らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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真田氏の山城ネットワークの近況 (上田市真田町)  

◆中世の山城入門者にお勧め「真田氏の山城・居館巡り」◆

父親の一年忌が1月5日なので、新年のご挨拶は遠慮させていただきますが、本年も宜しくお願い申し上げますw

さて、年末年始になると「城納め」だとか「城初め」がtwitterで賑わうので、小生も大晦日・元旦と真田氏の山城を巡ってみました。

「懐かしいなあー」と思う方や「これから行ってみたいなあー」と思う方も、しばしのほどお付き合いくだされ・・・(笑)

また、各お城の詳細や場所を知りたい方は、小生のブログ内の「検索欄」に城名を入れて検索していただくとヒットするかもしれません・・(汗)

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天白城の名物「岩盤大堀切」

【尾引城】

登り口から5分もあれば主郭に辿り着きます。城正面を数段の段郭で防御し、城の背後は三重の堀切で遮断。尻尾のような尾根先にも小さな段付き郭を置いて搦め手に備えています。(この先を登ると詰めの城の横尾城へ)

この城は、対岸北側の根小屋城と共に松代街道を監視し、同時に東側の打越城(おっこしじょう)との間にある内小屋(現在の信綱寺のあるかつての居館区)を防御する役割を担っていたと考えられます。

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真田丸のおかげで山城の入口には説明板が最近設置されました。
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主郭には秋葉神社が祀られている

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主郭背後の三重の堀切

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堀切から主郭を見上げるとこんな感じ

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東に真田氏本城がよく見えます


【根小屋城】

こちらも登り口から15分もあれば主郭に着きます。尾引城と同様に正面に数段の腰郭を置いて備え、背後は深い二重堀切で遮断しています。残念ながら堀切を含めた搦め手方面は深い笹薮で覆われ詳細の確認は難しくなっています。
村上氏砦でしたが、村上氏退去後は武田氏の山県隊寄騎の大熊備前守朝秀(嘗ては謙信の家臣)がこの城を守ったと伝わります。

主郭(高い城)のある場所から南の沢を挟んだ対岸に副郭(低い城)を置くこの地域の山城では珍しい縄張が特徴です。
低い城の探訪者は少ないので、この城へ来た際には是非寄ってみてください。

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登り口にある説明板。背後の川は「神川」(かんがわ)

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虎口の石積み

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主郭。おっと、城代家老がいらっしゃるようですよ・・・。

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「こんにちわ!またお邪魔しますんで、宜しくお願いしますネ」

城址は大熊氏の筆頭家老のカモシカさんの生活空間なので、冬場は大抵お目にかかる事が出来ます。
しばらくすると退去してくれますが、機嫌の悪い時はどいてくれないので、そんな時は無理せず退却しましょう。

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対岸の尾引城、横尾城。遠く真田氏本城も見える。

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対岸の低い城。石碑と東屋が見える。ここには明確な遺構がある訳ではなく、その後信仰の場所として使われたらしい。

【洗馬城】

根小屋城から松代街道を西へ進んだ大庭地区にある山城。小学校のある場所は「萩の館跡」と伝わり真田氏の出自に関係した居館らしい。洗馬城(せばじょう)は海野氏方の千葉氏(せばし)が守った城とされ、村上軍との戦いにその名が出てくるという。

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登り口の説明板。

城の正面に複数の腰郭を造作して防御とし、主郭の背後に堀切を穿つ手法は近隣の他の山城と同じ手法である。

但し注意して欲しいのは、この主郭の西尾根を遮断するのは古道の「乗越」(のりこし)であり、大堀切ではない。登り口の上田市教育員会の説明板も大堀切としているが、間違いであろう。もう一つ北側に続く尾根には小さな堀切が二ヶ所ほど確認出来る。

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主郭。かつては土塁が周回していたと推定される。

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この城の記事でほとんどの方が「巨大な堀切」と紹介している西尾根との乗越。麓の神社と実相院を結ぶ山道のピークで自然地形であろう。

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もう一方の主郭の背後の北尾根には二条の堀切が確認出来る

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西に奥まった位置なので、尾引城を介さないと真田氏本城との直接の連絡は難しい。


【真田氏本城】

大晦日だというのに数台の県外車と見物人が訪れていたのには驚いた。この場所に立つと、ここが有事の際における真田氏の山城ネットワークの戦闘指揮所なのだという事がハッキリ分かる。
果樹園として大きく改変されてしまった城の半分は最終形だったはずなので、今日見ることが出来ず残念である。
それにしてもここからのロケーションは素晴らしい。

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遠い昔のように思える「真田丸」(笑)

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主郭背後の高土塁は防御と共に敵から本郭を隠す役目を担っている。

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東には天白城の雄姿。斜面が伐木されたので、主郭背後の大堀切が竪堀となって斜面を下る様子が観察できる。

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松代街道もキッチリと動向が確認出来る。(洗馬城は見えない)

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もちろん、戸石城やその支城の伊勢崎城(虚空蔵山)も。

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上州方面の有事の対応も怠りなく。

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主郭と背後の高土塁。

【打越城】(おっこしじょう)

信綱寺の前身は打越寺(おっこしじ)といい、元々横尾氏の菩提寺であり、その周辺は内小屋と呼ばれ居館元々があったと推定される。信綱寺の黒門がある尾根は打越城と呼ばれ、内小屋の東側を防衛する砦として南の尾引城と共に重要な役割を担っていたという。

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黒門の東側の駐車場に説明板があります。

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信綱寺の表参道となっているこの尾根は嘗ての砦跡と知る人は少ない・・・(汗)

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黒門の先を尾根伝いに進むと墓地を抜けて尾根の最高地点の主郭へ。この先は堀切が一条あるのみだ。

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打越城の西側の駐車場より見た真田氏本城。


【真田氏居館】

地元では御屋敷と呼ばれ、真田幸隆・信綱が居住したと伝わる。信綱が長篠の戦で戦死した後は正室の北の方が住まわれ、勝頼の命により真田家当主の座を継いだ昌幸は戸石城のある伊勢崎で政務を執ったという。
台形の巨大な居館は土塁が全周し東には堀、北側は大沢川が天然の堀を形成している。
上田城築城後、この居館の荒廃を恐れた昌幸は神明宮を勧進し現在に至っている。

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西側の巨大な土塁。堀は耕作地化により埋められたか?

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搦手となる北側は大沢川を天然の水堀として防御している。

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居館の東側に鎮座する皇大神宮。

【天白城】

真田氏本城のすぐ南の山の尾根先に築かれた砦で、里伝では信綱が居館造成に際して新たに築城したという。
城の正面に段郭を重ね、主郭の背後は岩盤を叩き割った上巾8m程の大堀切が北の斜面に向けて巨大な竪堀となっている。
主郭の周囲を石積みで囲み小さいながらも加工度の高い砦である。

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麓の北赤井神社。ここから城跡へ登る。

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主郭を囲む石積み

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石積みその2

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主郭(16×13)

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北側から見た岩盤大堀切。見事だ。

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巨大な竪堀となって北側の斜面を下っていく

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真田氏本城も指呼の間である。

天白城が何故ここに築かれたのかは、ここから一望できる景色が答えを出している。
本城からは見えなかった洗馬城も含めた真田山城ネットワークがここからは全て把握できるのだ。

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松尾城と遠見番所。

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寒さも忘れてしばしその圧巻の風景に感動だ!(笑)

さて、如何でしたでしょうか?

年末年始を山城とともにお送りしてみました・・・えっ?松尾城と遠見番所も行けって?・・(汗)

この時期にどうしても訪問したい方はそれなりの装備とスパイクピン付き長靴は必需品です。
比高は天白城の140mがマックスですが、雪と氷、それに落ち葉の積もった道は低い場所でも危険が伴いますので、春先が良いといます。

では、リクエストにお応えして松尾城の写真を2枚。(2016年1月2日の撮影・・・・笑)

松尾城201612 (26)

松尾城201612 (32)


















Posted on 2018/01/03 Wed. 14:22 [edit]

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余地峠 (長野県南佐久郡佐久穂町/群馬県甘楽郡南牧村)  

◆武田軍の上野国遠征で使われた信玄道(棒道)の残る峠◆

この季節、B‘Zの「いつかのメリークリスマス」や「クリスマスキャロルが流れるころには」が聞こえてしまうと、頭の中ヘビーローテーションで始まってしまう・・(汗)

クリスマスというと、なんだかバレンタインデーの前座みたいだよネ。それと、小生にとってはバタークリームのクリスマスケーキしか思い出せなくて・・・なんか切ない・・・(笑)

バターケーキ①
貧しかった幼少時代はこれが年一回しか食べられない最高の御馳走だったんだ・・・・・

さて、センチメンタルジャーニーはこれぐらいにして、気を取り直してブログを再開しますか・・・(笑)

今回ご案内するのは信濃国佐久と上野国の南牧村を繋いだ余地峠(よじとうげ)の取材記事。例の如く、「そうだ、余地峠が俺を呼んでる!!」と思い付きで出掛けてしまい、ここに砦跡があるのを知ったのだが後の祭りでした・・・(汗)

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武田遠征軍も見たであろう余地峠への風景。

【余地ダム】

基本的にダムがあるとついつい寄り道してしまう。平成2年製の重力式コンクリートダム。

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建設から30年近くも経つと自然の風景に溶け込んでいて違和感がない。

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そういえば、どなたかのブログで人の顔に見えるとか言っていたなあー。ホントだネ(笑)

【余地峠へ】

余地ダムの少し先に登り口がある。峠の頂上まで対面通行さえ出来そうな林道が通じているが、ゲートが固く閉じられているので、悪路走破自慢のジムニー君も出番なし。孤独を噛みしめながらひたすら歩くしかない・・・。

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オフロードバイクがすり抜けた跡がある。ルールは守らにゃいけません!

余地峠信玄道①
この地図を持って出かければ良かったと後悔したが、この季節は藪漕ぎ三昧だったであろと思ったのも事実である。

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後で分かったのだが、この辺りから尾根通しに信玄道があったらしい。

余地峠の古道は余地川沿いを通るの為、急崖や難所も多くあり軍隊の通行には不向きだったらしい。その為わざわざ尾根に棒道を開けて峠よりも高い地点を通過し峠に下りたと伝わる。

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中間地点の中の峠から余地ダムを振り返ると管理事務所が見える(写真はズーム拡大)

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整備された林道をひたすら歩くのはいつもの事で慣れてます。でも、時々虚しい気持ちになります・・(笑)

余地ダムから40分ほど歩いてようやく余地峠の頂上に着いた。

この辺りの県境の峠としては、熊倉峠、内山峠、田口峠、余地峠、十石峠、ぶどう峠などがある。

南佐久地方は、昔からこれらの峠を介して上野国の下仁田、南牧、上野などとの物資や人的交流が盛んで、明治j時代に鉄道が物流の主役になるまでは生活物資運搬の為の重要な街道でもあった。

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牛や馬が物資輸送の中心だった時代に賑わった余地峠だが、手書きの標柱とは寂しい。

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馬頭観音が辛うじて往時の面影を伝えるのみである。

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峠の頂上はこんな感じ。

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それでも峠の北側は大部隊が駐留出来る充分な平場がある。

【信玄の棒道】

峠の北側の平場の脇に棒道があった。恐らくこれが信玄の棒道であろう。ここを辿れば「余地峠の烽火台」に行かれたのに、事前の下調べもせずに突撃したので惜しい事をしてしまった・・・(汗)

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信玄の棒道と思われる通路。北の尾根側に続いていました。

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南牧村(なんもくむら)の熊倉へ続く峠道。

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麓の熊倉の集落が見えるかと思ったが、この季節じゃ無理でしたネ。

余地峠は信玄の「飛脚かがり」の西毛線として上野国の状況を知らせるために烽火台が置かれたという。

今回は若気の至りで烽火台跡と想定される1331mの峰を調査出来なかったが、いつの日かリベンジして棒道とともにその謎に迫ってみたいと思った次第である。

≪余地峠≫ (よじとうげ)

標高:1269mm 比高:211m (余地ダムより)
場所:南佐久郡佐久穂町/群馬県北甘楽郡南牧村
攻城日:2017年5月21日
お勧め度:★☆☆☆☆ 
峠頂上までの所要時間:40分 
駐車場:余地ダム
見どころ:棒道
注意事項:余地ダムから先はスマホ、携帯は圏外になりGPSも使用不可。冬は鉄砲隊に注意
参考文献:「信濃の山城と館① 佐久編 宮坂武男著」 「定本佐久の城」(1997年 郷土出版社)
付近の城址:勝見城、松山砦、大崖城、灰立山烽火台など

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中の峠から見た余地峠(中央の低い場所)

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スマホのアプリも中峠からGPSがフリーズしてしまい役に立たなかった・・・。

Posted on 2017/12/24 Sun. 13:48 [edit]

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鷲尾城 (東御市新張奈良原)  

◆「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編」のトップに掲載されていた城◆

今さら何を・・・と思うかもしれないが、小生の山城への情熱のスイッチを押したのは宮坂武男氏の「図解山城探訪」シリーズである。(当時は非売品、県内の図書館でも館内閲覧のみで貸出禁止のところが多かった)

現在は「信濃の山城と館①~⑧」(戎光祥出版)として2012年度より随時内容も改訂され限定数量ながら販売されているが、今も長野県の山城の第一級資料としてゆるぎない地位を確立し山城ファン垂涎のバイブルでもある。

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今回ご案内する山城は、小生が初めて東御市の図書館で拝見した「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編」の一番目に掲載されていた山城である。取り立てて比高が高いとか奥深い山だとかでもなく、何回かチャレンジする機会はあったものの何故か後回しとなり、東御市における未訪の城として唯一残っていた。「いつでも行ける」と思うか「今しか行けない」と思うか・・・心掛け次第であろう・・・(笑)

図解 山城探訪 第三集 上田小県資料編 (102)
「図解山城探訪」では1番目の山城だったが、改訂出版された「信濃の山城と館」では4番目に変更されている。

【立地】

東御市から地蔵峠を越えて群馬県嬬恋村鹿沢に通じる県道94号線の途中の奈良原集落の西側「鷲尾山」の山頂に築かれている。比高は麓を流れる所沢川より約150m程度である。

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奈良原集落からの鷲尾城遠景。右のピークが主郭。

【城主・城歴】

立地から祢津氏の本拠地である祢津下の城・上の城の詰めの城と考えられてきたが、簡素な縄張で改修された跡もないので祢津氏に属する在地土豪の城であったようだ。

大正十一年発刊の「小県郡史」には鷲尾城址として「祢津村新張區(ねつむらみはりく)小字楢原の西山なる鷲尾の山上にある山城なり。麓より登ること約五町にして本郭に至る。本郭は東西十間、南北一町。二郭は東西狭き處にて五間廣き處にて十間、南北に二町に亘り段あり。城跡中堀切二條あり。石垣の残るあり。先なるを鷲尾城といひ、後なるを萩城(はぎのしろ)といふ。新張の聚楽より一里十町の山奥にして僻阪の地たり。所傳を聞かず」とある。

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最近東斜面全体が伐木されたようだ。比高100mぐらいなら直登でも何とかなりそうと腹を決めて登る。

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藪の直登も厄介だが、禿山の急斜面の直登も掴む枝や木が無いので「転落注意」。

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「ういやつ」のジムニー君がゴミのように見える高さである・・(汗)

何だかんだ20分間急斜面を直登して二郭へ到達。尾根部分も伐木されていて遺構が鮮明に見易くなっていたのは有難いのだが、来年の夏は藪化必死であろう。そうでなくとも斜面に蔓延る棘科の植物に刺されまくって直登したので「こりゃ痛そう・・」

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二郭南端の岩を利用したと思われる木戸。ここが城域の南限らしい。

【城跡】

段差のある郭を二つ繋げ、主郭の前後を堀切で断ち切った簡素な縄張の山城である。小県郡史(ちいさがたぐんし)では、主郭を「萩城」南側の二の郭を「鷲尾城」と記載しているが連続しているので一つの城であろう。南限には岩を利用した木戸が設けられ、北側の鞍部方面にも天然の岩石を削り出して防御構造としている。

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木戸の南側の削平地。

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木戸側より見た二の郭。削平は曖昧だが結構な広さだ。

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伐木されたおかげで眼下に奈良原集落が良く見渡せる。

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二の郭と主郭の間には高低差を利用した堀切があるが短い。

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主郭側より見下ろした堀切。かなり浅くなってしまったようだがこの城では最も大きな堀切である。

主郭は堀切側に土塁の遮蔽を付けて二段の長方形を成している。北側には岩で虎口を作り更にその先に堀切を穿っている。

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主郭と南の堀切側の遮蔽土塁

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北側より遮蔽土塁を撮影

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本郭北側の虎口。左右を土塁と岩石で守っているのが分かる。

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虎口を北側より撮影。小さな山城だけど上出来だネ(笑)

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虎口を抜けると落差を利用した岩盤堀切。結構鋭い。

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堀切の先は岩が剥き出しの痩せ尾根が続く。

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痩せ尾根の北の先にある岩盤堀切。ここまでが城域であろう。

さて、如何でしたでしょうか?

在地土豪の簡単な物見または逃げ込み城的な簡素な作りですが、こんな高地集落にも城が必要だったとは驚きです。

それにしても6年も7年も放置した甲斐があってか、伐木されてスッキリした遺構が見れて良かった。

結論として、「いつ行くの?」   「今でしょ!」  (古いなあー 笑)

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何とご褒美には城跡から「富士山」が拝めましたよ!


≪鷲尾城≫ (わしおじょう 萩城)

標高:1236mm 比高:150m (所沢川より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:東御市新張奈良原
攻城日:2017年12月3日
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:20分 駐車場:墓地の駐車場借用(墓地までは軽自動車じゃないと無理かも)
見どころ:堀切、土塁、眺望
注意事項:伐木用の作業道が途中まであるが、最後は斜面を直登する。
参考文献:「信濃の山城と館③上田小県編 宮坂武男著」 「小県郡史」(大正十五年)
付近の城址:祢津支城、祢津下の城、祢津上の城、矢立城など

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まあ、こんな感じかしら。

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場所はここです。





Posted on 2017/12/10 Sun. 11:17 [edit]

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殿城山城2 (リテイク 上田市殿城)  

◆真田山城ネットワークのメインの烽火台として使われたか?◆

年齢を重ね、寒くなると億劫になってしまい(ものぐさとも・・汗)、ブログの更新も停滞しております・・・。

今回ご案内するのは、殿城山城の焼き直し。前回は真夏で遺構も景色も良く確認出来なかったので、そのリベンジとして公開。

※前回記事⇒殿城山城

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山頂には相変わらずドデカイ国交省のマイクロウェーブ無線の反射板が鎮座する。

前回は上田市民の森から登り口までの林道を徒歩で30分も歩いたのだが、今回は愛馬ジムニーで旧菅平有料道路の途中から続く石清水の林道を踏破して到着。この日はイノシシ駆除の鉄砲隊の方に遭遇し「気を付けて山登りするように」と警告を頂いた。

登り口から約20分で山頂へ。登山道は整備されているものの独立峰なので後半の傾斜はかなりキツク息が上がる・・(汗)
さすがに標高1194.3mはだてじゃない・・・(笑)

殿城山城縄張図
土手付きの単郭に二重堀切を穿った「狼煙台」だ。

殿城山2
上田小県はもとより遠く北アルプスまで見渡せる立地は烽火台として申し分ない事がわかる。

前回は夏場の探訪で城跡は一面の大藪に覆われ、しかも雨上がりでガスが巻いて何も見えずじまいだった。

なので、殿城山から見える景色を是非一度拝みたかったのですw

殿城山3
1194.3mの三角点。松尾古城遠見番所の1350mには及ばないものの、虚空蔵山城よりも100m高い場所になる。

殿城山4
虎口の周囲は土塁。天水溜めも認められる主郭。

twitterでもコメントしたが、この辺りの烽火台の標高はだいたい1,200mあたりが限界で、それ以上になると天候に左右されてしまいその責務を果たすのが難しくなる。

ただ、全国的にも晴天率の高いこの地区は、戦国時代もあまり変わらなかったと思われる。その証拠ではないが、松尾古城の遠見番所は1,350mという異様な高さに造られそれでも機能している。それでもここから遠見番所に伝達するには天白城を経由しないと難しい。

殿城山5
主郭背後の二重堀切。

殿城山6
北の尾根側から見るとこんな感じの二重堀切。堀中の土橋は後世の造作であろう。

地元の伝承によれば、世に名高い「戸石崩れ」の際に信玄がこの山に本陣を置き、全軍の采配を指揮したことから「殿城山」(とのしろやま)の名が付けられたという。
確かにこの場所からは戸石城も眼下に収めるが、現実の城攻めの陣所とすれば無理がある。

殿城山⑦
ここから戸石城は目と鼻の先かもしれないが、本陣としては高すぎ遠すぎで伝令を飛ばしても時間がかかり過ぎ・・・(汗)

殿城山7
真田氏が領地を治める為の通信所としては最高の見晴らしである。

殿城山8
米山城の登り口から見た殿城山城。山頂の反射板が目立つので上田市内のどこからでも認識できる山である。

殿城山9
twitterで投稿したら結構見て頂いた写真。上信越自動車道のローマン橋のたもとから撮影。

天気が良ければ景色は最高だが、オフロード車でもお持ちでない限りコスパはあまり良くないしマイナーな城なのでお勧めしない。
それでも信濃の山城を極めたい方には避けて通れない山城かも知れない・・・。遠見番所ほどではないのだが・・・(笑)

≪殿城山城≫ (でんじょうさんじょう とのしろやまじょう)

標高:1193.4mm 比高:293m (市民の森公園より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市殿城(トノシロ)
攻城日:2017年12月3日 (再訪)
お勧め度:★★☆☆☆ (眺望がよければ★3つ)
城跡までの所要時間:片道1時間 駐車場:市民の森公園駐車場
見どころ:堀切、土塁、眺望
注意事項:クーさん注意の看板あり。
参考文献:「信濃の山城と館③上田小県編 宮坂武男著」「小県郡史」
付近の城址:矢沢城、矢沢古城など



Posted on 2017/12/08 Fri. 21:41 [edit]

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清滝城2 (リテイク 長野市松代町東条)  

◆尼巌を城を眼下に収める南北朝時代から続く山城◆

この山城には6年ほど前に2度ほどチャレンジして記事にもしている。

清滝城 挫折編

清滝城 リベンジ編

比高600m以上あり、結構しんどかったのでもう登る事も無いかなーと思ってましたが、今一度ぐらいは遺構を真面目に見ようと思い再チャレンジ!(笑)

中々そういう機会を求めるのは時間的にも体力的にも大変な事なのだが、二度、三度と訪問することで新たな発見がある。

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清滝城(地元では奇妙山)の登り口の岩沢公民館付近からの風景。

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善光寺平の山城では認知度抜群の尼巌城(あまかざりじょう)。ここから登ると清滝城⇒尼巌城と体力があれば縦走も可能だ。

「俺の人生、アドリブさ!」 というセリフを耳にするが、人間としての基礎が出来ているから応用が出来るという謙遜であろう。

「俺の人生、思いつきさ!」 というのが小生も自慢であるが、いい加減な人生もここまで来れたら大したもんだと自画自賛(笑)

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岩沢の登山口までは、小型乗用車以下なら何とか登れて駐車も3台くらいまでは可能だ。


尼巌城へは「玉衣比売命神社」から登るルートが一般的だが、ここから登ると最短で一巡出来るのでお勧めだ。

2周連続の台風の直撃で、登山道はかなり荒れ果ててしまい、尼巌城との分岐の尾根まで30分かかり到達。

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ここから更に1時間も登るのか・・・

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ひたすら登る登山は苦手だ。景色でも見えれば良いのだが、高見岩までは退屈な山道が続く。

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アタック開始から60分で高見岩付近に到着。頂上まで45分とあるが、今回は中高年の意地を見せて20分で踏破したのである(笑)

清滝城を目指す方は、是非とも高見岩からの景色をその目で確かめて欲しい。

かの有名な尼巌城を見下ろす事が出来る唯一の場所であり、その絶景は清滝城(奇妙山山頂)からは現在観ることが出来ないので貴重な風景であろう。

信玄よりここの攻略を命じられた真田幸隆は、搦め手にあたるこの場所から尼巌城へ攻め込んだという説もあるらしいが守備側もかなり厳重な防御体制を敷いていたというから一筋縄では事は運ばなかったと思われる。

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尼巌城を背後より見下ろすというのは中々壮観である。

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拡大するとこんな感じ。

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ここから目視で見える城跡はこんな感じ。

途中小学生の親子連れのハイカーを年甲斐もなく追い越し、ここから老体に鞭打ってラストスパートをかけて清滝城に辿り着く(笑)

最近は縄張図を描く気力も失せているので、再びnaomochi-u氏の芸術作品をお借りした・・・(汗)

清滝城縄張図①

●城跡

頂部に置かれた単郭から分かれる三方向の尾根に数条の堀切と数段の削平地を施した砦で、烽火台として使われたと推定される。標高1,000~1,100mあたりが烽火台の高さの限界で、それ以上になると天候に左右されて麓や他の烽火台からは見づらくなる。

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登山道に現れる最初の堀形

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主郭手前の二条目の堀切。ここには「堀切」の説明板があった。

●主郭

主郭は22×11の細長いホームベース状で北側に土塁の痕跡が確認出来る。

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北側より撮影した主郭

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北側の低い土塁跡と三角点

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山頂は北側の一部のみ視界が開ける。

●北東尾根

主郭から北東尾根には段郭を二段連続させて二重堀切で遮断し、更にその下に一条の堀切を穿ち防御を厳重にしている。

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主郭より段郭を見下ろす。

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二重堀切

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東尾根最終の堀切

●南尾根

本郭の南側を二条の堀切で遮断。その先は堡塁でここが城域の終点だと思われる。更に400m先まで進むと岩盤が剥き出しの岩山となり石仏と祠がある。

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主郭背後の堀切

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堀と堀の間の郭

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南尾根最終の堀切

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城域の終点の堡塁

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堡塁の上から見た松代町。尼巌城は見えなくなっている。

高所恐怖症なので剥き出しの岩山を探索するのには結構勇気というか、度胸が必要でした・・・(汗)
それにしてもこんな高い場所の岩山に石仏と石祠を運び上げるのには大変な労力を要したと思い、その信仰心には頭が下がる思いでした。

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岩山の石祠

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岩山のてっぺんに何かあるぞーと思って近くまで寄ると・・

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修験者の厚き信仰・・・

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ちなみに場所はここです。

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絶景を堪能するよりは恐怖に慄く

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昨年登ったノロシ山も良く見える

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北側に転じると霜台城なんかも良く見えます。

頂上周辺の雑木林を伐木すれば、清滝城から見える景色なんでしょうね。

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清滝城の南東550mの山(標高1,070m)も調べたかったが、滑落しそうな岩場が連続するので止めておきましたとさ・・(笑)

さて、如何でしたでしょうか?

信濃の山城はその険しさ故に、二度も三度もたやすく訪問することは難しいのかもしれません。

でも再訪することによって新たに発見する何かが必ずあると思うし、其の間に違う山城を訪問した経験から感じる別の何かがあると思われます。小生も今回の訪問でしっかり遺構を確認出来たし、謎の南尾根からの風景も堪能できました。

未訪の方は尼巌城とのセットでの訪問をお薦めします。もちろん、しっかりとした日帰り登山装備はお忘れなく!

≪清滝城≫ (きよたきじょう 英多城・東山城・奇妙山城)

標高:1099.5m 比高:720m (竹原より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市松代町東条
再々攻城日:2017年11月5日 
お勧め度:★★★☆☆
城址までの所要時間:90分 駐車場:有り
見どころ:郭、土塁、堀切など
注意事項:日帰り登山の装備で
参考書籍:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城跡:尼巌城、金井山城、寺尾城、関屋城、ノロシ山、霞城、古城、加増城、霜台城など

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麓の東条小学校付近より見た清滝城(奇妙山)遠景。


Posted on 2017/11/19 Sun. 15:08 [edit]

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