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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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火打山狼煙台 (佐久市春日)  

◆春日城と芦田城を繋ぐの狼煙台か?◆

戸隠シリーズを一旦終了して舞台を久々の佐久方面へ移そう。といっても、二年前の話ではあるが・・・(汗)

この地域の未訪の山城は小倉城と笠原城を残すのみである。

小倉城は春日城の詰め城で、天正壬午の乱で家康の佐久平定戦で功績のあった依田信蕃(よだのぶしげ)が、大道寺政繁率いる北条の大軍を相手にゲリラ戦を敢行した三沢小屋ではないかと推定されている。今年の晩秋には探訪したいものである。

今回ご案内するのは、依田信蕃の父の信守が防衛上の理由で芦田城から春日城に移転した際に、繋ぎの狼煙台として機能したという火打山狼煙台。

火打山狼煙台(佐久市春日) (24)
春日城の麓から望月カントリークラブに通じる手前道路の最終ヘアピンカーブの北側が遺構である。(鉄塔が目印)

【立地】

春日地区の本郷の西の山頂で、望月カントリーゴルフ場の東の山になる。ここからは春日城、望月城、天神林城が眼下に見えて遠く浅間山連峰も見通すことが出来、狼煙台の立地としては申し分ない。

火打山狼煙台(佐久市春日) (10)
カーブミラーの脇からテキトーに登ると切岸が目の前に現れる。

火打山烽火台見取図①
東京ディズニーランドが35周年とは何の関係もありませんが、そのシルエットが・・・・(笑)


【城主・城歴】

宮坂武男氏の聞き取り調査の過程では栃久保城との関連では伝承が無く、ここが火打山と呼ばれていたことが判明したという。
春日城は山城であるものの、周囲を山に囲まれた谷中の城であったために春日城より70mほど高く芦田城との連携が可能なこの場所に狼煙台を造ったと推定される。

火打山狼煙台(佐久市春日) (8)
方墳と錯覚するような形と切岸。

火打山狼煙台(佐久市春日) (9)
主郭を囲む帯郭。輪郭式の縄張りである。

【城跡】

道路の開通による多少の破壊はあるものの、これが方墳のような主郭を取り巻くしっかりした帯郭とその一段先の平場。南西には小屋掛けできそうな平場も人工的に加工してある。

火打山狼煙台(佐久市春日) (11)
狼煙台の北側は削平され北側に続いている。

耕作地跡か?とも想定するものの、麓からの比高200mで標高960mの高地にわざわざ何をつくるのか・・という事で、往時の遺構であろうという結論付けとなる。

火打山狼煙台(佐久市春日) (13)
ミッキーシルエットの主郭内部。土塁は最初から無かったのであろう。

火打山狼煙台(佐久市春日) (17)
東南にある小屋掛けが想定される削平地。

山城や古城を利用した山城は伝承が数多く残るものの、古代よりの狼煙台となるとその素性は謎な場所が多い。

この火打山狼煙台の設立については不詳であるものの、このスタイルが往時の狼煙台のスタンダードであるとすれば極めて貴重な遺構であろう。公認するかの有無ではなく後世に伝えるべきものであると考える。

火打山狼煙台(佐久市春日) (15)
狼煙台は整然とした方形である。

この日は春日城にも登って写真を撮り直してリテイク記事の準備をしたのだが、それもいつになるやら・・・(汗)


≪火打山狼煙台≫ (ひうちやまのろしだい)

標高:960m 比高180m 
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市春日栃久保
攻城日:2016年5月01日 
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:5分  駐車場:無し
見どころ:切岸・郭
付近の城跡:春日城、式部城、小倉城、天神林城など
注意事項:特になし
参考書籍:「信濃の山城と館① 佐久編」(宮坂武男著 2012年 戎光祥出版)



火打山狼煙台(佐久市春日) (26)
春日城の麓から見た火打山狼煙台。

Posted on 2018/06/10 Sun. 21:10 [edit]

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馬曲温泉 「望郷の湯」  

◆戦士の休息◆

先日、某ローカルラジオ局のパーソナリティが木島平村にある馬曲温泉のソフトクリームが絶品と言っていた。

春先に収録された某ローカル地方局の地元グルメナビで、飯山の富倉蕎麦を美味そうに食レポしていた。

日帰り温泉とグルメレポートを兼ね、家人を唆して 「いざ北信濃!!」(笑)

【馬曲温泉】 (まぐせおんせん)

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飯山市の国道117号線から右折し、県道38号線に入り千曲川に架かる「綱切橋」を越えて「馬曲温泉」の道標の案内通りに県道354号線をひたすら北東に進むと鄙びた日帰り温泉施設辿り着きます。

利用料金は510円で、内湯と露天風呂に入れて、公民館の大広間のような休憩場も無料で利用出来ます。内湯と露天風呂は全く別の場所なので、内湯で体を洗い露天風呂に移動して景色を楽しむのが良いでしょう。

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手打ちそばや定食類も揃う食堂。お土産の種類も豊富だ。

この馬曲温泉、実は2015年12月に信濃先方衆の平沢城攻略後に訪れているだが、その時は平沢城の全景の写真撮影のみで利用していない・・・(汗)

まあね、その時に快く敷地内に入って写真撮影を許可してくれた方々への感謝の意も込めて今回の訪問となった。
往時のレポートは⇒2015北信濃の山城納めをご参照ください。

●平沢城の説明板はこの場所にある

ここからは露天風呂に入りながら平沢城の全景が見える。こんな贅沢な山城マニア向けの温泉は、他に狐落城の堀切が観察できる「びんぐしの里 湯さん館」(埴科郡坂城町ぐらいであろうか。

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馬曲温泉の温泉施設の中に立つ平沢城の説明板。

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2015年12月の馬曲温泉よりの写真。

平沢城①
上の写真を拡大すると堀切や郭が遠目でも良くわかる。

残念ながらまだ記事にはしていないのだが、平沢城は結構技巧的な山城で、近くの犬飼山城と共に木島平村を代表する山城である。険しい山尾根にあり、麓からのアプローチ方法が結構大変なのだが、林道走破が可能な車両をお持ちであればトライして欲しい。

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2018年6月の撮影。

●露天風呂

上下二段の湯船にゆったり浸かりながら、平沢城や高社山、その先の飯山市街地などがご覧いただけます。

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男湯の脱衣所。この先の撮影は軽犯罪法に抵触するので悪しからず・・・(笑)

●ソフトクリームは隠れた逸品と評判

ここのソフトクリームは300円。が、しかしその味はミシュラン三ツ星に相当すると評判である。

では、実食!!

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何の変哲もないソフトクリームなのだが、カウでモウなかすかな甘さ(チョッと何言ってんだかわかんない・・・・笑)

木島平村の牧場で育った牛の搾りたての生乳100%で構成されているという。なので、ここでしか味わえない幻のソフトだとか。

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温泉に入らなくても入場口の売店で販売していますw

皆さんも、北信濃にお越しの際は「馬曲温泉 望郷の里」に是非お越しくだされ・・・!!




【富倉そば】

今回食べたお店が正統派なのかは別として、小麦粉の代りにヤマゴボウをつなぎとした幻の蕎麦といわれる「富倉そば」を食べたことが無い。

それでも「信州人か!!」とお叱りを受けそうなのだが、信州人=そば通(「または毎日の主食がソバ」という都市伝説は止めて欲しい・・・汗)というのは、ご勘弁願いたい。

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感想は? 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

せっかくなので、名物「笹すし」も注文してみた。

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「感想は?」 「御馳走様でした!!」(注 元気よく・・・・笑)

富倉そばを食べながら、2015年5月に探訪した其の名のルーツの富倉城を思い出した。

あの時は酷い藪の中をむさ苦しい中年男が2名、訳の分からぬ雄たけびをあげながら、カプサイシンスプレーを撒きながら山城を探訪していました。

「機長、逆噴射です!! 安全装置が外れてます!!」

機長の自爆だけで、実のところ巻き込まれずに良かった・・・(笑 師匠、ゴメンナサイ・・・笑)




Posted on 2018/06/03 Sun. 21:48 [edit]

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針立城 (長野市戸隠栃原)  

◆再調査が必要な居館城跡◆

基本的にはしっかり現地踏査を行った山城や城館を記事として掲載するのをモットーとしているのだが、再調査は直近でも晩秋になりそうなので、流れ的に掲載しておこうと思う。お赦しくだされ・・・。

今回中途半端にご案内することになったのは戸隠シリーズの「針立城」(はりだちじょう)。

針立城 (1)
南側より城跡の西側の堀切を見る。

【立地】

戸隠栃原の福平集落の700m東に位置する針立集落の東の小山になり、城の東側は奈良尾沢の深い渓谷となり天然の要害である。近くには福平城や南に円光寺館などがあり、福平城に関連する城砦と考えられている。

針立城見取図①

【城主・城歴】

史料・伝承等無く不明。立地からは福平城の溝口氏に関係のある人物の城館と推定されている。

針立城 (4)
まあね、夏場は城館といえども突入するのは勇気がないと・・・(汗)

【城跡】

宮坂武男氏の踏査報告によると、土塁を伴う最高所の主郭の前後に三ヶ所の副郭を伴う城館で、周囲は深い渓谷に面しているため地続きの南側にのみ堀が穿ってあったようだという。
今回は藪が酷いのと本能的に警鐘が鳴っていたので探索は諦めて、周囲の地形観察に留めた。
都合が合えば、改めて調査してみたい城跡である。

針立城 (5)
この時は何故か突入するのを躊躇(ちゅうちょ)した。無理してはいけないのである・・・。

針立城 (10)
郭4は耕作化により改変されているが、切岸は往時のままだと思われる。

≪針立城≫ (はりだちじょう 沢尻の城)

標高:818.2m 比高9m 
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市戸隠栃原
攻城日:2016年5月22日 
お勧め度:★☆☆☆☆ 
城跡までの所要時間:5分
見どころ:不明
付近の城跡:大昌寺山城、福平城、円光館など
注意事項:耕作地は無断侵入禁止  駐車場:無し
参考書籍:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)

針立城 (7)
城の南側の堀跡(推定)

Posted on 2018/06/01 Fri. 22:32 [edit]

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五十土城 (戸隠栃原)  

◆福平城の南口を守る砦か◆

GW明けは連休も取れずに一週間に一度の日曜休みだけで、これといって観たい映画も無いし、近くの博物館や歴史館も特別に興味のある展示会をやっている訳でもないので、なんとなく一日が終わってしまう焦燥感・・・(汗)

といって蜘蛛の巣や毛虫が降り注ぎ、蛇を警戒しながらスズメバチに追われる夏の山城探索などに出掛ける気にもならない(笑)

かといって天気が良いのにブログ記事を更新するのもどうなんでしょうかねえ・・・今回ご案内するのは戸隠の「五十土城」(いかづちじょう)

戸隠周辺の城と居館①
戸隠地区で残るは「高城」と「志垣城」「猿丸城」の3つでコンプリートなのだが、猿丸城は大藪に阻まれて一度撤退している。

【立地】

旧戸隠村栃原の五十土(いかづち)集落の北側の山裾の高台にある。ここは谷沢の谷に面して断崖となり集落を見下ろす場所に位置している。東の台地上には大昌寺と大昌寺山城、北の大地には福平集落と福平城があり、その台地の南側の登り口にあたる。

五十土城見取図①
まあ、高台にホームベースのような単郭があるだけなのだが・・・(汗)

五十土城 (2)
道路脇から数分登れば高台(主郭)へ。墓地への道路が付いているので軽自動車なら入れる。

五十土城 (3)
主郭の墓地。周辺はかつて耕作地だったようだ。

【城主・城歴】

史料、伝承等無く不明。宮坂武男氏の調査によれば、この南下の家の家号が「十」(じょう)なので、この山が城跡と考えられているという。展望はあまり良くないのが、五十土城の北側の斜面を比高50mほど登れば福平城の外郭に通じる事や、南東の大昌寺山城とは指呼の間にあるので、福平城の砦だった可能性も考えられるという。

五十土城 (6)
主郭の北側は窪地になっていて堀があったと推定してみるがどうであろうか。

五十土城 (1)
西の谷沢方面に下る堀形。それっぽく見えます。

【城跡】

33×38の五角形状の頂部は墓地とかつては耕作地だったようで、「十(じょう)」と呼ばれた麓の家号の家との間に削平地が確認出来るが、これは往時のものかは断定できない。
本郭の南側の断崖に下りる小径の中間に稲荷と数基の石祠が確認出来るが、この城跡との関係は不明である。

五十土城 (5)
東側に福平城の出城と伝わる大昌寺山城。

五十土城 (8)
「十(じゅう)」という家号の家は恐らく五十土城の代々の城守だったのであろう。

≪五十土城≫ (いかづちじょう) 

標高:780m 比高:20m
築城年代:不明
築城・居住:不明
場所:長野市戸隠栃原
攻城日:2015年8月29日
お勧め度:★☆☆☆☆
居館跡までの所要時間:-
駐車場:墓地腋
見どころ:特になし
参考文献・書籍:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
注意事項:住宅地につきプライバシー注意
付近の城跡:追通城、福平城、中尾城、上祖山城、鬼ヶ城など
SpecialThanks:ていぴす殿

五十土城 (11)
高台の南側の斜面には稲荷社と石祠が祀られている。城と何か関係性があるのだろうか?

複雑な縄張図を描くのが面倒だと言って、安易に平地の城館で誤魔化す目論見はもちろんあります・・・(笑)

そうはいっても、誰かが記事にしなければ忘れ去られてしまうのも口惜しいので掲載にしてみました。

そんな小生をSNSで批判ですか・・・心外です甘んじて受けましょう!!(爆)

Posted on 2018/05/20 Sun. 20:49 [edit]

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潜水母艦 大鯨 (AOSHIMA製)  

◆最新工法の試行錯誤で完成までに5年を要し、最終形は軽空母となった変わり種◆

多芸多趣味は身を滅ぼすと知りつつ、そんなに寝食忘れて打ち込む本命の趣味など持ち合わせていないのが現状である・・(笑)

「プラモ戦記」なるカテゴリーの記事も3年間放置しているので、違う趣味に走ったのか?と思われる方もいるかもしれない。

残念ながらミリヲタプラモの趣味は継続中で、正月にはエアブラシまで買い揃えて水面下で亀の歩みの如く進行中なのである。

今回完成したのは、今年五周年を迎えたブラウザゲーム「艦これ」に登場する「潜水母艦 大鯨」(たいげい)。

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意味深なエレベーターと後付けの偽装煙突は世を偲ぶ仮の姿ということが分かります・・・(笑)

【艦暦】

潜水母艦大鯨は、海大、巡潜型などの大型潜水艦が誕生し、それらと行動をともにするにはこれまでの迅鯨型の潜水母艦では能力不足であるとして、昭和8年の第一次補充計画(①計画)の追加計画で成立した。

横須賀海軍工廠にて4月12日起工、大規模電気溶接での加工法を採用した、今日の先駆けとなる船体ブロック建造方式を採用し翌年3月に竣工したが、鳴れない製造方法のため、進水式を前に大きな歪みが発生し、進水式後は船体を切断、矯正する事となった。

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94式水上偵察機は三機搭載。

さらに搭載したディーゼルエンジンの故障が頻発し、竣工は昭和9年3月末となった。しかし、第四艦隊事件による船体強度不足の指摘と、航空母艦改装への準備も盛り込んだため、完成したのは昭和123年9月であった。

同月、第一戦隊旗艦に編入、その後旗艦となり、北方方面、南方方面へ潜水艦と共に活動。開戦後、12月20日横須賀海軍工廠にて航空母艦への改装に着手。ディーゼルエンジンの換装や、昭和17年4月18日のドーリットル空襲による被弾で甲板修理に4ヶ月を要すなど工期が長引くも、同年11月28日解消が終了し、同月30日に「龍鳳」と命名され航空母艦として運用された。

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エッチングパーツもあるようなので、もう少しイジって見たいと思うが・・・。

その後は、同時期に軽空母に改装された瑞鳳、祥鳳とともに機動部隊として参加するが、マリアナ沖海戦後は艦載機の不足により輸送艦として各地を転戦し、本土帰還後は練習空母となり最後は呉軍港の防空砲台として終戦を迎え昭和21年9月に解体されその生涯を閉じた。

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まあね、甲板上の艦橋もすぐに撤去出来る作りみたいだし・・・。

【主要諸元】

●排水量:14,400トン  
●全長:215.65m
●水線長:211m
●最大幅:20m(最上甲板)
●出力:13,000馬力
●速力:18.5ノット
●兵装:12.7cm高角砲2基、40mm連装機銃2基、呉式2号5型射出機、九十四式水上偵察機3機搭載

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「艦これ」とのコラボ作品なので、専用シートに載せてネームプレートを置くと、完成品はこういう状態になるのだが・・・。

そういう趣味もある「らんまる攻城戦記」は嫌いになっても、祖国を守るために太平洋の各地を転戦した「潜水母艦大鯨」の事は嫌いにならないでください!!(笑)

Posted on 2018/05/14 Mon. 22:15 [edit]

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城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

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