らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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とんば城 (飯山市静間鳶ヶ沢)  

◆信玄が自落退散を願った亀蔵城はここだったのか?◆

もはや標高の高い山々も新緑が覆う良き季節となりました。

本日は大町方面を探索しておりましたが、林道封鎖や土砂崩落による災害復旧工事等でお目当ての山城が二か所ほど見れず、急遽代替えで「猿」と名の付く城に突入しました・・(笑) そのレポートは近々という事にしましょうか・・・。

今回ご案内するのは、北信濃侵攻の障害として信玄の怒りを買ったという飯山市の「とんば城」。

とんば城 (74)
県道97号線を斑尾高原に向かう途中の牛ヶ首集落に入り、農業用の通路を清川の谷に向かう(軽自動車なら途中まで入れる)

【立地】

斑尾山を源流として静間地区を流れる清川の渓谷の左岸に突き出た小山に位置する。現在、周辺は耕作地として開墾されており城跡までの道はは結構分かりづらい。

とんば城 (73)
農道はコンクリ舗装なので軽自動車の2WDでも行けるでしょう。

とんば城 (72)
途中を右に折れると廃車の軽トラがあり、その先の畦道を辿る。右に折れず直進してカーブ手前の尾根先を下りても行けます。

とんば城 (71)
この畦道を進みその先の斜面を下りると、とんば城への入口になります。

【城主・城歴】

長野県町村誌の上倉城の項に「当町申の方一里を距て字鳶ヶ沢にあり。僅かに石壁を存す。文明年中、泉小次郎親衛十三代の孫、上倉重安の築くところなり。重安の後裔上倉右近安元、上杉輝虎に属し、慶長三年上杉景勝に随従して奥州会津に移る。後城廊廃壊す」とあり、「上倉城址」の図がある。

とんば城 (68)
清川の渓谷に突き出た小山が「とんば城」の城跡になります。

上倉城跡
長野県町村誌に掲載されている上倉城址の見取図。

信玄には「上倉城」(かみくらじょう)が、⇒「亀蔵城」(かめくらじょう)と伝わったようだ。


【「定本 北信濃の城」における「とんば城」の考察】

北信濃、特に飯山地方の中世城郭の第一人者として著名な郷土史研究家の松澤芳宏氏は「定本 北信濃の城」(郷土出版社 1996年発刊)の「とんば城」(P51)の解説で以下の考察を述べられているので引用させていただく。

「永禄三年(1560)九月、武田信玄は佐久郡松原社に奥信濃の亀蔵城(須坂市説もあるが永禄十一年の信玄書状によると飯山地方に亀倉がある)の10日以内の自落(自分で放棄する)退散を祈っている。いったいこの城はどこであったのか。

従来、この城は飯山城との説が強かった。しかし、信玄は弘治三年(1557)と永禄十一年に飯山の名を使っており、飯山城ならばはっきり飯山と書くはずである。飯山城は地元衆が臨時に集まる陣地であり、普段は地元衆はそれぞれの在所に城館を持っていた。
特に上倉氏と奈良澤氏は斑尾山麓の清川渓谷に城を持ち、越後に抜ける街道筋を押さえていた。信玄は上倉氏らを追い払う事が主目的で、飯山城やとんば城も含めた、複数の城館の陥落を亀蔵城自落退散の言葉に込めていたのではなかろうか。」

とんば城見取図①
現場の実体を知れば信玄も烈火の如く怒ったであろう縄張・・(笑)

とんば城 (66)
パックリと大きな口を開けたような堀切㋑。

とんば城 (64)
堀切㋑の断面図。物見砦ならばこの一条の堀切で充分であろう。

とんば城 (10)
堀切から帯郭を重ねます。

とんば城 (11)
切岸も結構厳しい角度。天然の地山では無いという証はこの角度で証明される。

【城跡】

清川の深い渓谷に突き出た要害の地で、北側を除く三方は急崖となっていて獣ですら寄せ付けない。主郭は頂部に櫓台状の郭と併せて二段で構成され、南側に三段の削平した郭を持つ連郭式の縄張りである。その先に堀切を穿っている。
上倉氏の居館跡についてははっきりしていないが、とんば城の北側(現在の耕作地)あるいは牛ヶ首集落にあったと想像される。

とんば城 (14)
主郭に続く犬走のような細い郭。

とんば城 (17)
主郭背後の堀切㋒(上巾7m)。これだけ藪に埋もれていると補助線も意味が無いので止めておく・・・(笑)

とんば城 (25)
櫓台状の郭と主郭。(南より撮影)

とんば城 (24)
ほぼ方形の主郭(15×13)。北側の櫓台から撮影。

とんば城の最大の利点はその立地とロケーションであろう。静間方面や武田軍が進出している千曲川右岸の動静は手に取るようにわかり、斑尾山の北麓に通じる間道を抑えることで野尻方面・越後方面との連絡が密に出来る。

とんば城 (31)
これじゃあザックリし過ぎ・・・

とんば城 (32)
南側の田草城、小田草城。

とんば城 (29)
倍率上げて東方面。

とんば城 (33)
更に中野市方面まで見渡せる。

こんなに見えちゃったら信玄さんも迂闊に軍隊を動かせないので、神頼みしちゃう気持ちも分かりますw

とんば城 (37)
一段下がって郭2(7×11)

とんば城 (40)
更に下がって郭3.

とんば城 (43)
郭4。ここまで下がると藪との戦いになってくる・・・(汗)

とんば城 (47)
堀切㋓。ここに作る意味をあまり感じないが。

例の如くツラツラと写真を並べてしまいましたが、如何でしたでしょうか?
ちなみに信玄が亀蔵城の十日以内の自落退散の願文を捧げた松原諏訪神社は下の写真。
詳しく知りたい方は松原諏方神社を参照ください。

松原城 (8)

≪とんば城≫ (とんばじょう 上倉城・とんび城・城山)

標高:572.5m 比高:70m(南下の沢より)
築城年代:不明
築城者・城主:不明
場所:飯山市静間鳶ヶ沢
訪問日:2016年4月2日
お勧め度:★★★☆☆ 
所要時間:15分(牛ヶ首集落より)
見どころ:郭、堀切、展望など
周辺の城跡:坪根城、後谷城、飯山城、田草城、小田草城など
注意事項:耕作地経由で入る場合、人がいたら必ず挨拶して許可をもらおう。面倒な場合は農道東端から藪漕ぎで堀切㋐へ直行
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(宮坂武男著 2014年 戎光祥出版)、「定本 北信濃の城」(1998年 郷土出版社)

とんば城 (76)
北東の県道より撮影したとんば城遠景。険しい山容なのがお分かりいただけるでしょうか。

Posted on 2016/05/04 Wed. 09:36 [edit]

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神戸城 (飯山市瑞穂神戸)  

◆尾根の中間に設置された不可解な物見砦◆

北信濃における甲越紛争フリークの方からは「前置きはええから、ちゃっちゃと犬飼山城を掲載せんかい!!」(なんで関西弁?)とお叱りを受けそうだが、物事には順序がある。しかし、何の説得力も無い・・・(笑)

「花より城館・・」  この事である。

先日ご紹介した犬飼館もそうなのだが、実は飯山市には国衆(在地土豪)の城館跡が実に良い形で残っているのである。

小沼湯滝バイパス関係遺跡調査資料① 001 - コピー
「小沼湯滝バイパス関係遺跡発掘調査報告Ⅰ」(1989年 飯山市教育委員会)P176の資料引用添付。

実は小生も「大倉崎館」と「静間館」以外は未だ訪問出来ていないので、夏場対策として巡回する予定である。

今回ご案内するのは、その資料の最後の「9.神戸砦」である。

神戸城 (2)
神戸集落から福島集落に抜ける道路のヘアピンカーブの先端に砦がある。

【立地】

飯山市瑞穂地区の神戸(ごうど)と福島、富田を分けるように伸びる尾根の先端に近い部分にあり、現在は集落を繋ぐ道路の為に東側の堀が破壊されたようである。往時も間道が堀中を通っていたらしいが、険しい立地ではないので平時の時の物見や狼煙台の類いであろうか。

神戸城 (1)
言われなければ素通りしてしまうような場所だ。

【城主・城歴】

伝承や記録が無く全く不明である。神戸集落の北の尾根を越えれば北信濃の三大霊場の一つであった小菅神社に通じるが、神社との繋がりは無かったようで、犬飼館と犬飼山城の中間を抑える位置にある事からこちらに関連のある施設だったと考えられている。

神戸城見取図 001
土手付きの単郭の前後を掘り切っただけの質素な作りの砦である。

神戸城 (3)
10m四方の方形の単郭は南と西に土塁痕が残る。周回していないのは何故だろう?

神戸城 (4)
南側に開く虎口。

【城跡】

この砦の遺構について記載がある資料は「小沼湯滝バイパス関係遺跡発掘調査報告Ⅰ」(1989年 飯山市教育委員会)のみである。この発掘調査報告書には、バイパス工事に伴って中央部分が壊滅する中世の居館跡である大倉崎館の発掘調査状況と館の経歴の詳細が記されており、その関連で神戸砦(神戸城)の遺構の略図と説明が掲載されている。

といっても

「瑞穂地区神戸(ごうど)と富田(とみだ)の間を西走する尾根中檀にあり、東を道で切られているが、もともと東に空堀があったらしい。西は土塁と空堀がある。平坦地は10m四方で100㎡である」

と書いてあるだけである・・・・(汗)

神戸城 (7)
西側の堀底から北側を撮影。

神戸城 (8)
西側の堀底から南側を撮影。堀の全長は短い。

神戸城 (10)
西側から堀切を挟んで郭を撮影。この角度から見ると砦っぽいのが分かる・・・(笑)

神戸城 (9)
堀切を越えた尾根先は平場になっているが、郭という認識には当てはまらないようである。

前回、犬飼館の記事で、犬飼山城との城館一体型と推定するには無理が多い、と書いたが思慮が足りなかったようにも思え反省している。

高梨氏の本拠地である中野小館と詰め城とされた鴨ヶ岳城もかなり距離がある。
ましてやこの地区の武田侵攻前の知行者は高梨氏であるので、犬飼館~神戸城~犬飼城の緊急時の防御ラインは事実としてあったのかもしれない。(現在残る犬飼山城の遺構は、武田方の市河氏が武田軍の支援を受けて改修したものであろう)

神戸城 (13)
西側から見た郭の内部。

たかが単郭、されど単郭である・・・。

この地方の甲越合戦の推移を眺めていた物言わぬ生き証人である。大事に後世に残したいものである。

神戸城 (20)
かつての堀があったというヘアピンカーブを見下ろす。通路兼堀切として門が設置されていたようにも思えます。

≪神戸城≫ (ごうどじょう・向山砦)

標高:402m 比高:60m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市瑞穂神戸
攻城日:2016年4月16日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-
駐車場:無し、道路脇に路駐
見どころ:郭、土塁、堀切
注意事項:特になし
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(2014年1月 宮坂武男著)、「小沼湯滝バイパス関係遺跡発掘調査報告Ⅰ」(1989年 飯山市教育委員会)

神戸城 (16)
砦跡から見た神戸集落。交代で砦の番を命じられたと思われる。

Posted on 2016/04/22 Fri. 22:50 [edit]

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犬飼館 (飯山市瑞穂)  

◆後世に残して欲しい貴重な中世の館跡◆

ここの館は「いいやま菜の花まつり」の会場のすぐ近くにある。

先週の4月16日に飯山付近の攻城戦を敢行していたが、今年の春先は例年よりも気温の高い日が続いたせいか桜も菜の花も満開だった。おそらく菜の花祭りの開催される5月3日~5日は花など散ってしまって「お終い」と思われる・・(汗)

菜の花と桜のコントラストは今週末までが見ごろのピークだと思うので、見物予定の皆の衆、急がれよ・・(笑)

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「菜の花公園」を通りがかったついでにパチリ。桜の花と菜の花畑のコントラストが素晴らしい。(2016.4.16撮影)

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近くば寄って目にも見よ。幟旗が邪魔だ・・・運転中の撮影は危険です・・・・(笑)

今回ご案内するのは、「いい形」で残っている中世居館の「犬飼館」。ここでも菜の花は見れます・・・(しつこい)

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居館の南側大手付近から見た館。ここでも充分に菜の花祭りは出来る・・・(爆)

【立地】

飯山市瑞穂地区の宮中丘陵が彦四郎川で切断された、独立した小高い丘に居館跡がある。館の周囲は現在水田になっているが、往時は水堀あるいは泥田として防御構造になっていたものと推察できる。

犬飼館 (2)
館の東側。水田となるのは近年の話なので往時は沼地か泥田であったと思われる。

犬飼館見取図① 001
近年、館の南側にバイパスが作られたが、幸いな事に居館跡は破壊されずに済んだ。

犬飼館 (4)
これほど見事な遺構だとは思わなかった。

犬飼館 (5)
南東方面から見た館跡。素晴らしい。

【城主・城歴】

館主は中世に木島、毛見、小見氏等と活躍した犬飼氏で、室町時代になると浅野氏が現れ、やがて高梨氏が進出してきたと同時に犬飼氏は姿を消した。戦国時代は高梨氏の配下の草間氏が領有したというが、その後の事ははっきりしない。

犬飼館 (7)
これほど綺麗な形で残る中世の土豪の居館跡は珍しい。

【館跡】

主郭は台形で、八幡社が祀られているが、背後には土塁痕が一部残る。四隅に土塁の痕跡が残るので、往時は周回していたことが想定される。農地整備に伴い、郭2び東端にあった井戸は破壊されたらしく痕跡も確認出来ない。
北西側は郭3が張り出し、西側を郭4の帯郭が落差の厳しい切岸を介して主郭への侵入を拒んでいる。

犬飼館 (8)
居館の東側の郭2の端に井戸があったらしいが農道の開通に伴い消滅したという。

犬飼館 (10)
南側から主郭に入る大手道。こんなにストレートというのは神社の参道として改変されたのであろう。

犬飼館 (13)
素晴らしい切岸が残る。

犬飼館 (14)
八幡社が勧進されてる本郭。耕作地にはなっているが、酷い改変を受ける事無く幸いにしていい形で残った。

犬飼館 (16)
八幡社の裏の祠と石仏。地元の方に大事にされてきたと実感出来る瞬間ではある・・。

犬飼館 (18)
北西に突き出す郭3.土塁を伴い区画されているが、藪が酷く写真映えしない。

犬飼館 (19)
帯郭として西側を守る郭4。

ここの詰め城は東南東約2kmの城山(864m)に位置する犬飼山城とされるが果たしてそうであろうか。
息絶え絶えに犬飼山城を攻め落としてきた我ら信濃先方衆には、この館はあまりに遠すぎると感じたが、如何であろうか・。

犬飼館 (9)
居館跡から見る犬飼山城。ショートカットして比高を200m縮めたが片道60分の尾根筋は苦痛であった。


【犬飼館】 (いぬかいやかた)

標高:322.2m 比高:10m 
築城年代:不明
築城者・居住者:不明
場所:飯山市瑞穂
訪問日:2016年4月16日
お勧め度:★★★★☆ 
所要時間:-
見どころ:郭、切岸など
周辺の城跡:大倉崎館、犬飼城、神戸城、五束城、北条城、小境城など
注意事項:特になし
参考文献:「信濃をめぐる境目の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(宮坂武男著 2014年 戎光祥出版)

Posted on 2016/04/19 Tue. 21:26 [edit]

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上境城 (飯山市一山)  

◆主郭背後の巨大な二重堀切が美しい千曲川沿いに築かれた上杉方の監視砦◆

桜前線の北上スピードが今年はいつもより早いらしい・・・(汗)

飯山城跡が本日のニュースによると、今日で桜が満開になったという。例年よりも10日以上早い勘定である。

枡形城(高山村) (157)
2014年4月27日に撮影した高山村の山田城(枡形城)の麓における満開の桜。飯山城も例年は似たような日程での開花となる。

「生き急いでみるか・・・」 (笑)

思えば昨年の信濃先方衆のラスト遠征は小谷村であった。今年は今週末16日の飯山市で「ジ・エンド」となる予定が組まれている。

で、今回ご案内するのは先日単独で訪問した飯山市の上境城。甲越紛争時の上杉方の境目の城で、なかなか秀逸な遺構が残る。

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城跡の最上部まで車道が入るが林道に近い路面状態なので四駆でないとスタックする可能性がある。自己責任で。

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後で知ったのだが、城跡として二年前に整備されたようである。が、訪問時に標柱は見当たらず二重の堀切がお出迎えしてくれた。

【立地】

千曲川の左岸、上境の集落の東丘陵が城跡のある城山。千曲川はこの丘陵の下で大きく蛇行し急崖となっている。千曲川からの比高は185mあり、対岸の野沢温泉村の様子がよくわかる立地である。

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城跡から見た千曲川と対岸の野沢温泉村方面。

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車を降りるとすぐに城域北側のデカい堀切がお出迎え。あまり期待していなかったので、これにはビックリ(笑)

【城主・城歴】

「長野県町村誌」によれば、「村の中央より辰の方、千曲川沿岸の山頂に在り。七階の平地、正面に面し、二重の堀切を以て、後ろを固め、礎及び泉石等今に存す。西傍に清水あり。前には四十間余の馬場あり。詰ノ丸には桜の古木あり。後嶺は広原にして、操練場とも謂う可き地あり。本城は文明年間 尾崎政重の弟、上境四郎重永、之を築き居城し、其孫隼人経永、永禄年間下今井に移り、氏を今井と称し、上杉輝虎に属し、外様十人衆に列す。慶長三年戌、陸奥国会津に移り、城址荒廃、方い海士は草山となる。」

上境城見取図① 001
「中条城・累城」を連想させる尾崎一族の独特な縄張で、上杉方による大規模な改修と補強がされたようだ。

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二重堀切の外堀(上巾7m)の堀底から見た千曲川。こういう景色には中々お目にかかれない。

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二重堀切の外堀の西側は藪になりつつあるが、斜面に対して竪堀を刻んでいる。

【城跡】

千曲川に張り出した丘陵に対して、高低差を利用して七段の段郭を加工度の高い切岸で区画している。
背後の二重堀切は、元々外側に一条しかなかった堀切を内側に一条更に増設したものと考えられるがどうであろう。この造作により主郭は二重堀切に挟まれた「郭7」と分割されるが、上巾13mの背後の堀切は強力な防衛ラインとなりウィークポイントであった城域の北側の不安は解消されている。

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見る者を圧倒する主郭背後の横堀(上巾13m)

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外側の堀切と比較すると深さも幅も違っている。気合入れて作ったゾ!って感じ。

上境城2 (13)
二重堀切に挟まれた郭7。(2016/04/16撮影)

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西側斜面に対して竪堀となるが、城域の東西の斜面は傾斜が急になるので長くする必要は無かったようである。

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東斜面。急崖となるので竪堀への加工は不要だったようだ。

主郭から南側にかけて六段の郭が造成されているが、葉の落ちた低い背丈の雑木の藪に覆われていてかなり歩きづらい。
整備状況から見ると、二年前の公園化計画によ雑木が刈り払われたが為に逆に日当たりが良くなりすぎて低木な藪が大いに繁殖したのであろう。

上境城 (30)
主郭背後の土塁。堀切の造作に伴い掻き上げた土で背後を固めたと思われる。

上境城 (32)
主郭には泉石と呼ばれる礎石のようなものが残る。

上境城 (34)
南側に向かって一段下がっている郭1.南北36m、東西最大32mの長方形。

上境城 (32)
郭1と郭2は落差を付けて加工度の高い切岸で区切っている。この切岸だけで充分な防御だ。

上境城 (39)
郭2と郭3は土塁による区画だったようだが、藪に覆われていて詳細が掴めない・・(汗)

上境城 (46)
郭3から見た北方面。主郭の高さが際立っているのがお分かりいただけるでしょうか。

上境城 (47)
郭4。郭3との区切りの切岸も結構鋭い。

さて、この城の6段の郭の大手はどこであろう。縄張図の南下に竪堀が入っているので、ここから入り郭8を経由して郭4と接続する竪堀から主要部に通じたものかもしれないと宮坂武男氏は記述している。

上境城 (52)
郭4の西側には段下の郭8と連結用の竪堀が確認出来る。

上境城 (54)
郭4から見た段下の郭8

上境城 (75)
南側の林道から見上げた郭8に通じる竪堀。試しに登ってみたが藪が酷くて・・・(笑)

上境城 (65)
郭5と郭6の切岸。丁寧な仕事をしている。

上境城 (57)
城の西側には一山(いちやま)の大久保集落が見える。

甲越紛争が激しさを増していく中で、上杉方により千曲川の対岸の岳北を見張るために増強された砦であることは充分に考えられる。外様十人衆の一人である今井氏が平時の監視を命じらて守っていた可能性も高い。

林道が縄張りの外郭を巡っているが奇跡的に破壊を逃れたのは幸いである。「中条城・累城」を連想させる類似した縄張で加工度は高い。軽自動車ならお手軽に城跡まで横付け出来るので、飯山方面の山城探訪の際には是非訪れていただきたい城である。

上境城2 (22)
御膳清水と呼ばれる城の水の手。現在も滾々と水が湧いている。(2016/04/16撮影)


【上境城】 (かみさかいじょう)

標高:484m 比高:185m (千曲川より)
築城年代:不明
築城者・居住者:不明
場所:飯山市一山大久保
訪問日:2016年4月2日、2016年4月16日
お勧め度:★★★★☆ 
所要時間:-
見どころ:長大な二重堀切、連郭、切岸
周辺の城跡:大倉崎館、犬飼館、神戸城、五束城、北条城、小境城など
注意事項:特になし
参考文献:「信濃をめぐる境目の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(宮坂武男著 2014年 戎光祥出版)

上境城 (69)
その城の名が示す通り「境目の城」である。対岸には武田方の市河氏が領有する野沢温泉が目と鼻の先に見える。

上境城 (78)
千曲川沿いの飯山線上境駅付近から見た上境城。

Posted on 2016/04/17 Sun. 10:14 [edit]

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北条城 (飯山市豊田)  

◆千曲川の右岸に展開する武田領を監視する立地最高の物見砦◆

某国営放送の大河ドラマ「真田丸」が始まった。

後世の評価が著しく低い武田勝頼の名誉回復がこのドラマで為されたその功績は、長く語り継がれるであろう。

真田信繁という敗者が主人公のドラマの第一回目で、武田勝頼という敗者が見事に描かれた。素晴らしいと思う。

まあね、ここで真田関連の城をアップすればアクセス数アップになるのだろうが、頑なに拒んで我が道を行くゾ!・・(笑)

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北条城の登り口は、戸狩スキー場のリフト整備用の道路を登った途中にある。オフシーズンなら小型乗用車でも登れるだろう。

今回ご紹介するのは、この山城の立地条件の素晴らしさに感動すること間違いなしの北条城(きたじょうじょう)。

【立地】

飯山市の北方の豊田地区北条集落の北で、戸狩スキー場の真ん中に立つ山に城跡がある。この山の北側には「とん平(とんだいら)」と呼ばれる平原があり、城の南尾根の西側は越後へ通じる小沢峠への古道が通っていて古くから往来に使われていたという。
行き方は、北条集落から戸狩スキー場とん平に向かい車で5分ほど登り、そこから遊歩道を徒歩で登り約5分で城の鞍部に到着する。※遊歩道入口の標柱が倒れているが目立つ山なので迷うことは無い。

北条城(飯山市) (2)
城への遊歩道を登ると「とん平」が見下ろせる。

北条城(飯山市) (3)
長野ICでは土砂降りの雨で万事休すかと思ったが、何とか雨が止み雲海が見られた。

【城主・城歴】

長野県町村誌では「村の中央より北方に在り。今は草山なり。上る高凡百間、麓は島南西に道及耕地を回らし、頂上に二段の平地ありて、回字形をなし、詰の丸東西二十二間、南北三十間、礎及び古井の跡今に存す。東の丸に八幡石(今は五荷組に属す)と称する方二間余の平石あり。明應年間上倉(後北条と改む)外記安明(尾崎氏の後裔上倉の城主上倉安元の弟分家して之を築くと云ふ)之を築城して近隣を領す。後数世を経て、天正年間上杉輝虎に属し、其子景勝飯山築城後、外様十人衆に列し、慶弔三年戊戌三月、陸奥国會津に移り、後草山となる。又麓を距る事四町に、屋敷跡あり、今は田なり。往昔居住の宅地なる由言傳ふ。字上種と称して民家の傍に塁を存す。」とある。

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長野県町村誌に記載されている北条城(長野県町村誌豊田村P94より引用転載)

また、「飯山市誌 歴史編」(平成五年刊行)では、山城ある城山の麓の「とん平」「飛沢」などの地名により、この城山は飛ぶ火すなわち古代の烽火台であったとの説があるとしている。また、「市河文書」の建武二年(1335)三月の「市河助房着到状」で、守護方の市河氏らが北条方残党(常岩氏か)を攻め、その城郭を壊した記事が載っているので、北条城はその時の常岩氏の詰めの城ではなかったかと推測している。
はっきりした事はわからないが、在地土豪の要害として築城され、甲越紛争の頃には上杉方の烽火台として利用されたとみるべきであろうか。飯山市誌では古い形式の山城として記述しているが、現地を踏査すれば戦国時代にも使われたと思える改修箇所が見える。

北条城見取図① 001
この縄張図から南北朝時代の古い山城のまま終わっていないことが分かる。

北条城(飯山市) (8)
遊歩道からの鞍部は堀切㋝。ここから西の沢へ少し下りると越後との境となる小沢峠に向かう古道につながるらしい。

【城跡】

城山の山頂に楕円形の主郭を置き、東西に郭を置いた簡単な縄張だが、主郭背後の北西尾根は7本の堀切を重ね厳重に警戒し、南尾根は段郭を重ねて麓からの来襲に備え、南東尾根にも堀切を穿つ用心さである。
単なる烽火砦としてではなく、物見としてもかなり重要視されていたことが分かる。

●北西尾根の7連の堀切

鞍部から北西尾根を辿るとかなり入念に断ち切った堀切群が現れる。斜面に対する竪堀の長さは比較的短いが、鋭角な壁の削り方は戦国期の改修であろう。

北条城(飯山市) (9)
鞍部から北西尾根を登るていぴす殿。スパイクピン付きのゴム長は雨上がりで落ち葉の積もる濡れた斜面で大活躍だ。

北条城(飯山市) (14)
臨場感ある堀切の写真は難しい。

北条城(飯山市) (12)
堀切㋜の堀底(薬研堀)はこんな断面図。

北条城(飯山市) (15)
堀切㋜を越えると三重の堀切㋙㋚㋛が行く手を阻む。落差があり効果的だ。

北条城(飯山市) (16)
元々は㋙と㋛の二重堀切だった中間に土塁を付けた㋚を増設し三重にしたようだ。

北条城(飯山市) (22)
堀切㋙の東側は尾根に対して垂直に近い削り方をしている。遊歩道にも虎ロープが付いている。

北条城(飯山市) (32)
堀切㋗の手前から辿った尾根を振り返るとこんな感じで堀切が連続しているのだ。

さて、ここから城の主要部に入るので通常の堀切に横堀を増設して守りを固めている。横堀は後から加えたものだろう。
残念ながら藪に阻まれて写真映えしない。

北条城(飯山市) (33)
正面から見るとこんな感じ。

北条城(飯山市) (34)
㋗の堀底を覗くとこんな感じ。

北条城(飯山市) (38)
堀切㋗は短めですが斜面に竪堀として下ります。

北条城(飯山市) (43)
椿の藪に覆われている横堀㋖。ちゃんとお見せ出来ないのが残念。

●主要部

主郭以外は残念ながら藪に覆われてしまい詳細が確認出来ない。
しかし、「負けるもんか!」と枯れ草とススキの大群に覆われた郭2に強引に突入。こんな場所でアホウな事をしている我らは「比類なき大ばか者であろう・・・」(笑)

北条城(飯山市) (44)
郭3。主郭へは南斜面の帯郭を通り郭2を経由して入ったと思われる。

北条城(飯山市) (48)
郭3の東側を囲むような横堀の堀切㋕は南斜面で竪堀となる。

北条城(飯山市) (50)
主郭。中央の石柱は近世のもので、横の平石が「八幡石」であろうか。古墳の石室の一部のようにも思える。

ここからのロケーションは素晴らしいはずなのだが、当時は雲海に阻まれて幻想的な風景を見せていただいた。

IMG_4003.jpg
城の位置は適当です(笑) 五束城の位置は合ってます。

IMG_4004.jpg
河東の木島平の城はこんな位置でしょうか。

北条城(飯山市) (65)
背後の山を越えれば越後ですw

さて、郭2に突入しましょうか(笑)

IMG_4007.jpg
何が潜むのかも分からない郭2。ここに飛び込む勇気とは?

宮坂武男氏は、堀切㋓を横堀としているが「ひょっとしたら切岸か?」とコメントを加えている。現地踏査では郭の両サイドは堀形が確認出来るが、主郭(郭1)との間は切岸のみであった。また、郭2の北側は岩盤を削った㋒はあったものの、人工的な造作なのかは断定出来なかった。

北条城(飯山市) (69)
郭1と郭2の間は切岸のみである。

北条城(飯山市) (73)
ススキをなぎ倒して探索した堀切㋒。岩盤が露出する堀切で人工的なものかは迷うところである。

北条城(飯山市) (78)
堀切㋓は南北両袖の堀切で、連結部は切岸だった事が判明した。

北条城(飯山市) (84)
郭2から南側へ移動する途中に堀切㋔。堀切㋓との間に畝状竪堀跡があるというが、確認出来なかった。

北条城(飯山市) (82)
郭2から郭3へ続く帯郭。藪に覆われたこんな場所を探索するのは我々ぐらいなものであろうか(汗)


北条城(飯山市) (58)
主郭の南側には石積みが見られるが、往時のものとは判断し難い。

今回は残念ながら南尾根と南東尾根の踏査はパスした。南東尾根は外観からも段郭と堀切は目視で確認出来た。次回訪れることがあれば是非チャレンジしたいものである。

北条城(飯山市) (91)
南方面から見た北条城。

≪田草城≫ (たぐさじょう)

標高:750.6m 比高:350m(北条集落より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市豊田北条
攻城日:2015年11月15日 
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:5分 駐車場:林道脇に路駐
見どころ:連続堀切、横堀、景色など
注意事項:スキー場のオープン中は避けよう。
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(宮坂武男著 2014年 戎光祥出版)、「飯山市誌 歴史編」(平成5年)
付近の城址:五束城、小境城、上境城など
Special Thanks:ていぴす様

北条城(飯山市) (53)
こんな幻想的な風景はなかなか拝めません(笑)













Posted on 2016/01/15 Fri. 07:23 [edit]

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