らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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清滝城2 (リテイク 長野市松代町東条)  

◆尼巌を城を眼下に収める南北朝時代から続く山城◆

この山城には6年ほど前に2度ほどチャレンジして記事にもしている。

清滝城 挫折編

清滝城 リベンジ編

比高600m以上あり、結構しんどかったのでもう登る事も無いかなーと思ってましたが、今一度ぐらいは遺構を真面目に見ようと思い再チャレンジ!(笑)

中々そういう機会を求めるのは時間的にも体力的にも大変な事なのだが、二度、三度と訪問することで新たな発見がある。

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清滝城(地元では奇妙山)の登り口の岩沢公民館付近からの風景。

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善光寺平の山城では認知度抜群の尼巌城(あまかざりじょう)。ここから登ると清滝城⇒尼巌城と体力があれば縦走も可能だ。

「俺の人生、アドリブさ!」 というセリフを耳にするが、人間としての基礎が出来ているから応用が出来るという謙遜であろう。

「俺の人生、思いつきさ!」 というのが小生も自慢であるが、いい加減な人生もここまで来れたら大したもんだと自画自賛(笑)

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岩沢の登山口までは、小型乗用車以下なら何とか登れて駐車も3台くらいまでは可能だ。


尼巌城へは「玉衣比売命神社」から登るルートが一般的だが、ここから登ると最短で一巡出来るのでお勧めだ。

2周連続の台風の直撃で、登山道はかなり荒れ果ててしまい、尼巌城との分岐の尾根まで30分かかり到達。

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ここから更に1時間も登るのか・・・

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ひたすら登る登山は苦手だ。景色でも見えれば良いのだが、高見岩までは退屈な山道が続く。

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アタック開始から60分で高見岩付近に到着。頂上まで45分とあるが、今回は中高年の意地を見せて20分で踏破したのである(笑)

清滝城を目指す方は、是非とも高見岩からの景色をその目で確かめて欲しい。

かの有名な尼巌城を見下ろす事が出来る唯一の場所であり、その絶景は清滝城(奇妙山山頂)からは現在観ることが出来ないので貴重な風景であろう。

信玄よりここの攻略を命じられた真田幸隆は、搦め手にあたるこの場所から尼巌城へ攻め込んだという説もあるらしいが守備側もかなり厳重な防御体制を敷いていたというから一筋縄では事は運ばなかったと思われる。

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尼巌城を背後より見下ろすというのは中々壮観である。

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拡大するとこんな感じ。

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ここから目視で見える城跡はこんな感じ。

途中小学生の親子連れのハイカーを年甲斐もなく追い越し、ここから老体に鞭打ってラストスパートをかけて清滝城に辿り着く(笑)

最近は縄張図を描く気力も失せているので、再びnaomochi-u氏の芸術作品をお借りした・・・(汗)

清滝城縄張図①

●城跡

頂部に置かれた単郭から分かれる三方向の尾根に数条の堀切と数段の削平地を施した砦で、烽火台として使われたと推定される。標高1,000~1,100mあたりが烽火台の高さの限界で、それ以上になると天候に左右されて麓や他の烽火台からは見づらくなる。

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登山道に現れる最初の堀形

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主郭手前の二条目の堀切。ここには「堀切」の説明板があった。

●主郭

主郭は22×11の細長いホームベース状で北側に土塁の痕跡が確認出来る。

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北側より撮影した主郭

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北側の低い土塁跡と三角点

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山頂は北側の一部のみ視界が開ける。

●北東尾根

主郭から北東尾根には段郭を二段連続させて二重堀切で遮断し、更にその下に一条の堀切を穿ち防御を厳重にしている。

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主郭より段郭を見下ろす。

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二重堀切

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東尾根最終の堀切

●南尾根

本郭の南側を二条の堀切で遮断。その先は堡塁でここが城域の終点だと思われる。更に400m先まで進むと岩盤が剥き出しの岩山となり石仏と祠がある。

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主郭背後の堀切

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堀と堀の間の郭

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南尾根最終の堀切

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城域の終点の堡塁

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堡塁の上から見た松代町。尼巌城は見えなくなっている。

高所恐怖症なので剥き出しの岩山を探索するのには結構勇気というか、度胸が必要でした・・・(汗)
それにしてもこんな高い場所の岩山に石仏と石祠を運び上げるのには大変な労力を要したと思い、その信仰心には頭が下がる思いでした。

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岩山の石祠

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岩山のてっぺんに何かあるぞーと思って近くまで寄ると・・

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修験者の厚き信仰・・・

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ちなみに場所はここです。

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絶景を堪能するよりは恐怖に慄く

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昨年登ったノロシ山も良く見える

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北側に転じると霜台城なんかも良く見えます。

頂上周辺の雑木林を伐木すれば、清滝城から見える景色なんでしょうね。

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清滝城の南東550mの山(標高1,070m)も調べたかったが、滑落しそうな岩場が連続するので止めておきましたとさ・・(笑)

さて、如何でしたでしょうか?

信濃の山城はその険しさ故に、二度も三度もたやすく訪問することは難しいのかもしれません。

でも再訪することによって新たに発見する何かが必ずあると思うし、其の間に違う山城を訪問した経験から感じる別の何かがあると思われます。小生も今回の訪問でしっかり遺構を確認出来たし、謎の南尾根からの風景も堪能できました。

未訪の方は尼巌城とのセットでの訪問をお薦めします。もちろん、しっかりとした日帰り登山装備はお忘れなく!

≪清滝城≫ (きよたきじょう 英多城・東山城・奇妙山城)

標高:1099.5m 比高:720m (竹原より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市松代町東条
再々攻城日:2017年11月5日 
お勧め度:★★★☆☆
城址までの所要時間:90分 駐車場:有り
見どころ:郭、土塁、堀切など
注意事項:日帰り登山の装備で
参考書籍:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城跡:尼巌城、金井山城、寺尾城、関屋城、ノロシ山、霞城、古城、加増城、霜台城など

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麓の東条小学校付近より見た清滝城(奇妙山)遠景。


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Posted on 2017/11/19 Sun. 15:08 [edit]

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茶臼山陣場 (長野市篠ノ井有旅)  

◆第四次川中島合戦における武田信玄の本陣跡◆

増え続ける城跡の訪問数にブログの更新が追いつく日が来るのだろうか・・・・毎日アップしたとして2年はかかりそうだ・・(汗)

明日の事は誰にも分からないので、せめて心残りの無いように精進するとしよう・・(笑)

今回ご紹介するのは、4年前に訪問した武田信玄本陣跡と伝わる茶臼山陣場。もはや当時の記憶など断片的でしかない・・(汗)

茶臼山陣場 (1)
長野市篠ノ井駅から県道86号線に入り茶臼山動植物園の入口を過ぎて信里小学校前を右折し農道を200mほど入る。Y字路を左へ

【立地】

長野市篠ノ井の西方丘陵上に茶臼山がある。この山稜は南北に伸びる 平頂山稜で、現在では茶臼山北峯(標高730m)のみ姿を見ることができるが、地すべ り発生前はその南に並んで茶臼山南峯(推定標高 720m)が存在していた。この南峯の 頂上が割れ、東側の斜面に地すべりが発生し失われた。現在地形は大きく変わってしまったが、この山上の平坦地一帯が川中島合戦時の陣場跡と考えられている。

茶臼山陣場 (2)
稜線に沿った農道の北側に旗塚の標識が見える。

茶臼山陣場 (4)
稜線の北側は地滑りで崩落しているが、その内側に数ヶ所旗塚が残っている。

【城主・城歴】

「長野県町村誌」の旧石川村の古蹟に「茶臼山の砦」で、「村の北方にあり。東西十間南北九間の平坦にして四郡を一望に観る。中央に大山祇命を祭る。里俗伝に永禄四年(1561)九月甲越戦争の際武田信玄は本郡有旅村の茶臼山に本陣を据へ、弟刑部小輔信廉此砦に将となり、以て上杉謙信が妻女山の動静を候がひしと云ふ。」とあり、「茶臼山砦ノ図」が載っている。
隣接する山布施村にも川中島合戦における信玄の本陣との言い伝えが残り、ここを有旅城とする説もあるが、それらしい遺構は見当たらない。

茶臼山ノ砦
「長野県町村誌」に掲載されている茶臼ノ砦図。※長野県町村誌より転載。

茶臼山陣場 (5)
No.8の旗塚。旗塚は全部で9基あったようだが、現地で確認出来るのは6基のみである。

【城跡】

茶臼山の北嶺の山頂はここから北東350mにあり、その間の部分は地滑りで大きく崩落している。ここの山頂部は狭く南側を除く三方は地滑りで出来た崖に囲まれかつての面影は知る由もないが、昭和初期の写真には崩落前の南峰と北峰が写っている。
これだけの旗塚があれば、北峰と南峰の稜線の間に砦としての遺構が残っていても不思議でないが、大規模な地滑りで崩落している現状では確認のしようがない。
大軍を率いて武田軍が陣地として布陣したのは、旗塚のある稜線から信里小学校までの緩い南向きの台地上と推測される。ここからは川中島の様子が手に取るようにわかる位置である。

茶臼山陣場 (16)
武田軍が駐留したであろう南斜面。

茶臼山陣場 (26)
旗塚の東端には武田信玄陣場跡の石碑が建立されている。

茶臼山陣場 (21)
尾根の稜線の北側は抉れるように崩落している。

茶臼山陣場 (22)
指呼の間に川中島が見下ろせる。

茶臼山陣場 (24)
尾根先は断崖に囲まれているが、かつてこの先に南頂と東小屋があったらしい。

【茶臼山の地滑りについて】 ※長野市立博物館のHPより引用

地すべりの発生は、1847年(弘化4年)の善光寺地震によって地下に割れ目が生じたことが原因と考えられます。1884年(明治17年)に南峰頂上に地割れが生じ、その後山体の東側が徐々に沈みはじめ、山腹の各所にも亀裂が生じました。1930年(昭和5年)になると、梅雨期の長雨を契機に地すべりが活発化し、地すべり地上部全体で移動が始まりました。その後長いあいだ地すべりが続き、地すべりの先端は2km下の山麓まで達しましたが、1965年(昭和40年)から深井戸や排水トンネルの掘削などの強力な排水工事が実施されたことにより、次第に安定化しました。地すべりがおさまった後、広大な地すべりの跡地は恐竜公園や自然植物園として整備され、市民の憩いの場となっています。

茶臼山陣場 (25)
ここから北峰の頂上を目指す事も出来るようだ。

妻女山に陣を敷いた謙信が動かないのを見た信玄は、茶臼山の陣を引き払い海津城へ入城したという。
その後、謙信が妻女山から霧に紛れて兵を移動させ、武田軍の背後を突き、大規模な軍事衝突となるのである。

茶臼山陣場 (18)
石碑の横に「川中島の戦いゆかりの会」の方々が建てた解説版があります。


≪茶臼山陣場≫ (ちゃうすやまじんば)

標高:699m 比高:50m (信里小学校より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市篠ノ井有旅
攻城日:2013年2月3日 
お勧め度:★☆☆☆☆
本丸までの所要時間:10分 駐車場:なし
見どころ:旗塚、石碑
注意事項:転落注意
参考書籍:「長野県町村誌」
付近の城址:石川城、二ツ柳城、須立之城、飯森城、篠の城

茶臼山陣場 (32)
茶臼山陣場遠景。(奥の右側の峰が茶臼山の北峰)



Posted on 2017/10/09 Mon. 06:09 [edit]

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和田東山城 (長野市若穂保科)  

◆耕作地とも城跡とも断定できない微妙な遺構◆

前号では、碓氷峠の陣城についてざっくり掲載してしまったが、「旧道が城内に取り込まれている」という事実の見落としを指摘され、ハッと我に返った。そう、城の西側の堀切と図で示した場所は実は旧道の址だったのか・・・(汗)

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現在の陣城の東側の中山道旧道。北条攻めに際しては突貫工事で軍道も整備されたであろうという想像力が欠けていた・・。

横川から刎石堀切まで歩いた経験がありながら、何故その事(道の幅)に気がつかなかったのだろうか。もっと子持山方面に下っていけば誤りに気付いたはずだった・・。
リベンジは晩秋に持ち越して、これから初夏になるのだが頭を冷やした方が良いのかもしれない(笑)

気を取り直して、今回ご案内するのは若穂保科地区最終回の「和田東山城」である。

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城の入口に鎮座する東山神社。今も地元に大切にされている神社である。鳥居前に駐車場があるので停めさせていただこう。

【立地】

保科上和田地区の東山神社の脇から100mほど道を上った所に和田東山城跡がある。ここは奇妙山系の山尾根の鞍部にあたり、傾斜のゆるい尾根が張り出していて、東麓を赤野田川が自然の堀となって流れている。その上部には古墳群がある。
東方1.5kmの山上には保科氏の霜台城があり、その中段には前の山砦があって、保科の谷を挟んで相対している。

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神社の脇の道を登る。

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途中墓地となっている三段ほどの段郭が確認出来る。防御というよりは耕作の跡か?

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三弾の段郭を最上部の郭から見下ろして見る。

【城主・城歴】

記録等がなく不明。地元では和田氏の築城との伝承があるという。

和田東山城見取図①
郭2の背後に堀切を穿つのがセオリーだと思うが、古墳群に向かう尾根には何の防御構造も確認出来なかった。

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郭3の先端から東の沢に下る唯一の堀切。

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おむすび型の郭3。郭2との段差が切岸で区画されている。

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郭2から見下ろした郭3。(21×23)

【城跡】

墓地の段郭を除くと、和田集落に突き出した尾根先に平坦な三つの郭が並ぶ縄張である。最高部の郭1の背後を堀切で遮断していれば、戦国期の砦と認識できるのだが、郭1と郭2があまりにも丁寧に削平されているので、後世の耕作地化による影響と考えられどこまでが城跡なのか非常に分かりづらい。

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郭2の先端には三角点(403.9m)

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郭2と郭1。切岸がハッキリしすぎているが、それはそれで美しいと思うが・・。

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郭1の周囲は美しい切岸が加工されている。後世のものかもしれないが、一見の価値はある。

城域の東側は斜面が比較的緩いのだが、赤野田川(あかんだかわ)が天然の堀切となっているのでそこそこの防御にはなっているように思われる。

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郭1から見た郭2との東側の接続部分。傾斜が緩いのがお分かりいただけるでしょうか。

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主郭の内部。

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西側から見た主郭の虎口。

要害城というよりは、保科の入口を監視した物見砦としての要素が強いような気がする。この程度の脆弱な防御では敵の来襲に対して持ちこたえるのでかなり厳しい。宮坂武男氏は尾根伝いの古墳群との関連を指摘しているが、尾根沿いの道は失われてしまい、背丈以上の藪に覆われている状況での確認は困難と思われ今回の調査は断念した。

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こんなちっぽけな砦でも、アングルによっては充分な見応えがある・・(笑)

≪和田東山城≫ (わだひがしやまじょう)

標高:410m 比高:30m
築城年代:不明
城主;不明
場所:長野市若穂保科
攻城日:2017年4月19日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:郭、切岸
注意事項:特になし
駐車場:東山神社の鳥居前に3台程度の駐車スペースあり
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:霜台城、加増城、前山の砦、春山城など

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城址より霜台城を臨む。

霜台城2 (36)


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Posted on 2017/05/18 Thu. 23:04 [edit]

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霜台城2 (リテイク 長野市若穂保科)  

◆前後に物見砦を備え、石積みの郭と土の郭で構成された戦国末期の山城◆

霜台城を最初に訪れたのは2011年7月なので、かれこれ6年の月日が流れている。

拙いブログ記事で、信濃の山城マニアの皆様には「隠れた石積みと土の城が混在する名城なのでお勧めですよ!」とか言いつつ、面倒なので再訪しなかった。

先日、対岸の尾根上にある加増城を攻略した際に、加増城から霜台城が雑木林の間に見えたので、「では、久々に再調査も兼ねて登ってみますか・・・」といつもの思い付き・・・(笑)

霜台城2 (15)
前の山砦からしばらく登ると「弾正岩」と名付けられた巨岩に辿りつく。保科弾正忠正利の名を由来としていて十畳ほどの広さがある。

霜台城2 (13)
三日前に攻略した加増城がよく見える。あの高さは「今日も元気に狂ってる」と言われても仕方あるまい・・・(笑)

【立地】

保科川の右岸、太郎山(996.9m)の南側の支脈上に霜台城がある。麓の須釜集落から比高300mを登った山嶺の尾根を利用して築城されている。現在はトレッキングコースがキチンと整備されているので、長野市若穂隣保館(公民館)に車を駐車して保科川を渡った対岸の登り口に標柱があるので、迷うことは無い。(平日は公民館の事務室に声を掛けて駐車の許可を貰う事)

霜台城見取図①
郭8の物見台は宮坂氏の縄張図には無いので今回追加しています。

「比高300m」と表示すると、信濃ではかなり険しい山城に属するが、霜台城は登山道が斜面全体を緩く這うようにジグザグに斜行しているのでさほどのキツさを感じる事も無く、ゆっくり50分程度で到着する。

霜台城2 (54)
登山道は城域の郭6の一段下の段郭に通じている。

霜台城2 (161)
段郭は南側の斜面に向かって数段連なっている。耕作地の跡ではなく従来の遺構であろう。

霜台城2 (60)
郭6から見上げた郭5。石積みの見える瞬間が至福の時に変わるのである。

【城主・城歴】

保科氏の居城と伝えられるが詳細は不明。城の名は、保科氏が代々弾正(霜台)と名乗ったことか、または、近くの春山城は信濃守護上杉朝房(霜台)からとったものと考えられる。

霜台城2 (66)
郭4と郭5は完全に石積み仕様であり、周囲を厳重に石積みが周回している。

霜台城2 (67)
郭5の全面の石積み。背後は郭4との繋ぎであるが、堅固な石積みである。

【城跡】

郭3・4・5は周囲を堅固な割石の石積みで囲んでいる。7年前に訪問した時はロクな予備知識も無かったので、単純に割石を積み重ねて、風化による崩落などと勘違いしていたが、今回の再訪問と調査で、この石積みは明らかに「積石塚古墳」(つみいしづかこふん)に使用されていた割石の転用であることが判明した。

霜台城2 (68)
松代町周辺の山城は、古墳を利用または破壊してその石を積み上げて防御に利用している城がほとんどである。

霜台城2 (19)
郭4と郭5の東斜面は夥しい量の石積みが斜面を覆うように崩落し散乱している。

霜台城2 (21)
郭4の東斜面には一部原形を留めている石積みがあるので、往時の景観は凄かったに違いない・・・。

●積石塚古墳とは?

積石塚とは、石を積んで墳丘を造っている墓で、主に古墳時代の墳墓の形式の一つとして定着している。(5世紀~6世紀)一部の地域に顕著にみられ、特に長野県の大室古墳群(長野市松代町)は日本最大の積石塚古墳群として有名で、そのほとんどが積石塚であり横穴式石室を備えている。

以下の写真は昨年7月に調査で訪問した時の大室古墳群の積石塚古墳である。霜台城のある保科地区も大室古墳群に関連する古墳が多く点在する。

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大室古墳群の241号墳。

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大室古墳群の242号墳。中央の窪みが陥没した石室の跡。

●古墳の積石を転用し石積みの郭を増設したのか?

縄張図の郭3と郭4の間には大量の積石が残っている。ここに規模の大きな積石塚古墳があったことは、横穴式石室の残存遺構が残る事から推定される。また郭4と郭5の間にも古墳があり窪地は石室の跡であろうか。
どの程度の高さまで積んであったかは不明だが、石の形状が平石では無いので、それほど高くは積めなかったと思われる。

霜台城2 (23)
郭3と郭4の間に残る石室の跡。戦時中となれば死者の祟りなど恐れている場合じゃないか・・(笑)

霜台城2 (24)
古墳も完全に解体せずにある程度残す事で防御効果を狙ったものとみえる。

千曲市~長野市松代町にかけては多くの古墳が集中している。山城も古墳に被るように築城された為に、縄張に古墳を取り込んだり、古墳を解体して石材を防御や土塁の土留めに転用している例が多く見られる。信濃の山城は独自の石積み技術を特徴としているが、それは岩盤が固い地盤を掘るよりも、古墳を壊して廃材を利用するのが手っ取り早いという作業の集大成であろう。

霜台城2 (18)
霜台城の石積みの原材料となった積石塚の石は、高く積めない欠点があったようだ。

霜台城2 (80)
郭3には新設された標柱が立つ。ようやく城跡として認知されてきたかと思うと感慨深い。

●土の城としての原型

霜台城は元々は土の城であったのだ・・・ということが、主郭を挟むように穿った堀切㋐、堀切㋑、堀切㋒を観察することによってわかる。

霜台城2 (85)
堀切㋐側から見下ろした郭3。

霜台城2 (90)
郭3と郭2を遮断する堀切㋐(上巾6m)

霜台城2 (94)
郭2。西側が一段低い変則的な郭だ。

霜台城2 (93)
主郭と郭2を隔てる堀切㋑。かなり埋まっている。

霜台城2 (27)
変則的な形の主郭(25×23)。石積みの補強は西側の縁の土留めだけ。

霜台城2 (26)
主郭と郭7の間の土手付き堀切㋒。最も幅が広く(上巾7m)長大である。

霜台城2 (96)
郭7は41×18の平場。

霜台城2 (29)
郭7の北端の堀切㋔。上巾7mで尾根を遮断する。

元々は郭1・2・3・7で形成された在地土豪の土の城に石積みの郭4・5・6を増設しドッキングさせ、大笹街道側の東尾根の斜面を石積み補強し見せる城を意識したものと思われる。
土の城に石積み郭を増設または補強する縄張手法は、千曲市森にある鷲尾城が非常によく似ている。

【北尾根の物見台】

ブログに相互リンクをさせていただいている春の夜の夢の管理人アテンザ様によれば、霜台城の北尾根には物見台があるといい、実際にその場所について考察されていた。小生の再訪の目的の一つでもあったので、太郎山に続く尾根を辿ってみた。

霜台城2 (107)
郭7から尾根を北へ登る。

霜台城2 (34)
すると人工的に削平した小さな平場と背後の岩場が現れる。

霜台城2 (31)
背後の岩盤堀切から物見砦を撮影。

宮坂武男氏はこの物見について記載していない。自然地形と見たのかもしれない。が、小生もアテンザ様の指摘する通り、背後を深く断ち切った物見砦であると思っている。
尾根を登った先には春山城が控えているので、尾根伝いに備えたものであろう。

霜台城2 (33)
トレッキングコースマップには「クマ太郎岩」とあり、その周辺である。

霜台城2 (35)
ここからは善光寺平、そして遠くに北信五岳を臨む素晴らしいロケーションである。

霜台城2 (126)
物見砦背後の岩盤堀切。

オーソドックスな山城に最先端の石積み仕様を融合させた貴重な霜台城。
当初は在地土豪の物見程度の山城が、甲越紛争時にその戦略的を見出され大勢力によって大掛かりな改修を受けて現在の最終形になったとみるが、どうであろうか。

比高300mだが、登山道も整備されているのでゆっくり景色を楽しみながら1時間も歩けば十分に堪能できる山城です。
是非、その目でこの素晴らしい遺構を見て頂きたいと思います。


≪霜台城≫ (そうだいじょう 城の峯) 

標高:720m 比高:300m 
築城年代:不明
築城・居住者:保科氏など
場所:長野市若穂保科須釜
再訪問日:2017年4月19日
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの所要時間:50分
駐車場:若穂隣保館
見どころ:弾正岩、積石塚古墳を利用した石積み、土手付き大堀切、物見砦、クマ太郎岩など
参考文献・書籍:「信濃の山城と館 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版) 
注意事項:石積みは脆くなっているので乗らない・足を掛けない・崩さない。
付近の城跡:保科前の砦・加増城・古城山城・和田東山城など

霜台城2 (70)
積石塚古墳を転用した証拠はいたるところで確認出来る。

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北西の若穂牛島の領家交差点付近から撮影した霜台城と背後の物見砦。

Posted on 2017/05/12 Fri. 20:12 [edit]

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保科前の山砦 (長野市若穂保科)  

◆霜台城の大手を守る物見砦◆

毎年の事ながら、GWが終わると山城探訪のトップシーズンも終わりを告げるのである。

そんな事にはお構いなしに年がら年中城跡探索を敢行する山城ツアラーもいらっしゃるようですが、小生は一休みでございますw

今回ご案内するのは、6年前に記載した霜台城をリテイクする為の再調査で立ち寄った「保科前の山砦」。前回は素通りしてしまったので、今回は新しい記事として掲載させていただこうと思う。

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登り口の須釜集落から撮影した前の山砦と霜台城。

【立地】

保科川の右岸、霜台城のある山の南西に張り出した尾根の中段に前の山砦がある。現在はトレッキングコースとして保科地区から前山砦~弾正岩~霜台城~クマ太郎岩~太郎山のルートが整備されている。(6年前は標柱など無かったが・・)
麓からの比高は105mの南へ向いた尾根の先端の弛みであるが、霜台城はここから弾正岩を経由し200mの比高を登る。長野市誌では「前山城」と言っているが、小出では前の山と言っているので、この名から「保科前の山砦」と宮坂武男氏が命名している。

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6年前はこのような看板も無かったが、今ではトレッキングコースとして整備されている。

【城主・城歴】

保科氏の出城の一つと考えられている。一説には、小井底五郎左衛門尉(こいていごろうさいもんのじょう)が伊那郡小井弖荘(こいでしょう 現在の伊那市小出)から移住し、小出砦に拠って村上氏に仕え、地名をもって小出姓を名乗ったという。その子小出大隈守は、元禄の初めに仙仁城(現在の須坂市)に移るという。

保科前の山砦見取図①
前回紹介した加増城よりも更に曖昧な縄張である。

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登山口から約10分で砦跡に辿り着く。看板もあるとは驚きであった。

霜台城2 (5)
砦の南先端部。街道を見張るにはちょうど良い高さと見晴らしである。

霜台城2 (6)
砦の中心部分の全長は葯27mとかなり広い。

霜台城2 (7)
主郭の背後は土塁が盛られ背後の堀切・土橋に続く。

【城跡】

尾根の中段の弛みへ上巾9mの堀を入れ、掘った土を内側へ土塁として盛土してある。堀は土橋で渡るようになっている。郭の両サイドの切岸は加工度も低く自然地形のままであろうか。北側に続く尾根を除くと三方が急斜面なので加工する必要性は無かったのかもしれない。
霜台城の比高が高いので、有事の際以外はこの砦に歩哨を置き警戒していたのだと思われる。

霜台城2 (8)
主郭から見た東側の土塁と背後の堀切。

霜台城2 (9)
堀切と土橋。

霜台城2 (12)
西側の沢に落ちる堀切。かなり埋まっているが上巾9mは圧巻である。

霜台城2 (14)
北側から見た堀と土橋。

以上、見てきた通り、堀切は立派なのだが郭が曖昧である。平時は物見砦として、そして戦時は霜台城へ向かう攻城兵を阻止する出城としての機能であればこれで十分かもしれない。

≪保科前の山砦≫ (ほしなまえのやまとりで)

標高:525m 比高:105m
築城年代:不明
城主;不明
場所:長野市若穂保科
攻城日:2017年4月19日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:10分~15分
見どころ:堀切、土橋
注意事項:特になし
駐車場:長野市の若穂隣保館(公民館)がトレッキング者向けの指定駐車場。(無料)
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:霜台城、加増城、和田東山城、春山城など

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Posted on 2017/05/07 Sun. 21:46 [edit]

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