らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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荒安 仁科氏屋敷 (長野市富田荒安)  

◆信玄造営と伝わる飯縄大明神の神官「千日太夫」の冬期居館跡◆

前回ぐだぐだと長編化してしまった飯縄山であるが、記事にも書いた通り現在の飯縄山里宮は神仏分離令及び修験道の廃止令により「皇足穂神社」(すめたるほみことじんじゃ)という名前に変えさせられてしまった。

明治政府により神領を取り上げられた神官の仁科氏が退去してしまった飯縄山里宮に、千日太夫時代の遺構などある訳なかろうと思っていたが、実は神社の隣に旧里宮跡と千日太夫の屋敷跡があったとは知らず、再度取材することとなった・・・(汗)

荒安仁科屋敷 (2)
荒安集落にある里宮。

荒安仁科屋敷 (4)
大鳥居の右側(東側)に旧里宮跡と屋敷跡がある。

【立地】

現在の長野市富田荒安にある飯縄神社里宮の東隣が仁科氏(千日太夫)の屋敷址である。現在は民家の宅地及び畑になっている。ここからは、葛山城が目の前に手に取るように見え、大峰城も指呼の間であり、眺望に優れた所である。ここからは飯縄方面はもちろんのこと、戸隠方面へも通じていて、古くは山道が開けていたものと思われる。

荒安仁科屋敷 (17)
旧里宮から見た葛山城と周辺の遠景。一段下は仁科屋敷(千日太夫屋敷)。

【館主・館歴】

飯縄明神の神宮である千日太夫の屋敷址である。伝承によると、元亀年間(1570~1573)に武田信玄が飯縄山の武田への帰属を評して荒安に里宮を造営した際に、冬季の居宅も建築し千日太夫に与えたという。
勝頼の代になると、安曇郡森城主の一族の仁科盛清が千日太夫の跡を継ぎ、神官も「仁科甚十郎」と名跡を変更したようだが、世間には受け入れられなかったようである。
武田滅亡後は上杉景勝、江戸幕府にも神領を安堵され、明治維新まで仁科家が神領を支配していたが、神仏分離令により神領を召し上げられるとと共に仁科氏も退去している。

荒安仁科屋敷 (5)
大鳥居から見た仁科屋敷址。

荒安 仁科氏屋敷見取図 001

荒安仁科屋敷 (8)
耕作地と化した屋敷址。江戸時代には飯縄山の修験道が廃れていくのに伴い、自給自足を強いられたと推定される。

荒安仁科屋敷 (10)
旧里宮と屋敷地は10m程度の段差で区切られていたようだが、旧里宮の建築物はだいぶ前に現在の位置に移築したようだ。

荒安仁科屋敷 (12)
旧里宮の敷地。かなり手狭な感じに思えるが、東奥はかなり広い。

荒安仁科屋敷 (13)
旧里宮と屋敷跡の中間にある段郭。

【館跡】

馬屋や長屋が入口にあったという。太平洋戦争後次第に廃墟となり、昭和60年に取り壊されたという。近くにある同家の墓地には寛文、延宝年間(1661~1681)などの墓塔が並ぶ。
現状は神社の参道に接して土塁が残り(今は無い)、東側にもあ土塁痕がある。屋敷は上下四段になり、中心になる平地は65m×35mほどで、山段の山際から湧水があり、水神碑が建つ。
後背に山を背負い、東側の沢に守られ、要害とは言えないが、南面する快適な居住地で、冬場を過ごすには格好の場所であったと思われる。

荒安仁科屋敷 (14)
なるほど、南向きの屋敷地はさぞかし快適であったろう。

荒安仁科屋敷 (19)
屋敷地と旧里宮跡地の中間地点にある水神の石碑。

荒安仁科屋敷 (9)
大峰城も眼下に抑える立地の良さ。

≪荒安 仁科屋敷≫ (あらやす にしなやしき)

標高:780m 比高:10m
築館年代:不明
築館者・居住者:千日太夫(仁科氏)
場所:長野市富田荒明日
攻城日:2016年8月21日
お勧め度:★★☆☆☆ 
所要時間:-
駐車場:参道より50m西側にあり
見どころ:段差の敷地跡、景色
参考文献:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
注意事項:私有地なのでプライバシー注意、無断侵入禁止
付近の城跡:大峰城、葛山城は必見。
その他:飯縄山奥宮へのチャレンジは心して挑むべし。

荒安仁科屋敷 (27)
現在の飯縄山里宮。

Posted on 2016/08/25 Thu. 22:00 [edit]

CM: 6
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小野平城 (長野市小田切)  

◆小田切氏の境目の物見砦か?◆

本日の鈴木会長の懺悔によれば、スズキも16車種(ってほとんどじゃん・・)で燃費の不正測定を行っていたらしい・・・(汗)

我々消費者はカタログ数値の「JC08モード」は目安でしかない事など承知している。小生の愛馬のジムニーがJC08モードでは1L当たりの燃費は「13.6km」のカタログ表示だが、実際は街乗りで平均10.0km程度なので20%~30%の誤差は許容範囲である。

IMG_4009.jpg
不整地における走破性の高さと燃費は反比例するのは当たり前。燃費や居住性をを気にする方にジムニーは向いていないのだ。(写真は飯山市の田草城の登り口)

残念ながら国産自動車の最大のセールスポイントは「燃費」らしい。若者の車離れはもちろんだが、このままでは我らクルマニアの昭和世代もソッポを向くつまらない国産車のラインナップは個性的な輸入車に負ける日も近いと思われる・・・。
そんな中にあって1998年以降フルモデルチェンジの無い現行型ジムニーは、間違いなく硬派で頑固一徹である・・・(笑)

まあ、そんな話はともかく、今回ご案内するのは戸隠と七二会の境界に位置する小野平城。

小野平城 (33)
駐車場から西に登れば朝日城、東に向かえば小野平城となる。

【立地】

七二会と戸隠の境で小野平集落の後背に位置し旗古山(はたごやま)と呼ばれる西に突き出した尾根先にある。北西には小野平峠があり古くから犀川と裾花川を結ぶ古道が通っている。 朝日城が林道を挟んで西側に隣接している。

小野平城 (6)
藪を入り進むと堀切㋐と一段高い削平された場所に入る。


小野平城縄張図①
西側を警戒している縄張の指向性が見て取れる。

【城主・城歴】

「長野県町村誌」には波多古城(はたごじょう)について「郷社の東北、坪根峯の頂上にあり。某の居城なるか不詳」としている。立地から考えると小田切氏の領土の北端に位置しているので北側の戸隠方面と西側に隣接する春日氏への見張砦として機能していたように思えるがどうであろうか。

小野平城 (8)
ド藪の中の堀切㋑と㋒。

小野平城 (29)
藪が酷すぎて写真を写しても無駄だった堀切㋓と郭2。

【城跡】

旗古山(はたごやま)と呼ばれる三角点のある頂部の塚とその周辺が郭1で、西側に郭を重ねた連郭式の単純な縄張で、郭の間を堀切で遮断している。
訪問した時期が悪く、藪で細部を捉える事が出来ず、全体的な形の把握に留まったのは残念だった。朝日城との関連は不明だが、物見砦としては一応の形を整えているので、小田切氏が利用していたのはこの場所と考えるのが妥当であろう。

小野平城 (12)
上幅9mで城内最大の堀切㋓。切岸も結構鋭いのだが、藪・藪・藪・・・・(汗)

小野平城 (24)
郭1のマウントにある三角点。

小野平城 (22)
郭1には「旗古山1167m」の表示がある。トレッキングコースからは外れているので誰も来ないだろう。

小野平城 (21)
郭1全景。「こんな写真、撮りとうはなかった・・・(笑)」

藪の無い城の写真を所望の方は、あおれんじゃあ様の「北緯36度付近の中世城郭」⇒陣場平城砦群をご覧くだされ!


≪小野平城≫ (おのだいらじょう 波多古城 旗古城)

標高:1166.9m 比高:215m (小野平集落より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市七二会小野平
攻城日:2015年9月23日
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:10分(坪根駐車場より) 
駐車場:有り
見どころ:堀切跡など
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版)
注意事項:林道は狭いので走行注意(落石注意)
付近の城跡:葭雰神社、萩野城、朝日城など
その他:この地域の林道や県道はすれ違い困難なので注意しましょう。
参考サイト:北緯36度付近の中世城郭~陣場平山城砦群

戸隠その他 (5)
戸隠栃原から見た小野平城とその周辺。

Posted on 2016/05/20 Fri. 08:24 [edit]

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0515

朝日城 (長野市七二会)  

◆葛山城の狼煙台と伝わる物見砦◆

実は先週末の8日(日)に下諏訪町の「下の城」「上の城」の探索に出掛けて、途中まで登ったのだが気分が乗らないので止めた。

せっかく時間と燃料を使ったのだから、多少無理しても・・・とは思ったが、気乗りしないときはケガするリスクも高いし、心から楽しめないのであれば山城に対しても失礼であろう・・・(笑)

そんな事はさておき、今回ご案内するのは、信濃の山城研究の第一人者(もはや神の称号で良いと思うが)の宮坂武男氏がスルーした「朝日城」である。(宮坂武男氏の著書「信濃の山城と館②」に掲載されていない)

朝日城 (1)
地蔵峠から林道坪根線を東へ進むと坪根峠の分岐点に駐車場があるので、ここが登り口になる。

【立地】

先日ご紹介した葭雰神社物見から尾根伝いに東に600m進んだ場所で、坪根峠の手前の尾根の上にある。峠を挟んだ東の尾根先には小野平城がある。登り口は坪根峠の駐車場から遊歩道がついているのでそのままダラダラ登ったピークの峰の東屋付近が城跡になる。

朝日城 (2)
駐車場から西の尾根に取り付く。

朝日城 (3)
登山道の脇には石仏が置かれているので、林道の開通前は生活道路として朝日城~葭雰神社~陣場平山~地蔵峠と続いていたのだろう。

朝日城 (4)
ダラダラと結構しんどい登りですw


【城主・城歴】

正確に調査はしていないが、長野市誌に「朝日城」として地元に伝承があるらしい。長野市の「七二会 陣場平トレッキングコース」のマップにはポイント地点として葭雰神社の横に朝日城が記され「甲越合戦の際、葛山城とつながり、のろしを挙げる見張の出城であったいわれている」と解説がある。

朝日城見取図②

IMG_3513.jpg
途中二ヶ所ほどの削平地を通り抜けた先のピークが本郭で、現在は朽ち果てそうな東屋が建つ。

朝日城 (6)
東屋のある郭1は全体を緩い土塁が周回しているようだが、藪が酷く詳細が確認できていない。

【城跡】

これぞ「狼煙台」の原型であり、敵の襲撃はあまり想定していないであろう単純な縄張。辛うじて大手(西側か?)に堀切らしき跡地が残っているので、案外と雄型の単郭だった可能性は否定できない。
山間部の生活道路と神社までの参道が開いた為に、当時の縄張りが改変されたと推定される。
峠を挟んだ東側に小野平城が築かれているので、緊急時は朝日城から小野平城に移動し備えたと思われる。

朝日城 (8)
郭1の西側入口に堀切跡が確認出来る。

朝日城 (11)
一段下に降りて撮影するとこんな感じ。

朝日城 (12)
東屋は昭和50年の建設らしいので築41年の物件。そろそろ補強しないとヤバイかも・・・(汗)

朝日城 (10)
葭雰神社へ続く尾根筋は比較的緩やか。

はて、宮坂武男氏がこの朝日城を認定しなかった理由はなんだろうか。

砦跡かどうかハッキリしない葭雰神社を認定し、隣接する朝日城は無視して小野平城は認定している。逆に長野市のトレッキングガイドでは小野平城は登場しない。

もっとも標高1200mに築かれた狼煙台の運用は天候に左右されるので存在意義が問われるケースが多く、認定を見送った可能性はある。
ここから葛山城まで約6.3km。朝日城は富士ノ塔砦と共に葛山城に籠城した小田切氏が自分の領地に対して危惧を知らせるための手段だと考えるが、どうであろうか。

IMG_3509.jpg
トレッキングコースなので道標はかなりあるが、犀川から歩いて登る猛者など皆無に等しい現代である・・(笑)

≪朝日城≫ (あさひじょう)

標高:1200m 比高:650m (小市の国道より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市七二会坪根
攻城日:2015年9月23日
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:15分(坪根駐車場より) 
駐車場:有り
見どころ:堀切跡、土塁
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版)
注意事項:林道は狭いので走行注意(落石注意)
付近の城跡:葭雰神社、萩野城、小野平城など
その他:この地域の林道や県道はすれ違い困難なので注意しましょう。
参考サイト:北緯36度付近の中世城郭~陣場平山城砦群

朝日城 (21)
坪根林道から見た戸隠方面。

Posted on 2016/05/15 Sun. 00:48 [edit]

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葭雰神社物見 (長野市七二会)  

◆川中島と戸隠を結ぶ山岳間道の物見か?◆

川中島の北を流れる犀川と裾花川との間には、陣場平山(1258m)を中心とした深く険しい山塊が壁の如く立ちはだかり、戸隠方面との往来はかなり厳しいものであったという。

だが、その立地故に多くの山城や物見砦、しいては逃げ込み城的な城も多く点在していたという。
今回ご案内するのは、陣場平山の北東800mにある「葭雰神社物見」(よしきりじんじゃものみ:名称は宮坂武男氏の仮称である)

葭雺神社物見 (1)
地蔵峠から林道坪根線を東へ向かうと神社への道標があるのでそこを右へ。(分岐から先は途中輪留めがあり車は入れない)

【立地】

長野市七二会から県道86号線に入り地蔵峠を目指す。地蔵峠から林道坪根線を東に入り陣場平山の脇を800m進むと葭雰神社(よしきりじんじゃ)があるので、そこが物見跡。陣場平山からも遊歩道があり道標もあるので迷う事はないが、林道の分岐から先は途中から輪留めがあるので徒歩で向かうのが良い。

ピークからの眺めは素晴らしく、戸隠や川中島平は一望出来る。ここから東へ800mで旭城(宮坂武男氏は記載無し)、さらに200m先の尾根に小野平城があり、南西2kmには萩野城がある。

IMG_3519.jpg
輪留めの先の分岐を右に登ると鳥居があり、ここからが物見跡と思われる。

葭雰神社物見見取図①
堀切一条の単純な縄張である。

葭雺神社物見 (5)
神社の勧進で郭は参道として改変されたかもしれない。

葭雺神社物見 (9)
神社手前に簡単な堀切。


【城主・城歴】

長野県町村誌にも記載がなく、口伝も伝わっていないのでここが城砦であったのかははっきりしていない。「七二村村誌」(昭和46年)では、「陣場平山の尾根続きの葭雰神社のある地は、明らかに山城の跡で、おそらく戦国時代に物見のトリデとして利用されたものであろう」としている。

葭雺神社物見 (8)
参道の途中に見晴らし台があるが、整備されなくなった為に樹木がj邪魔して長野市方面は良く見えない。

葭雺神社物見 (11)
堀切を越えた一段高い平地に葭雰神社がある。


【城主・城歴】

犀川流域と裾花川流域を結ぶ古道でピークの地蔵峠に面している。陣場平山の山脈は古くから霊山として山岳信仰されてきた場所で、葭雰神社は飯綱山の前宮とされている。
付近には萩野城、旭城、小野平城が詰め城または狼煙台として利用された中で、ここの場所がどのように使われてきたのか不明。
縄張りも明確でなく神社が勧進される前はおそらく自然地形を多少削平したに過ぎないと想像してみる。
ただ、ここからの眺望は優れているので軍事的緊張が高まっていたころには度々使われたのかもしれない。

葭雺神社物見 (14)
古墳の石室を思わせるような場所に安置されている社殿。祭神は「保食神」(五食の神)で、俗称は「飯綱様」。

葭雺神社物見 (16)
社殿の背後は緩やかな傾斜地となり北東の尾根伝いとなる。

葭雺神社物見 (27)
北東尾根には隣接する村との入会地の権利を巡って争いとなり敗訴し処刑された地元の義民を祀る慰霊碑が建っている。

●ここからの視界の良さに圧倒される

ここから至近距離にある現在の朝日城や小野平城も訪問したが雑木林が視界を遮り、往時の風景は偲ぶことすら出来なかったが、葭雰神社からの見晴らしは素晴らしい。物見砦と呼ばれる所以であろう。

葭雺神社物見 (24)
戸隠の城砦群が手に取るように分かる。

葭雺神社物見 (23)
現地で攻め入った砦なので、風景から位置関係がバッチリ読める。(鬼ヶ城は未訪です・・・汗)

戸隠方面の写真を見て同感いただけるのは「あおれんじゃあ様」ぐらいかしら・・・(笑)

葭雺神社物見 (21)
川中島方面は写真ではちと厳しいが、文句なく監視出来る場所である。

葭雺神社物見 (28)
神社から約50m北に進むと城域の最終になる。この先はなだらかに下る山道(犬戻りの坂)が続き朝日城に至る。

県道86号線は小型乗用車でも通行出来るが、対向車とのすれ違いは結構リスキーなので慎重なハンドルさばきで通行願う。地蔵峠から東に走る「林道坪根線」も途中の葭雰神社との分岐も含めて小野平城や朝日城のある坪根峠までは舗装路ではないがある程度整地されているので小型乗用車での乗り入れも可能である。(車高の低い車は避けた方が無難)

IMG_3515.jpg
桃源郷のような戸隠が一望できるのはこの場所だけである。


≪葭雰神社物見≫ (よしきりじんじゃものみ 葭雰神社砦)

標高:1250.5mm 比高:500m(坪根集落より)
築城年代:不明
築城者・城主:不明
場所:長野市七二会坪根
訪問日:2015年9月23日
お勧め度:★★☆☆☆ 
所要時間:林道の分岐点より10分
駐車場:林道脇に路駐するか坪根峠駐車場に止めて朝日城経由での探訪
見どころ:景色と社殿
周辺の城跡:萩野城、朝日城、小野平城など
注意事項:特になし。
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)

円光館 (23)
戸隠の円光寺館跡から見た葭雰神社物見。結構目立つ山なのである。

Posted on 2016/05/11 Wed. 22:22 [edit]

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大黒山城 (別名:旭城 長野市平柴)  

◆旭山城の増援部隊の駐屯地か?◆

残暑が無かった分、例年よりも紅葉が始まるかと思いきや朝晩の冷え込みが緩いので広葉樹の落葉が始まるのは中旬以降のようだ。やはり信州の山城の見頃は11月以降であろう。

ここもノロシ山同様にいつでも行けると思いパスし続けた山城であるが、旭山城の東を守る出城として甲越紛争時にも改修されたであろう事を考えると見ておかねばなるまい。
体重の重さと腰の重さは比例する・・(笑)

今回ご案内するのは旭城。山頂の旭山城と混同しやすい名前なのでここでは「大黒山城」(だいこくやまじょう)という名で書いてきますのでご容赦を・・。

旭城(長野市平柴) (56)
城跡は展望が悪いので手前から撮影。眼下の小柴見城と共に善光寺平を一望出来る立地であることが分かる。

【立地】

旭山城の東尾根の中段で裾花川に削られら断崖の上の小山に位置する。周辺には何段か似たような小山があるが、東端に位置する事で天然の要害となっている。
一段下の平場の先には小柴見城があり、それぞれが連携していたと考えられる。

旭城(長野市平柴) (1)
木曽殿屋敷のある集落の突き当りの集落の端の民家の先の車道の脇に車を止めさせていただき、農道を歩きいて大黒山(だいこくやま)の左近稲荷を目指す。

旭城(長野市平柴) (2)
急坂を登った先の段郭と主郭。往時の虎口は右側の東屋を経由し北側の堀切沿いに入ったと思われる。

【城主・城歴】

小柴見城の記事で詳しく触れさせていただいたが、南北朝の時代にここの平柴に守護所(役所)が置かれた事が市河文書に記載されている。
その場所が旭山城なのか小柴見城なのか、この大黒山城のいずれかを指していると思われる。

室町時代、守護職小笠原家の分裂により信濃も戦国時代に突入していくことになるのだが、その後の第二次甲越戦争では旭山城の攻防が繰り広げられ両軍が約200日間の対峙をしてる。大黒山城も手が加えられたのであろう。

旭城見取図①

【城跡】

主郭は城域の最も高い左近稲荷のある場所で長方形の平場だ。往時は土塁が巡っていたであろうが、今は稲荷社の勧進により削られてしまったようだ。

旭城(長野市平柴) (6)
主郭の南側の段郭(22×7)

旭城(長野市平柴) (15)
主郭(22×33)

旭城(長野市平柴) (12)
左近稲荷。近隣の住民に大事にされているようです。

旭城(長野市平柴) (13)
主郭から見た旭山城。

主郭背後に上巾9mの長大な堀切を入れて郭2に繋がる北側を遮断している。
郭2は古墳で石室の開口部が残り緩い傾斜となっていて、それを取り囲むように段郭が置かれている。後年に耕作地となったようで、どこまでが往時の削平なのか分からない状態だが、小山全体が城域だった事はなんとなく理解出来る。

旭城(長野市平柴) (42)
想像してたよりもデカくて太い堀切。

旭城(長野市平柴) (47)
東斜面に竪掘となって続く。結構な長さなのに驚く。

旭城(長野市平柴) (41)
郭2。古墳を利用したらしく削平が不完全になっている。

旭城(長野市平柴) (28)
郭2の北側の段郭。

旭城(長野市平柴) (36)
更に北側には土塁で囲まれたような郭があるが、往時のものかは不明。

弘治元年(1555)、第二次甲越合戦で栗田鶴寿(栗田永寿軒とも)は武田信玄の調略に応じ旭山城へ籠城し上杉軍に反旗を翻した。怒れる謙信は横山城に布陣し攻城戦の構えをみせた。
この時、信玄は兵三千、弓八百、鉄砲三百を旭山城に援軍として送り横山城の動きを牽制したという。(妙法寺記)

旭山城は難攻不落の要害ではあるが城域は広くないので、武田方の援軍は小柴見城や大黒山城にも分散布陣したと思われる。

旭城(長野市平柴) (51)
主郭東側の段郭。東屋はあるが景色は見えない・(汗)

裾花川を挟んだ対岸の葛山城との攻防戦に、この砦も当然ながら巻き込まれたものであろう。


≪大黒山城≫ (だいこくやまじょう 旭城) 

標高:542m 比高:170m (裾花川より)
築城年代:不明
築城・居住:不明
場所:長野市平柴
攻城日:2015年9月27日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:15分(集落外れより)
駐車場:果樹園脇の空き地借用
見どころ:土塁、堀切
参考文献・書籍:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
注意事項:城跡までの道路は狭く普通車はすれ違い困難なので注意。
付近の城跡:小柴見城、旭山城、横山城など

旭城(長野市平柴) (59)
守護所を置くには抜群のロケーションだ。



Posted on 2015/10/11 Sun. 09:02 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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