らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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安源寺城 (中野市安源寺)  

◆未完に終わった高梨頼親の館城?◆

その城の履歴については、「行ってから調べるか、調べてから行くのか・・・・」難しい問題である。

高梨氏館跡 (3)
高梨氏が本拠とした中野小館(なかのおたて 通称:高梨館 県指定史跡)

前知識無しで現地を見て回ると、遺構から情報を読み取るしかないので、純粋に軍事構築物としての価値と周辺の城砦群や本拠地との比較がメインになる。

ある程度下調べをしてから行くと、城主・城歴や時代背景が予め分かっているのでチャンと見れるような気もするが、果たしてその情報(城の履歴等)が合っているとは断定出来ないケースが多いので、思い込みで見てしまう傾向がある。

たかだか600程度の城攻めキャリアしかない小生が云うのもなんですが、「土の城」を楽しむなら

「予備知識や事前学習など不要、だが現地の遺構は隅々までじっくり見るべし」

これに尽きる・・(笑)

高梨氏館跡 (6)
中野小館の土塁は築地塀の上に盛土された特殊構造。

なので、小生のブログに書いてある「城主・城歴」など読まない方がイイ・・(汗)

その城に対する評価は人それぞれでいいと思うし、だからこの趣味は面白いのだ。

今回ご紹介するのは、武田氏滅亡後にやっと帰れた地元なのに高梨家代々の居城である中野小館に戻れなかった「ツイてない後継者の高梨頼親」が仕方なく築城したと伝わる安源寺城。(中野小館は、またそのうちに)

安源寺城(中野市) (56)
西側から見た安源寺城。


【立地】

千曲川の右岸、中野平の西部の高丘丘陵に立地する。ここからの眺望は優れていて、中野地方はもちろん、千曲川沿岸地帯が一望できるロケーションにある。


安源寺城見取図①(中野市)
横堀で囲まれた巨大な城館は戦国末期の設計と見ても良いだろう。

安源寺城(中野市) (2)
高丘配水池の設置で改変された郭5.遥か向こう側に高梨氏代々の本拠地である中野小館と鴨ヶ岳城が見える。

安源寺城(中野市) (5)
堀切が入る予定だったと思われる郭4と郭3の境。土塁があるので堀も掘られたのだと思うが・・・。


【城主・城歴】

武田軍の北信濃侵攻以前より高梨一族の砦があり、永禄二年(1559)に武田軍に攻められ落城したとの伝承もあるがハッキリしたことはわからない。

安源寺が記録に登場するのは、織田信長が本能寺の変に斃れた天正十年六月から二ヶ月後の八月六日で、九死に一生を得た上杉景勝が武田遺領の川中島四郡の奪取に成功し、北信濃の諸将に旧領安堵の書状を発行したときである。

安源寺城(中野市) (6)
郭3の西側には二箇所の平虎口(ひらこぐち)が開いている。

この時、上杉家の家臣団に組み入れられていた諸豪族(村上氏、芋川氏、大岩須田氏、島津氏など)の旧領安堵と、武田方から上杉に降った諸豪族(夜交氏、市河氏、屋代氏、小島氏、尾崎氏など)の本領安堵などを行う。
しかし、謙信公の叔父の高梨政頼の子である頼親は本領に復帰出来なかった。

安源寺城(中野市) (12)
かつての果樹園跡なので、きれいに整地されてます。思わず本郭と間違えそうです・・・(汗)

高梨氏配下の土豪だった小島氏は武田の侵攻と同時に高梨氏を中野小館より駆逐し、その功績として中野領と中野小館を信玄より与えられた。武田滅亡後はいち早く織田に恭順を誓い所領を安堵され、天正壬午の乱では景勝支持を表明する変わり身の早さで家名を存続させている。

安源寺城(中野市) (13)
郭1と郭2の間には素晴らしい箱掘(はこぼり)の遺構が残る。

安源寺城(中野市) (14)
郭も堀も巨大な作りであり、中世初期の要害城の遺構とは全く違うのが分かる。

「信濃高梨一族」(志村平治著 平成19年6月 歴研)によれば、天正四年(1576)に高梨政頼が越後で客死すると、嫡子の喜三郎が跡を継ぐが、謙信死後の跡目争いで勃発した御館の乱(天正六年)において喜三郎は日和見的態度を取り、天正九年には織田信長の誘いに内通の疑いありとして景勝に謀殺されたという。

高梨宗家は、喜三郎の弟の頼親が跡を継いだが、喜三郎同様に、父ほどの聡明さは持ち合わせていなかったようだ。

安源寺城(中野市) (19)
雑木林と化している郭1.

安源寺城(中野市) (25)
中野小館のコピーを作ろうとしたらしい。主郭(郭1)は土塁と堀が全周回している。

安源寺城(中野市) (26)
土塁から見下ろした堀切㋑。

本来であれば高梨家は喜三郎で改易断絶してもおかしくないのだが、謙信公の叔父という家柄もあり景勝の配慮で存続を許されたのだろう。

上杉家に対する過去の功績ということで、天正十年(182)特別に旧本領の内の安源寺で二千貫文を与えらた。(小島は千五百貫文)
だが、頼親はそうした事情に疎かったようで、先祖代々の土地と居館だったことを理由に中野の地への往還を景勝に願い出たようだが却下されている。

安源寺城(中野市) (32)
しっかりした遺構が確認出来るのは堀切㋑あたりまでだろうか・・。

仕方なく古い安源寺の方形居館に居を移した頼親は、引き続き中野小館への帰還に執念を燃やす一方で、安源寺の丘陵に館城の築城を始める。これが安源寺城だという。

安源寺城(中野市) (36)
郭6。削平がイマイチなのは途中で工事が放棄されたせいだろう。

高梨頼親(よりちか)がどういう意図を持ってこの城を築城したのかは現地を見ると分かる。
上杉景勝は、この時期に信濃の土豪が地元の要害を修復したり新設するのを禁じている。自分の故郷の防衛に異様な執念を燃やす信濃の土豪を厄介に思っていたのである。

先祖代々の土地に往還出来なかった頼親の執念たるや、景勝の想像を超えていたと思われる(汗)

安源寺城(中野市) (37)
堀切㋒。

安源寺城(中野市) (39)

その執念で、頼親は最終的に天正十八年(1590)、中野小館の小島氏に居館の明け渡しを承諾させて、上杉景勝の承諾を得る事に成功している。

館城といっても八年もかかるような築城では無いので、意図的に中断または放棄した可能性はあるだろう。

安源寺城(中野市) (46)
中途半端で終了している郭7と8。

その後、高梨家はあっけなく改易される。

その辺のエピソードはまた今度にしましょうか・・(笑)

安源寺城(中野市) (47)
とっても不気味だった雑木林(汗)

安源寺城(中野市) (49)
城域の周囲は横堀で囲む工事が進行していた・・・。


≪安源寺城≫ (あんげんじじょう 小内城・城山)

標高:410m 比高:70m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:中野市安源寺
攻城日:2014年5月5日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:10分 駐車場:無し
見どころ:堀切、郭、
注意事項:夏は藪が酷いかも
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井編⑧ 2013年 宮坂武男著」、「信濃高梨一族」(平成19年 志村平治著)


鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (77)
鴨ヶ岳城から見た安源寺城。さあ、助けに行こうか(笑)




Posted on 2014/05/10 Sat. 23:29 [edit]

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立ヶ花城 (中野市立ヶ花)  

◆巨大な鉄塔が突き刺さり北陸新幹線にも串刺しにされた千曲川渡航地点監視砦◆

そろそろ山城シーズンも終了になる。

葉っぱが恐ろしい勢いで成長し遺構がハッキリしなくなるし、視界不良で景色もロクに見れなくなる。

攻撃系や毒術系の昆虫類、爬虫類がお出ましになり、ケモノ系も活発に活動するので秋まではヒキコモルしかない(笑)

まあ、在庫過剰になっている冬の間の取材した城砦を、賞味期限切れにならないよう掲載するには好都合という考え方もあるが、アップするのも面倒クサイし運動不足になるのも怖い・・・(汗)

髻山城201307
夏の山城攻めは全くやらない訳じゃないが森林浴程度(笑) 写真は2013年7月の髻山城。ていぴす殿と余湖殿の雄姿。


今回ご紹介するのは、上信越自動車道「信州中野IC」の南西800mで千曲川に面した立ヶ花城(たてがなはじょう)

東信濃の山城に鉄塔がブチ刺さっているケースは日常茶飯事に近い(?)が、北信濃・・しかも千曲川に面した丘に刺さっているとは珍しい。ここは送電線網にとっても重要な場所のようである(笑)

立ヶ花城(中野市) (1)
北東から撮影した城跡。ホントに遺構などあるのだろうか?と半信半疑になる。


【立地】

善光寺平の北端で中野市・小布施町・長野市(旧豊野町)の千曲川における境界の表山という場所に立地しまさに境目の城である。
西側の豊野町より鳥居川が、東側の小布施町方面から篠井川が千曲川に合流する場所で、古来の千曲川渡航地点だったと伝わり、対岸の手子塚城と共に敵の動向を探るには絶好の場所である。

立ヶ花城見取図①(中野市)
3の郭の大半とそれより先は土砂採石や鉄塔建設等の改変で消滅して現在は温室栽培用のハウスが建っている。

立ヶ花城(中野市) (27)
※西側の斜面に鉄塔用の保安道があるので、そちらを利用すれば辿りつけます。

立ヶ花城(中野市) (3)
辛うじて残存する郭3の一部の東の端っこから撮影

【城主・城歴】

長野県町村誌には「~弘治・永禄年間、当国川中島合戦の際越軍斥候の地という。此地に登臨すれば、地勢西南に開き、凡そ七里を距てて(へだてて)川中島眼中に落つ、土人読んで城山と云す。(後略)」
上杉軍が斥候(スパイ)を置いた砦らしい。

また、東方800mには高梨氏配下の土豪草間氏の居館があるので、草間氏と関連のある城ではないかと推測されているがハッキリしたことは分からない。
高梨氏の領土の南境に位置し境目の監視砦だったことは間違いなく、甲越合戦で上杉方に活用されたと見るべきであろう。

立ヶ花城(中野市) (5)
案外しっかり残っているのに驚いた堀切㋐。

立ヶ花城(中野市) (8)
鉄塔を突き刺すために改変されたであろう郭2。堀切㋐に対しては土塁が盛られていたと云う。


【城跡】

城跡は鉄塔建設や道路敷設工事、土砂採石等でかなり改変され、特に郭3より東がどうなっていたか不明である。
また、北陸新幹線のトンネル掘削で尾根の先端も護岸用のコンクリートで武装されてしまった。立ヶ花城(中野市) (14)


「長野県の中世城館跡分布調査報告書」(昭和58年 長野県教育委員会)の調査資料によれば、城跡の保存状態は良好で草間氏関連の砦と推定している。また城跡からは槍片・茶臼が出土したと書かれている。掲載されている略図には郭3と土塁が描かれているので、往時は更にもう一条堀切があったのではなかろうか?

立ヶ花城略図(長野県教育委員会)
略し過ぎでしょ!(汗) 本郭の丸い土塁(?)は櫓台?狼煙台?

立ヶ花城(中野市) (13)
郭1は堀切㋑を介して郭2よりも一段高い位置にある。
堀切㋑もキレイに残っております。

立ヶ花城(中野市) (16)
露出不足で別の場所のような写真になってしもた郭1(17×21)

残念ながら主郭は雑木林で視界不良。
普通は鉄塔のある場所とその周辺は電力会社が定期的に下草刈りしてくれますので、ここだけ何で?って思ったら訳がありました。
雑木林の高い枝に鳥が巣を毎年作って子育てしてるんです。

立ヶ花城(中野市) (21)
何かギャーギャーうるさいと思ったら、鳥が巣作りしてましたあ・・(汗)

立ヶ花城(中野市) (16)
焼き鳥になっちゃうんで、焼き討ちは止めましょうネ(汗)  ※つねまるさんのブログデザインを真似てみました。

この場所、確かにすばらしいマルチロケーションで全方位にある城砦が手に取るように見えます。
哨戒の兵隊が置かれたのも頷けますネ。

立ヶ花城(中野市) (2)
南方面(小布施町、須坂市方面)

立ヶ花城(中野市) (28)
高梨氏の居館と本城のある東方面。

≪立ヶ花城≫ (たてがはなじょう 城山 竹の腰)

標高:378.3m 比高:50m(千曲川より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:中野市立ヶ花
攻城日:2014年5月5日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:5分 駐車場:無し
見どころ:堀切、郭、ロケーション
注意事項:私有地なので要注意
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井編⑧ 2013年 宮坂武男著」、「長野県の中世城館跡分布調査報告書」(昭和58年 長野県教育委員会)
付近の城址:手子塚城、草間城、安源寺城など

立ヶ花城(中野市) (32)
対岸西側の手子塚城(てごづかじょう)から見た立ヶ花城全景。まるで秘密基地のようである・・・・(笑)


Posted on 2014/05/06 Tue. 22:22 [edit]

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城山城 (上高井郡高山村荒井原)  

◆甲越合戦における「謙信道」を見守った砦か?◆

今日も今日とて上高井郡小布施町の城跡を4時間30分も彷徨ってしまった・・(汗)

小布施町のゆかりの有名人である葛飾北斎も高井鴻山も真っ青の無茶ブリである・・(笑)

滝ノ入城(小布施町) (48)
滝ノ入城(小布施町)にはクーさんベルが常設されている。「あの鐘を鳴らすのはあなた?」(笑)

雁田小城②(小布施町) (20)
北陸の七尾城を彷彿とさせる美しさの石積みを装備する雁田小城。外国人も見学してました(驚!)

GWに仕入れた中野市・小布施町の城砦群はそのうち掲載しましょうネ(お約束は出来ましぇんが・・・)

今回紹介するのは須坂市と小布施町に挟まれた高山村の城山城(じょうやまじょう)

城山城(上水内郡高山村) (1)
地元では「城山つつじ公園」と呼ばれ村民のハイキングコースらしい。


【立地】

県境破風岳から北西へ連なる山嶺上の紫子萩山(しねはぎやま 1112.7m)から北西へ伸びた山尾根の先端部に位置する山が城山である。
ここは荒井原の集落の東の山で、岬状に突出た山のために高山村一帯の眺望に優れ、公園化されて、山頂には展望台が設けられ、遊歩道も完備している。その点登り易くなっているが、公園化の為に若干の改修を受けている。

城山城 見取図(高山村)
最近は手抜きが著しいと不評の縄張図。老眼が侵攻進行しており、細かい表記が面倒になっただけである。

城山城(上水内郡高山村) (4)
小生はダラダラした尾根登りは得意では無いので、見ただけで戦意喪失である・・(汗)

城山城(上水内郡高山村) (16)
整備された遊歩道なんて「クソ喰らえ!」(汗) 「直登最高!」(笑)

【城主・城歴】

史料がなくはっきりしない。高山村の村内を一望出来るあることから、この地域を治めた大岩系須田氏に関連するものであろう。
また、この城の搦め手が川中島と越後を結ぶ間道の「謙信道」(上杉軍の軍用路)の通過地点だったので、上杉軍が監視兵を置き安全や情報を確保するための砦として使われたのではないか?という見方もある。

謙信道(推定)
謙信道②は第四次川中島合戦において謙信公が撤退する際に単騎で逃げ帰ったという噂がある。

城山城(上水内郡高山村) (20)

城山城(上水内郡高山村) (22)

城域を見る限りでは、尾根に数本の堀切を入れた連郭式の単純な砦で(一応、主郭の背後は二重堀切で装備)、甲越戦争の時は上杉軍が活用し、甲越の紛争地が飯山口の替佐城(かえさじょう)や壁田城(へきたじょう)へ北上した際には武田軍が利用し、天正壬午の乱では上杉景勝が一時的に使用したかもしれない。

城山城(上水内郡高山村) (34)
公園化により展望台が置かれ改変された郭1。往時は土塁が周回していたのであろうか?

城山城(上水内郡高山村) (36)
郭1から背後の二重堀を見下ろすとこんな感じ。


【城跡】

主郭までの尾根には三条の堀切㋐㋑㋒があり、特に㋑と㋒は急斜面を切断し攻城兵を足止めする効果に優れている。
郭1は楕円形で背後に二条の堀切を備える。堀切㋓は上巾15mで、西の斜面へ00mほど竪掘として掘り下げられている。この手法は武田による改修の跡と思われ、脱出用の搦め手方面への斜面の横移動を阻止している。

城山城(上水内郡高山村) (38)
堀切㋓(東斜面)

城山城(上水内郡高山村) (51)
堀切㋓(西斜面)

城山城(上水内郡高山村) (53)
二重堀切の外側の堀切㋔。だいぶ埋まったようだ。

周辺の城砦群が全て石積みで武装している状況からすると、この城は石積みの欠片もなく古めかしい仕様である。

須田氏時代もあまり重要視されることなく、連絡用の中継所程度の扱いだったと思われる。

城山城(上水内郡高山村) (57)
郭2。ここから先は改変を受けていないようである。

城山城(上水内郡高山村) (61)
郭3。

城山城(上水内郡高山村) (69)
堀切㋕

城山城(上水内郡高山村) (79)
最終の堀切㋗

【らんまる考察】

尾根をだらだら歩くのは好きではない(汗)。城跡までは麓の駐車場からゆっくり15分程度であろうか。

長大な竪掘㋓以外は在地土豪の砦程度の縄張程度である。

がしかし、ここから見える景色は謙信道の守衛所であったことが充分容認出来る素晴らしい景色である。

それを見るだけでも、この城に登る価値は充分にあると思う。

単騎駆けで走り去っていく謙信公の後ろ姿が、ふと見えたような気もするが・・・(笑)

城山城(上水内郡高山村) (82)

城山城(上水内郡高山村) (84)

城山城(上水内郡高山村) (87)

城山城(上水内郡高山村) (88)

≪城山城≫ (じょうやまじょう 荒井原城 馬陰山城)

標高:654.8m 比高:122m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上高井郡高山村高井
攻城日:2014年4月13日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:15分 駐車場:専用駐車場有り
見どころ:堀切、郭、ロケーション
注意事項:特に無し
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井編⑧ 宮坂武男著」
付近の城址:大岩城、雨引城、月生城、枡形城など

城山城(上水内郡高山村) (94)
北側の麓から見た城山城。






Posted on 2014/05/05 Mon. 22:51 [edit]

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高原城 (上高井郡高山村釜山)  

◆上州への間道を監視した砦◆

前回の記事では実にたくさんの方にご覧頂きました。

また、色々と励ましのお言葉や対処方法を「公開・非公開」問わず頂戴し感謝致します。

ネチネチと長野県を締め上げて「真面目に文化財保護に取り組まんかい!」とお灸を据えて参る所存でございます。

しかし、小生の本業は「行政の怠慢を吊るしあげる事」では無く、名も無き城跡を多くの方に知って頂く事なのです。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (209)
本日攻め落として来た「鴨ヶ岳城砦群」(山麓の高梨氏居館跡から撮影。花桃が咲き乱れている)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (219)
小生の大好きな村下孝蔵の「踊り子」の歌詞に出てくる「リンゴの花が咲く暖かい場所」とはこの町だろうか。


今回ご紹介するのは高山村から上州に通じる奥山田郷の街道を監視した高原城。

高原城見取図(上高井郡高山村)
どこの集落にでもあったであろう簡易な砦仕様である。


【立地】

天神原集落は松川の峡谷に面して、100m余の急崖の上に南面する傾斜地に展開している。奥山田地区は名前の示すように奥まった地域で、東行すれば山田温泉、五色、七味温泉を経て万座峠、山田峠へ通じる古道に沿っている。また、古池峠を越えれば、山ノ内町の寒沢地区や中野市の間山地区へも通じる所で、そうした間道と無縁ではないと思われる。

高原城(上水内郡高山村) (17)
天神原のバス停の奥の丘が城跡。

高原城(上水内郡高山村) (1)
公園化による改変も若干あるとあるだろうが、切岸は往時の加工であろう。


【城主・城歴】

史料無くはっきりしたことは分からない。地元ではこの場所を釜山と呼んでいるが「かまえ(構え)」に通じるものではないかと宮坂武男氏は推察している。バス停脇の石碑には城山の字もある。
この場所に番所または砦のようなものがあったのだろうと、現地に立つと思えるのは確かである。

高原城(上水内郡高山村) (3)
郭1の内部。

高原城(上水内郡高山村) (4)
かつての街道(旧道)が城域の南を通っている。関所の役目を果たしていたと云う推論の根拠である。

高原城(上水内郡高山村) (6)
郭2は通路により分断されているが、長方形の郭だったと思われ、掘立長屋が置かれていたのであろうか?


【城跡】

釜山と呼ばれる27m×15mほどの広さの小山が中心で、西側の墓地と耕作地になっている郭を含めた小さな砦だったようだ。堀形は郭1の背後に認められるようだがどうであろうか?郭2の先には防御用として堀切があったと推定するが、改変が著しいので何とも言えない。

高原城(上水内郡高山村) (9)
城域南側。松川の段丘が天然の切岸になっている。

高原城(上水内郡高山村) (10)
藤沢氏の墓地のある郭2(郭1側)

高原城(上水内郡高山村) (11)
藤沢氏の墓地から郭1を振り返ると、こんな感じだ。

高原城(上水内郡高山村) (14)
郭2の西側から見た城域。この辺りに堀切があったとしても不思議ではないが、想像の域を出ない。

「ああ、桃源郷のようなこんな場所にも、戦禍が災いをもたらしたというのだろうか・・・・」

山田温泉郷に向かう県外ナンバーの車両を見送りつつ、複雑な心境となった次第である。

高原城(上水内郡高山村) (16)
「釜山」という名の郭1。


≪高原城≫ (たかはらじょう 釜山 城山)

標高:810m 比高:8m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上高井郡高山村天神原
攻城日:2014年4月13日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:路駐
見どころ:切岸
注意事項:特に無し
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井編⑧ 宮坂武男著」
付近の城址:福井城、城山城(高山村)

福井城(上水内郡高山村) (54)
須田氏の本城である大岩城とは、中間に位置する城山城と狼煙を介して連絡出来る位置にある。


Posted on 2014/05/03 Sat. 22:16 [edit]

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福井城 (上高井郡高山村牧)  

◆上州との往還を押えた巨大な館城◆

高山村といっても、長野県のどの当たりかピンと来る人は少ないだろう。

小生の一族に至っては「飛騨高山でしょう?」などと厚顔真顔で答えるから手に負えない・・(笑)

志賀高原やお猿の温泉で有名な山内町の南側で、オカマ湯釜が名物の群馬県白根山の西側と教えたら、だいたいの位置がお分かりになるでしょう。草津温泉はその白根山の東山麓です、ハイ。

雷滝(高山村)
山田温泉の近くの名勝「雷滝(かみなりたき)」轟音と共に放たれる落差30mの滝は圧巻である。(2010年9月撮影)

場所からしてあまり戦国時代と関係無さそうに思えるが、甲越戦争(武田軍VS上杉軍)の終盤では、上杉謙信の北信濃の最後の拠点である飯山城を巡り一進一退の激戦が繰り広げられた場所なのだ。

今回ご紹介するのは「甕割り柴田権六」の越前福井城ではなく、高山村の福井城。

どなた様もお間違えの無いようにご乗車愛読願います・・・(爆)

福井城(上水内郡高山村) (50)
こんな場所に何かあるの?というぐらいに思えるどこにでもある風景。

「おっ、こんな場所に説明板が立ててあるゾ!」

危うく見落としそうになったが、この場所こそが驚愕の巨大な居館城だったのである(汗)

福井城見取図①
小生の見取図は基本的に上が北なので方角の記号は入れておりません。悪しからず。


【立地】

高山村の南東部、大平山(824m)から流れる北側の柞沢川(たらさわがわ)と南側の樋沢川に挟まれた台地が福井原である。松川の谷から1.5kmほど入った所で、開拓地に接し柞沢川に面した崖地を利用して福井城がある。
字名の「屋地」は湿地を表す言葉で、北下には湧水があり水田が造られている。また、城跡の近くを上州へ抜ける毛無道が通っていた。(上州との境には毛無峠がある)

福井城(上水内郡高山村) (1)
高山村教育委員会の説明板。合併前の牧村村誌の記述が記載されていた。背後に堀がある。

福井城(上水内郡高山村) (7)
郭2と郭3の間の堀。しっかり残っている。驚いた。

福井城(上水内郡高山村) (10)
郭3の北側の横堀。土壌がかなりフカフカしているので土木工事はさほど大変ではなかったかと思うが。


【城主・城歴】

「長野県町村誌」によると、福井城は「東西百二十間(216m)、南北五十間(90m)、面積二町歩、本村(牧村)中央部より、辰(南東)の九分にあり。天文年間、須田氏幕下、牧伊賀守之に居る。永禄二年(1559)二月、武田晴信(信玄)、須田満親が居城を襲討す。(大岩城のことか?)満親防ぐ能はず越後へ走り、上杉の幕下となる。伊賀守之に従ふ。後廃城となる。城跡に長さ五間、幅九尺の石あり。上手山より牧伊賀守持ち来ると云う。又城跡に清泉湧き出す、福井といふ。水質清冷、晴爾にても増減なし」とある。

福井城(上水内郡高山村) (11)
郭3。鬱蒼とした杉林だが、往時は家臣の屋敷があったのだろうか?

福井城(上水内郡高山村) (12)
横堀の造成で排出された土砂は北側に積まれるので土塁が形成される。合理的な防御構造となる。(写真は郭2じゃなくて郭3の誤りゴメンナサイ・・・ボケ!マジメにやらんかい!アホ!)

この奥まった所に城を構えたということは、安全地帯ということもあろうが、須坂の豊丘地区、あるいは毛無峠の先までも意識した立地で、牧氏退散後も上州との関連で使われたものと思われる。

永禄五年(1562)、上州吾妻渓谷の羽尾氏が鎌原氏に襲われて、万座道伝いに高井野に逃れた事件があったが、その頃に、上州との往来が万座峠、毛無峠を通じて多かった事が想像出来る。福井城(上水内郡高山村) (17)


福井城(上水内郡高山村) (145)

福井城(上水内郡高山村) (16)
郭4の南側は総延長160mの堀で囲まれている。この堀を探索する冒険野郎(別名;川口探検隊)にはなれなかったのである・・・(汗)


【城跡】

主郭は上巾7~8mの堀に囲まれた郭1で、虎口は南辺中央と南西隅、北東隅であろうか。広さは46m×43m位の方形で南東の隅に櫓台がある。
主郭の西に郭2、郭3が連接し、その南側に広大な郭4がある。3の南側は現在畑でどうなっているか不明。郭1の東側の堀の外に虎口空間のような造りがある。福井と呼ばれる泉は水源のところであろうか。巨石は今は見当たらない。江戸期にも開墾されたという。

福井城(上水内郡高山村) (17)
城域最大の敷地面積を誇る郭4。笹竹の藪は以前に蛇を踏んで襲われてからトラウマになり、入れない・・(涙)

福井城(上水内郡高山村) (20)
郭2の南側と林道の間は「堀じゃない」けど「堀だった可能性」は否定できないが、定かではない。

福井城(上水内郡高山村) (23)
郭2と郭1の間の堀。

この城を見て思う事は、在地土豪の館城としては大きい事と、上州地方の城によく似た構成をしていることである。
前期上州での争乱に関連した時期にその影響を受けて強化されたのではないだろうか。それにしても比較的によく残った貴重な遺構といえよう。

福井城(上水内郡高山村) (30)
南東隅の部分には櫓台跡らしき土塁があるというが、現地を見ても納得出来なかった。

福井城(上水内郡高山村) (32)
郭1の内部。「やあ、」ってクーさんが出てきそうで怖かった(汗)

福井城(上水内郡高山村) (34)
郭1の東側の堀。箱掘りになっている。

福井城(上水内郡高山村) (38)
福井と呼ばれる配水池。湧水とはここを指しているのだと宮坂センセはノタマウが・・・。

なんだかんだ言っても、結局城跡の堀切を辿って周回しちゃう習慣(笑)

クーさんが来ても「悪いが、他をあたってもらえませんかあー」(日本語通じないのに?・・笑)

福井城(上水内郡高山村) (46)
郭1の北側の横堀。


【らんまる考察】

佐久や小諸の巨大な館城とも違う造りで、信濃の居館城とは異質な感じを受ける。
日滝大岩系須田氏が、ひょっとすると上州への進出を目論んでいたように思える強大な館城である。

寺も神社も勧進されなかったこの城跡には他に何か秘密がありそうである。

ここを拠点に上州上野国へ攻め込もうとしていた景勝さんの野望があったのだろうか・・。

が、しかし、こんな山奥にこんなドデカイ館城があるとは驚きであった・・・・・。


≪福井城≫ (ふくいじょう)

標高:827m 比高:15m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上高井郡高山村牧
攻城日:2014年4月13日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:路駐
見どころ:堀切、土塁など
注意事項:特に無し
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井編⑧ 宮坂武男著」
付近の城址:高原城

福井城(上水内郡高山村) (52)
対岸の北側の奥山田から見た福井城。台地上の要害の地であることが分かる。















Posted on 2014/04/29 Tue. 22:45 [edit]

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