らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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諏訪原城 (島田市金谷)  

◆「後ろ堅固」武田流の縄張りが美しい徳川改修の巨大城郭◆

山城ばかり攻めている田舎者なので、こういうデカイ城ですら搦め手から登りたいという変な願望がある(笑)

ちゃんと事前に調べれば大手口に駐車場だってあるのに、看板見つけりゃ即突入開始。悪い癖だ・・(爆)

諏訪原城(遠江) (1)
確かに入口表示があるが途中から藪が酷く、こちらから登る人はいないらしい・・・(汗)

諏訪原城(遠江) (4)
土塁を伴う巨大な外堀。

ワクワクしながら登るのだが、道が途中で消えて藪漕ぎ・・。国指定なのに何で?どうして?

私有地を突っ切る訳にもいかず仕方が無いので台地上に駆け上がる。

旧東海道を歩くと大手口らしき場所と駐車場があるではないか!!これには茫然自失となる(笑)

諏訪原城(遠江) (6)
えっ、パンフレットまであるんかい!(汗)


諏訪原城は昭和29年に静岡県指定史跡となり、昭和50年には国指定史跡、そして平成14年に大手郭の一部を追加指定され総指定面積では113,305㎡あるという。

諏訪原城見取図①
地形図を基に縄張図を描くとこんな感じかしら。デカイ城の縄張図は不得手にございます・・・。


永禄12年(1569)、駿河侵攻を開始した武田信玄がこの付近に砦を築いたとされる。

天正元年(1573)に信玄が亡くなり、後を継いだ武田勝頼が馬場信房に築城を命じる。牧ノ原台地に築かれたこの城は城内に諏訪大明神を祀った事から諏訪原城(または諏訪の原城)と呼ばれ、遠江への版図拡大を目指す武田軍の前進基地となり、小山城と共に高天神城攻略の重要拠点であった。

諏訪原城(遠江) (9)
徳川時代に増設された大手曲輪。(現在は茶畑が広がる)

諏訪原城(遠江) (17)
大手曲輪の北側に増設された堀切㋒

翌天正二年(1574)に高天神城を武田方が奪取すると、諏訪原城は兵站補給基地として機能する。

ところが天正三年5月、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に武田が敗れると、徳川は駿河の武田方の諸城に対して攻略を開始する。

諏訪原城も7月から一ヶ月の籠城戦を耐えるが城主今福浄閑(または閑斎)が討死していまい落城してしまう。
この時の武田方には信濃の国人である室賀氏・小泉氏も今福氏の寄騎として在城していたという。

諏訪原城(遠江) (14)
大手曲輪に建つ今福淨閑氏の墓塚

諏訪原城(遠江) (27)
中馬出から見た外堀と二の郭虎口方面。


諏訪原城(遠江) (29)
中馬出と三日月堀。本来は土塁があったのだろうが平削されてしまったようだ。


落城後、徳川家康はこの城を「牧野城」と改名し、武田による縄張りを踏襲して堀や馬出を増設し更に大手曲輪を追加普請して東海道の道筋を抑えた。

現在の諏訪原城は徳川による大規模な改修を受けた最終形で、発掘調査においても武田時代の遺品は出土していないらしい。五ヶ所残る丸馬出のうち、武田時代の丸馬出は中馬出と南馬出だったと小生は思っている。
(城正面という考え方をすると大手の馬出は徳川時代に増設したのではないか?)


諏訪原城(遠江) (34)
北馬出。

諏訪原城(遠江) (33)
北馬出から大井川方面(駿河方面)を臨む。


家康は牧野城(諏訪原城)に城主を置かず輪番制の城番とした。その中に今川氏真(今川義元の息子)がいたのだが、パッとせず一年ぐらいでクビになったという。(蹴鞠の天才は城勤めすらダメだったのか・・)

その後武田勝頼の駿河方面の城の監視や高天神城攻略における拠点となり、天正九年(1581)に高天神城が落城し翌年甲州征伐により武田氏が滅亡すると、この城の役割も薄れた。

諏訪原城(遠江) (43)
水堀だったという外堀(堀切㋑)。水があろうと無かろうと攻めるのは大変な深さと巾である。


諏訪原城(遠江) (52)
壮大な広さを持つ二の郭からみた本郭虎口方面。


諏訪原城(遠江) (49)
二の郭の中央部には遮断するような形で方形の土塁が本郭の虎口方面を隠すように覆っている。


その後の諏訪原城は、家康の関東への転封に伴い天正十八年(1590)頃に廃城となったという。


諏訪原城(遠江) (58)
土橋から見た堀切㋐(内堀)

諏訪原城(遠江) (64)
宝篋印塔の一部を礎石とした城門があったことが発掘で確認された本郭虎口。


諏訪原城(遠江) (70)
本郭は幅広い土塁で周囲が囲まれている。中央には矢倉櫓と呼ばれる望楼があったという。


近年、諏訪原城は発掘調査が進み、その全容が次第に明らかになりつつあるという。
願わくば、武田時代の遺構が発掘されて欲しいものである。

さて、余計な解説はこのくらいにして諏訪原城の史跡巡りをスライドで・・・(ってか手抜きともいう・・・笑)

諏訪原城(遠江) (81)
主郭址に残る石積み。

諏訪原城(遠江) (80)
搦め手方面の北側に展開する堀切㋓。


諏訪原城(遠江) (92)
内堀の南側に残る井戸跡。何で堀切の中にあるのだろうか?


諏訪原城(遠江) (98)
井戸から南側の空堀は「水の手曲輪」と呼ばれている。伏兵を置いたのであろうか?


諏訪原城(遠江) (100)
二の郭の南半分を「三の郭」と現地の看板では称している。


諏訪原城(遠江) (104)
東馬出と堀切。


諏訪原城(遠江) (107)
諏訪神社のある大手馬出。

諏訪原城(遠江) (110)
「竪立」と呼ばれる堀切の壁を垂直にした防御施設。外堀と大手馬出を連結する土橋で見る事が出来る。


諏訪原城(遠江) (111)
丸馬出と美しいRを描く三日月堀。


諏訪原城の存在を始めて知ったのは2007年に読んだ「戦国の城」(小和田哲男著 学研)だった。

「甲陽軍艦の示す武田流築城法」の解説で諏訪原城とその縄張りが示されていた。

「いつか訪れて本物をこの目で・・・」その思いから6年目にようやく実現出来たというわけでした(笑)

「ホンモノは想像していたより全てにおいてデカイなあー」このことであった‥‥。

思わず城跡の順路を二周した挙句に搦め手から退却・・(爆)

諏訪原城復元図①


「城郭を語ろうとするなら、諏訪原城を見ずして城を語る事なかれ!!」

どなたかのHPに書かれていました(汗)

これでようやく小生も「城を語る資格」を取得したのかしら??(笑)


≪諏訪原城≫ (すわはらじょう 諏訪の原城、扇城、牧野城)

標高219.0m 比高:135m(金谷駅より)
築城年代:戦国時代
築城・居城者:武田氏、徳川氏
場所:静岡県島田市金谷城山町
攻城日:2012年10月7日
お勧め度:★★★★★(満点)
見どころ:堀、土塁、丸馬出など見どころ満載
その他:搦め手には駐車スペースが無いので大手口に止めましょうネ。
参考文献他:島田市教育委員会文化課パンフレット、戦国の城(小和田哲男著)

諏訪原城(遠江) (83)
搦め手から見た金谷駅方面。崖淵台地にあることが分かると思う。





Posted on 2012/10/27 Sat. 14:02 [edit]

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