らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

1224

余地峠 (長野県南佐久郡佐久穂町/群馬県甘楽郡南牧村)  

◆武田軍の上野国遠征で使われた信玄道(棒道)の残る峠◆

この季節、B‘Zの「いつかのメリークリスマス」や「クリスマスキャロルが流れるころには」が聞こえてしまうと、頭の中ヘビーローテーションで始まってしまう・・(汗)

クリスマスというと、なんだかバレンタインデーの前座みたいだよネ。それと、小生にとってはバタークリームのクリスマスケーキしか思い出せなくて・・・なんか切ない・・・(笑)

バターケーキ①
貧しかった幼少時代はこれが年一回しか食べられない最高の御馳走だったんだ・・・・・

さて、センチメンタルジャーニーはこれぐらいにして、気を取り直してブログを再開しますか・・・(笑)

今回ご案内するのは信濃国佐久と上野国の南牧村を繋いだ余地峠(よじとうげ)の取材記事。例の如く、「そうだ、余地峠が俺を呼んでる!!」と思い付きで出掛けてしまい、ここに砦跡があるのを知ったのだが後の祭りでした・・・(汗)

IMG_1559.jpg
武田遠征軍も見たであろう余地峠への風景。

【余地ダム】

基本的にダムがあるとついつい寄り道してしまう。平成2年製の重力式コンクリートダム。

IMG_1521.jpg

IMG_1522.jpg
建設から30年近くも経つと自然の風景に溶け込んでいて違和感がない。

IMG_1556.jpg
そういえば、どなたかのブログで人の顔に見えるとか言っていたなあー。ホントだネ(笑)

【余地峠へ】

余地ダムの少し先に登り口がある。峠の頂上まで対面通行さえ出来そうな林道が通じているが、ゲートが固く閉じられているので、悪路走破自慢のジムニー君も出番なし。孤独を噛みしめながらひたすら歩くしかない・・・。

IMG_1554.jpg
オフロードバイクがすり抜けた跡がある。ルールは守らにゃいけません!

余地峠信玄道①
この地図を持って出かければ良かったと後悔したが、この季節は藪漕ぎ三昧だったであろと思ったのも事実である。

IMG_1527.jpg
後で分かったのだが、この辺りから尾根通しに信玄道があったらしい。

余地峠の古道は余地川沿いを通るの為、急崖や難所も多くあり軍隊の通行には不向きだったらしい。その為わざわざ尾根に棒道を開けて峠よりも高い地点を通過し峠に下りたと伝わる。

IMG_1553.jpg
中間地点の中の峠から余地ダムを振り返ると管理事務所が見える(写真はズーム拡大)

IMG_1528.jpg
整備された林道をひたすら歩くのはいつもの事で慣れてます。でも、時々虚しい気持ちになります・・(笑)

余地ダムから40分ほど歩いてようやく余地峠の頂上に着いた。

この辺りの県境の峠としては、熊倉峠、内山峠、田口峠、余地峠、十石峠、ぶどう峠などがある。

南佐久地方は、昔からこれらの峠を介して上野国の下仁田、南牧、上野などとの物資や人的交流が盛んで、明治j時代に鉄道が物流の主役になるまでは生活物資運搬の為の重要な街道でもあった。

IMG_1531.jpg
牛や馬が物資輸送の中心だった時代に賑わった余地峠だが、手書きの標柱とは寂しい。

IMG_1539.jpg
馬頭観音が辛うじて往時の面影を伝えるのみである。

IMG_1534.jpg
峠の頂上はこんな感じ。

IMG_1541.jpg
それでも峠の北側は大部隊が駐留出来る充分な平場がある。

【信玄の棒道】

峠の北側の平場の脇に棒道があった。恐らくこれが信玄の棒道であろう。ここを辿れば「余地峠の烽火台」に行かれたのに、事前の下調べもせずに突撃したので惜しい事をしてしまった・・・(汗)

IMG_1543.jpg
信玄の棒道と思われる通路。北の尾根側に続いていました。

IMG_1538.jpg
南牧村(なんもくむら)の熊倉へ続く峠道。

IMG_1536.jpg
麓の熊倉の集落が見えるかと思ったが、この季節じゃ無理でしたネ。

余地峠は信玄の「飛脚かがり」の西毛線として上野国の状況を知らせるために烽火台が置かれたという。

今回は若気の至りで烽火台跡と想定される1331mの峰を調査出来なかったが、いつの日かリベンジして棒道とともにその謎に迫ってみたいと思った次第である。

≪余地峠≫ (よじとうげ)

標高:1269mm 比高:211m (余地ダムより)
場所:南佐久郡佐久穂町/群馬県北甘楽郡南牧村
攻城日:2017年5月21日
お勧め度:★☆☆☆☆ 
峠頂上までの所要時間:40分 
駐車場:余地ダム
見どころ:棒道
注意事項:余地ダムから先はスマホ、携帯は圏外になりGPSも使用不可。冬は鉄砲隊に注意
参考文献:「信濃の山城と館① 佐久編 宮坂武男著」 「定本佐久の城」(1997年 郷土出版社)
付近の城址:勝見城、松山砦、大崖城、灰立山烽火台など

IMG_1551.jpg
中の峠から見た余地峠(中央の低い場所)

IMG_1549.png
スマホのアプリも中峠からGPSがフリーズしてしまい役に立たなかった・・・。

Posted on 2017/12/24 Sun. 13:48 [edit]

CM: 8
TB: 0

1210

鷲尾城 (東御市新張奈良原)  

◆「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編」のトップに掲載されていた城◆

今さら何を・・・と思うかもしれないが、小生の山城への情熱のスイッチを押したのは宮坂武男氏の「図解山城探訪」シリーズである。(当時は非売品、県内の図書館でも館内閲覧のみで貸出禁止のところが多かった)

現在は「信濃の山城と館①~⑧」(戎光祥出版)として2012年度より随時内容も改訂され限定数量ながら販売されているが、今も長野県の山城の第一級資料としてゆるぎない地位を確立し山城ファン垂涎のバイブルでもある。

yamasirotanbou[1]

今回ご案内する山城は、小生が初めて東御市の図書館で拝見した「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編」の一番目に掲載されていた山城である。取り立てて比高が高いとか奥深い山だとかでもなく、何回かチャレンジする機会はあったものの何故か後回しとなり、東御市における未訪の城として唯一残っていた。「いつでも行ける」と思うか「今しか行けない」と思うか・・・心掛け次第であろう・・・(笑)

図解 山城探訪 第三集 上田小県資料編 (102)
「図解山城探訪」では1番目の山城だったが、改訂出版された「信濃の山城と館」では4番目に変更されている。

【立地】

東御市から地蔵峠を越えて群馬県嬬恋村鹿沢に通じる県道94号線の途中の奈良原集落の西側「鷲尾山」の山頂に築かれている。比高は麓を流れる所沢川より約150m程度である。

IMG_4077.jpg
奈良原集落からの鷲尾城遠景。右のピークが主郭。

【城主・城歴】

立地から祢津氏の本拠地である祢津下の城・上の城の詰めの城と考えられてきたが、簡素な縄張で改修された跡もないので祢津氏に属する在地土豪の城であったようだ。

大正十一年発刊の「小県郡史」には鷲尾城址として「祢津村新張區(ねつむらみはりく)小字楢原の西山なる鷲尾の山上にある山城なり。麓より登ること約五町にして本郭に至る。本郭は東西十間、南北一町。二郭は東西狭き處にて五間廣き處にて十間、南北に二町に亘り段あり。城跡中堀切二條あり。石垣の残るあり。先なるを鷲尾城といひ、後なるを萩城(はぎのしろ)といふ。新張の聚楽より一里十町の山奥にして僻阪の地たり。所傳を聞かず」とある。

IMG_4076.jpg
最近東斜面全体が伐木されたようだ。比高100mぐらいなら直登でも何とかなりそうと腹を決めて登る。

IMG_4075.jpg
藪の直登も厄介だが、禿山の急斜面の直登も掴む枝や木が無いので「転落注意」。

IMG_4074.jpg
「ういやつ」のジムニー君がゴミのように見える高さである・・(汗)

何だかんだ20分間急斜面を直登して二郭へ到達。尾根部分も伐木されていて遺構が鮮明に見易くなっていたのは有難いのだが、来年の夏は藪化必死であろう。そうでなくとも斜面に蔓延る棘科の植物に刺されまくって直登したので「こりゃ痛そう・・」

IMG_4027.jpg
二郭南端の岩を利用したと思われる木戸。ここが城域の南限らしい。

【城跡】

段差のある郭を二つ繋げ、主郭の前後を堀切で断ち切った簡素な縄張の山城である。小県郡史(ちいさがたぐんし)では、主郭を「萩城」南側の二の郭を「鷲尾城」と記載しているが連続しているので一つの城であろう。南限には岩を利用した木戸が設けられ、北側の鞍部方面にも天然の岩石を削り出して防御構造としている。

IMG_4029.jpg
木戸の南側の削平地。

IMG_4038.jpg
木戸側より見た二の郭。削平は曖昧だが結構な広さだ。

IMG_4035.jpg
伐木されたおかげで眼下に奈良原集落が良く見渡せる。

IMG_4039.jpg
二の郭と主郭の間には高低差を利用した堀切があるが短い。

IMG_4041.jpg
主郭側より見下ろした堀切。かなり浅くなってしまったようだがこの城では最も大きな堀切である。

主郭は堀切側に土塁の遮蔽を付けて二段の長方形を成している。北側には岩で虎口を作り更にその先に堀切を穿っている。

IMG_4042.jpg
主郭と南の堀切側の遮蔽土塁

IMG_4043.jpg
北側より遮蔽土塁を撮影

IMG_4051.jpg
本郭北側の虎口。左右を土塁と岩石で守っているのが分かる。

IMG_4056.jpg
虎口を北側より撮影。小さな山城だけど上出来だネ(笑)

IMG_4060.jpg
虎口を抜けると落差を利用した岩盤堀切。結構鋭い。

IMG_4062.jpg
堀切の先は岩が剥き出しの痩せ尾根が続く。

IMG_4063.jpg
痩せ尾根の北の先にある岩盤堀切。ここまでが城域であろう。

さて、如何でしたでしょうか?

在地土豪の簡単な物見または逃げ込み城的な簡素な作りですが、こんな高地集落にも城が必要だったとは驚きです。

それにしても6年も7年も放置した甲斐があってか、伐木されてスッキリした遺構が見れて良かった。

結論として、「いつ行くの?」   「今でしょ!」  (古いなあー 笑)

IMG_4072.jpg
何とご褒美には城跡から「富士山」が拝めましたよ!


≪鷲尾城≫ (わしおじょう 萩城)

標高:1236mm 比高:150m (所沢川より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:東御市新張奈良原
攻城日:2017年12月3日
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:20分 駐車場:墓地の駐車場借用(墓地までは軽自動車じゃないと無理かも)
見どころ:堀切、土塁、眺望
注意事項:伐木用の作業道が途中まであるが、最後は斜面を直登する。
参考文献:「信濃の山城と館③上田小県編 宮坂武男著」 「小県郡史」(大正十五年)
付近の城址:祢津支城、祢津下の城、祢津上の城、矢立城など

IMG_4078.jpg
まあ、こんな感じかしら。

IMG_4050.png
場所はここです。





Posted on 2017/12/10 Sun. 11:17 [edit]

CM: 8
TB: 0

1208

殿城山城2 (リテイク 上田市殿城)  

◆真田山城ネットワークのメインの烽火台として使われたか?◆

年齢を重ね、寒くなると億劫になってしまい(ものぐさとも・・汗)、ブログの更新も停滞しております・・・。

今回ご案内するのは、殿城山城の焼き直し。前回は真夏で遺構も景色も良く確認出来なかったので、そのリベンジとして公開。

※前回記事⇒殿城山城

IMG_3995.jpg
山頂には相変わらずドデカイ国交省のマイクロウェーブ無線の反射板が鎮座する。

前回は上田市民の森から登り口までの林道を徒歩で30分も歩いたのだが、今回は愛馬ジムニーで旧菅平有料道路の途中から続く石清水の林道を踏破して到着。この日はイノシシ駆除の鉄砲隊の方に遭遇し「気を付けて山登りするように」と警告を頂いた。

登り口から約20分で山頂へ。登山道は整備されているものの独立峰なので後半の傾斜はかなりキツク息が上がる・・(汗)
さすがに標高1194.3mはだてじゃない・・・(笑)

殿城山城縄張図
土手付きの単郭に二重堀切を穿った「狼煙台」だ。

殿城山2
上田小県はもとより遠く北アルプスまで見渡せる立地は烽火台として申し分ない事がわかる。

前回は夏場の探訪で城跡は一面の大藪に覆われ、しかも雨上がりでガスが巻いて何も見えずじまいだった。

なので、殿城山から見える景色を是非一度拝みたかったのですw

殿城山3
1194.3mの三角点。松尾古城遠見番所の1350mには及ばないものの、虚空蔵山城よりも100m高い場所になる。

殿城山4
虎口の周囲は土塁。天水溜めも認められる主郭。

twitterでもコメントしたが、この辺りの烽火台の標高はだいたい1,200mあたりが限界で、それ以上になると天候に左右されてしまいその責務を果たすのが難しくなる。

ただ、全国的にも晴天率の高いこの地区は、戦国時代もあまり変わらなかったと思われる。その証拠ではないが、松尾古城の遠見番所は1,350mという異様な高さに造られそれでも機能している。それでもここから遠見番所に伝達するには天白城を経由しないと難しい。

殿城山5
主郭背後の二重堀切。

殿城山6
北の尾根側から見るとこんな感じの二重堀切。堀中の土橋は後世の造作であろう。

地元の伝承によれば、世に名高い「戸石崩れ」の際に信玄がこの山に本陣を置き、全軍の采配を指揮したことから「殿城山」(とのしろやま)の名が付けられたという。
確かにこの場所からは戸石城も眼下に収めるが、現実の城攻めの陣所とすれば無理がある。

殿城山⑦
ここから戸石城は目と鼻の先かもしれないが、本陣としては高すぎ遠すぎで伝令を飛ばしても時間がかかり過ぎ・・・(汗)

殿城山7
真田氏が領地を治める為の通信所としては最高の見晴らしである。

殿城山8
米山城の登り口から見た殿城山城。山頂の反射板が目立つので上田市内のどこからでも認識できる山である。

殿城山9
twitterで投稿したら結構見て頂いた写真。上信越自動車道のローマン橋のたもとから撮影。

天気が良ければ景色は最高だが、オフロード車でもお持ちでない限りコスパはあまり良くないしマイナーな城なのでお勧めしない。
それでも信濃の山城を極めたい方には避けて通れない山城かも知れない・・・。遠見番所ほどではないのだが・・・(笑)

≪殿城山城≫ (でんじょうさんじょう とのしろやまじょう)

標高:1193.4mm 比高:293m (市民の森公園より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市殿城(トノシロ)
攻城日:2017年12月3日 (再訪)
お勧め度:★★☆☆☆ (眺望がよければ★3つ)
城跡までの所要時間:片道1時間 駐車場:市民の森公園駐車場
見どころ:堀切、土塁、眺望
注意事項:クーさん注意の看板あり。
参考文献:「信濃の山城と館③上田小県編 宮坂武男著」「小県郡史」
付近の城址:矢沢城、矢沢古城など



Posted on 2017/12/08 Fri. 21:41 [edit]

CM: 2
TB: 0

1119

清滝城2 (リテイク 長野市松代町東条)  

◆尼巌を城を眼下に収める南北朝時代から続く山城◆

この山城には6年ほど前に2度ほどチャレンジして記事にもしている。

清滝城 挫折編

清滝城 リベンジ編

比高600m以上あり、結構しんどかったのでもう登る事も無いかなーと思ってましたが、今一度ぐらいは遺構を真面目に見ようと思い再チャレンジ!(笑)

中々そういう機会を求めるのは時間的にも体力的にも大変な事なのだが、二度、三度と訪問することで新たな発見がある。

IMG_3081.jpg
清滝城(地元では奇妙山)の登り口の岩沢公民館付近からの風景。

IMG_3082.jpg
善光寺平の山城では認知度抜群の尼巌城(あまかざりじょう)。ここから登ると清滝城⇒尼巌城と体力があれば縦走も可能だ。

「俺の人生、アドリブさ!」 というセリフを耳にするが、人間としての基礎が出来ているから応用が出来るという謙遜であろう。

「俺の人生、思いつきさ!」 というのが小生も自慢であるが、いい加減な人生もここまで来れたら大したもんだと自画自賛(笑)

IMG_3083.jpg
岩沢の登山口までは、小型乗用車以下なら何とか登れて駐車も3台くらいまでは可能だ。


尼巌城へは「玉衣比売命神社」から登るルートが一般的だが、ここから登ると最短で一巡出来るのでお勧めだ。

2周連続の台風の直撃で、登山道はかなり荒れ果ててしまい、尼巌城との分岐の尾根まで30分かかり到達。

IMG_3085.jpg
ここから更に1時間も登るのか・・・

IMG_3088.jpg
ひたすら登る登山は苦手だ。景色でも見えれば良いのだが、高見岩までは退屈な山道が続く。

IMG_3091.jpg
アタック開始から60分で高見岩付近に到着。頂上まで45分とあるが、今回は中高年の意地を見せて20分で踏破したのである(笑)

清滝城を目指す方は、是非とも高見岩からの景色をその目で確かめて欲しい。

かの有名な尼巌城を見下ろす事が出来る唯一の場所であり、その絶景は清滝城(奇妙山山頂)からは現在観ることが出来ないので貴重な風景であろう。

信玄よりここの攻略を命じられた真田幸隆は、搦め手にあたるこの場所から尼巌城へ攻め込んだという説もあるらしいが守備側もかなり厳重な防御体制を敷いていたというから一筋縄では事は運ばなかったと思われる。

IMG_3174.jpg
尼巌城を背後より見下ろすというのは中々壮観である。

IMG_3175.jpg
拡大するとこんな感じ。

IMG_3176.jpg
ここから目視で見える城跡はこんな感じ。

途中小学生の親子連れのハイカーを年甲斐もなく追い越し、ここから老体に鞭打ってラストスパートをかけて清滝城に辿り着く(笑)

最近は縄張図を描く気力も失せているので、再びnaomochi-u氏の芸術作品をお借りした・・・(汗)

清滝城縄張図①

●城跡

頂部に置かれた単郭から分かれる三方向の尾根に数条の堀切と数段の削平地を施した砦で、烽火台として使われたと推定される。標高1,000~1,100mあたりが烽火台の高さの限界で、それ以上になると天候に左右されて麓や他の烽火台からは見づらくなる。

IMG_3098.jpg
登山道に現れる最初の堀形

IMG_3100.jpg
主郭手前の二条目の堀切。ここには「堀切」の説明板があった。

●主郭

主郭は22×11の細長いホームベース状で北側に土塁の痕跡が確認出来る。

IMG_3113.jpg
北側より撮影した主郭

IMG_3107.jpg
北側の低い土塁跡と三角点

IMG_3112.jpg
山頂は北側の一部のみ視界が開ける。

●北東尾根

主郭から北東尾根には段郭を二段連続させて二重堀切で遮断し、更にその下に一条の堀切を穿ち防御を厳重にしている。

IMG_3114.jpg
主郭より段郭を見下ろす。

IMG_3119.jpg
二重堀切

IMG_3127.jpg
東尾根最終の堀切

●南尾根

本郭の南側を二条の堀切で遮断。その先は堡塁でここが城域の終点だと思われる。更に400m先まで進むと岩盤が剥き出しの岩山となり石仏と祠がある。

IMG_3134.jpg
主郭背後の堀切

IMG_3140.jpg
堀と堀の間の郭

IMG_3144.jpg
南尾根最終の堀切

IMG_3147.jpg
城域の終点の堡塁

IMG_3149.jpg
堡塁の上から見た松代町。尼巌城は見えなくなっている。

高所恐怖症なので剥き出しの岩山を探索するのには結構勇気というか、度胸が必要でした・・・(汗)
それにしてもこんな高い場所の岩山に石仏と石祠を運び上げるのには大変な労力を要したと思い、その信仰心には頭が下がる思いでした。

IMG_3163.jpg
岩山の石祠

IMG_3159.jpg
岩山のてっぺんに何かあるぞーと思って近くまで寄ると・・

IMG_3155.jpg
修験者の厚き信仰・・・

IMG_3160.png
ちなみに場所はここです。

IMG_3149.jpg
絶景を堪能するよりは恐怖に慄く

IMG_3156.jpg
昨年登ったノロシ山も良く見える

IMG_3158.jpg
北側に転じると霜台城なんかも良く見えます。

頂上周辺の雑木林を伐木すれば、清滝城から見える景色なんでしょうね。

IMG_3161.jpg
清滝城の南東550mの山(標高1,070m)も調べたかったが、滑落しそうな岩場が連続するので止めておきましたとさ・・(笑)

さて、如何でしたでしょうか?

信濃の山城はその険しさ故に、二度も三度もたやすく訪問することは難しいのかもしれません。

でも再訪することによって新たに発見する何かが必ずあると思うし、其の間に違う山城を訪問した経験から感じる別の何かがあると思われます。小生も今回の訪問でしっかり遺構を確認出来たし、謎の南尾根からの風景も堪能できました。

未訪の方は尼巌城とのセットでの訪問をお薦めします。もちろん、しっかりとした日帰り登山装備はお忘れなく!

≪清滝城≫ (きよたきじょう 英多城・東山城・奇妙山城)

標高:1099.5m 比高:720m (竹原より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市松代町東条
再々攻城日:2017年11月5日 
お勧め度:★★★☆☆
城址までの所要時間:90分 駐車場:有り
見どころ:郭、土塁、堀切など
注意事項:日帰り登山の装備で
参考書籍:「信濃の山城と館② 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城跡:尼巌城、金井山城、寺尾城、関屋城、ノロシ山、霞城、古城、加増城、霜台城など

IMG_3178.jpg
麓の東条小学校付近より見た清滝城(奇妙山)遠景。


Posted on 2017/11/19 Sun. 15:08 [edit]

CM: 6
TB: 0

1105

鈴岡城 (飯田市駄科)  

◆小笠原氏の内訌から生まれた城◆

昨日、信濃先方衆は北信濃のレアな城巡りと称して飯山市と中野市をブラブラしていたのだが、11月に入ったというのに紅葉は進まず相変わらず藪だらけだし、スズメ蜂には追い回されるし、「なんかオカシイゾ、信州の晩秋」と思った次第・・・(汗)

このまま霜が下りたら広葉樹は紅葉せずに「立枯れ」するんだろうな・・・・で、今回ご紹介するのは松尾城のお隣にある鈴岡城。

鈴岡城(飯田市) (1)
松尾城と鈴岡城は毛賀沢川という深い渓谷を挟んで隣接している。現在は公園化された際に橋が架けられ遊歩道が整備されている。

【立地】

鈴岡城は飯田市駄科の西北部のp段丘上の標高約490mにある。北側は毛賀沢川で比高役50mの渓谷を挟んで松尾城と相対している。
南は伊賀良井(大井)の流れを挟んで松ヶ崎台地や念通寺山などに相対している。東方は段丘崖下に空堀があり、眼下に駄科・長野原集落、天竜川を越えて下久堅・龍江・上久堅などの龍原の村々を経て伊那山脈の連なりが見える。西方は遠見原台地で伊賀良の集落や笠松山などが遠望できる。松尾城に比し眺望はよい。段丘崖を利用して、人手を加えた幾多の堀や郭が設けられ、現存する形で南より二の郭・本郭・出郭などに分けられている。

鈴岡城(飯田市) (2)
毛賀沢川の水道橋を渡り遊歩道を喘ぎながら登ると出丸に到達する。もちろん、往時にこのような道などありません。

鈴岡城縄張図① 001
小生の縄張図には美的センスなどありませんおで、今回もnaomochi-u様の芸術的な縄張図をお借りしました。

鈴岡城(飯田市) (5)
出丸。ほぼ正三角形で主郭から堀切によって切り離されている。隣接する松尾城の監視小屋だったのだろうか?

鈴岡城(飯田市) (3)
出丸からは松尾城と城下町の松尾方面、遠く喬木村まで見通せる。

鈴岡城(飯田市) (65)
もちろん、出丸から松尾城の主要部も良く見える。仲良き時は気にならなくとも、仲違いすれば憎さ百倍か・・・。

【城主・城歴】

ここの城主は鈴岡小笠原氏である。小笠原氏の総領職を巡っての内訌(ないこう)により、深志小笠原氏、松尾小笠原氏、鈴岡小笠原氏の三家に分立した。
鈴岡小笠原氏と松尾小笠原氏の対立については松尾城の項で若干触れているので、ここでは領家の対立の遺構二ついて述べる。

鈴岡城(飯田市) (8)
出丸から見た主郭と間の巨大な堀切。

松尾小笠原定基は鈴岡小笠原政秀と抗争を続け、政秀を滅ぼした。これに対し深志小笠原長棟と下条家氏の連合軍は定基と争い、定基は小笠原家の家督承継の資料を持って武田氏の元に走った。このため松尾城は一旦断絶するに至った。
そこで深志の長棟は二男の信定を鈴岡に送り再興を図ったので、廃絶されていた鈴岡は信定により勢力を盛り返し伊賀良庄を管掌したという。

鈴岡城(飯田市) (11)
主郭と出丸の間の巨大な薬研堀の堀切。この地域の河岸段丘の城の特徴でもある。

天文十七年(1548)に深志小笠原長時が武田勢の攻撃にあい、信定はその支援のため出陣した。しかし長時は信玄に追われ越後の長尾氏に身を寄せたが、その後信定の元へ在居した。
天文二十三年(1553)、武田信玄は長時・信定兄弟の鈴岡城を松尾小笠原信貴を先鋒として攻め落居させたので鈴岡城は廃城となり松尾城が再興された。信定は下条に走り、さらに阿波の小笠原の三好長慶の元に身を寄せたが、のちに戦死した。

※以上の城主・城歴については「定本 伊那谷の城」(1991年 郷土出版社)の鈴岡城の石川正臣氏の記事を引用しました。

鈴岡城(飯田市) (10)
堀跡の植込み。天正壬午の乱では飯田城がメインで使われているが、松尾城、鈴岡城も徳川軍による改修が行われたのであろうか。

【城跡】

主郭は城跡の中央東端にあってほぼ梯形をした地形である。北・西・南に堀をめぐらし東は急崖である。この主郭の平場の広さは、広い部分が約44mあり、幅は約64mである。西縁部に土居が設けられてあり、長さ27m、高さ約14m、底部の幅は約1.8m前後である。

鈴岡城(飯田市) (13)
主郭。

鈴岡城(飯田市) (15)
何故か「鈴岡城址」ではなく「鈴岡公園」の石碑。背後に土塁が巡る。

鈴岡城(飯田市) (28)
結構立派な土塁が本郭に残っているのには驚いた。

二の郭は堀を隔てて主郭の西南に続く鉤状に屈折する平場で、西南は堀で遠見原に対し、南面にも堀があって外方は伊賀良井の谷に傾斜し寺山に対峙する。現在は大部分が畑地として耕作されており、かつてあった井戸は埋められている。北・西・南の三方に土塁があったが、現在は一部残っているのみである。土塁の延長は約45m、高さ1.2m、底部は約2.7mである。

鈴岡城(飯田市) (32)
主郭と二の郭の間の堀切。ここは箱掘。

鈴岡城(飯田市) (33)
北の毛賀沢に向けて薬研堀は竪堀となり落ちていく。

鈴岡城(飯田市) (20)
主郭からは知久氏の神之峰城も視野に入る。

出郭は主郭の北にあって、ほぼ三角形の平場である。主郭との間にほぼ東西に堀切があり、東西の両斜面は急傾斜の断崖で、北側は毛賀沢川の渓谷に臨み松尾城と相対している。

鈴岡城(飯田市) (37)
二の郭を囲む南側の堀切。道路による改修があるものの、かなり幅広く長大である。

鈴岡城(飯田市) (38)
L字形の郭2。以前は畑だったようだが公園整備化に伴い、現在は駐車場と遊園地に変化している。

鈴岡城(飯田市) (43)
昔も今も遊園地さえ作れば住民の同意を得やすいという凝り固まった考えは捨てて頂きたいと思うのだが・・(汗)

鈴岡城(飯田市) (44)
二の郭に残る土塁跡。


外郭のうち、南外郭は二の郭の西方にあって一段低くなっており、「的場」の地名で呼ばれる。南北に長い平場で、長さ90m、幅5~22m、二の郭との間は堀で区切られている。
北外郭は南外郭の北に位置し、遠見原段丘麓を北東に延びて毛賀沢川に突き出したところにある平場で荒小屋と呼ばれる。遠見原との間には堀切があり、ほかの三面は急崖で、東方は谷を隔てて本郭・出郭と相対する。規模は西面の長さ90m、北面約80m、南方は広いところで約51mであるが、現在ではすべて畑地となっている。

鈴岡城(飯田市) (46)
二の郭と南郭の間の堀切。芸術的な美しさである。

鈴岡城(飯田市) (47)
鉄炮の使用を意識していたような幅を持つ堀切。武骨な松尾城とは対照的な機能美に溢れていると思うのだが・・・。

鈴岡城(飯田市) (49)
荒小屋と呼ばれる毛賀沢に突き出した平場。

鈴岡城(飯田市) (54)
的場に隣接する堀切。この仕様は松尾城に共通するものがある。

鈴岡城(飯田市) (56)
巨大であるが美しい堀切。

同行したnaomochi-uさんによれば、この城の訪問は二度目だそうだが、徳川軍による改修が施されたのではないか?と推測されている。
天正壬午の乱では、迫りくる北条軍に対して飯田城で籠城して耐えたという記述はあるが、松尾城や鈴岡城の記載は見られない。ここは、徳川方に付いた小笠原信貴の要請を受けて徳川軍が急遽改修工事を行ったとみたいがどうであろうか・・・。

鈴岡城(飯田市) (59)
北斜面の防御施設。今回詳細は調査出来なかったが、毛賀沢川に対する斜面に入念な防御施設が構築されているという。

鈴岡城(飯田市) (52)
的場と呼ばれる細長い郭跡。

以前は仲の良かった兄妹縁者が、本家の家督争いで仁義なき戦いを続けた。結果として、信濃国守護職の深志・松尾の両小笠原氏は武田氏のような戦国大名にはなれなかったものの、武田家滅亡後の信濃国における戦国時代の荒波を潜り抜けて家名を存続させることに成功した。卑怯者と罵られようが、その働きは値千金の価値であったと思われる。


≪鈴岡城≫ (すずおかじょう)

標高:485m 比高:93m (天竜川より)
築城年代:不明
築城・居住者:鈴岡小笠原氏
場所:飯田市駄科
攻城日:2015年11月23日 
お勧め度:★★★☆☆
城址までの所要時間:-分 駐車場:有り
見どころ:郭、土塁、堀切など
注意事項:特になし
参考書籍:「探訪信州の古城」(2007年 郷土出版社) 「定本 伊那谷の城」
付近の城跡:松尾城、座光寺北城・南城、神之峰城など
Special Thanks:ていぴす殿、naomochi-u殿

鈴岡城(飯田市) (70)












Posted on 2017/11/05 Sun. 21:52 [edit]

CM: 6
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top