らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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富倉城 (飯山市富倉)  

◆信越国境の境目の城◆

北信濃の山城は、ご存知の通り川中島合戦に発展する甲越紛争の舞台に隣接している城が多く、その縄張りも軍事的緊張を伴うケースが殆どであり技巧的な城が多い。
が、残念な事に現代では豪雪地特有の藪(椿や常緑樹)に覆われているケースが多く、遺構の確認が困難である。

今回ご紹介するのは、中年の男二人が、どーしようーもない藪に阻まれて身動きが取れずに難儀しまくりだった富倉城(飯山市富倉)。

富倉城 (1)
富倉地区の滝ノ脇集落にある富滝神社の裏山が城跡になる。

【立地】

飯山市から国道292号線の通称「富倉バイパス」を上越に向かい、途中から富倉地区の滝ノ脇集落に入ると富滝神社が右手にある。この神社の裏山のピークが富倉城である。地元の人は「謙信の狼煙台」と呼び、城跡からは雄大な景色が見えると言う。

師匠のあおれんじゃあ様と「同行二人」の我らは縄張図を見ながら「なかなかよさげな城だわい・・」とはやる心」を抑えつつチャレンジを開始したのであった・・・。

富倉城 (35)
富滝神社は、参道の石段を登った先に舞台がありその奥には本殿がある。嘗ては賑わったのであろう。

富倉城 (29)
神社裏からテキトーに尾根を這い上がる。いつもの事だが、この城なかなか切岸が厳しいので入口を探した・・・(汗)

【城主・城歴】

「長野県町村誌」には「富倉城跡」として以下の記述がある。

「村(富倉村)の酉の方にあり山上一平地、東西廿五間、南北十五間、中央に堀切あり。西北隅に古井あり。西の方二十間低下し、又一平地あり。東西百五十間、南北百九十八間。城域四方峻嶮、高四百六十間、今尚残礎存す。里俗傳に年月不詳、山下采女正之れに居りしと云う、事蹟不詳。該山の頂上にて西観すれば、一重山、鷹打山等の諸山併列す。東は馬場峰破風城山相連れり、南は朝日瀧に相封し、北は越海の帆船眼下に見ゆ故に遠見城と云う。現今山林原野となる。」

富倉城 (4)
城域は一面が大藪の海・・(汗)。我々はいったい何処のエリアにいるのか位置確認が大変だった・・・(汗)

【城跡】

上杉氏の物見台とは狼煙台とかの言い伝えがあるが、四方を厳重に防御した気合の入った城砦である。
それゆえに、現地の大藪は何とも歯痒い有り様で、火炎放射器で焼き払いたい衝動に駆られる・・(笑)

富倉城見取図①
確かに素晴らしい縄張りなのだが、500年後は藪だらけ・・・。

富倉城 (5)
郭2は辛うじて撮影に耐えうる状態。

富倉城 (6)
堀切㋑までは何とか見える状態だったのだが・・。

雄型指向の強い上杉系の築城方式が感じられる縄張りで、砦としては結構手間暇かけているので、信越国境の境目の城として重視されたと思われる。

富倉城 (8)
主郭の南下の「1‘」。

富倉城 (13)
全く何が何だか分からない状態の郭1。鎌で草刈りしましょう・・という生ぬるいレベルでは無い・・・。

富倉城 (16)
下りる事を断念した堀切㋓。二重堀切となっている㋔も見れなかった(汗)。藪との戦いに敗れた・・・(涙)

富倉城 (17)
南側の畝竪掘の探索をする「あおれんじゃあ」様。この藪では途方に暮れるしかなかった・・。

確かに郭5に接続するように連続する畝状竪掘3条が確認出来たが、写真に写せるようなシロモノでは無い。

富倉城 (18)
せめて眺望だけでも、と思ったが、「無いものねだり」に終わった(笑)

富倉城 (25)
堀切㋒を通って撤収することになった。

富倉城 (34)
郭2の南下の平削地。後世の耕作地であった可能性も否定できない。

いい年した中年の男二人が雑木林で藪まみれになって必死の形相をしている。

傍から見たら「怪しい人」そのものであろう・・・(爆)

≪富倉城≫ (とみくらじょう 遠見城)

標高:650.5m 比高:220m (国道292号線より) 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市富倉滝ノ脇
攻城日:2014年11月24日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:15分
駐車場:神社下の道路脇に適当に路駐
見どころ:堀切、切岸、藪(笑)
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
注意事項:主郭背後の堀切の堀底へのアタックは無理しない事。戻れなくなる恐れあり。
付近の城跡:山口城、中条城・累城、飯山城など
その他:お友達の「えいき」様も最近登城したとか。あの方も重症患者のようです。お大事に・・・。
Special Thanks:あおれんじゃあ様

富倉城 (31)
麓から撮影しても何が何だか分からず・・・。








Posted on 2015/05/23 Sat. 22:03 [edit]

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山口城④・本城(飯山市旭)  

◆郭の平削に「削り残し」を多用する越軍の縄張りか?◆

GW連休明けは木曽義仲に関連する史跡巡りをオンタイムでツイッターに投稿している。

何せ山城探訪の中心となる戦国時代ですら今から四百年~五百年前なのに、源平合戦となると八百年も前の話。史実というよりは、伝承の域となるので史跡や遺跡の特定は難しい・・・(笑)
それでも、そこに浪漫の欠片を見つける作業が楽しいんですよネ。

さて今回は山口城シリーズの最終章をお届けしましょう。

山口城の本城 (1)
南側の大手の登城口。四駆の軽自動車なら入口まで登れます。小生の軽はFFで登れず断念・・(汗)

【立地】

飯山市旭地区山口の後背の西の山に山口城の本城がある。南北に細長い尾根を利用して縄張りが巡らされ、北東の山の尾根の末端部に小城、東山麓の台地上に御屋敷と馬場があり、その下に山口組集落が広がる。
春日山と飯山を結ぶ富倉道の入口を制する要衝である。

山口城周辺図
国土地理院1/25000地図を引用。

【城主・城歴】

定本「北信濃の城」(1996年 郷土出版社)の望月静雄氏の解説が分かりやすいので引用する。

「本城については、高井郡岩井(中野市)に分家した泉氏(尾崎氏)一族の岩井氏が、天文年間(1532~55)に山口に移り、山口城を築城したと伝承されている。しかし、最近では、岩井氏は泉一族では無く高梨系であるとの説が有力になっている。それにしても大規模な城であることや、春日山と飯山城を結ぶ重要なルートに位置してる事、戦国期の他豪族の情勢等を考え合わせると城主は岩井氏が妥当である。
年代的には、武田晴信(信玄)の北信濃侵攻や同族と思われる高梨氏の動向等から推定すれば、天文年間末~永禄七年(1564)頃の間の築城とみられる。

山口本城見取図①
郭1・2・3は戦国末期まで改修が続けられたようだ。

天正十年(1582)、岩井氏は上杉氏の相続争いに際して景勝派として功があったため、本領及び替差、静間、蓮、岩井の地を与えられている。この本領が山口を含む南条地域と考えられる。その後岩井氏は景勝より飯山城代を命じられ城の改修とともに城下町を整え、近世飯山城下町の基礎を作った。しかし慶長三年(1598)、景勝の会津移封に伴い、岩井氏もそれに従って山口城を後にした。」

山口城の本城 (3)
鳥居からの坂道を登ると巨大な堀切㋐に遭遇。神社の参道として改変したので土塁も崩されたのであろう。(南側から撮影)

山口城の本城 (13)
堀切㋐の土橋とその周辺の処理(北側より撮影)

【城跡】

最初に現れる堀切㋐は、掘の両サイドを土塁でかさ上げし東西の斜面に対して長大な竪掘となって豪快に落ちている。堀の中央底は土橋で石積みとなっているが、大手道とはいえ、往時にこの遺構があったかは疑問だ。神社を勧請した時の参道として造成されたと見るべきであろうか。

山口城の本城 (12)
西側の斜面から撮影した堀切㋐。

山口城の本城 (8)
西斜面に落ちる堀切㋐。東側の掘は藪が酷くて・・。

堀切㋐の先にあるのが長方形の郭3で、この城域で最大の面積を誇る。郭の西側には土塁が残るが、これは盛土ではなく、平削時における削り残しと考えられている。64m×20mは馬出しと見ても良いと思われる。郭2と連結する手前に一段高くして堀切㋑を穿つ。なかなか技巧的でもある。

山口城の本城 (16)
南側から見た郭3.西側の土塁は削り残しであるという。

山口城の本城 (29)
堀切㋑から見た郭3の周辺。

山口城の本城 (28)
堀切㋑の土橋の拡大。これも参道による改変だろう。ストレートに郭2へ入る構造などありえない。

郭2は西側に段郭が作られているので、本来は㋑の堀底の西側から段郭を通って郭2に入ったものであろう。
郭の東側に石積みが見られるが、神社の勧進に伴い作られたと思われるが断定は出来ない。

山口城の本城 (31)
郭2の中心部。全体的に傾斜がついている。

山口城の本城 (32)
東側の石積み。城とは関係の無い積まれ方のように思える。枡形の一部として見れない事もないが。

山口城の本城 (42)
郭1との接続部分(北側より撮影)。本来の虎口はここではなく、帯郭を通って北側から入ったと推定される。

山口城の本城 (34)
郭2から見た郭1の入口(虎口)。ストレートに主郭に入れる縄張りなど防御視点からみればあり得ない。迂回したのだろう。

ここで問題になるのが片掘りとして処理されている堀切㋒であろうか。東斜面いは恐ろしく長大な二重横堀が防御の中枢を担っているので、この程度の処理でも良かったと思われる。

山口城の本城 (40)
最近編み出した「堀切の立体的画像処理」(笑) 三歳児のお絵かきレベルであろう。

主郭(34×25)は西側を除いて周囲を囲んだ土塁跡が残る。
北西尾根は四条の堀切を設置しているが、前述の下り切㋐・㋑・㋒に比較すると年代は古く加工度も低い。
巨大な二重堀切に繋がる北東尾根の郭4とその周辺も適当に段郭を設置しているだけなので、改修された痕跡など無い。

山口城の本城 (46)
郭1の中心部に設置された石祠。

山口城の本城 (57)
北東の尾根の最初に現れる堀切㋔。

山口城の本城 (58)
北西尾根の処理。古い処理といっても甲越紛争の始まるチョッと前ぐらいであろう。

山口城の本城 (62)
堀切㋕(上巾13m、深さ8m)。溜め息ものである。

山口城の本城 (65)
堀切㋖(上巾9m、深さ7m)

山口城の本城 (69)
北西尾根四連堀切の最終堀切㋗

もともと北西尾根の四連の堀切群は、北東の沢から攻め登る敵に対しての防御であったが、小城と二重横堀の設営により役割を終えたらしく、改修もされずに放置されたと思える。(それにしても厳しい備えのままだが)

北東尾根の郭4は、北西尾根の堀切で迂回した攻城軍の迎撃用としての武者溜まりとみるべきで、巨大横堀との連携性はあまりないようだ。

山口城の本城 (82)
郭1との斜面を断ち切る堀切㋓。

山口城の本城 (91)
郭4。藪が酷過ぎて、我々はいったいどこにいるのかも分からない状態だが、平削された地面で判断した。

山口城の本城 (96)
北東尾根の最先端で最終となる帯郭。

ここから我々は尾根伝いに下り、二重横堀を目指したのだが、灌木、藪の困難は想像を絶するものがあった・・・・・。

屋敷・小城・二重テラス・本城という世にも奇妙な四身一体の防御システムは、信濃の城郭群の中でも特殊である。戦国末期にこのような縄張りを持つ城も珍しいと思われる。
実戦に即した緊迫感溢れる山城を、皆さんにも是非味わっていただきたものである・・・(笑)

≪山口城 本城≫ (やまぐちじょう ほんじょう)

標高:582m 比高:225m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市旭城平
攻城日:初回2013年5月19日 二回目2014年11月24日
お勧め度:★★★★★ (四ヶ所合計で満点じゃ!)
城跡までの所要時間:15分
駐車場:道路脇に適当に路駐
見どころ:堀切、土塁
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版) 「定本北信濃の城」(1996年 郷土出版)
注意事項:オフシーズン(GW明けから9月末まで)は藪が酷く状態も酷いのでお勧めできません。
付近の城跡:富倉城、中条城・累城、飯山城など
その他:巨大横堀は絶対見るべし!! (藪の困難に立ち向かえば勇者の称号を授けよう・・・笑)
Special Thanks:ていぴす様、あおれんじゃあ様

山口城のお屋敷 (5)
御屋敷から見た山口城の本城。



山口城の小城 (64)
せっかくなのでお越しの際は全部見てくださいまし・・(笑)


Posted on 2015/05/20 Wed. 21:34 [edit]

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山口城③・巨大横堀防御ライン編 (飯山市旭)  

◆山口本城への攻撃を阻止する強靭な防衛ライン◆

毎年の事ながら、GW明けはスケジュールがタイトとなり地獄の一週間を体験している。

楽しかった山城巡りなど、遠い昔の出来事のように感じている今日この頃ではある・・・(汗)

さて、山口城の第三弾は「山腹に眠る巨大な二重堀切編」である。藪が酷く写真映えしないが、敢えてチャレンジ(笑)

山口城の巨大二重横堀群 (2)
100mに及ぶ道無き斜面の藪漕ぎあと、未知との遭遇の瞬間である・・・(笑)

【巨大二重堀切への行き方】

山口本城の北東尾根にある郭4から東の斜面を下るのみである。道は無く斜面に林立する雑木林の藪の洗礼を受けながら進むと忽然と現れる。二重堀切も藪に覆われているので、写真撮影しても期待できるスナップは無い。
帰り道は北東にある小城が近いように感じるが、藪が酷く道も不明瞭なので避けた方が良いだろう。
横堀伝いに南へ一度登り、山口本城の搦め手の林道へ戻るのが分かり易い。

山口城お屋敷見取図①
見取図はさらっと描けるが、500年経過した我々の実戦行動はかなり困難を伴う・・・(汗)

【現地の状況】

●堀切㋙

もともと中腹にあった自然地形の沢を掘り下げて横堀に加工し、輩出した土を東に盛土して叩き土塁を形成したものであろう。二条目の堀切㋘が中途半端に終わっているのは、飯山城の確保が予想外に早く済んだので造成工事の途中で放棄されたせいかもしれない。
身の丈を超す塹壕ラインなどそうそうお目にかかれないので、上杉軍の「やる気」が感じられる・・・(笑)

山口城の巨大二重横堀群 (5)
まあね、師匠を見下ろすのも弟子としてどうかと思いますが、ここはご勘弁でしょうか・・(汗)

山口城の巨大二重横堀群 (10)
補助線を引くのは本位ではないが、現地の状況はこんな感じになっている。

「信濃の山城ベスト50を歩く」(2013年 サンライズ出版)で、山口城の記事を担当したの長野県教育委員会の遠藤公洋氏は、ある時期に山口城の北東部を拡張・強化し富倉峠をコントロールするために小城とこのテラス(巨大二重横堀)が追加普請されたのではないか?と推測している。
そう、その工事発注者は越軍の司令官に違い無かろうと・・・・・。

山口城の巨大二重横堀群 (12)
土塁の上から撮影した横堀㋙の堀底。落差10m近い。

●堀切㋘

土塁を東に下りると、堀切㋘に遭遇する。造成途中で放棄されたらしいが、その構造は500年経過した現在でも確かに見る事が出来る。前述の遠藤公洋氏は、この防御テラスが上杉軍独自のドクトリンではなく、時代が求めた築城技術の往時の流行の手法だとしている。
なるほど、この横堀を多用する防御の塁線指向は若宮城にその類似性を見出す事が出来る。

山口城の巨大二重横堀群 (13)
全身を容赦なく打ち据える藪の体罰に絶えて次の堀切㋘に辿り着く。

山口城の巨大二重横堀群 (16)
堀切㋘の増設作業は途中で終了したようだ。直角に近い切岸の処理は鋭くて素晴らしい。

いい年した中年男が二人で藪にまみれた堀底を徘徊している姿は、傍から見たらさぞかし滑稽であろう・・(笑)

山口城の巨大二重横堀群 (19)
突入したのは良いが、どうやって脱出するか悩んでおりました・・・(汗)

この長大な二重の横堀はそのまま北へ延長すると沢を隔てて小城の背後の二重堀切に辿り着く。

色々と足りない頭で「小城+二重横堀」の防御ラインの意味を読み解こうとしてみると、次の意図を持っていたように思われる。

●御館の乱におけるVS武田軍への国境最終防御ライン

武田領との国境に位置する飯山城が落ちた場合、越後本国への関門である富倉峠の手前で敵を阻止しなければならない。山口城である程度敵を引きつけて時間を稼ぎ、鳥坂城より後詰めの兵を送る作戦を基本に強化。
これは武田滅亡後に織田軍が国境に押し寄せてきた場合も同じ想定をしていたと思われ引き続き普請が続けられたのであろう。

山口城の小城 (64)
山口城における二重横堀の位置


≪山口城 二重横堀≫ 

標高:470m~500m 比高:70m (御屋敷より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市旭城平
攻城日:2014年11月24日
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:山口本城より下り10分
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版) 「長野の山城ベスト50を歩く」(2013年 サンライズ出版) 
注意事項:特に無し
その他:藪との困難・死闘に立ち向かった勇者のみが見られる(笑)
Special Thanks:あおれんじゃあ様





Posted on 2015/05/16 Sat. 08:02 [edit]

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山口城②・御屋敷編 (飯山市旭)  

◆山口城の平時の生活空間◆

麓の居館と山城のセットなどと書くと、「今さら何を時代遅れな定説を・・・」などとお叱りを受けそうなこの頃である。

そうノタマウ某城郭研究者によれば「城は軍事構築物であり、軍事学からの視点での究明も必要である」との仰せだ。
この点に関しては全く同感なのだが、最近は「城メグ●●ト」なる某女史と組まれて一過性の中世城郭ブームに乗っかり山城巡りをにこやかにアテンドしているお姿を拝見すると、学者稼業も硬派だけではダメなんだなあーと思った次第・・・(笑)

今回お届けする山口城第二弾は、馬場を持つ麓の「御屋敷」。

山口城 (3)
西側から見た御屋敷の主郭。

●御屋敷

小城の南400mの台地上にあり、ほぼ円形の53×55の郭と東に隣接する形の馬出しを持つ。ここから山口城の本城は西へ400mの位置で中間に長大な横堀が介在している。
農作業をしていた地主の方にお伺いすると、ここの土地はもともと縁を土塁が周回していたらしいが、耕作地となるに及んで取り壊されたのだと言う。当時の事を知っている村の古老は最近亡くなってしまったので、詳しい事はわからなくなったという。(2013年5月13日の取材)

山口城お屋敷見取図①
ゲジゲジとミドリ虫の図解ではありません・・・(汗)

山口城 (6)
耕作地となったが、往時の形状が残る馬出し(55×30)

山口城 (8)
往時の土塁と柵を再現するとこんな感じかしら・・(笑)。東側の小城との連携は問題ない範囲だ。

山口城 (9)
耕作地となっている現在の御屋敷跡。

土塁は壊され、耕作地による改変は否めないが、南側に両袖に土塁の痕跡の残る虎口が残っている。
そして恐らく主郭の西側には横堀があったと思われる。

山口城のお屋敷 (3)
南に開けられた虎口。

山口城のお屋敷 (12)
現在の農道は堀形を埋めたものであろう。

山口城は本城・小城・御屋敷から成る広大な縄張りを持つ為に、それぞれの築城年代については様々な意見がある。
御屋敷と本城という従来の居館+詰め城の補完として小城が築かれた説、居館+小城の土豪様式から本城を追加築城した説、上杉謙信時代の飯山城防衛拠点としての支城から、天正壬午の乱における飯山城確保の拠点城としての改修など。

残念ながら正解は分からない。

表面観察の限界の現状を嘆く諸氏もいらっしゃるが、想像してみるのも一興だと思う。
歴史学の浪漫とはそういうものであると勝手に思いこんでいるが・・・・(汗)

山口城のお屋敷 (5)
御屋敷から見た山口城の本城。


≪山口城 御屋敷≫ (やまぐちじょう おやしき)

標高:423m 比高:10m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市旭城平
攻城日:2013年5月13日(初回訪問) 2014年11月24日(二回目訪問)
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-
駐車場:道路脇に適当に路駐
見どころ:虎口など
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
注意事項:特に無し
付近の城跡:山口城、中条城・累城、飯山城など
その他:巨大横堀は絶対見るべし(藪の困難に立ち向かう事・・・笑)
Special Thanks:ていぴす様(初回)、あおれんじゃあ様(二回目)

山口城の小城 (63)
東麓からの遠景。



次回は本城の山腹深く眠る長大な謎の横堀について・・・・もういい?・・・・まっ、そうおっしゃらずにお付き合いください(笑)











Posted on 2015/05/13 Wed. 22:45 [edit]

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山口城①・小城編 (飯山市旭)  

◆戦闘モード全開の熱き砦◆

ツイッターがご縁となり、先月はヤブレンジャーのウモ様ご夫妻、そして五郎様をアテンドして信濃の城をご案内しました。
あおれんじゃあ様や余湖様とは既に何度かご一緒させていただきましたので、念願だった山城全国区の先駆者の方々にお目通りが叶いました。

「信濃」という井の中の限定の蛙(かわず)を認知して頂けるとは、ありがたい事でございますw

これからも引き続き「信濃のガラパゴス」となるべく努力する所存でございます・・(笑)

んで、今回ご案内するのは、昨年の晩秋に「あおれんじゃあ」さんと訪問した山口城。まずは小城。

山口城 (2)
国道292号線の飯山街道沿いの東側になる旭地区の山口神社が目印になります。

立地や城主・城歴は次回以降に掲載予定の記事にお任せするとして、今回は城跡のみのレポートに徹します・・

山口小城見取図①
本城が築城される前の臨時の砦だったようだが、気合の入れ方がハンパ無い・・・(汗)

実はこの城の100m南に「御屋敷」という遺構があり、居館が置かれていたという。(※御屋敷の紹介は次回以降の予定)その詰め城として最初に小城が臨時で築かれ、その後に山口城の本城が築城されたという。
北信濃の名族である岩井氏の築城とされる。(岩井氏は甲越紛争の際には上杉方の重臣として飯山城将を勤めた)

山口城の小城 (1)
搦め手の堀切㋐。尾根を遮断しているが後年の耕作により改変されたようだ。

●厳重な防御を誇る二重堀切

この小城の最大の見どころは北尾根を遮断する長大な二重堀切(㋑・㋒)で、斜面を長大な竪掘りとして下ると共に堀の壁面を抉る事で敵の登坂を不可能にしていることであろう。
これが約500年前の工事とは思えない凄技なのである。

山口城の小城 (8)
堀切㋑(南側の堀底より撮影)

山口城の小城 (9)
堀切㋑。上巾は10mとさほどでもないが、切岸の処理は見事である。

同行した「あおれんじゃあさん」と溜め息の連続である・・・

「こんな小城に、ここまで防御を厳重に施すのか・・・・」 そして追い打ちを掛けるように上巾12mの堀切㋒である。

山口城の小城 (20)
写真に補助線を入れなくても堀切が確認出来る事は、かなり立派な堀切が残っているという証でもある・・。

山口城の小城 (22)
東側に竪の堀切として落ちる㋒。これだけを見学しても飯山まで見に来る価値はあるだろう。

●主郭背後の郭3の重要性

山口城の小城 (26)
かなり特殊な構造をしている郭3。

この城の二つ目の見どころは、主郭に隣接する郭3の恐ろしい程の高低差であろうか。落差6mの切岸というのは大堀切を施した処理に近い。

山口城の小城 (28)
西側から見た連結部分の切岸。

山口城の小城 (29)
500年後の現在に至っても登れない切岸というのものうはお目にかかれない程垂直に近いのだ。

山口城の小城 (32)
郭3から派生するように東斜面に落ちる竪掘㋓。

●主郭とその周辺

主郭は丁寧に削平されて北・西・南にかけて土塁が残存している。郭3は削平されているものの切岸によって隔離され、堀切郭と7呼ぶべき変則性を有している。
かなり特異な城の作りで、まさに「戦うべき城」である。

山口城の小城 (40)
祠の残る主郭。削平が丁寧にされている。

山口城の小城 (42)
主郭の南側に残る土塁。

山口城の小城 (50)
主郭より郭2を見下ろす。ほぼ垂直に近い切岸に驚く。

山口城の小城 (53)
南西方面に見える山口本城。距離にして約500mぐらいだろうか。

余談ではあるが、「山城ヲタク」といっても色々な系譜があるので、鉄ヲタ同様に好みが分かれる。

縄張りフェチ、土塁フェチ、堀切フェチ、畝堀フェチ、石積みフェチ、横矢フェチ・・・どのくらい派生しているのか研究するのも面白いだろう(笑)

あおれんじゃあさんは出身が長野市ということもあり、信濃の城に造詣が深いし、何よりも同郷のよしみと云う事で年齢も近いので、何かと話が合う。同じ趣味と云うだけで何故か安心出来るのは何よりも嬉しい事です。

いい年した中年男二人が城跡でまったりしているのも可笑しいのですが・・・・(汗)

山口城の小城 (57)
山口小城から見た飯山城方面。

甲越紛争における謙信の最後の拠点飯山城を守る山口城。緊張感が今でも伝わる秀逸な城ですネ。

山口城の小城 (63)
この何の変哲もない小山に恐るべき秘密が・・・・・・・・・・・・・・・・・・(笑)

≪山口城 小城≫ (やまぐちじょう こじょう 別名:家老城 四ツ屋小城)

標高:445m 比高:50m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市旭城平
攻城日:2014年11月24日
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:5分
駐車場:道路脇に適当に路駐
見どころ:大堀切、土塁
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
注意事項:特に無し
付近の城跡:山口城、中条城・累城、飯山城など
その他:巨大横堀は絶対見るべし(藪の困難に立ち向かう事・・・笑)
Special Thanks:あおれんじゃあ様








Posted on 2015/05/09 Sat. 23:36 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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