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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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仁熊城 (東筑摩郡筑北村仁熊)  

◆麓からの道も途絶えた隠れ城◆

2012年12月、我ら信濃先方衆は初めてこの山城に挑み天候の急変により挫折。その4年後の2016年11月に片道90分かけてようやく辿り着いた。

その時のオフショット記事はこちら⇒中信濃のラスボス仁熊城に挑む

あれから2年以上経過してしまい、記憶が確かなうちに記事にしておかないと後悔しそうなので、今回記録することにした・・(汗)

仁熊城(筑北村) (103)
城跡とは全く違う場所に平成23年に建てられた標柱。宮坂氏は平成10年に城址を比定しているが何故ここなのか説明して欲しい。

【立地】

筑北村と生坂村の境界に位置する岩殿山(1007.6m)が南北に形成する山脈の北側の中間点に位置する。山麓の集落の細田地区から直接見る事は出来ない。西側の丸山集落(現在は廃村)のある谷を挟んで生坂村側には大城と京ヶ倉が対岸の山脈に聳えて見え、古来より境目を見張る場所であったようだ。
現在、城址に通じるハッキリとした道はなく、麓の細田集落から鉄塔までの保安道を登りその先は尾根伝いに急峻な獣道を辿り、850mの三角点を目指す。その後尾根を南に縦走すると地理院地図の902m地点手前が城跡である。

仁熊城(筑北村) (98)
前回挫折したルートとは違うルートでチャレンジ。鉄塔から上には道形もなく獣道を這い上がる荒行(毎度の事さ・・笑)

仁熊城(筑北村) (102)
黙々と尾根を辿る途中で見える景色は疲れを癒してくれます。ここが中信濃のスクランブル交差点。

【城主・城歴】

「長野県町村誌」では「仁熊古城地 仁熊村ヨリ戌亥ノ方余廿町四十間、本城ノ平長七間、横三間、台所ノ跡ト伝ヘタル所アリ、今モ水少ツツアリ、戌ノ方ニ馬場ノ跡アリ、城ヨリ麓マデ五町四十間、東向ノ城ナリ、青柳伊勢守持チナリ、近江守清長ノ聟仁熊某ト云フ者居レリト云フ、此山松平丹波守領主ノ時ヨリ留山トナス」とある。この記載は「信府統記」の記述をそのまま記載しているという。

この記載から、この城は青柳城を本拠とした青柳氏が隣接する日岐氏との境界を監視する境目の砦として築かれたようである。南北を縦走する尾根伝いの道は古来より間道として利用されていたらしく、岩殿山を越えた南尾根には高松薬師城や高登屋があるので、ネットワークとして機能していいたことも充分考えられる。

仁熊城見取図①

【城跡】

尾根に何ヵ所かピークはあるが、縄張はいずれの頂点も使うことは無い。筑北村の教育委員会が標柱を立てた場所は三角点のある峰のピークの一つには違いないが、人工的な加工はなくただの素山で、素人目にもここが城跡とされた理由が分からない。
そこから二つのピークを越えて南下した尾根と沢筋が宮坂武男氏の比定する城跡で、ここは人工的な削平と盛土(土塁)、そして数段の段郭(居住空間)、井戸跡などがあり、明らかに城跡と判明する。

ここは、当初物見が置かれた単郭であった場所を切羽詰まった豪族が逃げ込み場所として居住空間を増設したものととらえてよいだろう。彼らの敵とは・・・・そう、武田晴信(信玄)であった。

仁熊城(筑北村) (15)
長野県町村誌に「馬場ノ跡」と記載された郭2。×3の北側に突き出した削平地である。

仁熊城(筑北村) (17)
土塁で目隠しされた郭1。物見郭を除けば城域での最高所に位置する。

仁熊城(筑北村) (30)
郭1の南側に削平された郭3が確認出来る。

最初はこの部分だけで物見として利用されていたと思われる。隣接する日岐氏(丸山氏)の領地とは険しい渓谷を隔てているので、攻め込まれる心配もなかったようだ。

仁熊城(筑北村) (37)
鞍部の郭4。ほぼ方形に削平されかなりの広さがある。ここから北西方向の沢に降るように数段の郭が造作されている。

鞍部にはこの城跡最大の広さを誇る郭4があり、そこから北向きの沢筋に向けて6段の削平地が確認出来る。日当たりはともかくとして隠れ家的な分譲地である。掘立建物をテキトーに造作すれば敵が通り過ぎる数週間ぐらいは籠れそうである。(チョッと冬は厳しいが・・・)
天水溜の井戸跡もあり、籠城が長引く事態になれば、最悪は南の尾根伝いに逃げる事も想定していたのかもしれない。

仁熊城(筑北村) (50)
大きさをお伝えする為ていぴす殿にご登場願ったが、段郭は居住性を持つ空間であった。

仁熊城(筑北村) (54)
居住区のある北側の沢は最終的に崖となり落ちるので、こちらからの侵入は心配ない。

仁熊城(筑北村) (57)
段郭も竪堀の調査もそうだが、「下りたら上る」という体力消耗は毎度の事ながらキツイ・・・(笑)

【物見砦からの景色】

縄張図にも描いたが、城域の南側の一段高い場所に周囲を岩場で囲まれた剥き出しの物見台がある。ここからの見晴らしは素晴らしいの一言であるが転落注意。
恐らく往時もこの隠れ小屋の物見として使われたのであろう。

仁熊城(筑北村) (80)
対岸には深い渓谷を挟んで、日岐丸山氏の物見砦である京ヶ倉と日岐城の詰め城の大城が指呼の間に見える。

仁熊城(筑北村) (83)
日岐領の北の砦である金戸山(かなとこやま)まで眺望できる。

仁熊城(筑北村) (85)
青柳氏の本城の青柳城も見渡せる。烽火が連絡手段だったと思われる。


【山岳信仰と山城の関り】

近年、山岳信仰を(恣意的に?)利用した山城の築城について掘り下げた議論を耳にするようになった。個人的にも中信濃の山城の多くはこの問題について避けて通る事は出来ないような気がしている。
ただ、何でもかんでも宗教と結び付けて考えるのは短絡的であるし、一時期流行った「神社・仏閣」=「豪族の居館跡」という裏付けのない安易な想定も危惧している。

しかしながら、信濃の山脈(やまなみ)は、北信濃の三大霊場(戸隠・小菅・飯縄山)に集った多くの修験者が己の鍛錬のために登り、縦走し修行をしている。信者も礼拝の為に山道を辿る事も多かったと伝え聞く。

この仁熊城(にゅうまじょう)も単なる逃げ込み城ではなく、こうした宗教に関わる山道を抑える為に構築されたと見れるかもしれない。その事は、小生の今後の山城を研究する上での重要な課題だと認識している。

仁熊城(筑北村) (3)
GPSによる仁熊城の座標。経験の浅い方は遭難の危険があるのでお勧めしません。


≪仁熊城≫ (にゅうまじょう 隠城・細田砦)

標高:870m 比高:200m(大日堂より)
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:東筑摩郡筑北村仁熊
攻城日:2016年11月13日
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:90分 駐車場:無し(邪魔にならないように耕作地の脇に路駐)
見どころ:土塁、削平地、展望
付近の城跡:竹場城、安坂城、日岐大城、京ヶ倉、青柳城など
注意事項:事前の調査とそれなりの装備はマスト。道が無いので険しい山城探訪の経験値の無い方は御法度。遭難します。
参考書籍:「信濃をめぐる境目の山城と館・松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
Special Thanks:ていぴす殿

hikioojyo (41)
対岸の日岐大城から見た仁熊城。こんなショット撮るヤツの気が知れない・・・(笑)


「S」は駐車可能な場所。(付近にお住まいの方にはひと声かけた方が無難です)
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Posted on 2019/02/13 Wed. 22:06 [edit]

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金比羅山砦 (群馬県嬬恋村鎌原)  

◆鎌原城の物見砦◆

この冬は例年になく降雪が少ないらしいが、そうはいっても冷凍庫のような信州の冬である。

山城攻めも諦めて、最近お気に入りの岡崎体育を聞きながら艦船プラモの製作に疲弊している日々・・・(笑)

今回ご案内するのは、小生が微力ながら宣伝活動を継続してきた鎌原城の物見砦と伝わる金比羅山砦。

羽根尾城・鎌原城 056
10年前の鎌原城址。地元民もほとんど知らなかった城跡だったが、お土産店のお婆さんに教えてもらい何とか探し当てた・・(汗)

某大河ドラマ「真田丸」の相乗効果を期待して、岩櫃城とともに鎌原城も整備が急ピッチで行われたがさほどの集客効果にはつながらなかったようだ。

金毘羅山の砦 (6)
すっかり整備された鎌原城の本丸に建てられた立派な城址碑。格上の岩櫃城の城址碑に匹敵する豪華さである・・・(笑)

10年前の探訪時に説明板に記載のあった「金比羅山砦」の記載は気になっていたのだが、そのまま捨て置いた。
今回たまたま信濃先方衆の上野国遠征で、相方がチョッと寄ってみましょうよ・・・という言葉でその気になったしだいである・・(汗)

羽根尾城・鎌原城 057
10年前の説明板にも、現在の説明板にも「金比羅山砦」は鎌原城の物見として記載がある。

【立地】

吾妻かわの右岸、鎌原城(かんばらじょう)の北、谷を隔てた断崖上の小山が金比羅山砦である。崖の直下を国道144号線が走り鎌原城との間の谷は、西窪(さいくぼ)から鎌原への道が通るが、山体は険しく近寄りがたい山である。登り口は東側の浅間白根火山ルートのカーブの所から尾根沿いに踏み址があるので、それを辿る。吾妻川の谷へ張り出した山のために流域の視野は広い。対岸に西窪城が築かれている。

金毘羅山の砦 (9)
道路脇から道形を辿り尾根を登ると立派な堀切が現れる。

金毘羅山砦見取図①
今回は手を抜いた縄張図です・・・ごめんなさい・・・(汗)

【城主・城歴】

鎌原城の所で吾妻川が蛇行するために、同城から西方は良く見通せるが東方は丘陵地により視野が限られてくる。それを補うために谷中へ突出した金比羅山に砦を置き物見の塁としたと伝える。西側は西窪城から、東方は赤羽台を介して鷹川城、羽根尾城へ伝えたという。
言ってみれば鎌原城の目となった砦で、戦国期には狼煙台として機能したもので、真田氏の支配下に入った頃には、沼田から鳥居峠や角間峠の先の真田、更に上田までの連絡網が出来ていたことが考えられ、その一つに数えられ物見である。

金毘羅山の砦 (10)
こんなちっぽけな砦で土塁付きの堀切に出遭えるとは思いもよらなかった・・。

金毘羅山の砦 (12)
堀切を登った最高部が主郭。(16×10)

【城跡】

山頂の主郭は16×10mほどの長方形の平場で、中央部が少し高くなっているのは金比羅祠の跡と思われる。南に上巾9mの堀切がある。北側6m下に30×10mの2の曲輪があり、東辺に土塁が残る。1との間に虎口状地形があるので、ここへ鎌原城からの連絡路が登っていたことが考えられる。あるいは水場への道があったのかもしれない。
北は断崖で、2の先端から東の沢へ下る道跡が残る。

金毘羅山の砦 (13)
主郭(郭1)から見下ろした郭2.同胞のていぴす様が調査中である・・・(笑)

金毘羅山の砦 (14)
郭2は東側に土塁痕が残る。

金毘羅山の砦 (16)
主郭と郭2の境。堀切に見えるが両サイドへの切込は見られない。

金毘羅山の砦 (19)
郭2の先端の段郭。この先は断崖絶壁である。

郭2つと堀切一つの取るに足らない小さな砦である。だが、それがとてもいいのである・・。

得体のしれない妖怪が来襲するかもしれない恐怖に狼狽する在地土豪と地元民。

こんな田舎にも戦国時代という風雲急を告げる時代があったのだと、改めて思うのである・・・・。


≪金比羅山砦≫ (こんぴらやまとりで)

標高:860m 比高:70m
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原
攻城日:2018年10月24日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:10分 駐車場:無し(邪魔にならないように路駐)
見どころ:堀切、土塁など
付近の城跡:鎌原城、西窪城、大笹関所、鷹川城など
注意事項:特になし
参考書籍:「信濃をめぐる境目の山城と館・上野編」(宮坂武男著 2015年 戎光祥出版)



羽根尾城・鎌原城 084
吾妻川の対岸から見た金比羅山砦。

金毘羅山の砦 (5)
おまけショット⇒鎌原城では城主様がお出迎えしてくれました。

Posted on 2019/01/31 Thu. 22:40 [edit]

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航空母艦 祥鳳 (Hasegawa製)  

◆日本が喪失した最初の空母をサクッと作ってみた◆

プラモデルを作った方はある程度経験があると思うが、丁寧にとか、綺麗にとか、現物に近づけようとか思いながら製作していると、ついつい根気を詰めてしまい途中でストップしおて放置プレイになる。それどころか、購入したまま箱も開けずに放置(通称:箱積み)して、模型ショップ顔負けの在庫状態・・・なんて方もチラホラ(笑)

そういったお悩み対策として、「プラモの箱を開けて目に見える場所に置けば、その気になる」という説もあるが、完成するまでの道のりの遠さに自ら閉口し引き籠っている。ならば、多少手抜きしても見映えの良さで時間短縮すれば、生産性が上がるような気もする。

今回ご紹介するのは、「製作の時間短縮」にチャレンジした空母祥鳳(しょうほう)。

空母祥鳳 (1)
ベースキットは瑞鳳と同じ。デカールも選べる。

前回の空母瑞鳳を制作した時よりは技術的にも工具的にも若干進歩しているので、仮組みから下地塗装まではイッキに進む。

空母祥鳳 (3)
今回、下地塗装はオキサイドレッドのサーフェイサーでチャレンジしてみた。

空母祥鳳 (5)
調色して軍艦色をエアーガンで吹き付けるよりは、軍艦色のラッカースプレイを買って作業するのが楽だし安上がりだと最近気づいた(笑)

空母祥鳳 (6)
飛行甲板の塗装も「タン」のラッカースプレイで均一な仕上りに。

祥鳳だけでなく、珊瑚海海戦当時の翔鶴や瑞鶴も飛行甲板の前部と後部の対空防御兵器は極めて貧弱で、前方や後方から敵機に攻撃されたらひとたまりもない。

案の定、祥鳳は米軍の空襲により恰好の標的となり、無数の爆弾と魚雷攻撃を受け瞬く間に轟沈したという。

空母祥鳳 (8)
航空甲板の白線及び艦尾の紅白のデカールは非常にありがたい・・が、丁寧に作業しないと仕上がりを左右するので気を付けよう。

甲板両サイドの可倒式の5本のアンテナ(支柱)は作業中に破損するリスクがあるので、最後に接着するのが賢明であろう。
小生も誤って二本破損してしまった・・・(汗)

ここまで約2時間の作業。塗装の乾燥時間も含めれば上々であろうか・・・。艦載機はほぼ同等の時間がかかるとは覚悟していた。

空母祥鳳 (11)
附属のプアな艦載機もチョッと手を加えればそれなりの見映えになる。

【艦歴】

日本海軍では、いざ戦時となった時に短期間で空母に改修して戦力を補強できるようにするための、高速給油艦「剣埼」(つるぎざき 1番艦)と「高崎」(同型艦)の建造を計画した。「剣埼」は建造途中で潜水母艦として完成させることになり、昭和14年1月、横須賀工廠で竣工しました。同じく潜水母艦として計画されていた「高崎」が航空母艦「瑞鳳」として完成したため、「剣埼」も航空母艦に改修され、昭和16年12月、「祥鳳」と改名、翌年1月26日第一航空艦隊第四航空戦隊に編入された。

昭和十七年5月7日、海戦史上初の空母対空母の決戦となった珊瑚海海戦で米軍機動部隊の空母機による空襲により、4ヶ月あまりの短い艦命を終えるとともに日本空母の喪失第一号となった。

空母祥鳳 (13)
何かとマリアナ海戦まで活躍した瑞鳳と比較されてしまうが、結果として米軍の機動攻撃部隊の攻撃(魚雷7本、爆弾12発)を一手に引き受けて、瑞鶴や翔鶴を始めとするMO機動部隊の損傷を最低限に抑えた武功艦である事には違いない。

空母祥鳳 (14)
附属品とは思えない零戦21型と九七艦爆。

空母祥鳳 (18)
迷彩模様の九七艦爆。

【空母祥鳳 主要項目】 (建造時)

基準排水量:11,200t  全長:185m 幅(水線最大幅):18m 飛行甲板(長さ×幅):180×23m 吃水:6.64m
旗艦出力:52,000hp 武装:40口径12.7cm高角砲(連装×4) 
搭載機:艦上戦闘機(常用21機)、艦上攻撃機(常用6機/補用3機)
速力:28.0ノット
完成:1941年

空母祥鳳 (16)
総製作時間:推定4時間。

さっさと作るか、購入した金額に見合うように真剣に作るかは個人の自由だが、部屋に箱積みするぐらいならサッサと作るのが得策だと思うのだが・・・・(笑)


Posted on 2019/01/16 Wed. 22:00 [edit]

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鷹の巣出丸 (群馬県安中市板鼻)  

◆背丈を越えて荒れ狂う大藪に突入を断念した砦跡◆

日本で最高地点にある楡沢城の藪漕ぎで心が折れ進退窮まる経験をした小生なので、大抵の藪には動じないが、グンマー帝国の山城に蔓延る藪や竹林は格が違うというか、そこまで原野に戻してよいものかと思うくらい異次元である・・・(汗)

なので、今回ご案内する鷹の巣出丸は途中で撤退するのでご容赦願いたい・・・(笑)

IMG_8505.jpeg
県道171号線の脇から鷹巣神社への参道を意気揚々と登るのだが・・。

【立地】

碓氷川の左岸の崖状の鷹ノ山と呼ばれる山頂にあり、蟹沢を挟んだ対岸には板鼻城が目と鼻の先にある。嘗ては鷹巣神社の社殿が山頂に勧進されていたようだが、現在は朽ち果てて何もなく入口の古い門だけが残っている。

IMG_8503.jpeg
参道を登った先には小屋掛け出来そうな平場がある。

【城主・城歴】

その名の示す通り、対岸の板鼻城の出丸で碓氷川に衝立のように聳える要害の地である。鷹巣神社が朽ちてしまったためか、入口の門のところ(上杉家の墓地)に石祠と神社の石碑が建てられている。痩せ尾根で駐留出来る人数も限られるため、板鼻城の物見か烽火台として機能していたと思われる。

IMG_8502.jpeg
一段上の水源池も郭跡のようである。

【城跡】

県道脇の取り付け道路を歩いて登った先には水源池や墓地を含めて三段の削平地がある。ここに小屋掛けして交代で兵士が寝泊まりしていたか、休息していたと思われる。墓地には古い門が建ち、ここから山頂の郭に向けて通路があったようだが、大藪に阻まれて立ち入る事さえ不可能なほど荒れ果てて原野に戻りつつある。
宮坂武男氏の10年前の調査によれば、神社跡の石垣の囲いは頂部まで数段あるものの砦としての遺構は不明で堀切などは見当たらなかったと記述している。

IMG_8498.jpeg
「何で墓地に神社の石祠があるの?そしてその背後の門は何なのさ?」

意気揚々とここまで登ってきたので、この門の先を登れば砦の中心に行けるものと信じてやまなかった・・・・・

そして、その門の先へはどう考えても進めないという絶望感を味わうのであった・・・・(笑)

IMG_8500.jpeg
門を塞ぐように立ち憚る大藪。この先に痩せ尾根沿いに神社本殿に続く道があったのだ。

鉄塔側から北へ迂回して入れないものかとトライするが、グンマー帝国の大藪の前に無力さを痛感するのみであった。

「撤収!!」  こうして鷹の巣出丸の探訪は終了したのであった・・・・・(汗)

≪鷹の巣出丸≫ (たかのすでまる)

標高:174.4mm 比高:51m(碓氷川より) 
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:群馬県安中市板鼻
攻城日:2018年11月3日
お勧め度:- (興味があれば)
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し(邪魔にならないように路駐)
見どころ:-
付近の城跡:板鼻城、安中城、板鼻古城など
注意事項:藪に立ち向かう道具と勇気があっても止めましょう(笑)
参考書籍:「信濃をめぐる境目の山城と館・上野編」(宮坂武男著 2015年 戎光祥出版)

IMG_8509.jpeg
碓氷川の直下から出丸の頂部を見る。さすがにこの壁は登れませんネ。


「S」は登り口。鷹巣神社まで道があるように描かれているが到達は現時点では到達不可能。

Posted on 2019/01/08 Tue. 21:26 [edit]

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板鼻城 (鷹巣城 群馬県安中市板鼻)  

◆武田によって築かれた箕輪城攻略後の兵站補給基地か?◆

グンマー帝国の城砦群はとても魅力的なのだが、如何せん藪や竹林に覆われて踏み入る事すら敵わない場所が多く難儀する。

信濃の山城のように晩秋~冬~春先にかけてスッキリ遺構が見えるなら良いのだが、年中あまり変わり映えしない・・(汗)

今回ご案内するのは、主郭の周辺以外が全山藪に埋もれてしまって、まともに観察できない板鼻城。

板鼻城 (1)
以前は耕作地だったようだが、城址は一部住宅地となるも荒れ放題の藪ボーボー状態。

【立地】 ※「信濃をめぐる境目の山城と館 上野編」(宮坂武男著 戎光祥出版) P228より引用

碓氷川の左岸、天神山から南東へ延びる丘陵の先端部の台地上に位置する。板鼻城の南西には蟹沢川を挟んで、碓氷川との間に鷹ノ山があり、ここに鷹の巣出丸があり、北西には板鼻古城が隣接し、東には小丸田曲輪が続き要害地域を形成している。

板鼻城 (2)
ここは幅約10mの堀跡なのだが、とてもここに飛び込む勇気などある訳ない・・・(汗)

【城主・城歴】

宮坂武男氏の調査記述によれば、長野業政が女婿の後閑城主依田光慶に懇望して築城させ天文七年に光慶自身が板鼻に移ったという伝承は疑問視されているという。「上州古城累記」には長野業政と武田信玄が板鼻で三度合戦を行うがこの時には塁(城)は無かったとして、箕輪城落城後に西上州が手に入った時に武田軍が築城し、信玄の家臣の依田六郎が入城したのではないかとして、この説が有力だという。

板鼻城 (5)
郭2は現在も耕作地となっているので往時の面影が残る。

天正十八年(1590)の小田原の役の時には、北条支配の板鼻城は上杉景勝軍に攻められて落城、その後廃城となった。
慶長年間になると、安房国の戦国大名里見忠義の子の里見讃岐守忠重が上野板鼻藩1万石を与えられて小丸田曲輪に陣屋を建てたというが、慶長十八年に改易されたという。

板鼻城 (6)
堀を介して隣接する郭3は調査不可能なほど大藪に覆われている。

【城跡】

丘陵の最上部(三角点及び鉄塔付近)の住宅及び周辺が主郭で周囲が堀により区画されているのが観察できる。主郭の西隣は堀切を介して果樹園と畑になっているのが郭2で、それ以外の郭は藪に覆われてしまい調査不能である。宮坂武男氏の縄張図によれば丘陵全体を堀切で区画し大きく六つの郭があるらしいが、徹底的に藪を駆り払わない限り全容を見るのは無理であろう。

板鼻城 (7)
堀形、主郭の切岸が唯一観察できる場所。

板鼻城 (10)
現在民家となっている主郭には土塁が残っているようだ。

【小丸田曲輪】

城域の東端には独立したような形で小丸田曲輪があり現在跡地は老人福祉センターと児童公園として利用されている。
陣屋だけなら、見晴らしも良いし比高も高くないので絶好の立地でsる。

板鼻城 (18)
現在は老人福祉センターの建つ小丸田曲輪。

板鼻城 (16)
小丸田曲輪からの風景。端に鷹の巣出丸がかすかに見える。

要害の地ではあるが、戦闘用の城というよりは地域経営の拠点としての城及び上野攻略の兵站補給地として機能したと思われる。

≪板鼻城≫ (いたはなじょう 鷹ノ巣城)

標高:169m 比高:50m 
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:群馬県安中市板鼻
攻城日:2018年11月3日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し(邪魔にならないように路駐、或いは老人福祉センター借用)
見どころ:土塁、堀切など
付近の城跡:鷹の巣出丸、安中城、板鼻古城など
注意事項:特に無いが、ガレ山なので足元や頭上に注意
参考書籍:「信濃をめぐる境目の山城と館・上野編」(宮坂武男著 2015年 戎光祥出版)

板鼻城 (1)
国土地理院にもデカく載っていたので少し期待したが、見事に裏切られました・・・(笑)

Posted on 2019/01/05 Sat. 11:33 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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