らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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鬼場城(茅野市)  

◆武田軍が監修し改造すると砦は要塞になる◆

信州上田から諏訪へ攻め入るには、和田峠を越えるか大門峠を越えるかの選択になる。

先週は路面凍結を恐れて有料の和田峠を越えて進軍したのだが、往復1,200円は厳しかった(笑)

今回は久々に大門峠越えを決行するが、気温次第ではヤバい峠なのだ・・・(汗)

yuzawa (13)
峠の頂上付近の白樺湖から見る蓼科山。

二週目の攻城戦は「上原城」「桑原城」「干沢城」「大熊城」「鬼場城」の攻略を目指したが、大熊城、干沢城はタイムアウトとなり次週へ持ち越し…(悔)

腹いせに湯沢城(原城)を攻略するが、桝形城との境目の判別が出来ず撤収…(笑)

「ええい、性根を据えて城攻めせんかい!!」

信玄公に叱られそうな体たらくである(爆)

で、今回ご紹介するのは鬼場城。

鬼場城 (17)
城山団地側の搦め手から攻める。恐らく番士の詰める城柵か櫓門らしき構築物はあったのかもしれない。

この城の評価については、先陣を務めた諸先輩の方々のネット上の記事は賛否両論である。

上原城の支城というよりはまさに「砦」の部類なので、人それぞれの所感はお持ちだろうが、らんまるの感想は

「凄い要塞」なのである。

鬼場城鳥瞰図
久々の鳥瞰図。砦としては海軍の軍艦で言えば駆逐艦並みの装備を誇る。

鬼場城 (33)

鬼場橋から東南に伸びる急坂の尾根筋を登るのが大手筋と思われるが、体力消費は嫌いなので(笑)搦め手の団地側からショートカットで攻める。

尾根を断つW型の竪掘りは往時はもっと深かったのであろう。

鬼場城 (21)
三重堀切の手前の三の郭。

主郭へ入るには三本の堀切を渡る。

鬼場城 (11)

特に主郭手前の㋑と㋒の堀はそれぞれ上巾12mと13mあり、現在でも5m以上の深さがある。
前回紹介した桜城よりも規模が小さいのだが、技巧の改良仕様は良く似ている。


主郭は26×15で周囲を土塁が囲む。

鬼場城 (19)

腰廓を一段置き、その先には鉄塔の突き刺さる二の郭がある。

鬼場城 (25)

19×19の二の郭と本郭の間には堀切の跡がある。埋もれたのであろう。

鬼場城 (31)

この城、特筆すべきは「横堀」があることだろう。

本郭の南斜面にあったであろう腰廓をくり抜いている。

伏兵を置いて鉄砲狭間にしたのかは不明だが、かなり先進防禦施設には違いない。

鬼場城 (38)
横堀の写真。なるほど、そういう仕掛けがあっても不思議ではない。


城歴や縄張などについては小生の尊敬するHPである城と古戦場をご参照願います。

数々の武田流の技巧を凝らした要塞。

大門街道から上原城へ進む要衝の地にあって、武田晴信がこの城の重要性を認識していた往時を偲ぶ第一級の要塞と思うのは過信であろうか?

鬼場城 (28)
大門街道から見る鬼場城全景(鉄塔の刺さる場所が二の郭)

≪鬼場城≫ (おにばじょう 矢ヶ崎城)

標高:908m 比高77m  
築城年代:不明
築城・居住者:矢ヶ崎氏・武田氏
場所:茅野市本町鬼場橋
攻城日:2012年3月4日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:郭、堀切、土塁
参考文献:「図解山城探訪 第一集 諏訪資料編 宮坂武男著」

Posted on 2012/03/04 Sun. 22:11 [edit]

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花岡城(岡谷市)  

◆諏訪の西街道を抑える要害◆

諏訪湖の西端には天竜川の起点となる釜口水門がある。その脇にある小高い丘が花岡城である。

往時は天竜川沿いの伊那地方と西諏訪を結ぶ古道である西街道の要衝の地であった。

花岡城(岡谷市) (38)

築城年代は不明であり、城主についても有賀氏、小坂氏、花岡氏とめまぐるしく変わったようで、武田晴信の諏訪侵攻時に花岡氏は武田に服従したようだが、塩尻峠の戦いで造反して追放され、その後は武田晴信の弟である武田信繁が所領し守ったというが定かではないという。

花岡城(岡谷市) (7)
主郭手前には腰郭らしき平地があるが、公園化された時に平削された可能性もあり断定出来ない。

花岡城縄張図
真面目に描けなかった縄張図(笑)

塩尻峠(勝弦峠)は目と鼻の先にあり、隣接する小笠原氏に対しての防衛最前線ということで重要視されたと思われるが、天文十七年(1548)塩尻峠の合戦以降は城蕃が置かれた程度であろうか。
縄張にもあまり手を加えた跡が見られないので、このころ廃城になったと思われる。

花岡城(岡谷市) (8)
35×20の楕円形の主郭。周囲には土塁の跡が残る。背後は大土塁で仕切っている。

堀切も主郭と西側の二の郭の間に一本あるだけで、他には見当たらない。

花岡城(岡谷市) (12)

花岡城(岡谷市) (16)
40×20の二の郭は周囲を低い土塁で囲んでいる。

二の郭の周囲も段郭らしき帯状の段差が展開するが、耕作地で開墾されたものか区別が出来ない。

稲荷社のある北西に下る尾根筋も城域だろうか。

花岡城(岡谷市) (27)
稲荷神社から本郭方面。斜面には段郭らしきものが多数あるが、整地され過ぎていて疑問だ。

稜線の終点付近には唯一竪掘の跡が確認出来る。

花岡城(岡谷市) (26)

西街道はこの城の南側を通っているので、大手筋も南だったと思われるが改変されているので特定出来ない。

背後の北側は天竜川なので、渡航して攻めるとしても急峻な崖に阻まれ相当な損害を覚悟しなければ無理だろう。

花岡城(岡谷市) (30)
城跡から臨む岡谷市街地。

小笠原長時の没落で中信濃の覇権を確立すると、この城の役目も終わったのかもしれない。

その後、武田軍の南信濃への侵攻は杖突峠経由で高遠城、福与城と進んでいった史実をみればわかる。


≪花岡城≫ (はなおかじょう 尾尻城・湖尻城・池尻城)

標高:811m 比高50m  
築城年代:不明
築城・居住者:有賀氏、小坂氏、武田氏、浜氏
場所:岡谷市湊花岡
攻城日:2012年2月26日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:郭、堀切、土塁
参考文献:「図解山城探訪 第一集 諏訪資料編 宮坂武男著」

花岡城(岡谷市) (36)
花岡城全景。







Posted on 2012/03/02 Fri. 11:27 [edit]

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桜城(下諏訪町)  

◆素晴らしき遺構を留める下社大祝の館の詰城◆

諏訪に攻め込むには、それなりの事前学習が必要だ。現代社会では「予習」というらしい・・・(笑)

全国各地に点在する諏訪社の総本社があり御柱で有名なこの地域は、古代~中世まで神氏という特異な出自であり国人土豪とは一線を画していた。

霞城 (2)
毎年大勢の観光客で賑わう諏訪大社下社秋宮。


室町時代の諏訪地方は、諏訪一族が三家に分かれて統治し均衡を保っていた。

上原城を拠点とする諏訪総領家、干沢城を拠点とした上社大祝家(かみしゃおおほおりけ)、桜城を拠点とする下社大祝家金刺氏(しもしゃおおほおりけかなざしし)の三家である。

いずれも麓の居館と逃げ込み城がセットで機能した城郭を持っていた点では共通している。

桜城
下諏訪温泉街から見る桜城跡。


応仁元年(1467)に応仁の乱が始まると下剋上は地方にも影響し、文明十二年(1480)に上社の大祝家と諏訪総領家の争いの隙をついて勢力拡大を画策した下社の金刺氏は総領家に攻め込むが、永正十五年(1518)には諏訪頼満に社殿を焼き払われて逃げ、金刺氏は没落。

上社の大祝継満(おおほおりつぐみち)も文明十五年(1483)に総領家の乗っ取りを狙い諏訪政満を自身の館に誘い謀殺するが、諏訪総領家の家臣団に逆襲され干沢城に立て籠もるも支えきれず高遠へ逃げ落ちる。

三つ巴の戦いを制し諏訪を統一した諏訪頼満だったが、頼重の代の天文十一年(1541)に隣国である甲斐の武田晴信の侵略により滅ぼされてしまう。

ここまで予習出来ればヨシとするか・・・(笑)

桜城 (15)
本郭は30×40の三角形。

桜城の築城年代は定かではない。

下社大祝家の金刺氏が神殿(こうとの)と称した居館を現在の下諏訪中学校のあたりに築いていたというので、居館とセットで造営された詰城であろう。

桜城 (17)

金刺氏は、木曽義仲が幼少の頃にこの城に匿って木曽落ちを手助けし、平家打倒の軍を起こした時には従軍したという言伝えもあるので、諏訪神社の神官としては相当な地位にあった事が伺い知れる。

桜城 (20)
本郭の南側の段郭。

前述の通り諏訪三家であった金刺氏は、応仁の乱以降に、本家と上社大祝家の争乱に乗じて総領家乗っ取りを謀ったが失敗し、逆に諏訪総領家により攻められて没落する。

桜城も、その争乱において落城の憂き目にあったのだと推察される。

桜城縄張図

天正十一年(1542)諏訪頼重が武田晴信に攻められ滅亡すると、諏訪地方の拠点支配の為に上原城が修築されると、桜城も「下宮の城」として改修を受けている(高白斎記)

領土を接する小笠原長時への備えとして重要視されたのかもしれない。

桜城 (23)
主郭背後の㋐大堀切。

現在残る四本の堀切と竪堀二本は武田による改修の跡であろう。

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桜城 (30)

桜城 (32)

尾根を執拗に切断しているのは、この城の弱点を補う意図が見られる。

桜城 (40)

二の郭には、インディアンのテント跡がある(笑)

この郭は城の要であり、二本の竪堀を接続する複雑な構造から攻めての横移動を阻止する意思が存在する。

桜城 (48)

桜城 (49)

城跡を所有する地主さんが「烽火」(?)をしていたので、許可をもらい散策後に


「山城調査の人ですか?」  といわれたので、

「信州上田から来たマルサです」(爆)

桜城 (51)

史蹟保存に関しては、町から相当な制約を受けているという。

「史蹟保存に際しては、地元の皆さんの協力と努力が無ければ、私のような風来坊が桜城を目にする事もなかったのだと思います。なので、是非、今後この城を訪れる人には、ありのままを見せてあげて下さい」

らんまるの本音である。

桜城 (59)

地主さんの上げる烽火が、城好きの皆さまへの合図である事を願うらんまるです。


≪桜城≫ (さくらじょう 桜井城・湯沢城)

標高:874m 比高88m  
築城年代:不明
築城・居住者:下社大祝氏、武田氏
場所:下諏訪町小湯の上
攻城日:2012年2月19日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:15分
見どころ:郭、竪堀、堀切、段郭
参考文献:「図解山城探訪 第一集 諏訪資料編 宮坂武男著」






Posted on 2012/02/28 Tue. 23:15 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

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もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

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