6
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青鬼の城峯 (北安曇郡白馬村青鬼)  

◆集落の見張り砦から街道の監視砦へと改変された境目の要害◆

信濃の山城と城館の第一人者である宮坂武男氏の縄張図は、その正確な断面図や独特な堀切記号で初心者だけでなく城ヲタクと呼ばれる我々をも魅了した。

が、しかし、図面の技巧さに魅了されてしまい実物に過度の期待を寄せると、思いがけず「がっかり」する事があるので注意が必要である・・・(笑)

今回ご案内するのは白馬村と小谷村の境目に位置する「青鬼の城峯」(あおにのじょうみね)。WEB初公開らしい。

青鬼の城峯・西通山城201409 (1)
姫川第二ダムの東側にある隠れ里のような青鬼集落(あおにしゅうらく)。高地性集落がタイムスリップしたかのようだ

【立地】

青鬼沢と姫川の合流地点にある姫川ダムの右岸の山頂に立地する。眼下に塩島城を見下ろし、四ヵ庄平(しかじょうだいら)一帯と姫川沿いの千国街道を監視できる位置にある。まさしく要衝の地である。

青鬼の城峯・西通山城201409 (5)
城域手前の尾根の平削地。

青鬼集落から意気揚々と攻め始めたのは良いのだが、途中で方向を見失い、反対側へ進み過ぎて途方に暮れる(笑)
思いきって反転し試行錯誤の上でようやく城跡に辿り着くが、藪で地形の確認もままならず閉口する・・(汗)

青鬼の城峯見取図①

【城主・城歴】

白馬村誌によれば、ここが城跡だという伝承は公式には無く、青鬼集落の言い伝えとして残っていたものらしい。「青柳藤九郎の屋敷址と伝え、僅かに堀跡を残すのみ。(中略) 塩島の砦か」
史料・伝承等全く不明の城である。

青鬼の城峯・西通山城201409 (18)
堀切㋓。ここと堀切㋒までの間の処理は独特である。

青鬼の城峯・西通山城201409 (25)
壁のような通路は天水溜めの工事の際に掻き揚げた土を叩き土塁にしたものであろう。

青鬼の城峯・西通山城201409 (19)
これほど藪が酷いとは想像を超えた堀切㋒。この城域のメインの防御構造である。

【城跡】

通常、物見の置かれる場所は尾根の最高地点か全方位をある程度見通せる場所に作られるのだが、ここの物見は北側が全く見通せない位置にある。脇を通る千国街道と南の四カ庄平だけを見張るなら申し分の無いロケーションではある。
当初は青鬼の集落防衛の為の単純な砦だったものを、甲越戦争の緊張が高まると同時に大勢力によって三方の尾根に周到な堀切を設けて、二段の郭を平削し拡張したのであろう。
城域全てが藪に覆われてしまい、写真ではお伝え出来ないが、保存状態は悪くない。

青鬼の城峯・西通山城201409 (32)
三角形の主郭。適当な整地である。

青鬼の城峯・西通山城201409 (38)
北西の尾根への処理。急傾斜に垂直に近い「壁」(へき)を作る事で厳しい防御に徹している。

青鬼の城峯・西通山城201409 (36)
北西の尾根の処理。堀切一条と武者走りのような郭(長さ50m)である。

青鬼の城峯・西通山城201409 (40)
上巾6mの堀切㋑。

青鬼の城峯・西通山城201409 (43)
隣接する郭2と郭4と堀切㋑の処理方法。

青鬼の城峯・西通山城201409 (47)
藪に埋もれた堀切㋐。写真に補助線を付けないと分からない酷さ。

ここを城跡と知って訪れる人など皆無であろう。場所の特定すら危ぶまれるので、かなりのリスクがあると思われる。
同行した「ていぴす」さんと二人で尾根を右往左往しながら「迷い道くねくね」(笑)
宮坂氏の縄張図の美しさに惹かれて訪問したが、実情は藪だらけの城であった・・・(汗)

青鬼の城峯・西通山城201409 (50)
郭4は長方形。

青鬼の城峯・西通山城201409 (56)
中央部分に高みを残す郭2。

青鬼集落から沢伝いに東へ向かえば物見山(1433m)があり、鬼無里(きなさ)へと通じる古道があったという。
鄙びた古民家の集落には、豪雪の季節を何百年も越えてきた生活の知恵と工夫が今も伝承されている。
ここにも戦国時代の痕跡が残っているとは驚きであった。

青鬼の城峯・西通山城201409 (3)
現在も独自の形をした古民家十数棟が残り、補修しながら生活を営んでいる。まるで桃源郷のようである。


≪青鬼の城峯≫ (あおにのじょうみね)

標高:857m 比高:270m  
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:北安曇郡白馬村青鬼
攻城日:2014年9月27日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:40分(迷わなければ20分) 駐車場:青鬼集落駐車場(寄付金制度あり)
見どころ:堀切、郭
注意事項:迷うと厄介だが、尾根を南へ伝うように歩けばOK。
参考文献:「信濃の山城と館⑦安曇・木曽編 宮坂武男著」
付近の城址:塩島城、西通山城など

どうしても辿り着きたい方は以下を参考に。

青鬼の集落の有料駐車場から西側に戻り古民家の脇道を登る。(車両通行不可)

青鬼の城峯・西通山城201409 (69)
古民家再生プロジェクトが進行中。大工さんに挨拶して脇道を登る。

青鬼の城峯・西通山城201409 (62)
しばらく進むと用水路のある段差。ここを左に折れる。

青鬼の城峯・西通山城201409 (61)
用水路を辿り途中から沢の奥へ進路変更。藪漕ぎが続くが最短の経路である。

地形図とコンパスは忘れずに。スマホのGPSでも大丈夫だと思いますが、バッテリーの残量に注意(笑)



塩島城(白馬村) (48)
塩島城から見た青鬼の城峯。







Posted on 2014/11/13 Thu. 22:36 [edit]

CM: 10
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塩島城 (北安曇郡白馬村北城)  

◆四ヵ庄平(しかじょうだいら)の北端を抑える要害城◆

先日、白馬村役場から電話があり三日市場城の原状回復の途中経過報告と協力要請があった。
宮坂武男センセも笹本教授にも来て貰いご教示を受けたとか・・。アマチュアの小生に何が協力出来るの??

詳細はまた追々とアップしますが、とりあえず下調べの為に破壊前の写真を持って現場確認に出掛けた。

まあね、覚悟はしていたけど、現場の悲惨な破壊の痕跡には絶句!(怒)

三日市場城20140802 (26)
破壊された三日市場城の北側の二重堀合流部分。沢へ落ちる竪堀も土砂と伐木で埋めてあり、観るも涙、語るも涙・・・

現場で3時間縄張図と写真とニラメッコ。ホントに元通りになるのかしら・・チョッと心配になった・・(汗)
まっ、出来る限りの事は協力させていただく覚悟です。


そんな訳で、せっかく白馬まで来たので、藪の少ない城無いかな~と思い・・・・あった、あった塩島城、まだ行ってなかったよ!(笑)

【立地】

四ヵ庄平(青木湖以北から姫川手前までの白馬村のある盆地一帯を指す)の北端で、松川と姫川が合流する左岸の小山に位置する。鬼無里街道(きなさかいどう)と千国街道(ちくにかいどう)の陸路が交わる交通の要衝で、低い小山ながら東と西を断崖で囲まれた要害の地である。

塩島城(白馬村) (2)
思わず通り過ぎてしまった入口の看板。駐車場が無いので適当に路駐するしかない。

城跡は白馬村が遊歩道として整備されたらしいが、所詮お役所仕事なのでその後の手入れはしてないようで荒れ放題。

塩島城(白馬村) (4)
城跡入口にある八幡社。ここから城跡を一周出来る遊歩道があるので、迷う事は無い。

【城主・城歴】

塩島村は室町期にその名が見え、安曇郡千国荘に属したと云う。
塩島城は、安曇地方を領有した名族仁科氏の家臣で塩島氏の居城と伝わる。弘治二年(1556)、塩島但馬守勝雄が城主の時に武田軍の山県昌景に攻められ落城、降伏して武田に降ったという。
一説によれば、その後塩島氏は謀叛の疑いをかけられ、正命寺において浴室で斬殺されたが、やがて疑いは晴れて弟の昌賢が塩島家を継承し再興を赦されたという。城に隣接する塩島氏の菩提寺である日光寺は、武田軍の城攻めの際に焼失したらしい。

塩島城見取図①


塩島城(白馬村) (9)
城域で最も低い城跡の北側。鬱蒼とした遊歩道は薄気味が悪い。

年にこの遊歩道を何人の方が訪れるのだろうか?

要望があって設置した訳でもなく、予算消化の為に作られた遊歩道や公園。長野県下にはそんな場所を多く見かける。

塩島城(白馬村) (10)
日光寺跡の北側を横堀㋐が貫通している。寺も防御施設と看做していたのであろう。

【城跡】

城域の背後を松川が流れ、南端をピークに北へ向けて低くなる台地形で、この地を要害として選ぶのは正しい判断であろう。しかしながら、兵士数の限られた土豪が守るにはいささか広すぎて、後詰めが見込めないのであれば籠城すら難しいと思われる。

塩島城(白馬村) (11)
日光寺跡の郭の東側の高台。物見櫓が置かれたのであろうか。

塩島城(白馬村) (14)
北側に対する防御を意識した堀切㋐。小山を貫通する厳重な横堀である。

横堀㋐から南側のピークへ向けて城の中心部が構成されている。小山全体が耕作化されたとも伝わるので、往時の遺構がどこまでなのかハッキリしないらしい。それにしても鬱蒼とした林は薄気味悪く、寒気がする・・(汗)

塩島城(白馬村) (17)
少し傾斜のかかった郭4.

塩島城(白馬村) (20)
南端の郭3.両サイドは松川への深い崖となっている。

主郭は52×18の長方形をしたピーク部分になり、西側は土塁付きの帯郭(郭2)が厳しい防御を敷いている。現地では郭2は空堀として表示されており、通路も兼用していたと見るべきかもしれない。

郭4の西側に隣接する郭5と6は、間に堀切が貫通していたものと推定され、耕地化に伴い埋められたようだ。

塩島城(白馬村) (22)
長方形の主郭。

塩島城(白馬村) (32)
空堀跡と表記されている郭2。武者溜まりのような構造でもあるが。

塩島城(白馬村) (39)
郭5に接続している堀切㋐。貫通していたと思われる。

塩島城(白馬村) (41)
郭6。このあたりに掘立建て物があったのだろうか。

塩島城(白馬村) (43)
郭6の端には三峯社。

塩島城(白馬村) (47)
武田軍の攻撃で焼失したという日光寺跡。武田さんも敵対する族のお寺を焼くのか好きな武将です・・(汗)

いかん、またツラツラと写真を並べてしまった・・・・・(笑)

どうもねえ、こういう場所は民家が近くにあっても気味が悪いので早く退散したい・・・・・(汗)

風呂に入っているところを斬殺されるなんぞ、源義朝さんみたいです。おいたわし・・・。

塩島城(白馬村) (48)
塩島城から見た「青鬼の城峯(あおにのじょうみね)」。晩秋に攻め込みたいと思っています。鬼はマストですもの(笑)



≪塩島城≫ (しおじまじょう)

標高:717m 比高55m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:北安曇郡白馬村北城
攻城日:2014年8月2日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要:-
駐車場:無し、適当に路駐。
見どころ:堀切、郭など
付近の城跡:中込城の山城、青鬼の城峯、西通山城、立の間浅間山城など
注意事項:特に無し
参考文献:「信州の山城と館⑦安曇野・木曾編」(2013年 宮坂武男著)

塩島城(白馬村) (49)
北側から見た塩島城遠景。




Posted on 2014/08/03 Sun. 21:03 [edit]

CM: 12
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立屋の城峯砦 (北安曇郡小谷村千国乙立屋)  

◆千国街道の監視砦◆

♪持て余してるFrustration you`ve got an easy day 嘘を呑み込み静かに眠ってるMAD city
そしていつでも そうComplain you`ve got an easy day 諦め顔の 良く出来た歯車のように・・♪

BOOWYの世代ではないのだが、「マリオネット」はその昔のカラオケの十八番で大好きなロックである。

なんで冒頭にこの歌詞かって?山城紀行のトップシーズンだってのに何処へも行けずに約3週間。フラストレーションは溜まるし不満(Complain)もピークって訳さ!(笑)

まあ腐っても仕方無いので、今回ご案内するのは「立屋の城峯砦」(たてやのじょうみねとりで)でございます。

立屋の城峯砦 (34)場所は分かりづらいのだが、立屋のバス停を目印に道を登って行くと良い。(バス停から振り返った中央の小山が城跡)

【立地】

小谷村の千国集落の北西で親沢と黒川沢に挟まれた段丘上にある。立屋集落の北東で比高20mの小山。ここから南東200mの尾根には千国の城峯がある。姫川の上流となる白馬方面を監視出来る位置にあり黒川館への中継地点でもある。

立屋の城峯見取図
※図の左側が北になるので注意。

【城歴】

伝承、記録が無いので不明だが、千国氏関連と伝わる「千国の城峯」から移転した可能性も考えられる。
また、対岸の黒川館の物見砦とも伝わるが確証は無い。

立屋の城峯砦 (32)城域南側の切り通し。堀跡だったようだ。

立屋の城峯砦 (4)縄張りの西側は緩やかな傾斜を伴う帯郭。

【城跡】

あまり期待せずに訪問したが、しっかりとした遺構が残っているのには驚いた(汗)。切り通しを含めれば四条の堀切でキッチリ区分けされている。西側の傾斜の緩さを除けば砦として真面目に普請されている。
恐らく千国の城峯の改修を早々に諦めてこの小山に新たに縄張りしたのであろう。

立屋の城峯砦 (6)土手付きの堀切㋑。

立屋の城峯砦 (9)主郭跡にある祠。

見取図の堀切㋑と堀切㋒の間にある火の見櫓の立つ郭が主郭だと思われる。残念ながら藪茫々である。

立屋の城峯砦 (10)何が潜んでいるか分からない笹藪を歩くのは気が引ける(汗)

立屋の城峯砦 (16)堀切㋒。北側に土塁を伴う。

立屋の城峯砦 (21)郭2から主郭を見る。ていぴす様がいる場所が堀切㋒。段差を付ける事で高所からの狙い撃ちを可能にしている。

縄張りは単純だが、シンプルさのメリットを生かしている。意図的に高低差をつけているのだ。メリハリを付ける事で、防御機能は格段の違いとなる。

立屋の城峯砦 (18)郭2はきれいに整備されている(笑)

立屋の城峯砦 (26)巾も高さもある堀切㋓は砦仕様としては驚きだ。

千国氏の最初の本城はここだったのではないか?という憶測も納得出来る縄張りである。少数精鋭の兵力が立てこもるには良く計算された仕様だ。千国城峯もこの砦の一部と看做すべきであろうか。

本拠地を黒川館に移した後も、千国街道の物見または烽火台として機能していたと思われる。

≪立屋の城峯砦≫ (たてやのじょうみねとりで 金比羅山)

標高:740m 比高:20m(立屋集落より) 比高:190m(姫川より)
築城年代:不明
築城・居住者:千国氏?
場所:北安曇郡小谷村千国乙立屋
攻城日:2013年9月29日 
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:5分 駐車場:立屋バス停付近の空き地に路駐。
見どころ:土塁、堀切など
注意事項:特に無し
参考文献:小谷村誌
付近の城址:黒川城、千国城、黒川館など
Special Thanks:ていぴす様

黒川館(小谷村) (47)対岸の黒川館から見た遠景。あちらこちらで狼煙を上げている(?)


Posted on 2013/11/21 Thu. 21:51 [edit]

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茨山城 (北安曇郡白馬村神城)  

◆仁科口の東の間道を抑えた砦◆

あっちこっちと場所が飛んでしまい節操の無い掲載を深くお詫び申し上げます・・・・(汗)

んで、長野市から今度は白馬村でございます。その昔掲載し忘れた城をチョコっとアップさせて下さいませ(笑)

茨山城 (6)城跡に建つ城峯神社(明治42年に建てられたという)

今回ご紹介するのは白馬村神城(かみしろ)にある茨山城(いばらやまじょう)。

神社の建立でかなり改変されてしまい見る影も無い・・(涙)

白馬周辺諸城配置図場所がイマイチという方は白馬神城ネットワークをご参照下さい。(仁科口と呼ばれる要衝の地なので砦や城が林立している)

【立地】

神城地区堀之内集落の東に突き出た小高い丘の上にあり屋敷地(居住地)としては良い物件だが、要害性は周辺の砦に比べると低い。
ここから東へ向かえば鬼無里や小川庄(現在の小川村)へ抜ける間道が通りその先は善光寺平に繋がる。また南は仁科郷・安曇野に通じる交通の要衝である。
茨山城の南800mには三日市場城がある。

茨山城見取図①

【城を取る】

問題は立地における要害性の低さを縄張りでどこまで防御性を上げていたのか?となるのだが、残念な事に主郭が改変されているので周辺のみの検証になる。

長野県町村誌には神社建立前に「回字形」という記載があるようなので、中心付近から二重の円郭式にして周囲を横堀が廻っていたように思える。(あくまで想像だが・・)

茨山城 (3)参道を登ると最初に出現する堀切㋐

茨山城 (8)主要部分の横堀だった可能性のある堀切㋑。

茨山城 (12)神社北側の土塁。

社殿の北側は切岸で円墳が連続で続いている。東側に土橋状の構築があるので円墳の周囲は堀か池だった可能性がある。善光寺周辺には古墳を取り込んだり、石室を利用した城跡を多く見かけるが、茨山城も北側の搦め手方面からの侵攻に対して遮蔽物として利用したのであろうか?

茨山城 (21)落書き多用(笑)最初の円墳。

周囲に横堀を穿つ技術は三日市場城に見られるので、恐らく同時期に改修を受けたものかもしれない。

茨山城 (23)北側の古墳。

三日市場城の支城(砦)という位置づけなので、いざとなったら本城に逃げ込めば良いのでこの程度の装備だったようだ。ただ、搦め手の北方面にも堀切があるようなので、弱点の改修は続けられたようだ。

茨山城 (24)社殿からみた南方面。失われた遺構はどのような構築物であったのだろうか。

【城歴】

小川村誌には大日方氏の堀之内の城として記載があり、飯田城と共に大日方氏の持ち城だったというが、確かな記録は無い。
沢渡氏の三日市場城の支城という説が近いのではないかと思う。いずれにしても三日市場城も茨山城も武田統治時代に改修を受け、戦国末期の天正壬午の乱では小笠原貞慶と上杉景勝の争奪戦の舞台となったので最後まで使われ続けた事が想定される。

茨山城(28)茨山城の登り口。

≪茨山城≫ (いばらやまじょう 城峰) 

標高:791.5m 比高40m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:北安曇郡白馬村神城
攻城日:2012年10月20日 
見どころ:土塁、堀切
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:5分
注意:特に無し
付近の見どころ:記事の地図を参照願います
参考文献:「図解山城探訪 第六集 安曇史料編 宮坂武男著」
Special Thanks:ていぴす様、馬念様

茨山城 (26)目と鼻の先には三日市場城がある。技巧的な縄張りは素晴らしいので必見の山城だ!


Posted on 2013/11/19 Tue. 00:00 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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